第354話 地に在る者

「いやぁ、参ったねぇ……」


 滝のような黒い矢の雨によって木々も吹き飛ばされた地面に立ち、香織は黒魔龍を見上げ声をかけた。エシャーとガザルの姿が消えた森を見つめていた黒魔龍は、グリンと頭を回し香織を見つける。


「しばらく会わない内に、すっかり変わっちゃったねぇ……柴田さん。あ、私もすっかりオバサンになっちゃってるかぁ!」


 目を閉じてガハハと笑い、香織は笑みを残したまま黒魔龍を見上げた。


「柴田さんでしょ? あなた……。私のこと分かる? 香織だよ……高木香織。同じクラスだった……覚えてる?」


 黒魔龍の首がピクリと反応する。宙に浮いて巻かれていた胴が、尾からゆっくりと地面に下ろされ森の中に巻き直されていく。いかにも「話を聞く姿勢」になったのを見定め、香織は微笑を浮かべ語り続けた。


「それにしてもさぁ……まさかこんな事になっちまうなんて、あの頃は思いもしなかったよねぇ」


 攻撃的な刺激を与えないよう注意をはらいながら、香織は黒魔龍を見上げる。


「楽しみにしてた修学旅行でさ……事故に遭うだけでも不運なのに、まさかこんなワケの分かんない世界に飛ばされちゃうなんて……ホント、ビックリだよねぇ」


 古い記憶にある中学生時代の自分を思い出しながら、香織は極力穏やかな口調で語る。しかし同時に、この世界で身に着けた警戒心・洞察力で黒魔龍―――柴田加奈がいつ攻撃に転じて来ても対応出来るよう、意識を研ぎ澄ましていた。

 黒魔龍は不思議そうに香織を見つめている。その顔から表情は読めないが、目に宿っていた無慈悲な攻撃色は薄れていると香織は感じ取り、しばらく中学時代の共有話題を並べ立てた。


「……とにかくさ、柴田さん……」


 数分間の前置き話で、黒魔龍から攻撃色が完全に消えたことを確認した香織は、話を本題に切り替える。


「もうさ、あんな頭のイカれた変な野郎の言いなりになるのなんか、ヤメなよ」


 かなり低い位置まで頭を下げていた黒魔龍の身体がピクリと反応した。織り込み済みの反応に臆することなく、香織は言葉を続ける。


「聞いたよ……柴田さんが『アイツ』からどんな目に遭わされたのか。……この世界に来てからの長い時間……どれだけあなたが苦しめられて来たか……何をされて来たか……ホントに……酷い話だよね……」


 語りながら香織の目から涙が溢れ、頬を流れ落ちる。黒魔龍は頭部を半端に持ち上げ、香織との視線を外したり戻したりしつつ身体を揺らす。明らかに、動揺の色がうかがえた。


「ううん……ここに来てからだけじゃない……」


 香織は目の前の巨大な黒魔龍が「あの頃」の記憶にある小柄で童顔な柴田加奈本人の姿に見えて来た。いつも何となく怯えた雰囲気で、先生に対しても同級生に対しても、1歩も2歩も引いて様子をうかがう自信無さげな弱々しさ……香織は警戒心を完全に解き、あの頃の「同級生思いのおばさんキャラ」に自分が戻った気がした。


「向こうに居た時も……ゴメンね……気付いて上げられなくて。だけど、もう大丈夫だよ! 私たちがあなたを助ける! 賀川君も来たし……全てを終わらせることが出来るんだよ!」


 巨大な胴を怯えたように縮める黒魔龍に向かい、香織は右手をさし伸ばす。温かな笑みを浮かべる「老いた同級生」に、黒魔龍はゆっくり顔を近付けて来た。


「大丈夫だよ、柴田さん。あなたは1人じゃ無い! 私たちが居る。賀川君も、先生も、みさ……」


 語りかける香織の言葉は、突然、口に押し込まれた異物により塞がれる。もう少しで黒魔龍の鼻先に届こうとしていた右腕にも、茶色く粘着性のある異物が巻きついているのを香織は見た。黒魔龍の目が恐怖と不安に包まれ、離れて行く。香織の視界はそれを見届け終えることなく……闇に包まれた。


 黒魔龍は地面を見下ろし、身を震わせている。長い苦しみから自分を解き放ってくれる「出口」に思えた小さな光―――温かな笑みを浮かべ手を差し伸べていた女性は、赤茶色の泥土に包まれ地中に姿を消した。地中から鈍く響く「生木を折り砕くような音」が止むまで、黒魔龍は女性が飲み込まれた地面から視線を離せずにいた。


<約束をぉ~破るのはぁ~悪い子だぁ~>


 見下ろす地面に、まるで人間の顔のような巨大な凹凸が現れた。黒魔龍は目を見開き、身体を震わせている。


<全部ぅ~見てるぞぉ~良い子にぃ~しなきゃ~おしおきだぞぉ~加奈~>


 地面に現れた巨大な顔は、黒魔龍を睨みつけながらも、口元には歪んだ笑みを浮かべているように見えた。その唇部分には、香織が着ていた外套の一部が張り付いている。


 ガザルがエシャーに放った法撃音が森に響く。その音に一瞬反応した黒魔龍が、再び視線を戻した時には、地に現れた人面は消えていた。再び無慈悲な殺意を帯びた冷淡な瞳を浮かべる黒魔龍は、法撃音の聞こえた森へ向けた。



―・―・―・―・―・―・―



 ミスラから治癒魔法を背中に受けるピュートと、法力呼吸を整えるウラージは、同時に顔を上げ同じ方向を向く。僅かに遅れてミスラも顔を向けると、直後、大きな法撃音が鳴り響いた。


『今のは!?』


「……ガザルだな」


 ミスラの問いの言葉は理解出来ずとも、雰囲気を察したピュートが静かに答える。ウラージは上腕部の途中から失われている自分の右腕に視線を戻し、左手で治癒魔法を施し始めた。その様子に気付いたピュートが、呆れたように語りかける。


「そんな身体で、まだやる気なのか? じいさん」


「フン!……こんなに早く『本命』が出て来ると分かっておれば、キサマなんかと遊んどらんかったわ!」


 法力が整い始めたのか、ウラージの顔に若干「張り」が戻って来たかのように見えた。しかし、ピュートは首をかしげ、ウラージに告げる。


「無理だな……それじゃ。右腕も無い上、法力も全然足りていない。俺との戦いで使った『不意打ち』にほとんど使ってしまったんだろ? 老い先短いとは言え、後先考えない愚かさだったな。おとなしく休んでろよ」


 ウラージはピュートの言葉を大人しく最後まで聞くと、右腕の止血を確認し立ち上がった。


「キサマは行かんのか? 俺と同じようなもんだろうが、キサマも。強者と対峙することで自らの生を味わえる……行かんのか?」


「……俺とアイツは相性が悪い。アンタともな。一緒にするな」


 ピュートの返答に軽く笑みを残すと、ウラージは樹上に跳び上がる。慌ててミスラが顔を上げた。


『あっ! おい、じいさん! まだ動くにゃ早いって!』


 言い終える前に姿を消したウラージを、ミスラは必死に目で追って探す。


「行ってやれ。あれじゃ、無駄死にに行くようなものだ」


 ピュートの言葉に、言葉が通じないミスラは困ったように首をかしげ見せた。溜息を吐き、ピュートは指でジェスチャーを交えて再び告げる。


「行けよ。アンタも」


 今度はミスラも意図を理解したのか、うなずきつつピュートの背中の傷に視線を向ける。治癒は終えていないが、穴は塞がり出血も無い。おもむろにミスラはピュートの額に自分の額を当てて来た。


「ムリ、ダメ、ネル。イイ?」


 そう言い残すと、ミスラはウラージの法力波を辿り駆け出して行く。ピュートは右手の平をそっと額に当てる。


「……最後は……エシャーとアツキに会いたかったな……」


 ピュートは傷具合を確認するように、ゆっくり立ち上がった。



―・―・―・―・―・―・―



 ガザルは自身が放った法撃により、数百メートルほどに渡って草木も消えた地面を見渡している。


 あの娘はどこだ?


 エシャーの法力波を探るが、気配を見つけ出せない。数秒間視線を巡らせた後、ガザルは口元に笑みを浮かべた。


「さすがに消し飛んだか?」


 法撃を放った両腕に視線を戻し、ガザルは満足そうにつぶやく。


「さて……あと何匹かゴミ虫が居たなぁ……」


 頭を動かし、次に狙う「獲物」が居る場所をガザルは探す。


 放っといても勝手にくたばりそうな糞エルフのジジイと、俺の身体から勝手に盗んだ細胞を使って出来たガキ……どっちもグチャグチャに挽き潰してぇなぁ……


「おっと……ガキはダメか……」


 自分の欲望に語りかける様に、ガザルは楽し気に口を開いた。


「あのガキとは『干渉』するんだったな。エルフジジイと臭そうな人間の女だけで我慢するかぁ」


 法力強化されたガザルの視線が、森の中を駆け寄って来るウラージとミスラを見つめる。ふと何かに気付き、ガザルは顔を上げた。


「もう1匹のババアは殺ったのかぁ、カナぁ?」


 上空から視線を向ける黒魔龍に、ガザルは声をかける。


「そこで待ってろ。もう少し……遊んでくっからよぉ!」


 黒魔龍に告げ、ガザルは法力強化した脚力で樹上の枝を駆け渡って行く。その姿を確認した黒魔龍はユラユラと胴をくねらせ、視線をガザルの法撃跡地に向けた。


 だが、唐突に襲って来た強大な法力波に驚き、黒魔龍は身を縮ませ「とぐろ」を巻くと鎌首を上げ威嚇音を発する。その視線は100メートルほど先で、法力光を発し始めた地面に釘付けになっていた。

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