第4話

私の家は借家だが一軒家である。大家さんが父さんのファンで通常価格よりも安く家賃を設定してくれた。人の優しさに触れながら自分が生きていることを実感した瞬間だった。とても元芸能人の家とは思えないこじんまりとした邸宅だが、私は気に入っている。そんな我が家には似つかわしくない人物がある晩、家にやってきた。

以前私に大きくなったらエッチしようと言ってきた幼児性愛好者の先輩芸人が、未成年と淫行して警察に逮捕されたというニュースがお茶の間に流れた。少し前から週刊誌では話題になっていたが、はっきりと逮捕に至ったので芸能界は騒然となった。そしてその騒ぎは父さんをも巻き込むことになった。父さんは芸人時代その先輩と懇意にしていたため、週刊誌記者の一人が父さんのところに押しかけて来たのだ。父さんは最初は取材を渋ったが、向こうが取材協力金を出すと言ってきたので引き受けたらしい。どうせ大した額でもないが今の私たちには貴重な金だ。  

 取材はリビングで行われることとなった。私は部屋をこっそり抜け出して一階におり、リビングとの敷居となっている扉の前でしゃがみこんで聞き耳を立てた。

 「豆大福さんとは確か一年後輩でしたよね、一緒の養成所出身だとか」

 「ええ、よく飲みに行ってましたよ」

 「当時から女癖は悪かったんですか?」

 「うーん、まあ面白い人ですから、常に女ニ、三人はべらせて、後輩にも、あてがってましたよ。」

 「常盤さんもですか?」

 「いや、自分は妻も子供もいましたから、そういうお付き合いは避けてましたね。当時は稼ぐことで精いっぱいでしたから」

 「そうですか。芸人を辞めてからも交流はあったんですか?」

 何気ない記者の質問に、父さんは言いよどんだ。普通に滑らかに答えられる質問のはずなのに父さんの言葉は直ぐに出てこなかった。

 「芸人はまだ辞めてないですよ」

 「え、でもいま、職業は」

 「警備員しながら芸人復帰を目指しています」

 私はびっくりして出そうになった声を必死になってこらえた。しかし父さんのその以外すぎる返答は軽く流され、話は豆大福の人間関係に収束していった。記者は現在の父さんには存外無関心だったようである。だけど私にとっての一番の関心事は父親の発言だ。まだ芸人を諦めていない。その言葉が真実かどうかはわからない。記者の前で見栄をはっただけかもしれない。でも私にとっては心をふにゃらせるには充分すぎる言葉だった。 

 私はお茶菓子を用意して部屋に入り、キッチンで入れたお茶を記者と父さんの前に置き、「ごゆっくりどうぞ」と声をかけ、部屋を後にし、二階の自室へと踵を返した。

 嬉しかった。父さんはまだ芸人を諦めていない。私はベッドに入って一人悶えた。

 死ぬ間際、母さんが父さんに言っていた。

 「あなたらしく生きて」と。

 今の父さんは母さんの望んだ父さんの姿ではない。警備員として日々汗を流す父の姿も私は見たくない。

 建設現場で働く父さんは、顔はデカい癖にもやしみたいな体格をしているから、ずっと立っているのが辛いらしく、誘導も上手くできないので先輩の隊長によくどやされているそうだ。それもこれもすべては生活のため、私のため。父さんの愛情はキチンと感じている。でもやっぱり私はもう一度ステージで輝く父さんが見たいのだ。


 本日の晩御飯はオムライスにしようと思い、私はスーパーで食材を調達した。お母さんが死んで以来、家事は私がやっている。まだ料理の腕に自信はないが、ネットに散乱するレシピそのままに作るだけなら私にもできる。料理を始めて気付いたことは、料理は数学ということだ。砂糖や塩、コショウ、各種薬味など正確な分量で作らないと絶対美味しく出来ないのだ。私は数学が苦手なので、つい目分量でやってしまいがちだが、そういうときは常に「料理は数学」と心に念じて軌道修正している。

 しかしオムライスを上手に作るのは数学ではなく技術だ。卵をふわふわにさせたいのだが私の腕ではできないので、先に作ったチキンライスにフライパンの上にプレーンに広げた卵をフライパンごと反転させて作った。こうして出来たオムライスとコンソメスープが今晩の晩飯だ。

 「お父さん、ご飯できたよ」

 私がキッチンで呼ぶと、父さんはデカい顔を突き出すように無言で部屋に入ってきた。

 「今日はオムライスだよ」

 「お、やるなオカヅ。俺の好物だ」

 えへへ、と私は笑いながら皿をお盆にのせてテーブルまで持って行った。

私は両手を合わせて「いただきます」と声に出して言ったが、父さんは行わずかき込み始めた。

 「もう、いただきます、してよ」

 「うめえ、うめえ」

 全くどうしようもない父親だ。でもその食べ方が滑稽だったので私は思わず笑ってしまった。

 「なんだオカヅ、何がおかしい」

 「いや、やっぱり父さんは芸人だなって」

 「芸人はもう辞めたんだぞ」

 「でもお父さん、さっき記者に自分は芸人だって言ってたじゃん」

 父さんは、食べるのを止め、スプーンをテーブルに置いた。

 「お前、盗み聞きしてたのか」

 「だって何話してるか気になってたんだもん」

 「俺はお前をそんな悪い子に育てた覚えはない」

 「何よ、ちょっと聞いたぐらいでそこまで言うことないじゃない」

 「いいや、言うね。お前は悪い子だ」

 「いつ芸人に戻るの」

 「話をそらすな。今度同じような事したら、父さん許さないからな」

 一方的な父さんの言葉に私もカチンときた。確かに聞き耳は良くないけど、少しは私の気持ちも分かってほしい。

 「何それ、私は父さんのことが心配なんだよ」

 「心配? 何をだ」

 「毎日体をどこかしら湿布を貼る私の身にもなってよ。今のお父さん、見てるの辛いよ」

 「オカヅ」

 「芸人辞めるなら辞める、続けるなら続ける。どっちかにして。夢見させることしないで。あと風呂上がりに乳首に洗濯バサミ挟むのも辞めて、つまらないから」

 私が一方的にまくし立てると、父さんは押し黙って今度は上品にオムライスを食べ始めた。

「あれ、つまんないか」

 父さんがポツリとつぶやいたので

 「うん最高につまんない。しかも私の反応をチラチラ確認するのが心底うざいわけ。あれが父さんの芸人魂なの」

 「違う、あれはただのトレーニングだ。」

 「トレーニング?」

 「芸人だった頃の自分を忘れないための作業だ」

 「じゃあお父さんやっぱり芸人に戻りたいんじゃん」

 私の言葉に、父さんは再び押し黙ってしまった。しかし何かを喋りたそうな雰囲気だったので私は黙ってオムライスを食べつつ父さんを見つめ続けた。

 「芸人に戻っても、成功できる保証はないぞ。今より経済的に不安定になるかもしれないし、お前を大学に行かせてやれなくなるかもしれん」

 「どっちにしても今の年収じゃあ進学は無理だよ。私のバイト代でかろうじて維持してる状況だもん」

 「そうだな、父さん、稼ぎ悪くてごめんな。お前には苦労かけてるな、本当に申し訳ない」

 父さんは私に頭を下げてきた。私が一番みたくない父さんの姿だった。私は瞳から涙があふれてきた。

 「謝らないでよ。私は今の生活も気に入ってるんだよ。でもやっぱり私は昔みたいに芸能界で活躍してる父さんが観たいんだよ」

 「オカヅ・・・」

私は大粒の涙を流しつつ、オムライスをかき込んだ。まるで早食い競争のような勢いだ。

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