第366話 友よ 【第6章最終話】

 湖神……小宮直子により発現されていた法力球体は消失した。エシャーは地面に直接横たわり、篤樹は片膝立ちで地面に両手をついている。陽の光に目が くらんだ2人の視界は、まだ完全な回復には至っていない。


「カガワ! エシャー!」


 ピュートが2人の名を呼びかける。突然下されたガザルからの「捕食予告」に身を固くし構えていた篤樹は「友」の声に希望の安堵を得た。


「ゴメン! ピュート! 俺、まだ目がよく見えな……」


 ピュートの声に応じる篤樹だったが、目の前に迫っているガザルの足と声に気付き、わずかに逃避反応をとる。


「そのまま寝てろ!」


 ガゴキッ!


  成者しげるものつるぎの柄を握る右手ごと、篤樹の顔面をガザルの 蹴撃しゅうげきが襲う。後ろ向きに2メートルほど先まで蹴り倒された篤樹は、地面を転がりながら鼻骨と右頬骨が砕け潰れた音と痛みを感じ絶叫をあげた。


「ああ……旨そうな声じゃねぇか……よっ!」


 法力強化で瞬移したガザルは、四つ這い状態で激痛に呻く篤樹の左脇腹を蹴り上げる。


「が……は……」


 幸いにも角度が浅かったため、ガザルの蹴撃は篤樹の脇腹を吹き飛ばすまでは至らない。しかし、その激しい衝撃は、篤樹の体内部に致命的損傷を与えるに充分なものだった。


「アッキー!」


 身体を動かせないエシャーが、辛うじてわずかに動く首と視線を向け叫ぶ。ガザルはその声に反応し振り返った。


「うるせぇ! 先にテメェから……あ? 何のつもりだよ?」


 嫌悪する「同族ルエルフの娘」に憎悪の目を向けたガザルだったが、いつの間にかエシャーの真横に移動し立つピュートに気付き視線を移した。


「もうやめろ。それ以上は……」


「んだと?」


 ガザルは完全に身体の向きを変え、ピュートを正面に見据えて立つ。篤樹は地面に這いつくばった状態でガザルの背中と、その数メートル先でこちら向きに立つピュートに目を向けた。


 くそ……痛過ぎて……息が……エシャー……ピュート……


 篤樹の目に、地に落ちている成者の剣が映る。数十センチの距離……手を伸ばせば……掴める……。篤樹は左脇腹を押さえていた左手を成者の剣に向かい伸ばした。


「グッ……」


 だが、腕を伸ばし切る前に目も眩む激痛が左脇腹を襲う。反射的に篤樹は再び左手を脇腹に当てた。


「勝手に動いてんじゃ無ぇぞ、コラァ!」


 振り返ったガザルが篤樹の動きを牽制する。しかし、急いで止めをささずともこの「獲物」はもう動けないと判断したガザルは、口端に笑みを浮かべ正面へ向き直ってピュートを睨む。


「テメェも黙って、こいつらの最期をしっかり見届けておけや! なぁ? 出来損ないの実験体野郎が! どうせテメェの身体も、もう終わりが近いんだろうが!」


 ガザルの挑発を受け、ピュートが前に歩み出す。


「ピュー……ト」


 エシャーがピュートに声をかける。篤樹はどうにも対応出来ない悔しさと、全身を貫く痛みに顔を歪め、ガザルの背で隠れているピュートの足下を見た。エシャーが驚いた表情でピュートを見上げている。


 ピュート……そう言えばあいつ……ガザルを倒せる策が有るって……


 何をやろうとしているのか確認しようと、篤樹は痛みを堪えて目を開き続ける。


「エレナは……」


 おもむろにピュートがガザルに語りかけた。


「あ? 誰だって?」


 ガザルの声は怒りや苛立ちより、呆れているように聞こえる。


「アンタは彼女と共に居て、初めて『生きる者』になっていた。……そんな大切な ひととの思い出さえ食い尽くされているなんて……憐れなものだな」


「何を寝ぼけた話をしてやがんだ? 頭が腐り始めたか?」


 ピュートを嘲笑うガザルの声は乾き切った枯れ草のようで、命の欠片も感じられない。ガザルはさらに額がぶつかるほどの距離まで進み、ピュートを睨みつける。


「テメェなんざ、初めから『生きてさえいない』だろうが? 俺の細胞使ってようやく動けてるだけの実験人形が、生意気な口をいつまでもきいてんじゃねぇぞ!」


「そうだな……」


 ガザルの気迫に負けたワケでも無く、ピュートは静かに応えた。


「俺は、俺の中に居るアンタの細胞のおかげで動けていただけかもな……だから……」


 ピュートの立ち位置がわずかにずれ、篤樹からもその表情が見える。一瞬合ったピュートとの視線に篤樹はハッとした。「邪魔をするな」と語ったピュートの言葉の意味を急速に理解し始める。


 ピュ……ウト……お前……


 ピュートの「策」に思い至った篤樹は、今ここで声を上げて「邪魔をしなければ」と喉に力をこめる。


 しかし、もう声を上げられる力さえ残っていない。辛うじて荒く続ける呼吸に乗せ、声にならない声を紡ぐのが精一杯だった。


 や……めろ……ピュー……ト……やめ……


 ガザルの動きで、再びピュートの顔が篤樹からは見えなくなる。


「だから、なんだ? 出来損ない」


「今まで生かしてもらったお礼代わりに……俺の中にいるアンタとエレナは守ってやるよ」


 ピュートの言葉に、ガザルはもう次の言葉を紡げなかった。


 一瞬揺れたガザルの背中から幾筋もの法力光が射し貫かれて来る。やがてその法力光は大きな束となり、ガザルの背中を突き破り飛び出した。首元から腹部にかけて広がるほど大きな「孔」を 穿うがち抜かれたガザルの身体は、倒れ伏す篤樹の足横まで飛ばされ転がり落ちる。


 それは、超近接真正面からピュートによって放たれた「滅殺級」の強大な法撃だった。その間も、篤樹の視線は吹き飛ばされて来たガザルにではなく、ピュートに向けられている。


 ピュ……ウト……お前……


 足下から見上げるエシャーに視線を落としていたピュートが、篤樹に顔を向ける。頬を緩め、口の両端を大きく上げて目を細め、まるで幼児が見せる自慢げな表情……無邪気で嬉しそうな最高の笑顔を篤樹に向けていた。


「ありがとう、カガワ……エシャー。俺と友だちになっ……」


 自身との相互干渉体であるガザルを滅殺したピュートが、最期に発する事が出来た言葉は―――そこまでだった。







◇   ◆   ◇   ◆   ◇



「その時……ピュートは笑ったんだ……最高の笑顔で……『ありがとう』って言いながら……。あいつの口から……初めて聞いたよ。『ありがとう』って言葉……」


 篤樹は石造りの薄暗い部屋の中央に立っている。右手で握る、鋭く研ぎ澄まされた剣は、室内の淡い法力光に照らされていた。篤樹は剣に視線を向けたまま言葉を続ける。


「少し……ピントがズレた変な奴だったけど……ホントは……良いヤツだったんだ。ピュートも……」


 右手に握る「 成者しげるものつるぎ」をゆっくり持ち上げ、篤樹はその磨かれた剣身に映る自分の顔を見る。


 ひどい顔だ……血と涙に汚れて……これじゃ……「サーガ」の顔だよ……


「そうか……篤樹も、こっちで色々有ったんだね。結構、 短期間・・・だったのにさ……」


 篤樹は目の前に持ち上げていた成者の剣を下げ、視線を声の主に向けた。正面の壁際に立つ男の両腕に、法力光が充ちて来る。薄暗かった室内が、段々と明るくなって来た。


「ホントな……2泊3日の予定だった修学旅行がさ……俺は2ヶ月ちょい……お前は……」


「80年……くらいだったよ。こっちに来てから 死ぬまでの期間・・・・・・・は」


 時が近付いている事を感じ取り、篤樹は剣を握る手の平に緊張の汗がにじんでいることが気になった。剣を左手に持ち替え、右手の平の汗を外套で拭い、今度は両手で剣をしっかり握り直す。


「95歳で死んだんなら『向こう』だったら大往生ってやつじゃないのかよ?」


「『向こう』とこっちの世界の造りは全然違うからね……」


 篤樹と同年代の少年の声で答えが返って来る。


「大法老とか……魔法院の最強法術士だとか呼ばれて……どんな気分の人生だったんだよ、 卓也・・は……」


 両腕に法力の完全充填を終えた 相沢卓也あいざわたくやは、それを真っ直ぐ篤樹に伸ばし向けた。


「悪い気分じゃ無かったけどね……。でも、寂しかったよ、実際は。さ、お話しの時間は終わりにしようか? 篤樹……」


 中学時代そのままの顔で、笑みを浮かべ語っていた卓也の表情が変わった。篤樹も笑みを消し、鋭利な長剣へと成長を遂げた「成者の剣」を中段に構える。


「これで……終わりにしてやるよ……卓也」


 篤樹が言い終えると同時に、卓也の両腕から強大な魔法力光が放たれた―――



(第6章 ユフ大陸の創世7神編 完結)

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