第355話 勇み足

『待てよ、じいさん! 今のあんたじゃ、アタシにだって勝て無ぇぞ!』


 樹上の枝を駆け抜けるウラージを制止させようと、地上を駆けるミスラが必死に声をかける。


 なんてじいさんだよ……もう、あんなに回復してるなんてよ……


 ウラージから発せられる法力波から、ミスラはすでに「自分を上回る力」を感じ取っていた。しかし、それでも尚、ウラージを挑発する言葉を投げかけることで何とか足を止めさせようとする。


『なあ、聞けって! 今のあんたじゃ村の子ども以下だって! あんなバケモノに敵うワケ無ぇだろ!』


 実際、ガザルから伝わって来る法力波は全くレベルの違うものだった。そのくらい、歴戦のエルフ戦士なら気付いているはずなのに……ミスラは、困惑しながらウラージを見上げる。


 少年みたいに楽しそうな顔してんじゃ無ぇよ、クソジジイ!


 ウラージはミスラの制止に全く耳を傾ける様子も無く、ワクワクした表情で走り続けて行く。その笑みが一瞬消えると同時に、ウラージが駆けていた木々が激しい法撃で消し飛ばされた。


『ジジイ!』


 視界の端に映った法撃に驚き、ミスラは回避行動に移りながら大声で叫ぶ。


「チッ……身軽なジジイだなぁ!」


 前方の樹上に姿を現したガザルが、口の端を歪めて語りかけた。その顔を緑色の法撃が貫くが、残像だけを残していたガザルはすでに他の枝に移っている。


「キサマがガザルかぁ! 腐ったルエルフめが!」


 ウラージはガザルの立つ枝に向かって飛び掛かって行く。ガザルは不敵な笑みを浮かべ、両手を広げ迎え組んだ。


「グオォォォ!」


 左手でガザルの首を掴んだウラージと、両腕でウラージの胴体を掴んだガザルが、枝から地面に落下して来る。ミスラは突然目の前で始まった死闘に呆然と立ち尽くす。


「くぅたぁばれー!」


 キュイン!


 ボキャッ……


 叫び声を上げ、ウラージは左腕に溜めた法力を掴んだガザルの首へ一気に放ち込む。同じタイミングでガザルは両腕に法力強化を施し、ウラージの背骨を真っ二つにへし折った。


 下草の中に落ちた2人の様子を、ミスラは息を止めて見守る。


 ガサガサと葉が揺れ動き、背の高い下草の中からガザルが起き上がった。その首筋には、ウラージの法撃により負わされた焼け焦げた痕が見える。


「死に体のジジイにしちゃ、活きは良かったな」


 ガザルは右手を首筋に当て、自己治癒魔法を施し始めた。


「まあ、あの程度の法力で俺の首を獲れるって考えてる時点で、頭は相当ボケてんだろうけどよ」


 恐怖に震え立つミスラをジッと睨みつけ、ガザルはゆっくり近づいて行く。


「ちょうど腹も減ってたとこだし、汚らしい雌人間種でも喰えねぇこともないな」


『さわつにはし?(殺したのか?)』


「あぁん? 何を……言ってやがんだ!」


 震える声で問いかけたミスラの横にガザルは瞬時に移動する。声に反応して顔を向けたミスラに、ガザルは頭突きを喰らわせた。


『キャッ……』


 悲鳴を上げたミスラは、2メートルほど吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。


「汚物がキタねぇ声を生意気に出すんじゃ無ぇよ! 喰い終るまで黙ってろや!」


 ガザルの右手に法力光が灯った。ようやく目を開いたミスラは、恐怖のために立ち上がることも反撃態勢をとることも出来ない。


「とりあえず、その生意気な顔面を引っぺがしてからだな……」


 ミスラは上半身だけを地面からわずかに浮かせ、正面に迫るガザルから腕の力だけで後ずさる。


「人間は消え無ぇから、楽しんでバラしながら安心して喰えるぜ……」


 ガザルの右手がミスラに伸びて来た。数瞬後に襲って来るであろう激痛を覚悟し、ミスラは両眼をギュッと閉じる。


 ボコンッ!


「ぎゃっ!」


 突然耳に飛び込んで来た異音とガザルの叫び声に、ミスラは慌てて目を開く。数十センチの距離まで近付いていたはずのガザルが、2メートル近く後退している。直前までミスラが目の前に確認していたガザルの右手の平を、細いロープのようなモノが甲に向かって貫き伸び進んでいた。ロープ状のモノの出所にミスラは視線を移す。それは、ミスラの左脇の地中から伸びていた。


「クソォー!」


 ガザルは思いもよらない地中からの攻撃に狼狽え、怒りの声を発する。その段になり、ミスラはロープ状のモノが「木の根」である事に気付いた。


「逃げろ……」


 聞き覚えのあるシワ枯れた小さな声が、ミスラの耳に届く。ミスラは声の主に視線を向ける。樹上からガザルと共に落下したウラージが左手を地面につけ、下草と地面の隙間から顔を出しミスラを見ていた。


『ジジイ……』


 ウラージの顔はとても生者の顔色ではない。ドス黒く染まり、皮膚は張りを失って深いシワを刻み、目の光を確認することも出来ない状態だ。


「逃げろ……ミスラ……」


「クソがァー!」


 尚もミスラに指示を出すウラージの声を、ガザルの叫びが掻き消す。ミスラは法撃の気配を感じ取り、視線をガザルに向けた。ウラージが放つ「木の根」による法撃が、ガザルの右腕にグルグルと巻き付いて行く。ガザルは拘束されていない左腕を、下草から顔を出すウラージに向けた。


「逃げんかー!!」


「……消えろや」


 ウラージから発せられた怒声に続き、ガザルから死の宣告が下る。ミスラは反射的に後方に飛び退いた。ウラージに放ち込まれたガザルの法撃が炸裂する光と、ガザルの右腕に巻き付いた木の根が弾け飛ぶ光景を視界の端で最後に確認し、ミスラは身を翻して森に駆け込む。

 しかし、数十メートルも走らない内に、背後から迫るガザルの殺気に振り返らざるをえなかった。法撃光が迫る。ミスラは躊躇なく地面に転がり、それを避けた。


「クソジジイが……」


 ガザルの声が背後から近付いて来る。ミスラは覚悟を決めた。


 敵わないまでも……せめて……少しでも手傷を負わせて……


「木霊に成るヒマも無く消し飛んだエルフってのは、どこに逝っちまうんだろうなぁ?」


 クッ……


 ミスラは声で距離を測り、自分の有効射程にガザルが入った事を確信すると両腕を伸ばして振り返り、即座に攻撃魔法を連射した。一瞬、数発当たったように見えたのがガザルの残像だと気づく。直後、右上腕に焼けるような痛みを感じ、左側へ飛び退いた。


「少しずつ、ちぎって戴く事にしようか」


 反射的に左手を右上腕に当てたミスラの目に、いつの間にかむしり取られた自身の腕の一部が、ガザルの口へ運ばれていく姿が映る。それを確認した直後、激しい痛みを右上腕に覚えた。


 ダメだ……このバケモノに……アタシが敵うはずがない……


 絶望的な恐怖と腕の激痛……全身の痛みに、ミスラは立っている気力を失いそうになる。ウラージが自身の命と引き換えに奪ったガザルの右肩下から、再生に向け蒸気が上がり始めた。


「レイラのじいさんは死んだのか?」


 何の気配も無く投げかけられた背後の声に、ミスラは声も無くゆっくり振り返る。


「ったく……テメェに用は無ぇよ! 失せろ、小僧!」


 ガザルの視線も、ミスラの背後に向けられた。


「……そう言うな。あんたの『分け身』なんだからさ」


 ミスラの左肩をグイと引き、立ち位置を代わるように前に出たピュートは、ガザルに無機質な視線を向けたまま語る。


「村に戻って手当てして来い。アイツにあんたを追わせない。行け……」


 ピュートの言葉にミスラはうなずくとゆっくり距離を取り、サッと身をひるがえし村に向かって駆け出して行った。


「忌々しいガキだな……テメェだって俺と居ても楽しか無ぇだろ? お互いに手も足も出せ無ぇんだからよ」


 ウンザリしたようなガザルの言葉に、ピュートは首をかしげる。


「だから良い……。ちょっと話が聞きたいだけだからな」


「はぁ? ハナシだとぉ?」


 ピュートからの思わぬ提案に、ガザルは呆れ声で聞き返した。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「恐らく、あの道です……」


 ミッツバンは乱れた息を整えつつ、大盾のごとく左側に立つスレヤーへ声をかけた。スレヤーはうなずくと、洞窟内の宙を漂う小型の黒魔龍に気付かれないよう、押し殺した声で数メートル先を行くレイラに伝達する。


「あと少しよ……ミゾベさん……」


 レイラの右横には、引きずられるようにズンの背に覆いかぶさっているバスリムの姿が在る。背中数ヶ所に負った傷の出血が止まらないバスリムは、それでも手の届く範囲の傷口に懸命に治癒魔法を施しながらレイラに顔を向けた。


「そう……良かっ……た。さすがに……力が……」


「よく開くそのお口も傷口も、さっさと閉じて下さいな」


 何とか応じようとするバスリムに向かい、レイラはピシャリと言い放ち、顔を宙に向けた。水晶の谷を漂う黒魔龍の数は半分ほどに減っている。


 谷を進む中、最初の2体を倒した段階で、黒魔龍が相互に連携をとって行動しているのでは無い事に気付いた。であれば、とにかく慎重に前進しつつ、襲撃して来た黒魔龍だけを単体ごと倒す……計画通りに進めていれば、1人も犠牲を出さずに済んだかも知れない。


 しかし数分前―――やり過ごすつもりだった「漂う黒魔龍」に向かい、突然、ライルが法撃を放ち出したのが ほころびの始まりだった。ガウラの死を目の前にし、若きエルフ戦士は大きなショックを受けていたのだろう。

 連携をとらずに宙を漂う小型の黒魔龍とは言え、派手に法撃を加える敵を見過ごすほど甘くは無い。ライルの法撃に気付き、周囲を漂っていた10体の黒魔龍が群れを成し次々と襲いかかって来た。

 最後の1体を消し去りレイラが見上げた宙に、虹色の光の粒のかたまりが2つ、洞窟の天井に向かい立ち上って行く姿が見えた。それが、若きエルフ戦士とドワーフ戦士ビガンとの別れであった―――


 大きな傷を負ったバスリムの背中を、レイラは申し訳なさそうに見つめる。ライルの精神状態が普通では無い事に気付けなかった自分を悔やみ、レイラは唇を噛みしめた。


「よし……」


 水晶の谷から続く横穴に入り、ズンは岩陰にバスリムを降ろす。横穴は法力光石が少ないのか薄暗く、奥まで確認出来ない。しかしミッツバンは穴の雰囲気に納得がいったのか、細かくうなずきながら周囲を見回す。


「間違いない……この先です。私が父と入った『黒水晶の洞窟』は……あ!」


 バスリムの体調を見ていたレイラとスレヤーは、ミッツバンの言葉切れに違和感を感じて視線を上げた。


「あーあ……しゃあ無ぇなぁ……」


 スレヤーが溜息混じりにつぶやく。ミッツバンが指さす通路の奥から小型黒魔龍の頭が2つ、こちらに向かい迫って来る。その姿を呆れ顔で見つめ、レイラも溜息を洩らした。

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