第13話 少年、返答と夢人
自殺が吸血鬼になる儀式。そんな馬鹿なことがあるだろうか。
自殺者はたくさんいる。栄華を誇るヴィクトリア大帝国でも自殺は必ず起こる。
「自殺というのは魂を傷つける行為だ。行くべき人生を断つことで、魂は穢れてしまうのだ」
「穢れてしまった吸血鬼はどうなるんですか?」
「……吸血鬼になった彼らは自身が死んだという自覚がない。まずは渇望を覚える。喉の渇き、それを満たすための潜伏」
脳裏で飢えた狼を想像する。涎を垂らし、今か今かと獲物が無防備になっている瞬間を、闇夜から伺っている様子。
「吸血鬼というからには血を吸うんですよね? でもそれで喉の渇きは治るんですか?」
「いや、それは一時の安穏に過ぎない。また次の吸血行為に走る」
「……まるで阿片中毒者ですね」
阿片。実は未だに阿片窟はあると言われているらしい。
大戦後の混乱に乗じて阿片は貧民街から飛び出して心の傷を負った罪なき人々を苦しませた。ヴィクトリア大帝国の膿であり、阿片の取り締まりが厳しく行わられている。学園にも阿片を友人に進めて退学処分後、ロンドン警察庁に逮捕されたという事件もある。阿片は僕たちロンドン市民にとって間近な凶器だ。
師は僕の例えに深く頷いた。阿片中毒者を見たことのあるかのように。
「ある意味同じだな。彼らは血を媒介にして魂を食らうのだよ。そうすれば穢れが治ると信じている」
師の口ぶりからして、吸血鬼が如何に無駄なことをしているかは理解した。自分が穢したことに気づかぬまま、他者から啜りとって穢れをなくそうとするのは、死神たちにとって愚かしい行為なのだろう。そして傍迷惑な行為だということも。
僕はふと師に問う。
「吸血鬼を放っておいてはいけないんですよね?」
「そうだ」
「吸血鬼に遭遇した場合、エヴァン先生たちはどうするんですか?」
「まずは機関本部に報告する」
機関本部というのがあるのか。組織化しているなら本部があるのは当たり前といったら当たり前か。
「そしてもし可能であれば捕縛だ」
「可能であれば?」
可能であるなら捕縛、とはボーダーが曖昧だ。
吸血鬼が人に及ぼす害ある存在なのに。
悶々とする僕を察したのか、師は言葉を紡ぐ。
「彼らはそう簡単に捕まらないんだ。すばしっこく、頭がいいものは集団を作る。なかには魔術師が捕縛して研究対象にされることもある。つまりだ、運の悪いことに場慣れした吸血鬼に遭遇したら苦戦する死神も多い」
──死神は万能ではないのだよ。
僕を笑うように師は歯を見せて唇の両端を吊り上げる。器用なことに、師の目は笑っていなかった。
「だからこそ、彼らがいる」
「彼ら?」
「
「てっつい、きょう……」何故だろう。名前を呼ぶとゾッと背中に冷や汗が垂れたかのように、緊張が走る。
「彼らの仕事は吸血鬼の捕縛、あるいは討伐」
討伐。その言葉に更にぞくりと粟立つ。
何か、恐ろしい集団なのだろうか。僕は腕を摩る。
鉄槌卿とは。
師の講義の議題は、吸血鬼から鉄槌卿へと変わる。
師が言うには、鉄槌卿とは狩りに特化し、魂を消滅させることを特別に許されている死神たちのことを差すらしい。
本来ならば生と死の均衡を守るには魂の消滅というのは、均衡が崩れやすい。しかし、吸血鬼の被害者が増えることも均衡に支障が出てしまう。
大勢の魂を優先すべきか。
一つの害を静観すべきか。
答えはもちろん大勢の魂を優先する。
「如何なる事情があろうと魂を穢すことは許されない」
「でも、可哀想です。苦しみから逃れたくて、辛くて、自殺したのに、第二の苦しみがあるなんて」
そりゃあ、放置されたら別の人が苦しむことになるのは、あれだけど。複雑な憐憫を口にして、怒られるかと思ったけど、師は僕の言葉を静かに聞いているだけだった。だた、静かに、浅はかな考えを否定しない。
「捕縛した吸血鬼は、裁かれてしまうんですか」
「己の魂とはいえ、穢したことには変わりない。だが、我々機関は無闇矢鱈に厳罰を与えることはしない。それは約束しよう」
ジゼル・クレセントも、討伐ではなく、必ず捕縛することも。
再び窓から寮室に戻る。
「今日の夜間講義はここまで。明日の夜は実技だ」
実技。僕は緊張して頷く。師はそれを見て満足げに笑って部屋を出て行った。
寝間着に着替え、ベッドに身を任せる。心臓は謎の高鳴りでうるさい。ぎゅっと拳で抑え、ベッド脇にある鉱石ランプを消す。
果たして。
不安しかない。
僕の胸には不安と戸惑い、そして恐怖しかない。
両親の死は、果たして平等なのだろうか。
ジゼルも、そしてジゼルに殺されてしまった娼婦たちも。
可哀想で、憐れで、何もしてやれない。
死神なら、できるのだろうか。
視界が微睡みを覚える。
輪郭の線が太く、儚くなった。
僕は、瞼を閉じた。
悲しい夢を見た。
獅子が、疲弊しているのか、暗い地面に横たわっている。隣を赤い竜が悲しげに寄り添って泣いていた。
可哀想に思った僕は獅子に近づいて撫でようと手を伸ばした。触れることに、不思議と恐怖はなかった。
「ダメだダメだ」
嗄れた声が聞こえて慌てて手を引っ込める。
よく見ると赤い竜のそばには、僕以外の人物がいた。ボロボロのローブを身にまとった顔のよく見えない、老人。声からして男の人なのか、女の人なのか、全く分からない。ローブの下から覗く細い枯れ枝の手は長い長い、それこそ魔法使いが使っていそうな杖を握っている。
「ダメだ」
老人は僕の存在など関心ないようだ。首を振り、疲弊した獅子の背中を撫でる。瞬間、足元が大きく揺らいだ。バランスを崩した僕は尻餅をついた。
目の前に広がった景色に絶句する。
獅子を、虹色に輝く鉱石が貫いた。水晶にも似た角が、幾重にも出来て、肉を、四肢を、首を、貫通した。
それでも獅子は生きていた。
生きて、生きて、生きて。
さっきまで全く聞こえていなかった鼓動が聞こえる。
どくん、どくん、どくん……どくん……ど、くん……ど、く、ん……。
突然聞こえた鼓動は小さく、そしてゆっくりになっていく。
獅子の美しい宝石の瞳には輝きはなくなった。花がしぼむようにひっそりと。気怠げに揺れていた長い尾は動かなくなる。
赤い竜が悲しげに鳴いた。獅子を鉱石ごと抱きしめて、ともに貫かれた。
僕は理解した。
死んだな、と。
死んで、もう、獅子は滅ぶのだ。赤い竜もともに。
「また、か。またこの未来に行き着いてしまう」
失望した声。はっきりと老人は言い放った。
目が、僕を、見た気がした。
「やあ、稀有な魂の少年よ」
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