第2話 死神、講義を終える

 僕は痺れをきらしていた。エヴァン師の講義の目的が分からず、相手をしていた。今なら聞けるだろうと問いただす。


「今日は先生たちの所属する機関についてお話する予定では?」

「それは追々話すとする。君は不満そうだけど、終末については我々にとって大事な議題でもあるし、君にとっても大事なことだ、オスカー・ビスマルク」


 アメジストとルビーの瞳が伏せられる。その動きがどこか寂しげに見えた。


「私がヴィクトリア大帝国に派遣された理由に起因する」


 また成長しようとするビフレフト鉱石を摘み上げ、ランプの火に投入する。燃料が放り投げられた火は鉱石をじっくりと炙り出した。虹色の光が暗い部屋を照らす。

 僕は一番近くの窓を開け、外気を取り入れた。帝都ロンドンの新鮮な風が入り込み、僕の頬を撫でる。


「美しい風景だな」


 星空が薄く見える街並みを師は感情もなく呟いた。時刻は十一時三〇分前だというのに、街灯がそこらじゅうを明るく照らしている。

 全てビフレフト鉱石でできた街灯だ。ロンドンで薄暗い場所はなくなり、長年産業革命による身体に影響を及ぼすスモッグは消え去り、犯罪率も下がりつつある。


 戦争を起こしたが、恩恵も与える。まさに悪魔の福音物だ。


 夜のロンドンでも、日は沈むことがないと言わしめているようで僕は好きではないけれど、これで見知らぬ娼婦や浮浪児たちが少しでも安全に夜を過ごせるならと考えるようにはなった。

 僕も師に出会わなければともに外で身を寄せていたかもしれないから。


 師は片手にランプを持って窓の外にあるベランダへと身を乗り出した。


「今から課外授業だ」

「え」

「屋根の上に行こう」


 まさか、いやそんな。

 課外授業と言ってなんの梯子のないまま屋根の上に課外授業をしにいくとは、本当にクレイジーすぎやしないだろうか。


 ここはフラットの四階だ! ……最上階ではあるが。


 大真面目なのか冗談なのか、ベランダに降りた師はこちらを見て手招きをする。


「安心したまえ。君が死ねば私は大助かりだ」

「何一つ安心できませんが」

「ふぅん? そうだろうか?」


 僕の体を軽々と片手で持ち上げる。自然と僕の視界は遥か下の石畳の道路へと注がれた。

 もし師が手を離したら僕は真っ逆さまに落ちて死ぬ。高所恐怖症の人間の気持ちなんてこれっぽっちも分かりはしなかったが、今なら分かる……失禁しそうだ。

 恐怖に怯えている僕に対し、師は楽しそうだ。鼻歌交じりに軽々とスキップして屋根の上に到達する。降ろされた僕の脚は産まれたての小鹿のように震えていた。


「貧乏ゆすりが上手だな」

「違いますっ」

「まあ、いい。授業を再開しよう」

「再開するんですか!」


 屋根の上を通る風で師の髪は更にグシャグシャになってしまった。それでも気にも止めずに師は屋根の上に座り、街並みを改めて見回した。


 一人で降りることもままならないので素直に隣に座る。


 国会議事堂などの有名建築物が簡単に見つかった。新しい建物と古い建物がひしめき合っている。一九世紀のビッグ・ベンや水晶宮、王立植物園などの写真を図書館で見たことがあるけれど、今は改築や増築で太ってしまっているので全く別次元の建物と思って仕方ない。

 遠目に大型蒸気機関車がビフレフト鉱石の蒸気を吐き出して走っているのが見えた。ユーラシア大陸へと向かう便だろう。


 ロンドンからドゥーバーを目指し、フランスとの間にかかる一〇数年を費やしたドゥーバー大海橋第二線路を通る。


 第一線路は、今も壊れて回収作業に明け暮れている。爆破されたのは三週間前。

 僕は小さくなっていく大型蒸気機関車アルバート号を見送った。

 虚しくなって仕方なかった。


 膝を抱える僕の背中に、暖かな温もりがかかる。見れば師のフロックコートだ。


「終末とは何かの暴走によって起こる事象だ。ノアの箱舟然り、ラグナロク世界大戦然り」

「……」

「オスカー。我々、死神機関は終末の予兆を、ここロンドンで見つけてしまった」

「はあ、そうですか……はぁあああ??!!」


 さも簡単に師は恐ろしい事実を口にした。頬杖をついて、鋼鉄と歯車の肌に覆われたビッグ・ベンをなんとなく見つめながら。


 あー、今から何しようかなー。お腹がすいたなー。といったノリで。


 こんなが我が師とは、なんというか、実に胃が痛い。気づけば僕は僕の腹部上をさすっていた。無意識に胃へ、激励していた。


「突然過ぎませんか?!」

「いや? 前置きとして終末の歴史を講義したじゃあないか。君はダチョウ並みに記憶力が低いのか?」

「っ〜〜!!」


 これほど人──いや死神?──を殴りたい衝動に駆られたのは初めてだ。今すぐこの右手を師の痩せこけた青白い左頬へとお見舞いしてやりたい。


「全っ然っ、前置きになってませんが?!」


 抗議すると師はカラカラと笑った。

 もう駄目だ。僕は我慢できずに右手を師の顔へと目指した。根っからの文系人間の貧弱な拳は簡単に躱される。


「落ち着きたまえ、少年。とにかく終末の予兆ではないか、という事象が起きたことは覆せまい」


 全くフォローになってない諭され方をされながらも、僕は講義に耳を傾けるしかなかった。

 明日の朝ごはんは是非とも覚悟しておいてほしい。

 師の嫌いな甘いものにするよう、レイチェル嬢に頼んでやる。角砂糖一粒でも眉を潜める師のことだ。げんなりすること間違いない。

 僕の悪巧みに気づかない様子で師はランプを前に掲げた。


「死よ、平等なれ」


 初めの講義で師が唱えた死神機関の理念と在り方。


死を忘れることなかれメメント・モリ


 師はランプのなかにフッと息を吹きかける。

 瞬間鉱石が紡ぐランプの灯りが軽く音を立ててスパーク。そして溢れた輝きは蝶の群れに変わる。

 蝶の羽根を幾度も羽ばたかせて空へ、空へ、消えていく。

 僕は唖然となって蝶の群れが星空に溶けるのを見た。ガラスのように割れて、小さくなって、消える。エヴァン師の持つもう一つの術式──息吹術式。火や水などに息を吹きかけることで、別の生き物を錬成する。


 何度見てもこの美しい術式だ。


 僕の手は震えていた。感嘆と畏怖に。


 いつか息吹術式をする時がくるのだろうか、この僕も。


 死んで、死神機関と呼ばれる魂の裁定者の輪に入る時が。



「この理念が崩れた時、ロンドンからこの世界は崩壊するだろう」


 底冷えするバリトンボイス。

 僕は必死に師のコートが肩から滑り落ちないように、遠くへ行ってしまわないように握りしめた。


 師との邂逅が脳裏で蘇った。

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