第29話 幕間──女帝の魔術師マーリン

 帝都ロンドンで美しい建物と言ったら誰もが口を揃えて、水晶宮クリスタル・パレスと答えるだろう。元々は数百年前に万国博覧会の会場として建てられたが、今では女帝ヴィクトリアの居城となっている。広大な植物園はキューガーデンを参考にし、中央である居城の一部は贅沢ともいえるほどのガラス張りが施されたもの。

 最新の技術をもとに建てられたガラスの宮殿は、ビフレフト鉱石を燃料とした機械仕掛けの工夫がある。時間によってガラスが動き、太陽光の量を調節するのだ。そのさまを天球儀に例える者もいる。

 女帝の居城ならではの贅沢な建物の一角をある魔術師が常に独占している。

 入り口の扉はいつの間にか現れて、いつの間にか消えるらしい。故に扉は素朴な造りで、気に留める者たちは少ない。


 ジョン・フランシスは広大な敷地の一角から素朴な扉を探すのに半日を費やしてしまっていた。

 煉瓦造りのただの壁にさも当たり前のように出てきた木造の扉。古臭そうに汚れている。


「やっと見つけた……」


 やれやれ、と肩を竦めて扉の把手に手をかける。開いた先は、初めて訪れた者は必ず目を見開くだろう。ジョンだって初めはそうだった。

 内装は以下の通り、美しかった。

 完璧な円形天井の柱が鳥籠のように空間を作り、宙に浮いたビフレフト鉱石の欠片が良空の星の如く輝いた。壁はどこまでも果てしなく続く闇であるが、そう見えているだけで見えない壁がある。ジョンは好奇心で壁を触ったことがある。肌触りはなんとも言えない素材だった。ぬかるんでるような硬いような。

 いくつもの鳥籠が天井から吊るされており、形と大きさの異なるそれらの中には蠢く心臓たち。どこから掛けているのか分からない、ただの飾りと言わんばかりのガーネット色の垂れ幕。周囲にはアンティークのように置かれた楽器たちが奏者なきまま音楽を紡いでいる。


「あっは。やっと来たね、ジョン。見つかっちゃった」


 目的の人物は部屋の中央にいた。猫足で支えられたシックな椅子に深く腰掛ける少年。

 馬の尾よりも長い銀糸の髪は適当に結われて床に降りていた。陶器の白さを誇る柔肌は幼さを残している。薄いローズの唇が軽やかにジョンを招く。

 左目はマンダリンオレンジ、右目はアメジストの輝きを誇っていた。ぶかぶかのシャツを着た半ズボン姿に外套を羽織り、細い脚を組む少年の出で立ちは異様で、何故か他者を圧倒する。

 天使の微笑みの相貌を称えた少年に、ジョンは引きつった顔で近づいた。


「捜しましたよ、マーリン。苦労しました。ここを探すのは、大変すぎる」遠まわしに分かりやすく部屋を配置しろと言う。だが、少年──マーリンは笑みを崩さない。

「音楽をお止めになったら?」


 堪らずジョンは言った。

 するとマーリンは片手を軽く上げて広げた手のひらを閉じる。するとふつり、と音楽は止み、楽器は時間が止まったが如く動くことはなくなった。


「急ぎの依頼を君にしたくて」


 マーリンの言葉にジョンは顔を更に強張らせた。自身の存在意義故に、彼の依頼とはなんであるか予測がつく。雑用など、フローレンスやマーガレットにでもやらせたらいい。しかし選ばれて呼び出されたというのはそういうことだ。


「私は女帝陛下の騎士イークウェス。あなたからの依頼は受けません」

「僕の言葉は女帝の言葉だ。君に拒否する権利は僕の前ではない。……ヴィクトリアは僕に全幅の信頼を寄せてくれている」

「……あなたに忠誠を誓った覚えはありませんが?」ジョンは眉を寄せてマーリンと呼ばれる少年を見た。


 女帝に騎士として召し上げられる前から女帝のそばにいた魔術師という胡散臭い少年を、ジョンは今日に至るまで信用していない。おそらくこれからも信じることはできないだろう。


「いいだろう? 君はそのために選ばれたんだから。気にせずに殺しにいくといい。獲物はこの国には要らないものになったんだからさ」


 簡単に言ってくれる。

 唇を歯噛みしてジョンは静かにマーリンを睨む。


「その依頼、陛下はご存知でいらっしゃるのですか?」

「うんー? うん。知ってる知ってる。あ、今日行く前に僕の髪を結ってくれる? ちょっと邪魔になってきちゃった」

「ご自分でなさってください。依頼の内容をお願いします」

「つれないなぁ。僕の兄さんみたい」


 このマーリンに兄がいたのか。

 不思議な発見に少しばかり驚くも、どうせロクな人間ではないだろうと予測する。まず存在自体が怪しいものだ。

 促されたマーリンは唇を愛らしく尖らせ、渋々と言ったように依頼内容を語った。


「殺して欲しいのはね、僕の元お気に入りの子だったんだけどね。そろそろ不要だなって。しかもちょっと厄介な奴にバレたって言うじゃん?」


 一枚の手紙を懐から出してジョンに差し出す。


「これに詳細は書いてあるよ」


 王室の紋章付きの封蝋に、とうとうジョンは依頼に対して拒む選択肢がないことを悟った。まさしくマーリンの言葉は主人であるヴィクトリア女帝の言葉と同義なのだ。

 袖口からナイフを取り出して開封。中身の便箋に眉を寄せて目を通した。


「魔術師ドラクル──?」

「うん。そ。その子要らないから殺ってきて? お願い。ね?」


 おもちゃを捨てる子どものような口調だ。ジョンは彼を一瞥するも、マーリンの興味はすでに消え失せており、黄金の装丁の分厚い本を広げている。ちらりとマンダリンオレンジとアメジストの瞳がジョンを見上げたが、まだいるのかと言いたげだった。


──よくこんな得体の知れないものを陛下は。


 呆れ気味に視線を受け止め、ジョンは部屋をあとにした。背後からまた音楽が聞こえ始めたが、扉を閉めると同時にパタリと止んだ。

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