第331話 スレヤーの恋愛相談1

「すっかり拍子抜けでしたわ」


 「元」探索隊の部屋を整理するエルグレドに向かい、2人掛けの硬いソファーに横になるレイラが声をかけた。


「そうですか? 変なモメ事になるよりは良かったじゃ無いですか?」


 エルグレドは、大した量では無い書類を保管用の木箱に収めると、視線をレイラに向ける。


「ウラージさんもカミーラ大使も、小楯を受け取られた段階で『用は済んだ』とおっしゃって下さったし、これで晴れてルロエさんも無罪放免、自由の身となられたのですから……」


「あの2人がすんなり『了解』するだなんて、思っていませんでしたわ! エシャーのお父様やエルに対して、また何らかの無理難題を吹っかけて来ると思ってましたのに……」


 子どものように ねた表情で語るレイラに、エルグレドは苦笑いを浮かべる。


「私に無理難題が降り注ぐことを期待されていたんですか、貴女は?……まったく」


 保管用の木箱にフタを載せ開封制限魔法を施しながら、エルグレドは言葉を続けた。


「……もっとも、あれほど『素直』に盾の返還を終えられるとは私も思っていませんでした。まあでも……」


 エルグレドは視線をレイラに戻す。


「お2人とも、他に『何かを企てる』のがお忙しかっただけ……かも知れませんけどね?」


 レイラはエルグレドの言葉に微笑を浮かべた。


「あの目は、何か企んでる目でしたわね。おじい様もエルと『再会』して以降、年甲斐もなく妙に活き活きとし始めていて、心配ですわ」


「何を企んでおられるのか……まあ、楽しみにしておきましょう! ところで、皆さんは……」


 エルグレドは保管用木箱を手に持ち、ドアに向かい歩き出しながらレイラに尋ねた。


「アッキーとエシャーは2人で出かけましたわ。ピュートはヴェディスさんのところ……ボルガイルが作った『薬』について聞きたいことがあるそうよ。スレイは東部のスラムに顔を出して来るそうですわ」


「そうですか……」


 扉を開き、エルグレドはレイラに顔を向ける。


「今日で探索隊も正式に『仕事納め』ですから、レイラさんもゆっくり過ごされて下さい」


 顔も向けずに手だけを上げて「了解」を示したレイラの姿を確認し、エルグレドは部屋を出て扉を閉めた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 あーあ……


 アイリは復興の進む壁内街区を通り抜け、1人で長城壁の内部にある商店街を物色していた。


 息抜きをして来い……って言われてもなぁ……


 ガザル襲撃後、ルメロフからゼブルンへの王位禅譲による「新王制構築」が進められている。アイリは、王妃となったミラの侍女としてこの2週間を休みなく働いて来た。新たに召された侍女たちのおかげでようやく休養日のローテーションも組めるようになり、ミラはまず初めにアイリたちへの休養を命じた。


 壁内街区はガザルと黒魔龍により、また、壁外街区はサーガの大群行によって、それぞれ大きな被害を受けた。しかし、王都民の内4万人が居住している長城壁内部街は防御壁魔法に守られ被害は皆無であった。そのため「壁内部街」自体が非常用備蓄基地の役割を果たし、長城壁内外被災者への救援物資を早急に手配出来たのだ。


 壁内街商店区を行き交う人々の数は、通常の倍以上に賑わっている。その壁内路を、アイリは特に目当ても無く北壁街から東壁街へ歩き進んで来た。


 チロルはどこに行ったんだろう? オレにまで素性を隠してたなんて……あの馬鹿……。ミラさまの御様子だと、無事に過ごしてはいるみたいだけど……もう会えないのかなぁ……


 信頼していた侍女仲間のチロルが「情報屋」の内通者であったと知った時、アイリはその事実をにわかには信じられなかった。そして、王城からの地下脱出路を抜けた後、自分が知らなかった「大きな作戦」を聞かされた。チロルはその後、父であるオスリムのもとへ行き侍女の職を解かれたと聞く。理解が追い付かなかったが、とにかく自分は「侍女としての務め」に専念することで心の平静を保つように心がけていた。


 息抜きどころか……かえって余計なことまで考える時間が増えちゃいましたよ……ミラさま……


 通路の壁際に置かれている休憩用ベンチに腰掛け、アイリは深いタメ息を吐く。「雑踏」と呼ぶに相応しい多くの人々をボンヤリと眺めていると、行き交う人々の隙間から、少し離れたところに雑貨屋の店先が見えた。以前、篤樹へのプレゼントを買った店だ。


 アツキ……


 意識的に頭の一番隅に追いやっていた「想い」が、突然、胸の中に広がる。初めから「別世界の人間」だと分かっていた……篤樹はミラの「客」であり、自分はただ、ミラの指示で客の世話をする「侍女」に過ぎない……それなのに……


 あーっ! ダメだ! また考えちゃってるよ、オレ……


 アイリは目を閉じ、頭を左右に激しく振りながら自分の頭をポカポカと叩く。その間も、何とも言えないモヤモヤとした思いが心の中に広がって行く。


「なぁにやってんだぁ? アイリちゃんよぉ」


 突然、自分の名を呼んだ男性の声に、アイリはハッとして目を開き顔を上げた。そこには、赤い軍服と外套を羽織った大柄な男性……親し気な笑みを浮かべるスレヤーの姿があった。


「ス……レヤー……さま? え? あ……どうして……」


「ん? ああ……東部のスラムに行ってたからよ。戻りは、散歩がてら、壁ん中を歩いてこっかな、ってな? 一緒に帰るかよ?」


 スレヤーからの笑顔の誘いに、アイリは一瞬躊躇したが、誘いを受け入れ、ベンチから立ち上がった。



―・―・―・―・―・―・―



「…… はたから見てて、バレバレだったけどなぁ……」


 壁内街商店区の端に在る飲食コーナーで、スレヤーとアイリは丸テーブルを挟み、向かい合って話していた。アイリはフルーツのスムージーを、スレヤーは珈琲と似た「ピピ」をそれぞれの前に置いている。


「そんなに……バレバレでしたか?」


 スレヤーの言葉に、アイリはショックを隠せない表情で尋ねた。アイリの様子を気遣ったスレヤーの提案で、この飲食コーナーに立ち寄り、話の流れからアイリは思いのたけを全て告白したのだ。


「んあ?」


 スレヤーは、一旦口に運ぼうとしたピピを下げる。


「まあ、俺の嗅覚じゃ、ミラさんもチロルちゃんもフロカも、アイリちゃんの気持ちは分かってたんじゃないかぁ? ただ、アッキーは気付いて無ぇだろうなぁ……ヤツぁ、超が付くほど鈍感なとこ有っからなぁ……。そこんとこは成者っつっても、まだガキだからなぁ。……あ、それとユノンちゃんもな? あの子はお仕事に夢中で、そんなとこにまで気は向かんだろうよ」


 冗談を交えて気をほぐそうとしたが、アイリはそれどころでは無い様子だ。


「……ど……どうしよう……オレ……ミラさまの『 賓客ひんきゃく』に……」


 侍女の身でありながら客人に対する一線を越えた感情を持つことが、ミラに対する「背信」では無いかという後ろめたさをアイリは今まで抱えていた。しかもその「思い」がミラにもバレているというスレヤーの読みに、アイリはかなりのショックを受けている。


「アイリちゃんよぉ……」


 その様子に、スレヤーは苦笑いを浮かべながら言葉を続けた。


「他の王妃さんたちだったら分かんねぇけどよ、ミラさんだぜ? お前ぇさんがアッキーの事を……まあ、なんてぇかな……特別な感情で見ているってのが分かってても、温かく見守ってくれるお人じゃ無ぇかよ? 信頼出来る王妃さんだろ?」


 スレヤーはそこまで語ると、お預けにしていたピピを口に運んだ。アイリは自分の目の前に置かれているスムージーをジッと見つめながら、気持ちを落ち着ける。


「ま、なんて言うか……」


 ピピのカップをテーブルに置き、スレヤーは落ち着いた声で語りかけた。


「消化不良なんだろうな、お前ぇさんの『モヤモヤ』ってのは」


「え? 消化……不良ですか?」


 アイリはスレヤーの言葉の意味が分からず、キョトンと聞き直す。スレヤーは口の端を上げ、軽くうなずく。


「アッキーのことを好きになっちまったってぇ、そんな自分の気持ちさえ飲み込み切れて無ぇ。立場だとか、周りとの関係だとか、そんなもんに気ィばっか遣って、自分の気持ちをアッキーに伝え無ぇまんまで終わろうとしてる。んでも、ホントにそのまんまで良いのかってのも確信が無ぇ……だから『消化不良』でモヤモヤしてんじゃねぇのかい?」


 スレヤーの言葉に、アイリは申し訳無さそうに視線を落とした。


「そうかも……知れません……。でも!……アツキにはエシャーさんが居るし……」


「んだよ? やり合う前から敗北宣言かよ?」


 静かで力強いスレヤーの声に、アイリは視線を上げる。


「アッキーとエシャーちゃんがどうだとかってのは関係無ぇだろ? アイリちゃんがアッキーを好きだって気持ちにはよぉ……。それに、あの2人だって、別に『恋仲』って関係じゃ無ぇんだから、お前ぇさんが1人で悶々と消化不良抱える必要も無ぇだろが?」


 アイリはジッとスレヤーの目を見る。スレヤーはニカッと笑みを向けた。


「しっかり自分の腹ん中に飲み込んでよぉ……んで、キッチリ消化させにゃあ、ツラいだけだベ?」


「……はい……そうですね! うん! オレはアツキが好きだ! この気持ちを伝えたい!……はい! 飲み込みました!」


 抱えていた思いを吹っ切ったアイリは、満面の笑みをスレヤーに向けた。

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