第367話 目覚め

 ピュ……ウト……お前……


 法力枯渇状態で地面に横たわるエシャーに、ピュートは穏やかな笑みを向け「ありがとう」と小さな声で告げた。顔を上げたピュートは、ガザルから受けた腹部内の傷に悶え倒れる篤樹に視線を向ける。


 大丈夫……妖精王が居れば、すぐに妖精たちも来る。カガワの傷も、彼らがすぐに治してくれるだろう……。俺にはもう……治癒魔法を施す時間は無い……


 ピュートは頬を緩め、口の両端を大きく上げて篤樹を見る。幼児が見せる自慢げな表情……無邪気で嬉しそうな最高の笑顔を篤樹に向け、思いを告げた。


「ありがとう、カガワ……エシャー。俺と友だちになっ……」


 ピュートが発する事が出来た最期の言葉は、そこまでだった。相互干渉体であるガザルを滅殺した自らの法撃が、ピュートの身体にもはね返る。胸部から腹部にかけての大部分が瞬時に吹き飛ばされ、ピュートの身体が宙に舞う。


「ピュートッ!」


 わずか数秒の出来事だった。だが、あまりに突然訪れた「友との別れ」に、篤樹は現実を受け止めきれない。


「ピュート……なぁ……おいっ! ピュート!」


 最後の立ち位置から数メートル後方に吹き飛び、地面に仰向けで倒れたピュートの身体に向かい、篤樹は膝立ちで這うように近づこうと試みる。


「動くな! チガセ!」


 幼い男児の声……しかし、逆らいようの無い「力」が込められた怒声に、篤樹は動きを止めた。声の主に視線を向けると、両腕を失い、口から血を流しながら睨みつけるタフカの姿が目に入る。


「じきに……ハルたちが来る。いくら俺の子どもたちでも……死んだ人間までは治癒出来ん。今は動くな……大人しく……生きていろ」


 タフカ自身も、自己回復が追い付かないほどの重傷を負っている。だが、感情のままに体力を消耗し、死期を早めるような動きを見せる愚かな人間を放置することは出来なかった。


「タフ……カ……さん?」


 意識がタフカに向いた事で、篤樹を突き動かしていた感情の緊張が途切れる。ピュートに近付こうとしていた力が抜け、地面にベチャリと顔から倒れた。


 身体が……動かせない……痛みは……無くなって来たのに……


 エシャーのそばまで進み、完全に動けなくなった身体の状態を不思議に感じながら、篤樹は視線をピュートに向けている。


「アッキー……動いちゃ……ダメだよ……」


 哀しみを押し殺したエシャーの声が聞こえた。篤樹は白い霧がかかったようにボヤけ始めた視界に、不思議なモノを見ている。ピュートの身体から、虹色の光粒子が浮かび上がったのだ。


 あれ?……ピュート……お前……木霊に……なるの? 人間の……くせに……


 かすむ視界に捉えた光粒子のかたまりは2つの球だった。1つには、穏やかな笑みを浮かべるガザルの顔が……サーガでは無い、温かなルエルフの民としてのガザルの笑顔が見える。寄り添うようにつながるもう1つの光粒球には、篤樹の知らない女性……特徴的なエルフの耳を持つ女性の顔が映っていた。


 あれが……エレナさん……かな……


 2つの光粒球が1つにつながり、天に浮き上がって行く。意識を完全に失う直前、篤樹はどこかで赤ん坊が泣く声を聞いたような気がした。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 ガザルにより引き起こされた「ユフ大陸のサーガ大群行」も、終息から1週間が過ぎた。


 遥と「妖精王の子どもたち」によってガザル滅消地で保護された篤樹たちは、すぐに施された治癒魔法により一命をとり止めた。法力枯渇状態のみで外傷も無かったエシャーは、カミュキ族の村に運ばれた翌日には通常の生活レベルまで回復した。

 だが、ガザルにより深い傷を負っていた篤樹とタフカは、目覚めるまでさらに4日間を要した。


 ガザル追撃本隊5000人がユフ大陸に渡って来たのは、篤樹の意識が回復した直後だった。司令官として追撃本隊を率いて来たオスリムは、上陸後に状況を把握する事になる。ガザルの完全滅消、黒魔龍の消滅、ウラージとピュートの死、エルグレドの失踪……次々に聞かされる1つ1つの情報に、オスリムは表情を険しくした。


「……チガセのボウヤは、もう動けるんかい?」


 オスリムからの指名により、まだ完治とは言えない体調の篤樹はカミュキ族村長とオスリムの会談に通訳として駆り出された。


「私は、ガザル追撃のみでなく、ユフの民との国交を樹立する使節としての めいを、第36代共和制エグデン王国国王ゼブルン・ラウル・イグナより受けて参りました……」


 カミュキ族の村長とオスリムの会談は深夜にまで及んだ。共通の脅威であったガザルと黒魔龍の危機が去ったという事実、そして、黒魔龍が再び現れる可能性も残る現状から、両者はまず「有事と復興への必要な協力」を行うことで合意に至る。同時に、両大陸間交易の再開・人々の交流を含め、新しい世界を築き上げて行く方向性を確認し合う、実り多き会談の場となった。


 エグラシス大陸とユフ大陸が協力し、新しい世界を築き上げて行く……ゼブルン王とミラ王妃が治める新生エグデン王国は、グラディー族との和解協定も結ぶ予定だとオスリムは語っていた。新しい歴史が「この世界」に始まろうとしている―――


 だけど……ピュートはもう居ない……。エルグレドさんも……ウラージさんも……。亮……香織さん……なんで……なんで……


「カガワ、起きたか? 食事だってよ」


 妖精王タフカの「子」である男児妖精モンマが、仕切り戸を開き篤樹の部屋に入って来た。夢か現実かの判断がすぐにつかなかった篤樹は、枯草に布をかけただけのベッドでゆっくり上半身を起こす。


「カガワ……もう泣くなよ! 昨日からずっと……いい加減にしろよ!」


 小さな身体を精一杯使って叱責するモンマに、篤樹はようやく意識を向ける。


 泣いてる?……俺が?


 まばたきと共に頬を流れた涙の感覚で、篤樹はモンマの言葉の意味を理解した。同時に、自分が「目覚めた」ことを自覚する。


「……あ……ゴメンな、モンマ……起こしに来てくれたんだ……。ありがとう……」


 ありがとう……


 自分が発した言葉が、ピュートの口から語られた「ありがとう」と重なる。堪えきれず、篤樹は顔を歪め嗚咽した。もう、モンマは篤樹を制しない。ただ顔を背け、篤樹が落ち着くのを両拳を握りしめて待っていた。


「……なんかさ……」


 意識の覚醒が進むにつれ、気持ちを整え直した篤樹は、涙声が残ったまま口を開く。


「ゴメンな……しっかりしなきゃって……思ってはいるんだけど……。亮と香織さんが死んで……ウラージさんも……。エルグレドさんは三月に連れて行かれちゃうし、ピュートは……アイツと、もう会えないんだなって……声を聞くことも……って想ったら……」


「ウチがおるやん、賀川!」


 モンマを押し退けるように、元気に遥が部屋に入って来た。


「あ……遥……」


「よう寝れたかぁ? 昨日は災難やったなぁ、目覚めてすぐに通訳の御役目とか。ホント、あの『顎ヒゲ』も、もうちょい人の身体を気遣えっちゅうねん! なぁ?」


 室内にズカズカと進み入りながらまくし立てる遥の声に、篤樹は圧倒される。


「5日も寝込んどったんやで! それなのん、ちゃんとリハビリも終わらんうちから連れ出すとか、信じられんオッサンや! で? 寝れた? うわっ……目がボッコし腫れとるやん! どした? まだ痛いん?」


「ハルさん!」


 遥に押し退けられた勢いで床に倒されたモンマが、起き上がりながら苦言を呈する。


「痛いじゃないですか! それにカガワは……分かってるでしょ!」


 呆気にとられて言葉を失う篤樹に代わり、モンマが抗議の視線を遥に向ける。遥は小さく笑むと、軽く目を閉じうなずいた後、視線を篤樹に向けた。


「そりゃ……な。分かっとるよ……いや……やっぱ分からんかな……。賀川の苦しみは賀川にしか分からんもんな……」


 篤樹のベッドに遥は腰かけ、視線を落とした。


「香織と牧田くんと、久しぶりに会って話が出来ると思ってた……こっちに来てすぐにバラバラになっちゃったから……色々話しもしたかったなぁ……女子同士でさ。ホント! 残念無念や!」


 視線を篤樹に向け直した遥は、寂し気ながらもいつもと変わらない笑顔を作る。


「賀川は賀川でツライのはそうや! ウチらと違って、哀しむ時間も5日短かったんやし、今日は大目に見てやろう!」


「なんだよ……それ……」


 勢いに圧倒されていた篤樹も、遥のテンションにつられ苦笑いで応じた。「苦くても笑み」を見せた篤樹に、遥はやわらかな笑みを返す。


「何が何やら、よぉ分からん世界に投げ込まれて……みんな……どんな思いで逝ったんか分からんけど……今、生きとるウチらまで『死』に飲まれたらイカンよ……な? 賀川……」


 幼い頃に大好きな「 あにさま」との別れを経験した遥の言葉に、篤樹は小さくうなずいた。目を閉じ、上を見上げて息を深く吸い込み、ゆっくり吐き出しながら顔を下げる。


「……お前……こっちに来てから詩人に目覚めた?」


「は?」


 目を開いた篤樹から、ポツリと語られた遥はキョトンとする。


「なんだよ、それ。『死に飲まれるな』って……詩人だねぇ、遥さん!」


「ば……アホ! 茶化すんで無いよ!」


「痛ッ!」


 顔を赤らめた遥から、太ももを思い切り叩かれた篤樹が顔を歪める。


「もう! そんな軽口叩ける元気になったんやったら、早よ起き出しぃ!」


 ベッドからピョンと降り立ち、遥が笑顔で振り向く。


「朝食見たらビックリするでぇ! エシャーちゃんも待っとるし、急げよぉ」


 太ももをさすりながら痛みに耐える篤樹に告げると、遥はモンマに「あと頼む……」と伝え部屋を出て行った。


「……大丈夫か? カガワ……」


 遥の一撃がよほど効いているのか、太ももを押さえたままの篤樹に、モンマは心配そうに声をかける。一粒の涙をこぼした篤樹の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

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