第359話 不殺の対峙

 グラディー山脈地底深く―――黒水晶の中で立ったまま眠っているように見える「黒魔龍本体」の少女……柴田加奈を見据え、スレヤーは剣を構え踏み込んで行く。両腕に法力光が充分に輝きを帯びたレイラも、スレヤーと呼吸を合わせ法撃を放った。しかし……


 ガキンッ! バンッ!


 内部の少女ごと黒水晶を打ち斬る角度で振るったスレヤーの剣と、少女の頭部を狙い放たれたレイラの攻撃魔法は、黒水晶の表面手前10センチほどの空間で強力な防御魔法により弾かれてしまった。スレヤーの剣は衝撃に耐えられず真っ二つに折れ、レイラの法撃は砕け散る。


「おわっ!」


 火の粉のように細かく飛び散ったレイラの法撃片が目の前に迫ったスレヤーは、驚きの声を上げてそれを避けると、バランスを崩し尻もちをついた。


「なに?」


「……ンだぁ?! こりゃ!」


 思いがけない黒水晶の「防御」に、レイラとスレヤーが声を上げる。レイラはそのままミッツバンに振り返り視線を向けた。


「どういうことですの? これは?」


 しかし問われたミッツバンも何が起きたのか理解出来ず、目を丸くしている。レイラは数歩ミッツバンに歩み寄り、さらに尋ねた。


「お父さまは黒水晶に『触れた』瞬間に砕け散ったとおっしゃってましたわよね? でも今、私とスレヤーの攻撃は『触れる手前』で砕かれましたわ。お心当たりは?」


「あ……ありません! 本当に父は……父は黒水晶に『触れた』んです! でもあの時、それを妨げる防御魔法なんか発動しませんでしたよ!」


 慌てて応じるミッツバンを見つめていたレイラの視線が、ゆっくり彼の背後に移った。


「そうね……」


 緊張のこもる声色に変わり、レイラは静かに臨戦体勢を整える。


「そういえば……ここには御事情を存じてる方が、ちゃんとおられましたわよね……」


「アッキーの……『先生』御登場ってワケですか……」


 起き上がったスレヤーがレイラの横に歩み寄り、並び立つ。2人の視線に気付いたミッツバンも、慌てて背後を振り返った。ミッツバンの後方3メートルほど離れた空間に白い光の粒子が集まり、薄っすらとした人の形を成して行く。


「……メテ……子……で……」


 スカスカの薄い霧のように見えていた粒子が集まり、濃度が増す。徐々に姿形が整って来た光の人型からの声も、少しずつ聞き取れるようになって来た。


「やめて! お願い! その子に近付かないで!」


 光の人型が完全に形を成す前に、レイラとスレヤーは危険を感じ取る。人型の両腕が、真っ直ぐ伸ばされている事に気付いたミッツバンを、スレヤーが背後から抱え一緒に地面に転がった。レイラは自分の前面に防御魔法を発現させる。直後、光の人型の手から薄緑色の法撃が放たれ、レイラの防御壁に当たって飛散した。


「何とも攻撃的な 守人もりとさんねッ!」


 レイラは身を避けると、右手から攻撃魔法を放つ。しかし法撃は光の人型をすり抜け、数メートル先の岩壁に当たり弾け散った。


「やめて下さい!」


 エスカレートしそうな2人の状況に驚き、ミッツバンは地面に転がったまま叫ぶ。そのまま、止めようとしたスレヤーの腕をすり抜け光の人型へ這うように進み出る。


「お止め下さい! 私です! 以前、父と『この洞窟』に訪れた水晶加工法術士のミッツバンです!」


 レイラへの次撃に移ろうとしていた光の人型は、その叫び声に反応し顔をミッツバンに向けた。若い女性……肩にかからない程度の長さで、少しウェーブがかった黒髪の女性を、スレヤーも地面に転がったままマジマジと見つめる。


「あなたは……」


 呼びかけたミッツバンに視線を向けていた女性は、しばらくキョトンとした表情を見せていた。だが、ハッと思い出したように目を見開くと、両腕を真っ直ぐミッツバンに伸ばし向ける。


「あなたは……何てことをしてくれたんですかっ!」


 明らかに穏やかでは無い表情と声色に、ミッツバンは覚悟を決めて目を閉じた。そのミッツバンをかばうようにスレヤーは動き、彼の前に座って両手を広げる。


「ちょおっと待ってくれや先生よぉ! コイツはあんたに謝るために来たんだ! 殺っちまうより先に、せめて詫びの言葉だけでも聞いてやってくれよ!」


 剣を失い丸腰状態のスレヤーから挑むような視線を向けられた女性は、戸惑いの表情を向ける。


「えっと……あなたは……誰?」


 対話が可能だと判断したスレヤーは、こめかみから流れる冷汗もそのままに、女性からの問い掛けに応じた。


「俺ぁ、アッキーの友人のスレヤーって者です。ミッツの馬鹿が、あんたとの約束を果たさなかったせいで、今、外じゃあその黒水晶の子が生み出した黒魔龍が大暴れしてるんすよ。悪ぃのはこの馬鹿ミッツなんです。だから先ずはあんたへの詫びを入れさせるために連れて来ました。……でもその後は……」


 スレヤーは早口に説明し、後方の黒水晶を示すように視線を動かすと、再び女性に視線を戻した。


「あの『本体』を葬らなきゃならんと考えてここに来ました。でも……他に方法があるんなら……教えて下さい! 湖神様……」


 力量の差を正確に感じ取り、本能的に恐怖を覚える。それでもしっかり目を向け訴えるスレヤーの姿を、光の人型女性は驚いた様子で見つめていた。


「えっと……」


 訴えを聞き終えた女性は困惑した様子で3人の顔を見回す。涙を流しひざまずくミッツバン……彼をかばうように前面で両手を広げ膝立ちになっているスレヤー……そして、肩をすくめて微笑を浮かべているレイラ……女性は言葉を選びながら応える。


「あの……なんだかいくつも誤解されてるみたいですけど……」


 女性はレイラの表情を再度確認した。レイラが笑みを浮かべたまま「どうぞ」と言うように手を差し出すと、女性は視線をスレヤーに向け直す。


「その方を殺すなんて、考えていませんよ。そりゃ、頭に来たからちょっと痛い思いはさせようかと思いましたけど……。それに、あなた方に対しても加奈さんに危害を加えて欲しくないだけです。だから、命を奪うような法撃は放ってませんよ。ね?」


 女性が、同意を求めるようにレイラに視線を送る。


「そうですわね。煩い虫を追い払う程度の法力でしたものね。お互いに……」


 レイラは女性の言葉を肯定し、合わせて、自分も殺意を向けてはいなかったことを知らせる。女性もそれを承知してうなずき軽く笑みを返すと、視線をスレヤーに戻した。


「あと……あなたの御友人……アッキーさん? ですか?……スミマセンが私は存じ上げておりませんし……」


「あっ! すんません!」


 女性の言葉を遮り、スレヤーが補足の説明を入れる。


「えっと、アッキーってのは俺らが勝手に付けた呼び名で、本名はアツキです! カガワ・アツキ! あなたの『クラス』の『セイト』の!」


 篤樹の存在を知らせる事で、湖神……小宮直子との接点を築こうと、スレヤーは期待の笑みを浮かべて語った。だが、女性はスレヤーの想定とは違った反応を見せる。


「ああ……やっぱり!」


 女性は笑みのこもった楽しそうな声で応えた。その声質に、スレヤーは「喜び」ではなく「失笑」を感じ取り、「おや?」と表情が固まる。


「ゴメンなさいね。彼の直感は知性では無く嗅覚的ですの」


 レイラが数歩女性に近付き語りかけた。ワケが分からなくなったスレヤーは、目の前に並び立ったレイラと女性へ交互に視線を向け、おずおずと尋ねる。


「えっとぉ……レイラさん? どういうこって? この方は……アッキーの先生のコミヤ・ナオコってお方だったんじゃ……」


「まあ? エルやアッキーのお話しを、ちゃんと聞いていなかったのかしら?」


 自分の推察が正解であった事に満足し、レイラは嬉しそうに笑みを深める。光の粒子で出来た身体を揺らしながら、女性がスレヤーに語りかけた。


「私は直子先生ではありません。私の名前は加藤美咲です」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 カミュキ村北方の森の中、ピュートは感情の読み取れない静かな瞳でガザルを見ている。ウラージが最期に奪ったガザルの右腕は、すでに上腕部途中まで再生が進んでいた。


「……話ってのはそれかよ? クソガキ」


 消滅するルエルフ村東の洞窟で、小宮直子から聞いた「ガザルの過去」を、ピュートはガザル自身の口からも確かめたかった。しかし、話を聞き終えたガザルは嘲笑うように口の片端を上げ、地面に唾を吐き出しピュートを睨む。


「湖神が何を企んでそんな話をテメェに聞かせたか知らねぇけどなぁ……」


 敵意剥き出しの法力波が、ガザルの左腕に宿る。即座に伸ばされた左手から、ピュートに向けて法撃が放たれた。ガザルの法撃はピュートの右頬をかすめ、背後の森へ突き進み、数十メートル先で激しく弾け飛ぶ。


「そんな糞みてぇな話、あくびも出せねぇぞ、コラ……」


 ピュートの右頬がかすかに裂け、2筋の血が落ちる。直後、ガザルの右頬にも同じ傷と出血が起きた。相互干渉体であるピュートに対し、いかなる攻撃も出来ないガザルは、苛立つ思いを全身に滲ませながら凄む。


「そうか……アンタの行動には理由が有るのかと思ってたが……」


「理由だぁ?」


 確認するように投げかけられたピュートの言葉に、ガザルは不愉快を隠さず被せ応えた。


「糞人間をグチャグチャにして喰ってやりてぇんだよ! 長命種とか言ってるアホ共は、短命の内に狩り殺してやりてぇ! ヘラヘラ息してる馬鹿な虫ケラどもが、目を見開いて泣き叫びながら死んでく姿を見てぇ! 俺の願いはそれだけだ! 分かったかウジ虫野郎!」


「……もう1度聞く。『エレナの死』に対する復讐が理由では無いんだな?」


 ピュートは静かにガザルに問う。しかしガザルは怪訝そうに眉をひそめ、首をかしげた。


「さっきから聞きたかったんだけどよ? 誰だよ、それ? 覚えちゃ無ぇよ!」


 ガザルは足元の石を高速で蹴り上げ、ピュートの左腕をかすめさせた。風圧が服だけでなく、ピュートの皮膚も裂く。一瞬、ガザルはニヤリと笑みを浮かべたが、すぐに自分の左腕にも裂傷が生じ、血が滲んだのを確認すると舌打ちをする。


「クソッ! 間接攻撃でも干渉すんのかよ! しょうが無ぇなぁ……」


 目の前の「生意気なクソガキ」を倒す術を見出せず苛立つガザルは、諦めたように溜息を吐く。ひと呼吸を置くと、樹上に向けて大声で叫んだ。


「こっちに来い、馬鹿娘っ! テメェの仕事だ!」


 顔をピュートに向け直し、ガザルがニヤリと笑う。


「俺からの攻撃じゃ無きゃ干渉は無ぇんだったよなぁ? テメェの相手は、馬鹿娘の思念体で充分だよっ!」


 ピュートはしばらく顔を上げ、木々の隙間から見える空をジッと見つめた。


「早く来いッ!」


 黒魔龍が自分の声に聞き従わない様子に気付き、ガザルも再び上を向くと、苛立ちの声を放つ。ピュートは視線をガザルに戻す。


「黒魔龍を呼んでるのか? ヤツの法力波は近くにはないぞ?」


「アレはさっき消し飛んだでぇ、サーガの王さん」


 ガザルとピュートが対峙している周りを、いつの間にか複数の人影が取り囲んでいた。

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