第344話 噂

 香織はペンダントトップの裏面に施された細工文字を指でなぞりながら話す。


「これはね、私の名前さ。『漢字』って文字だよ。私たちの『元の世界』で使ってた文字さ」


「へ……え……」


 エシャーは興味深そうに香織が示した、見た事も無い文字に見入る。


「これが『香』で、こっちが『織』って字だよ。こっちの世界の文字とは全然違うだろ?」


「うん……。これは?」


 香織が示した文字の下に別の種類の文字も刻まれていることに気付き、エシャーが尋ねる。


「こっちは『英語』って文字だよ。……E・M・Iで『エミ』……川尻恵美……。これを作ってくれた友だちの名前さ……」


「そうなんだぁ……」


 持ち上げられたまま、再び表を見せたペンダントトップをエシャーは注視する。


「この女の人の顔……何となくカオリさんに似てるね」


「ん? そうかい? ま、若い頃ならそうだったかもねぇ!」


 エシャーの感想を受け、ガハハと笑いながら香織はペンダントを服の中にしまう。


「さて……と……」


 話題を変えるひと声を吐き、数メートル離れて立っているピュートに香織は顔を向けた。


「賀川君とエシャーちゃんに再会出来たのは良いとして……あのイケメンくんは初めましてだねぇ。何者だい?」


 香織の問いに気付き、ピュートはそっぽを向いた。慌ててエシャーが代わりに応え、これまでの簡単な経緯を説明する。ピュートの素性を聞きながら、香織の表情は段々険しくなって来た。

 エシャーがペラペラと自分の情報を提供し終わったタイミングで、ピュートは呆れたように顔を向ける。


「エシャー……お前には『情報』を有効利用するって考えは無いのか? 何故、何の見返りも望めそうに無いおばさんに、簡単に情報を渡す?」


「ふうん……『ガザル細胞』ねぇ……」


 悪態をつきながらも、相手の力量を測るように観察の眼を向けたピュートの言葉に被せ、香織が鼻で笑うように応じた。


「ワケ有り身体のボウヤってことかい、ピュートくん? あんた……死相が出てるよ。分かってて『こっち』に渡って来たのかい?」


 ピュートと香織は互いの真意を探りつつ、睨むように視線を合わせる。


「あんたの『命』を、ガザルとやらが飲み込もうとしてんじゃないのかい? あんた……ガザルとやらに引き寄せられてるんじゃないのかい? 妙な繋がりを感じるよ」


「……アンタには関係の無い話だ、おばさん」


 沈黙した2人は、数秒間視線を合わせ続けた。その険悪な雰囲気に耐え切れず、エシャーが口を挟もうとしたタイミングで、先にピュートが視線を外し深い溜息を吐く。


「ふぅ……まったく……。人間にもエルフにも、お節介なおばさんってのは居るもんだな……」


 そう言い捨てると、ピュートは篤樹と亮が立っている方へ向きを変え立ち去って行った。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「ウ……くチョン!」


 グラディー山脈の地底深く……おもむろに立ち止まったレイラのクシャミの音がこだまする。


「大丈夫ですか? レイラさん。……ちと冷えて来ましたかねぇ……」


 レイラの背後に付いて坂を下っていたスレヤーが声をかけた。


「さっきまでとは違い、この辺りは冷えてますね……。水脈がそばを通ってるのかも知れません」


 先頭から2番手を進んでいたバスリムも、立ち止まって振り返る。グラディー山脈中腹から狭い洞窟を通り抜け、ようやく身を起こして進める穴に出たのが何時間も前のこと。陽の光が射さない闇の中を、数名が交代に灯す法力光で辺りを照らしながら一行は進んで来た。


「もう少し進めば冷気の層を抜ける。そこで今日は終わりにしよう」


 先頭を進んでいたズンと名乗るドワーフが振り返り声をかける。続いて最後尾に付くビガンと名乗るドワーフが、前を行く面々に声をかけた。


「あと30分も進めば、山の麓と同じくらいの高さまで下る。その先は冷えてる穴と暑い穴に道が何本か分かれる」


「ようやく『地底』への入口に着くってことか……」


 再び歩を進め始め、すぐにスレヤーがつぶやいた。


「どうでも良いが……このじいさんのペースに合わせてちゃ、目的の場所に着くまであと3日はかかりそうだぜ!」


 スレヤーの背後に居たグラディーの半獣人戦士ガウラがウンザリした声を出す。確かに、静寂とも言える洞窟の中で常に聞こえていたのは、ミッツバンの荒い息遣いばかりだ。


「す……みま……せんね……。まったく……何の準備も……してなかった……もので……」


 律義に応じるミッツバンを、横から支えるエルフ属戦士のライルがたしなめる。


「無理に応える必要は無いですよ。ペースを守って下さい。ガウラさんも口を慎んで下さい。それぞれに事情があるんですから」


 ガウラは軽く舌打ちをしたが、それ以上は言葉を続けずに歩を進めて行く。最後尾のビガンが予測していた通り、一行は縦穴や下り道をさらに30分ほど進み、少し開けた平たい空間に辿り着いた。

 ドワーフたちが度々訪れている事を裏付けるように、空間の端々にいくつかの木箱が設置されている。ズンとビガンは何も言わずに、手慣れた様子で周囲に置かれている木箱を探り始めると、すぐに調理具や寝具を持ち出して来た。


「犬共、これ持って付いて来い」


 並んで立っていたスレヤーとガウルに、ビガンは4つの木製の桶を指し示して声をかけ、左側にある岩の裂け目に向かいさっさと歩き出す。


「「誰が犬だ!」」


 2人は同時に抗議の声を発しながらも、与えられた「仕事」に取りかかる。笑みを浮かべてその背を見送ったバスリムは、ズンからの指示も無い内からさっさとキャンプを整えていた。


「……気が回る人間種だな……組み方は分かるのか?」


 仮設寝所を組み始めたバスリムに、ズンが横から声をかける。


「ええ。長期間隔絶されていたとは言え、あなた方の同族は『外』にもおられますからね。同じような備品は何度も見て来ましたよ。子どもの頃に兄の友人のドワーフ族の方々から私も優しくしていただいて……」


 バスリムとズンが語り合う声を聞き流しながら、レイラは壁岩に背を預け荒い呼吸を整えているミッツバンのそばへ歩み寄る。ミッツバンの口元に向け、エルフのライルが呼吸補助の魔法を施していた。


「まだお若いわね? おいくつ?」


 レイラからの問いに、ライルは法術を続けながら顔を向ける。一瞬驚いた表情を見せた後、すぐにやわらかな笑みを浮かべミッツバンに視線を戻した。


「187歳です」


「あら? 120~130くらいかと思ってましてよ」


「よく言われます。……童顔なんですよ」


 同族種の親しみだけでなく、レイラはこの青年に好感を持って語り続ける。


「いずれにせよ、お若いのに品性が整っていますのね」


 レイラからの思わぬ評価に、ライルは再び不思議そうに視線を向けた。ミッツバンを挟み、レイラは岩壁に背を預け立つ。


「先ほど、ガウラさんをいさめられたでしょ? ミッツバンさんのことで……」


「……ええ」


 何の件かと思っていたライルは、合点のいった表情となる。


「高齢人間種の体調を おもんばかり、半獣人種のガウラさんにも礼節を保って注意をする……エルが言う通り、グラディーのエルフには異種族に対する侮蔑心はございませんのね」


 レイラの言わんとする事を汲み取り、ライルは笑みを浮かべて応じた。


「『エル』とは、解放者エグザルレイの事ですね。驚きました。人間種である彼が、今も本当に生きておられるとは……」


 ライルの感想に、レイラは肩をすくめて見せる。ライルは言葉を続けた。


「グラディーの歴史を学びました。草創期から族長時代、エグデンとの戦いに包囲壁時代……壁の中でグラディーは他種族と奪い合い、殺し合い、劣悪環境によって絶滅寸前でした。そこに現れたのが解放者エグザルレイです。壁を砕き、バラバラになっていたグラディーの各種族を再び1つの『グラディー族』に結び合わせ、エグデンの手からこの地を解放してくれました」


 ライルの口からエルグレドを「解放者」とする賛辞が出る度、レイラは笑いを押さえるのに必死だった。そんなレイラの様子に気付かず、ライルは純粋な輝きを放つ瞳で言葉を続ける。


「一方が自らを優性種とし、他方を劣性種と見る傲慢が異種族間の争いを……死と滅びを生み出します。異種族間だけでなく、同じ種族の中でも同じです。共に同じ時を生きている者同士が、互いの存在を優劣で評価する愚かさこそが死と滅びの元凶です。我々エルフは確かに長命種ですが、人格・存在として他種族より優れているワケではありません。獣人種も小人種も人間種も、雌雄も老若も、共に生きる一族に優劣は有りません」


「噂以上に一族の結束が強いようね、グラディー族は……」


 レイラは目を細め、若きグラディー戦士の話を評する。


「御高説の通りですわ。さぞや『解放者』も喜ぶことでしょうね、あなたのような若者に思いが受け継がれていると知れば」


 少し熱く語った気恥ずかしさも有るのか、ライルは頬を赤らめて微笑んだ。


 そんな理想を壊す「敵対者」という存在が世の中には居ますのよ、ボウヤ……


 やわらかな笑みを浮かべながらも、若きエルフを見つめるレイラの瞳には憂いを秘めた細い光が浮かんでいた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「ふあ……クション!」


「生意気にクシャミなどするな! この愚か者が!」


 ウラージの厳しい声がエルグレドに浴びせられた。「そんな理不尽な……」と周囲を歩く者たちは苦笑するが、先刻来続くウラージの叱責への同意も込め、誰も助けの手は伸べずに黙々と歩を進める。


「エグラシス一の法術士だとかもてはやされて、気が緩んどるからクシャミなんぞするんだ! たかが虫ケラごときに意識を持って行かれるのも同じだ! 気合不足なんだよ、貴様は!」


「……もう、本当に反省してますから……。次に蟲使いや黒弾虫の気配が有れば……出しゃばって先頭に進まず、すぐに最後尾に避難しますから……。もう勘弁して下さいよ……」


 いい加減にウンザリしながらも、エルグレドはウラージに謝罪と反省の弁を繰り返す他無かった。


「そもそも貴様は……」


『出たぞ。ウラベル川だ』


 尚も叱責を続けようとしたウラージの声を押し退けるように、先頭を進むメギドの声が投げかけられる。エルグレドはこれ幸いと歩調を速め、メギドの横に並び立つ。


「あそこに見えるのが、カミュキ族の村だ」


 すぐ横に並び立った亮も、そばに寄る篤樹に前方を指さし説明を加える。


「……神村勇気が作った一族さ」

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