第330話 部隊再編

「お帰り……アッキー……」


 エシャーはうつろな瞳で、篤樹の横顔を嬉しそうに見つめている。血と法力を注ぎ過ぎたエシャーには、もはや篤樹を泉から引きあげるだけの体力も残っていない。


「おい!」


 スレヤーは「見えない壁」を叩こうと、握り締めた右手を前方に振り降ろした。しかし、泉を囲んでいた制限魔法の「見えない壁」もすでに消失していたようで、スレヤーは変な姿勢で前につんのめる。


「おわっ……とっと、おい! 大丈夫か?! アッキー!」


 危うくの転倒を踏み止まったスレヤーはそのまま態勢を立て直し、急いで泉に浮かぶ篤樹を引きあげた。


「リヨン!」


 ゼファーが法術士の男に声をかける。


「あ、ああ! えっと……どっちから……」


 リヨンと呼ばれた法術士は2・3歩前に進み、困惑顔で振り返るとゼファーに指示を仰ぐ。


「ルエルフを先に!」


 ピュートが即座に指示を出した。リヨンは急いでエシャーに駆け寄り屈むと、すぐに治癒魔法を始める。


「わた……し……より……アッキー……を……」


 篤樹に伸べようとするエシャーの手が床に落ちた。そのままエシャーは意識を失う。


「……カガワはゆっくり診ても大丈夫だ。ルエルフの法力を使って、湖神が8割以上回復させてる。後は……クッ……ガハッ!」


「おい! ピュート!」


 淡々と語っていたピュートが、突然苦しそうにむせ返った。口から血の塊が吐き出されるの見、スレヤーが慌てて脇に駆け寄り支える。


「どうしたんだよ、お前ぇ! どっかやられてんのか?」


 スレヤーはピュートの身体をサッと確認した。しかし、あちこちに傷があるのは見てとれるが、大きな怪我は一見して分からない。支えていたピュートの膝がガクッと折れる。


「お、おい! ピュート! クソッ……何だよ一体……おい、リヨン!」


 エシャーの治癒魔法に当たっているリヨンに、スレヤーは助けを求めた。


「ちょっと待て! こっちは……急がないとマズいんだ!」


 想像以上の失血と法力放出で、リヨンはエシャーの治癒魔法から手も目も離せない状態だ。


「キリト! もう1人……いや、あと2・3人法術士連れて来い!」


 ゼファーの指示でキリトは部屋から飛び出そうとしたが……


「な、なんだよ! お前ら!」


 それぞれの「患者」に目を向けていたスレヤーたちは、キリトの怯え切った声に反応し部屋の入口に視線を向ける。


「なぁんだ……せっかくの初仕事だったのによ……」


 左目に茶革製の眼帯をつけ、内調の外套を着た40代半ばの男がキリトの目の前に立っていた。その横には同じく内調の外套を着た小柄な女性……いや、少女の姿がある。スレヤーは呆然として、目と口を開く。


「スレヤーさま……私が……」


 駆け寄って来た内調服の少女……チロルは、スレヤーの腕からピュートを引き取り、ゆっくり床に寝かせる。


「あ……え? あれ? チ……チロル……ちゃん?」


「そいつの服ん中を探れ! 小箱に入った薬があるはずだ。1粒飲ませてから治癒をやれ!」


 指示を出した男に、スレヤーは目を向けた。


「テ……メェは……ボルガイルんとこの……」


「ベガーラだ! 覚えろや、馬鹿犬」


 口の端に笑みを浮かべたベガーラは、いまだに膝立ちで呆然とするスレヤーを見下ろす。


「さぁ……これを……」


 脇でピュートを診始めていたチロルの声にスレヤーは視線を戻した。ベガーラに指示された薬をピュートの口に含ませると、チロルは法術を使い薬を喉の奥へ誘導し飲み込ませる。そのまま手をかざし、その他の傷具合を確かめ始めた。


「どうします? 隊長……」


 スレヤーが見たことの無い若い内調隊員の男が、部屋の様子をうかがいながらベガーラに尋ねる。


「そうだなぁ……」


「アツキさま方をお助けした後、速やかに撤収。次の仕事の準備に取り掛かりましょう」


 ピュートの身体の傷数ヶ所を同時に法力治癒させながら、チロルがベガーラより先に応じた。


「な……おい、小娘! テメェ、俺が隊長だって決まっただろうが!」


「私はあなたの『監視役』ですよ、ベガーラ隊長! 有事の臨時指揮権は私に付与されています! この場は私が指揮をします!」


 チロルは りんとした声で宣言すると、ピュートの状態を再度確認し立ち上がった。


「スレヤーさま……こちらの方は意識を失っているだけです。すぐに目を覚まされると思いますので……あとはアツキさまですね……」


 そのままチロルは篤樹の横に腰を落ち着け直す。その姿を見ながらスレヤーはヨロヨロと立ち上がると、ベガーラの前に歩み寄る。


「お……めぇら……一体……」


「ヴェディス会長からの指示で、徘徊する残党サーガの棲家を探っていたんだよ。……まさかテメェらとブッキングしてるとは思わなかったがな」


 ベガーラはニヤニヤしながら答えた。


「スラムのヤツラが今回の騒乱に乗じ何かを企んでる……そう踏んでたんだがな……『表』で捕まえた軍部の せ男に聞いたら、事情が違うじゃねぇか。そうしたらよ、この小娘が勝手に突入しやがって……」


「スヒリト大尉からの情報で、スレヤーさまたちがおられると……それに、アツキさまの帰還路らしきものが見つかったと聞きましたので……」


 未だ意識の戻らない篤樹への治癒魔法を施しながら、チロルが穏やかに応えた。


「そっ……か」


 スレヤーは軽くうなずいた。


「で? なぁんでチロルちゃんが内調に……しかも、こんなヤツと組んでんだぁ?」


「侍女としての務めは終了しましたから……『父』に願い出たんです」


「親の七光りで入って来んじゃねぇよ……」


 チロルの返答にベガーラがポツリと呟く。その言葉を無視し、スレヤーが尋ねた。


「よう、ベガーラさんよぉ……ピュートに飲ませたあの薬……ありゃ、何だ?」


「ん? さあな?」


 ベガーラはスレヤーに目を向ける。


「詳しいところは聞いてねぇ。ただ、ボルガイルがピュートに言ってたんだよ。『お前の身体を維持するためにはこの薬が欠かせない』ってな。一緒に居る間、2日に1回くらいの頻度で飲んでたのを見たし、前に飲み忘れた時も、突然口から 血反吐ちへどはいてやがったから、今回も『飲み忘れ』じゃねぇかって思っただけだ」


 スレヤーは視線をピュートに向けた。


 小生意気な最強法術士さんは、病気持ちだった……ってことかい……



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 王都中央軍部基地内に臨時で設けられた「王政府」のためのフロア―――そのフロアに充てられた『エルフの小楯回収特別探索隊室』に、エルグレドとスレヤー、そして、レイラの3人は集まっていた。


「そうですか……」


 スレヤーからの報告を受けたエルグレドは、机上に置かれている「エルフの守りの小楯」に視線を落としながら応える。


「恐らく、時間の流れの違うルエルフ村とこちらとの『時差』によって、ピュートくんの『病気』が急激に悪化したんでしょう……湖神様の法力が乱れていたとは言え、村とこちらでは10倍の時差があるそうですから……」


「ガザル細胞との適応障害とか拒否反応じゃねぇかって、ベガーラのヤツは言ってましたけどね。何にせよ、思わぬ『爆弾』を、ピュートは身体に抱えてるってことっすね」


 スレヤーの補足に、エルグレドはうなずいた。


「それにしても……」


 机上に置かれた小楯を指先で軽く弾きながら、エルグレドは椅子から立ち上がり、硬いソファーに並んで腰かけるレイラとスレヤーに近付く。


「あの2人……まさかこれほどに早く帰って来てくれるとは……正直驚きましたね」


「……まだ意識は回復しないのかしら……」


 エルグレドの明るい口調とは裏腹に、レイラが深刻そうな声で尋ねる。


「エシャーちゃんは大丈夫でしたよ」


 その問いに、即座にスレヤーが応じた。


「出血量と法力放出量が多かったんで、もうしばらくは安静だろうって言われてましたが、意識は回復してました。アッキーは、湖神様とチロルちゃんの治癒魔法で身体の傷は完治してますし、後遺症も無いんで意識さえ回復すりゃすぐにでも動けるらしいです。ピュートは……1回目を覚まして、ザッとの報告だけ俺に伝えた後……『疲れたから寝る』っつったっきり起きやがらねぇんですよ。担当の医療法術士に聞いても『寝てるだけですねぇ』って言われてて……」


「まったく! 困った子たちだわ!」


 レイラが溜息混じりに大きく抗議の声を上げる。


「ちょっと目を離した隙に勝手に村に行っちゃったかと思えば、大怪我をして帰って来たり、スレイの言う事も聞かずに血と法力を泉に垂れ流したり……大事なお薬もまともに飲まなかったり……お子様どころか、言葉の通じない赤んぼうですわよ!」


 語気と言葉の割には、安心感と温かみが込められたレイラの「抗議」の声に、エルグレドは静かな笑みを浮かべ応えた。


「そうですね……3人とも、ゆっくり休んで元気になられたら、しっかりと厳しく教育し直す必要がありますね」


「ですわよ! エルの拘束魔法で固めて、朝から晩までしっかり怒鳴りつけてやりますわ!」


「そりゃ、堪えるでしょうねぇ!」


 レイラの提案に、スレヤーも苦笑いで同意をする。3人はようやく、安心した笑みを互いに向け合った。


「……とにかく……無事で何よりでした」


「あら? 無事とは言えませんわよ?」


「ま、明日にゃあ、全員、起きて来られるでしょうや!」


 3人は改めて目を細め、現状の喜びを確かめ合う。


「明日……」


 エルグレドの言葉の始まりに、レイラとスレヤーは「特別な空気」を感じ取り視線を向けた。


「メンバーが全員揃った時点で、この盾をウラージさんに返還します。その時点で、探索隊は解散となります」


 2人の視線が自分に向けられたまま、特に意見が出されないのを確認すると、エルグレドは話を続けた。


「私はガザル追撃の先遣隊に同行するよう、王からの勅令を受けました。同行メンバーは一任されています。出来れば……」


「私は辞退しますわ、隊長さん」


 話を断ち切る鋭さでレイラが口を開いた。エルグレドはジッと視線をレイラに向け言葉の真意を測る。レイラは柔らかな笑みを浮かべた。


「私、『もうひとつ』のほうに思いが向いていますの」


「は? レ、レイラさん……何を……」


 隣に座っているレイラに、スレヤーは身を乗り出し声をかける。


「そうですか……『黒魔龍』のほうへ?」


 エルグレドはレイラの真意に気付くと、うなずき微笑んだ。


「ああ……そういうこってすかい」


 スレヤーも納得し、腰を落ち着け直した。


「わかりました……ではレイラさんは、別動隊ということで……」


「あら? 私だけ?」


 エルグレドの言葉に被せ、レイラが顔を横に向ける。


「御一緒にいかが? スレイ」


「えっ!」


 思わぬ誘いにスレヤーは本気で驚き、言葉を失う。その様子を、エルグレドは失笑し見守る。


「あなたが一緒だと、何かと楽しくてよ? スレイ」


「マ……マジっすか! はいっ! ついて行きます! 俺ぁ、レイラさんにどこまでもついて行きます!」


「では……」


 エルグレドは2人の話がまとまったのを確認すると、ひと息を吐き話を続けた。


「ゼブルン王には私からその旨お伝えし、正式な許可をとっておきましょう。……それぞれの働きが無事に終えられることを信じて、今夜は前祝いに飲みにでも行きますか?」

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