第340話 黒弾虫


 ユフ大陸南東部の海岸に上陸した篤樹たちは、本隊到着のための上陸地点整備部隊30名を浜に残し森へ踏み入っていた。法術兵3名が前方に展開して進み、その後ろ数十メートルをおいてエルグレドを先頭に篤樹たちも進む。約20名の兵士らは、狭い範囲で左右に展開しながら進んでいた。


「集団の指揮は、貴様には向かんようだな」


 エルグレドの横に並んで歩を進めるウラージが声をかける。


「……あなただってそうでしょう?」


 進路に顔を向けたまま、エルグレドは静かに応えた。


「単身で駆け抜けるほうが気楽な上、リスクも少ないからな。特に、愚鈍な人間種の兵士らに歩調を合わせるのは苦痛だ」


「でしたら、あなた一人だけ先に駆け抜けますか? 私は一向に構いませんよ」


 ウラージの指摘は的を射ていた。エルグレドも、自身のはやる気持ちを必死に抑え、先遣隊としての使命を優先しながらの進軍にストレスを感じている。本隊が速やかに移動するための「道」を切り拓きながらの歩みは、予想以上に時間を要していた。


「予定より1日遅れています。明日にはミスラさんの村へ入りたいですね……」


 エルグレドはポツリと呟き、背後から付いて来る篤樹たちに顔を向けた。篤樹とエシャー、ミスラの横にピュートが並んでいる。周囲では同行兵士らが下草や枝葉をはらい「道」を作りつつ歩を進めていた。


 今日はここまでですね……


 それぞれの表情に疲労を読み取ったエルグレドは、木漏れ日も届かなくなった周囲を確認し進軍を止める。


「今日はここで宿営します。先行兵に伝達を!」


 エルグレドの指示で、すぐに2名の兵士が前方に駆け出して行く。残った兵士らは安堵したような声を各所で漏らしつつ、宿営の準備を開始した。


「明日の昼までには着くみたいです」


 ミスラの見解を受けた篤樹が、エルグレドに伝達する。自然に「仲間たち」がエルグレドの周りに集まっていた。


「1日遅れくらいで動揺するな。隊長なんだろ?」


 エルグレドと視線が合ったピュートが口を開いた。エルグレドが「予定通り」に事を進めたい理由が、自分の「薬」の残量にも在ることを理解しての発言だった。エルグレドは微笑みで返す。


「私とレイラのおじいちゃんだけでも、先に村に行ってようか?」


 エルグレドの思いが、ただ単に「早くミスラの村との接触をしたい」という焦りかと勘違いしたエシャーが、心配そうに提案の声を上げた。


「だったら俺のほうが速い……」


 なぜかピュートもこの提案に加わろうとする。


「キサマにその呼び方は許可しとらんぞ!」


 ウラージがエシャーを怒鳴りつけた段階で、エルグレドは両手で会話を制止させた。


「まあまあ……先ほど私も冗談でウラージさんに提案はしましたが……」


 エルグレドはそう言うとミスラに視線を向ける。


「残念ながら誰であれ、ユフの民の言葉を解さない者が突然村に入ろうとすれば、少なからず混乱を生じさせてしまいます。カミュキ族の皆さんにも、是非この戦いに協力をお願いしたいのですから、混乱は生じさせないに越したことはありません。慎重に進みましょう」


 他者を制することで自らの気持ちにも落ち着きを取り戻したエルグレドは、一同に視線を巡らせた。納得の表情を浮かべる一行の中で、ミスラだけが真剣な表情をエルグレドに向けている。


「ん? どうしました? ミスラさん」


『蟲使いたちの気配が数時間前から現れたり消えたりしている……』


 篤樹の通訳を受け、一瞬、緊張が走る。


「ふん! 小人族の亜種が虫を使って攻撃してきたところで、たかが知れとるわ!」


 ウラージが吐き捨てるように口を開いた。


「黒弾虫だかなんだか知らんが、この阿呆が正気を失うほどの化物がホントにおるんなら、見てみたいもんだ……」


「エルグレド隊長!」


 エルグレドに対する皮肉の籠ったウラージの言葉が終わる前に、兵士の叫び声が前方から響いた。ただ事ではない声に、全ての兵士らがそれぞれに臨戦態勢を取る。篤樹たちも息を止めるように口を閉ざした。


「どうしました!」


 進行方向から駆け寄って来る兵士にエルグレドが声をかける。前方に展開する兵士らを先ほど呼びに行った兵の1人だ。


「先行兵3名が行方不明です!」


 転がり込むようにエルグレドの前まで駆け寄った兵が、握り締めていた右手を開き見せる。カマキリによく似た形のオレンジ色の虫が、その手には収まっていた。


「法力導線が、この虫につながれていました!」


 兵士の言葉に、エシャーが篤樹の顔を見てキョトンと首をかしげる。篤樹は首を横に振って「知らない」と意思表示した。


「先行法術兵と後続部隊の間で繋ぐ『命綱』みたいなものだ」


 2人の様子にピュートが「法力導線」の簡単な説明を与え、そのままエルグレドに尋ねる。


「なんでそんな『虫』に、法力導線が繋がるだけの法力が宿ってるんだ?」


 しかし、問われたエルグレドも初めて見る事象に明確な答えが見つからない。代わりのようにミスラが口を開いた。


『蟲使いが仕掛けて来る……おい! すぐに態勢を整えろ!』


 ユフ語でまくし立てるミスラの剣幕に、篤樹の通訳を待つこともなくエルグレドが叫ぶ。


「敵襲! 1メートル間隔から周囲索敵陣形を!」


 指示を受けた兵士らが迅速に移動を始める。数十秒の内に、エルグレドたちを中心に置く「円陣形」が整う。兵士らの間隔はそれぞれ1メートルほどを保っていた。


「3メートル間隔まで慎重に展開!」


 エルグレドの声に従い、外周の兵士たちが円陣形を数歩ずつ広げて行く。


「蟲使いが……出たんですか?」


 篤樹はそばに立つミスラに小声で尋ねた。


『あの虫自身が法力を集める能力なんか無いさ。誰かが注入したんだ。そんな真似が出来るのは蟲使いの連中だけだ』


「ねぇ! その蟲使いとかと話し合いは出来ないの? 私たちは別にその人たちと戦いに来たんじゃ無いって言えば、戦わないで通してもらえるんじゃない?」


 篤樹から訳されたエシャーの提案に、ミスラは首を横に振った。


『言っただろ? 奴らに話は通じない。何より向こうは「食料」を「狩り」に来るだけだ。奴らにとって……人間種の肉は、最高の御馳走ってことさ』


「エシャーは妖精種だから喰われずに済むな」


 ミスラの言葉にピュートがボソリとつぶやく。その横顔を睨みつけエシャーが右手を振り上げた時、前方警戒の兵士の声が響いた。


「おいっ! 大丈夫か!?」


「陣形2メートルで待機!」


 兵士の声に反応し、エルグレドが指示を出すと同時に前方へ駆け出す。即座にウラージとピュートも駆け出し、一瞬遅れで篤樹とエシャー、ミスラもその背を追う。円陣形先頭部の兵士2名が、木の陰に座り込んでいる兵士を発見し、警戒しながら声をかけていた。


「どうしました!」


 円陣形の「外」に飛び出し、エルグレドは座り込んでいる兵士の2メートルほどそばまで近づく。その後に続いて、ウラージとピュートも陣形から出た。篤樹たちも後に続こうとしたが、前衛の兵士に立ち塞がれる。


「君たちは陣形の中で待機していて!」


「は? え……なんで……」


 思わずムッとした表情を兵士に向けた篤樹の肩に、エシャーが右手を載せて来た。


「アッキー……言う通りにしよう……『外』の法力が強すぎる……」


『蟲使いの呪縛法力だ。やっぱり囲まれてたみたいだな……。ある程度の防御魔法が使えなきゃ、すぐにやられるぞ』


 エシャーとミスラの言葉に、篤樹は周囲を見回す。円陣形を組んでいる同行兵たちはどうやら全員が法術兵のようで、薄い法力光を放つ両手を周囲に向けている。

 篤樹が視線を正面に戻すと、エルグレドと目が合った。軽くうなずかれた事で、エルグレドからも陣内待機を指示されたと理解し、篤樹は数歩退く。


 異変を感じ取っているウラージとピュートは、エルグレドの左右にそれぞれが立ち警戒魔法を周囲に発現させた。エルグレドは座り込んでいる兵士の様子をうかがいつつ、ゆっくり歩を進める。


 どういう状態なんですか……命はまだ宿ってるみたいですが……この波長は……


 これまで診たこともない負傷状態の兵に、エルグレドは左手を差し伸ばして淡い緑色の法力光を当てた。


「う……ウ……ヴ……」


 その法力に反応し、木に背中を預けるように座り込んでいた兵士の頭が動く。


「……大丈夫ですか?」


 尚も警戒を解かずにエルグレドが尋ねると、兵士は顔をゆっくり上げた。呼びかける声の主を探すように首を動かし、エルグレドと視線を合わせる。


「た……隊……ちょヴぉッ!」


 突然の事だった。エルグレドに応えようと開かれた兵士の口から「何か」が飛び出して来る。そればかりでなく、視線を合わせていた両眼球も内側から弾かれたように飛び出した。その眼球を押し退け、いくつもの黒い影がエルグレドに向かって飛んで来る。


「くッ……」


 エルグレドは前面に防御魔法壁を瞬時に発現させ、兵士から飛び出して来た「モノ」を防ぐ。エルグレドの左脇に居たウラージも「壁」で「それ」を弾いたが、ピュートは「それ」を右手で掴み握った。


「これは……」


 ピュートは「それ」を確認しようと視線を右手に移す。しかし、すぐにエルグレドの声が響いた。


「総員防御! 攻撃ですッ!」


 各自が防御魔法壁で周囲を覆う。法術兵とエシャー、ミスラが「壁」を発現する中、篤樹は前方で起こった出来事に目を見開いた。


 エルグレドの正面に座り込んでいる兵士の身体が、大きく膨張したかと思うと弾け飛び、その飛散する肉片に混ざっていくつもの黒い影が広がる―――その影1つ1つが意思をもって飛び出してきた姿に……何よりそれが、篤樹にも見覚えのある外見をした虫―――「ゴキブリ」だと瞬時に理解し、身を避けることも出来ず、呆然と立ち尽くしていた。

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