第3話

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 むせ返るような愛の匂いに包まれて、私は両親に育てられた。父さんと母さんは同じ高校の同級生で、高校卒業と同時期に私を妊娠した。それでも芸人になるという馬鹿な夢を捨てきれなかった父は毎日のように舞台に立ち、警備員のバイトをし、先輩に媚び売ってお金を稼ぎ生活を支えた。

 私が生まれてからも質素な生活が続いたが、父さんが二十五歳のときにとあるトークバラエティでの毒舌発言がきっかけでブレイクし、以後毒舌を売りにした芸風でお茶の間のアンチヒーローになっていった。

 しかし有名になったりことで気が大きくなった父さんは先輩芸人への礼節を疎かにしたり、後輩芸人の面倒を見なくなったりといった素行不良が目立ち始め、業界内でも不信感が募り始めていた。父さんを嫌う視聴者も出始め、とうとう嫌いな芸人ランキング3位に選ばれてしまった。にも拘らず父さんは人気番組を幾つも抱える売れっ子でもあり続けた。芸人は嫌われてなんぼを信条に日々を生き続けていた。

 そして母の突然の死を受けて記者会見で号泣してしまい、これまで父さんが築いて来た毒舌嫌われ者芸人のキャラが完全崩壊し、司会をしていたレギュラー番組の視聴率低下を受け次から次へと番組は終了していき、気が付けば父さんは以前から根に持ってた業界人達に絶好の機会と梯子を外されてしまったのだ。父さんが慕っていたとある先輩芸人から「芸人にとってタブーが出来るのは良くない」と助言を受け、妻の死をネタにするか振られたらボケるくらいの気構えは持っておけ、と言われたそうだ。だが父さんはどっちもしなかった。更に芸人のキャスター化の流れに対応できず時代に取り残されてしまった。

芸人なら妻の死もネタにしろ、人の時は笑ったくせに自分の時は号泣か、他色々厳しい言葉がネット上に溢れた。それに対して父さんは真っ向から相手にしてしまい、ネットのツイッターは炎上。扱いづらい芸人という烙印を押され、テレビでの仕事が極端に少なくなっていってしまった。

あの時、別のキャラにうまい具合にスライド出来ていれば、今日の惨状はなかったかもしれない。でも父さんは毒舌に対して頑な信念を持っていた。どのみち業界人からは煙たがられていたので遅かれ早かれテレビからは消えていただろう。でも父さんの気持ちのいいほどの毒舌は私は好きだったし、お母さんも父さんを尊敬していた。願わくばもう一度輝く父さんの姿が見たい。それが今の私の嘘偽らざる本音である。

 「オカヅの父ちゃん、近くで見ると本当に顔でかかったな」

 「失礼な事言わないでよ」

 「あの顔のデカさで無駄にカッコつけてたから、僕、笑いをこらえるのが大変だったよ」

  まあひどい、父さんに言ってやろう、と私が言うと、睦夫は焦った様子で謝罪してきた。

 「でもすごく勉強になったよ。僕、大学に行ってから芸人目指そうと思う。」

 「ほお、随分殊勝な心意気だね、どういう風の吹き回し?」

 「だって今の芸能界って全体的に高齢化が進んでるし、二十代でブレイクするのって放送作家が仕込んた一発キャラ芸人ぐらいでしょ。それに近年は情報番組のコメンテーターをやる機会も多いし、なら二十代前半のうちは勉強に集中して教養を身に着けておこうと思ったんだ」

 「おお、すごい。阿保の睦夫とは思えない発言」

 「阿保は余計だよ。オカヅちゃんはどうするの?」

 「私も大学行きたいけど家計がね。バイトしてるけど間にあうかどうか」

 「大変だね」

 「父さんが芸人続けてたら楽に行けたんだろうけどねえ」 

 「事務所にまだ所属してるんでしょ」

 「まあね。幽霊だけど」

 現在の我が家の家計は火の車で大学にいきたいなんてとても言えない状況である。スーパーのバイトで貯めた資金も家計に回しているので大学資金が堪らなくて困っているのだ。父さんが芸人だった頃の

お金はもう底をついている。大学進学はあきらめた方がいいのかな、と最近は思い始めてきた。


 家でラジオを聴きながら勉強していると、ミスターチルドレンのsignが流れてきた。お母さんはこの曲が好きでよく口ずさんでいた。1階からsignを歌う父さんの大声が聞こえてきたので私は父さんを叱責した。父さんのカラオケの十八番にもなっているこの曲を聴くと、やっぱりどうしてもお母さんのことを思い出してしまう。

お母さんは優しい人だった。おてんばだった私に怒るときも決して声を荒げたりせず、諭すように正しい世界へと導いてくれた。料理がうまくてきれい好きで、ガーデニングが趣味の人だった。

 お母さんが残したガーデニングの鉢植えは枯らさないように私が管理している。父さんは鉢植えの近くでダンゴ虫を二匹飼育している。名前はマリアンヌとジョセフィーヌというらしい。どっちがマリアンヌでどっちがジョセフィーヌかは父さんにしか判別できない。ダンゴ虫を愛でる父の後姿は哀愁が漂い、この世の破滅すら予兆できそうな気分になる。

「お父さん、ちゃんと花にも水あげてよ」

私の大声に父さんはやたら爽やか声で返事を返してきた。きっと外でも小躍りしながら歌っているのだろう。芸人を辞めても父さんは心の奥底には芸人魂が眠っているようで、私は少し安心した。父さんには明るく元気でいてほしい。そして願わくば芸人だった頃のように毎日ジョークを言ってほしい。


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