第353話 追いかけっこ

「ハッ! おかしな雰囲気感じて来てみりゃ、俺の分け身と老いぼれエルフの殺し合いだとはなぁ! 笑えるぜ!」


 黒魔龍の頭頂部に立ち見下ろすガザルを、ピュートとウラージは睨みつける。その視線に、ガザルは浮かべていた嘲笑を消した。


「……ゴミ虫どもが……何だぁ? その目は……。おいっ、クソ娘!……アイツら、消せ」


 ガザルが黒魔龍の頭頂部を右足で強く踏みつける。黒魔龍は「シュー……」っと威嚇音を出し、鎌首を高く持ち上げた。


「こんな不意打ちも……ヤツの力量……ってことか? ジジイ……」


 ピュートはウラージとの戦闘で負った腹部2ヶ所の傷に左右の手を置き、応急治癒魔法を施しながら尋ねた。ウラージは先ほどピュートに吹き飛ばされた右腕の傷口を押さえたまま、内充法力が枯渇した状態で言葉を返す事も出来ずにいる。


「来るぞ……」


 頭上で急激に高まった法力波に気付き、ピュートは法撃範囲から離脱するため足に法力強化を施す。黒魔龍からの法撃に離脱のタイミングを合わせるため呼吸を整えたピュートの視界には、未だ身動きもままならない「老いたエルフ」の姿が映った。


 特殊な法撃で法力を使い果たしたのか……。黒魔龍の法撃範囲から離脱するのは無理そうだな……


 ピュートは冷ややかな視線をウラージに送る。ウラージは乱れた呼吸を整えようとしているが、法力の体内バランスが崩れた状態では無様に喘いでいるようにしか見えない。


 これがアンタの力量だ……


 頭上の黒魔龍の口から黒い矢のような無数の法撃が放たれた。ウラージは自分の人生を刈り取るために迫る「黒い雨」を見上げ睨みつける。強い衝撃を身体全体に感じ、一瞬目を閉じたウラージが次にまぶたを開くと、20メートルほど先で滝のように地面に降り注ぐ黒い矢の法撃が見えた。


「なん……だと……」


 ピュートの腕に背後から抱きかかえられた状態で自分が地面に座っていることに気付いたウラージは、絶え絶えに声を洩らす。ピュートは黒魔龍の法撃寸前でウラージを掴み抱き、一緒に法撃範囲外へ離脱していた。


 ウラージは背後のピュートへ顔を向けると、困惑した目で視線を合わせる。


「く……屈辱……だな……」


「……? レイラはアンタに似たのか?」


 ピュートは驚いた表情でウラージのつぶやきに応えた。



―・―・―・―・―・―・―



『黒矢の雨!?』


 ミスラの叫び声にエシャーと香織も顔を上げた。森の上空に見え隠れする黒魔龍の位置を確認しながら3人は森の中を駆けて来たが、強大な法力を伴う法撃を目撃し足を止める。


 あれが……サレマラが言ってた、黒魔龍の法撃……


 公営学舎の先生や子どもたちが何人も犠牲になったという法撃を目にし、エシャーは唇をギュッと結ぶ。


「ありゃあ……とんでもないねぇ……」


 数十秒にも渡って降り注いでいる「滝のような法撃矢」に、香織は呆気にとられながら苦笑する。


「ん? 頭の上に、何かが居るねぇ……」


 黒魔龍の頭頂部に立つガザルの姿に香織は気付いた。エシャーとミスラもその声に反応し、視線を黒魔龍の頭部に向ける。


「ガザルだ!」


 すぐにエシャーが声を上げた。ルエルフ村で見た祖父シャルロの叔父ガザル……なぜガザルが20歳そこそこの若者の姿であるのかは、ピュートからもたらされた「湖神様からの情報」によりエシャーたちも共有している。どんな悲劇がガザルの過去に起こったのか、情報を共有する中で少しは同情心が芽生えはしたが……


 エルの予想より2週間も早い! 完全体なの? とにかく、早く倒さないと!


 エシャーは自分たちの使命に気持ちを集中し、黒魔龍の頭頂部に立つガザルを睨む。


「あれがガザルかい……。何だろうねぇ……同級生が悪い男にこき使われてる姿ってのは、見ててムカっ腹が立って来るよ!」


『カオリ! 急がないと、じいさんとピュートが下に居る!』


 香織とミスラの言葉に、エシャーもうなずいた。


「3方向から行くよ! ミスラは下の2人の無事を確認したら戦闘に加わっとくれ! エシャーはガザル、私は……柴田加奈! さあ!」


 号令をかけると香織は左から回り込み、エシャーが右から回り込んで行く。ミスラは最短となる直線で駆けて行くが、木々の隙間のすぐ先で地面に座り込んでいる人影が在ることに気付いた。


 ピュート……前にじいさんを抱えてんのか? なぁにやってんだ、アイツら!


『おい! 早く動け! 次が来るぞ!』


 ミスラは上空の黒魔龍の様子に注意をはらいながら、背を向け座り込んでいる2人に声をかける。しかし、すぐに2人が「動かない」のではなく「動けない」ことに気が付いた。


 なんだ? ピュートのヤツ……背中にでっかい穴が2つも……


 チラッと見えたウラージの横顔も、先ほどまで村で見ていた力みなぎる高壮年のものでは無くなっている。瞬時に「法力枯渇状態」だと分かる弱々しい横顔だ。

 黒魔龍が上空で再び鎌首を持ち上げた。一撃目の「黒矢の雨」が標的に定めた「敵」に当たっていないことを確認すると、辺りに視線を巡らせる。空からの広い視野でピュートとウラージの姿を発見し、黒魔龍は不思議そうに首を曲げた。


「おい、馬鹿娘……なぁに、外してんだよっ!」


 頭頂部に立つガザルが、足で激しく踏みつける。黒魔龍は続けて法撃を放つ態勢に入った。


 クソッ! 防げるか? アタシの防御壁で……


 ミスラは状況を飲み込み、2人を避難させることは不可能と判断した。前面に立ち、防御魔法の壁を作る……黒魔龍が放つ矢の威力が測り知れない以上、無事に守れる保証は無いが、他に手が思い浮かばない。


「ん?」


「キサマ……」


 ピュートとウラージは、黒魔龍と自分たちの間に突然割って入った女性の背中に驚きの声を洩らす。


『伏せてろ!』


 ミスラが叫ぶ声とほぼ同時に、黒魔龍の口から法撃第二波が放たれた。先端数十本の矢はミスラが作る「壁」に弾かれる。しかし、滝のように降り注ぐ法撃が2秒間ほど過ぎると、その「壁」に異変が生じて来た。10秒も経たない内に、何本かが壁をすり抜け地面に突き刺さって来る。


 だ……ダメ……もう、もたない!


 壁の発現を続ける法力にミスラは限界を感じた。


 もう、あと数秒も続かない!


「グアッ! クソッ……」


 上空で誰かが苦痛に叫ぶ声が聞こえた。同時に、ミスラの壁に滝のように当たっていた黒矢の雨が右側へ離れ、数秒後に止まる。


「コッチ、イソゲ!」


 ミスラは片言でピュートとウラージに指示を出し、2人の襟首を掴み立ち上がるように急かす。


「ムコウ! イソゲ!」


 よろめき立ち上がった2人は、黒魔龍とガザルの視界から逃れる様にミスラの後ろに付いて森の奥へ移動して行く。


「助けに……来てくれたのか?」


『クソジジイ! この大事な時に、何をしてくれちゃってんだよ!』


 言語として完全な理解とまではいかずとも、ウラージとミスラは互いの言葉を理解し合えていた。


『どうしようも無ぇ馬鹿エルフめっ! 干物は干物らしく、味のある余生を過ごしやがれ!』


「ユフの……短命種の……小娘が……。クッ……『むやは』とは……何だ?」


 まだ「むはや」が干物を指す言葉とは理解していないウラージは、張りを失いたるんだシワだらけの顔で怪訝そうに尋ねる。しかし、その会話はピュートの言葉で断ち切られた。


「エシャー……。あいつも……来たのか……」


 ピュートが見上げる木々の隙間にミスラとウラージも顔を上げる。ちょうど黒魔龍が鎌首を下げ、頭頂部からガザルが飛び降りるところだった。ガザルは右腕で左腕を押さえている。その目指す視線の先に、攻撃を終えて手元に戻るクリングを待つエシャーの姿があった。


「セナカ、ミセロ」


 まだ顔を上げているピュートにミスラは声をかけ、両手で肩をグイと引き下げ座るようにうながす。手を直接かざせない背面の傷にはピュートの治癒魔法が届いていない。ミスラはピュートの背面に開いた2つの大きな傷口に、両手から治癒魔法の光を当てる。


「ナオス。スコシ。オワル。ムラニ」


 応急手当を行うことと、村に戻るように片言で告げ、ミスラは顔をウラージに向けた。


『ジジイは少し呼吸を整えて、逃げれるだけの法力をためろ! ここに居ちゃ、あの2人の邪魔になる!』


「2人……だと?」


 ミスラからの指示よりも、ウラージはエシャーの他にも誰かが居ることに興味を示した。ミスラは苛立ちのこもった声でウラージに応える。


『エシャーとカオリさんが戦ってる間に、邪魔者は早くうせろって言ってんだよ!』



―・―・―・―・―・―・―



「待てや、小娘が!」


 クリングを掴んで木々の隙間に姿を消したエシャーをガザルは追い始めた。エシャーは木の枝を渡り、森の樹上を駆けまわる。


「なんだぁ? 追いかけっこのつもりかぁ? ガキの遊びかよ……」


 木々の枝葉に見え隠れするエシャーの背中を、ガザルは嘲笑を浮かべ追いかける。クリングで負わされた左腕の傷は、すでに跡形も無く治癒していた。


「……牢屋の村の森でも、ガキどもは木の上で追いかけっこしてたなぁ……」


 ガザルの脳裏に、幼き日の記憶が映る。ルエルフ村を囲む山の森、元気に駆け回る子どもの姿……。「呪われた病」により不自由な身体で生まれた自分1人だけが地べたに置き去りにされていた、忌々しい過去の記憶……。表情から嘲笑さえ消え失せたガザルの両腕に、強力な法力光が宿る。


「あん頃に、この力が有ればなぁ……あのガキ共も消し去れたのによぉ……」


 背後から迫るガザルの殺気に、エシャーは悪寒を覚えた。振り返って確認する余裕も無い。極限まで研ぎ澄まされた周囲探知魔法で、ガザルが放とうとする法撃の強大さを察知する。


 どうしよう……どうしよう……


 焦るエシャーの気持ちを嘲笑うかのように、ガザルの両腕から真っ赤な攻撃魔法球が放ち出された。

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