第321話 篤樹の匂い

 狭い路地に建つ家の角をエシャーが曲がると、すぐ目の前にスレヤーの背中が見えた。エシャーは歩調を緩め、スレヤーの横に立つ。


「さすがだねぇ、エシャーちゃんのクリング操作は!」


 スレヤーは右手で握る剣を真っ直ぐ伸ばしている。剣は……黒光りする身体を痙攣させているゴブリン型サーガの心中を背後から貫いていた。地面に落ちているクリングをエシャーは拾い上げる。


「スレイって、時々、メチャクチャ走るの速いよねぇ。法力強化使ってるワケでも無いのに……」


 エシャーが感心した声を出すと、スレヤーは剣をひとひねりしてサーガに止めを刺し、引き抜いた。身長150センチほどのゴブリン型サーガは、身体の前面から地に倒れる。


「10メートル程度の短距離までならな」


「おっとぉ……」


 遅れて駆けて来たスヒリトたちが、角を曲がり立ち止まった。


「やったのか?!」


 ゼファーは尋ねた後で、地面に倒れているゴブリン型サーガに気が付く。


「こんなすばしっこいヤツを……凄いな、お嬢ちゃん」


 キリトがエシャーに向け、惜しみない賛辞を贈る。


「チョロチョロとすばしっこいサーガは、考える前に倒すのが鉄則……レイラから教えてもらったから……」


 エシャーは笑みを浮かべてキリトに振り返った。


「それにしたって……」


 ゼファーは驚きの表情のまま、黒霧化を始めたサーガを見下ろし口を開く。


「建物の陰に身を隠してるゴブリン型を、クリングで攻撃って……凄ぇ嬢ちゃんだな……」


「この子は強いぜ!」


 スヒリトが得意気に話に割って入る。


「なんてったって『小人の 咆眼ほうがん』まで使えるし、法術のセンスも高い! 相当上位の法術士でも敵いっこ無い、スーパー法術士だぜ!」


「……ったく、ヒリーちゃんよぉ……」


 スレヤーが呆れたようにスヒリトを見た。


「少しは『成長』したのかと思ったけど、相変わらず『虎の威を借る狐』根性丸出しじゃねぇか……」


「にしても……相変わらずだな」


 ゼファーがスレヤーの剣に視線を向けたまま語る。


「お前ぇの剣の速さもよぉ。いくらクリングで足止めキメてたって、ゴブリン相手に心中ずらさず一突きなんてなぁ……今のこの街にゃ居ねぇよ」


「あ? 気持ちの悪ぃお世辞なんかよせやい……あと3匹は?」


 スレヤーはゼファーの賛辞を軽くかわし、顔を上げ周囲を見回す。そう離れていないところから悲鳴や怒声が聞こえて来るが、入り組んだ狭い路地裏では周囲の建物が邪魔で場所を特定し辛い。


 エシャーも顔を上げて周囲を見回し、意識を集中する。突然、ハッと驚きの表情を見せた。その変化に気付かず、キリトが口を開く。


「こっちからの道が早いだろう。あっちにトロル型が……」


「アッキーっ?!」


 指さして説明を始めたキリトを背後から突き飛ばし、突如エシャーが駆け出して行く。


「なんだぁ?!」


 ポカンとその背を見つめるスレヤーの鼻がヒクヒクと動き、みるみる口角が上がっていく。


「おおっと! どうしたってんだ、こりゃあ!」


 叫ぶと同時に駆け出したスレヤーに、キリトはヨロける身体を完全に弾き飛ばされ建物の壁にブチ当たる。


「あいつら……一体……どうしたってんだ?」


 地面に尻もちをつくキリトにスヒリトは手を差し伸べながら、視線だけはスレヤーの背中を追っていく。


「あ……とにかく……俺たちも行くぞ?」


 ゼファーの提案に、スヒリトとキリトは呆然とした表情のままでうなずいた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「エシャーちゃん、どっちだ?!」


 4つ角に立ち方向を確認しているエシャーの背に向かい、スレヤーが駆け寄りながら声をかける。


「えっと……あっち? かな……」


 追いついたスレヤーに顔を向け、エシャーが自信無さげに首をかしげた。エシャーの指さす正面方向と、右手方向交互にスレヤーは顔を向け鼻をヒクつかせる。


「……薄いなぁ」


「でも、絶対にアッキーだよ!」


 2人はそれぞれに感じる「篤樹の気配」を確認するようにうなずき合った。


「よしっ! エシャーちゃんは真っ直ぐ行ってから2本目を右、俺ぁ、こっちから行って左に曲がるから、途中で合流な? ヤバかったら大声で呼べよ!」


 説明の途中で駆け出して行くエシャーの背に、スレヤーは大声で呼びかける。エシャーは右手を伸ばし、了解の意を背後に見せた。即座にスレヤーも右の道へ駆け出す。


 アッキーの匂い……なのは間違い無ぇんだが……薄いな。にしても、何でこんなとこで……


 予定していた交差路を左に曲がると、スレヤーの目の前に何かが吹き飛んで来た。


「おっ……とぉ!」


 それが「人間」だと瞬時に判断し、スレヤーは避けるよりも抱きとめる。


「どうしたぁ?! 大丈夫か……よ……」


 両腕で抱きとめた男に声をかけながら前方状況を確認したスレヤーの目に、数人の男たちの背中と、その先に立つ灰色の巨体……トロル型サーガの姿が飛び込んで来た。


「……なぁんでアイツから、アッキーの匂いがしてんだぁ?」


 スレヤーは抱きとめた男をゆっくり道の端に下ろしながら、興味深げにトロル型サーガを凝視する。右腕の無い灰色巨体のトロル型サーガは、残っている左腕1本で周囲に迫る男たちを殴り飛ばしていた。


「……ま、トロル型じゃあ、話を聞かせてもらうワケにもいか無ぇか……」


 鞘に収めていた剣を抜き、スレヤーはゆっくり前に歩き出した。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 廃墟や瓦礫の山と化した村人の家屋に身を隠しながら、ピュートはルエルフ村の斜面を下って行く。そのルートを後ろから辿り、篤樹も10メートルほどの間隔を空けてピュートを追いかける。


 ん? どうしたんだろ?


 赤い尖塔屋根のシャルロの家まであと数十メートルほどの廃墟の陰で、ピュートの足が止まった。建物が邪魔になり、篤樹からはピュートが何を警戒しているのかが分からない。しばらく様子を見ていたピュートが、篤樹に静かに近づくようにとハンドサインを送って来た。


「……獣人型だ」


 指示通りに駆け寄り横に屈み込んだ篤樹に、ピュートが建物正面を指さし情報を伝える。


 湖岸を周回する道の端に、誰かが倒れている姿を確認した。上下服を身に着けているのが分かる。かなり大柄な大人の男性にも見えるが、時折り吹く湖面からの風に揺れる頭部の長い体毛と、その間から伸びている「耳」は明らかに人間やルエルフとは違う位置にある。


「死ん……でる?」


 サーガの中には……特に獣人型には「黒霧化」しない個体も居る。篤樹はこれまでの経験から、視界に映る獣人が「死体」である事を期待した。


「……分からない」


 ピュートは地面に手をつき、わずかに使える法力で慎重に探知を続けながら首を横に振る。


「目視では死んでるように見える……だがサーガは元々『生気』が無いからな。活動を停止しているだけじゃ、まだ動くのかどうか目視だけで判断するのは難しい」


「そ、そうなんだ……」


 冷静に分析するピュートに、篤樹はうなずくほか無い。


「……頭部側から俺が回り込む。カガワは少し間を置いて足側から近付け。ヤツが動いたら、すぐに後ろからその剣で倒せ。俺の槍じゃ、良くて相打ちにしか出来ない」


 柄の短い槍に目を向け、ピュートが篤樹に指示を出す。


「分かった……その作戦でいこう……」


 「この世界」での戦い方に関して、篤樹はピュートの経験値と実力を認め素直に従うほかは無い。異論は無かった。問題は……


「迷うなよ、カガワ」


「お、おう! 大丈夫……だよ?」


 森の中では「襲われる側」として、突然の襲撃にも無我夢中で戦いながらここまで来た。でも今は、自分たちが「襲う側」になっている。その立場の違いから、篤樹の気持ちがグラついているのをピュートは見逃さなかった。


「・・・」


 さらに決意を確認するように、ピュートは篤樹の目をジッと見つめる。篤樹は表情を引き締め直した。


「大丈夫……もし、アイツが動いたら……絶対に俺が倒すよ」


「……しっかりな」


 ピュートは短槍を左手に持ち替え、手近な石を右手で拾うと、建物の裏側へ移動を始める。篤樹は建物の反対側からピュートが姿を現すのを待つ。数秒後、建物の裏から回り込んだピュートが湖岸周回道を横切り、未だに動き無く倒れているサーガの頭部側に近付いて行く。


 よし……


 篤樹は一度深呼吸をすると両手で成者の剣の柄を握り締め、サーガの足元側に近付き始めた。


 黒と赤と濃紺の空の下、墨汁のように真っ黒な湖へ歩を進めると、湖面の風に起こされた波音が「チャプン……チャプン……」と断続的に聞こえて来る。背後から吹き抜けた風に、篤樹は一瞬身震いをする。


 湖岸そばに倒れている獣人型サーガを、頭部側と足部側から挟む形で2人はゆっくり近づく。先に足を止めたのはピュートだった。篤樹は剣を中段に構え、ピュートとアイコンタクトを取る。ピュートはうなずくと右手に握る小石を構え、サーガの頭部に投げつけようとした。

 直後、サーガは身体を回転させて起き上がり、そのまま「篤樹に向かって」飛びかかって来る。


「肉だぁ!」


 獣人型サーガは大型犬のような大口を開き、篤樹の喉元目がけ襲いかかって来た。しかし、不意を突かれた形になったにもかかわらず、篤樹は慌てて身が縮むことは無い。


『お前ぇさんの世界が、どんだけ平和で安全な世界なのか、俺ぁ知ら無ぇけどよ……。殺す気で襲って来る相手ってぇのは、たとえ指1本しか動か無ぇ状態になっても、命を狙う攻撃をしてくるもんだぜ?』


 耳に残っているスレヤーの言葉が篤樹の集中力を高めていた。獣人族特有の瞬発力も、成者の剣で法力強化された篤樹の動作の前では4士級剣士ほどの速さにも劣る。


 篤樹は成者の剣を水平に倒し、飛びかかって来たサーガの右横を「抜き胴」の形ですり抜けた。獣人型サーガは、自分の身体が上下に斬り分けられたことを正しく認識する間もなく地に投げ出される。


 背後を確認すること無く、篤樹は剣を水平に握って立ち止まったまま、大きく肩で息をついた。


「……お見事。さすが、伝説の剣だな」


 正面に立つピュートの視線は 成者しげるものつるぎに向けられている。その声に反応し、篤樹は苦笑いを浮かべ体勢を戻した。


「そうだな……凄い剣だよ……」


 篤樹は左手一本に成者の剣を持ち、ゆっくり前に進む。法力強化に優れるガザルを「斬る」ことは剣の形状的に出来なかったが、普通のサーガ相手であれば真剣どころでは無い切れ味を見せる剣を心強く思う。


 俺が「 躊躇ちゅうちょ」さえしなきゃ……だけどね……


 竹刀形状の成者の剣に視線を向け、篤樹はもう一度大きく息を吐いた。

 ふと視界に入ったピュートの口元に一瞬笑みが浮かんだ気がしたが、改めて確認しようとした時にはいつもの無表情に戻っていた。


「……風のせいで、カガワの匂いを先に感じ取ったんだろう」


 並んで歩き出すと、すぐにピュートが所見を述べる。


「え?」


 言葉の意味が分からず篤樹が訊き直すと、ピュートは不思議そうに顔を向け首をかしげた。


「風がカガワの匂いを獣人に運んだ。だからアイツは俺では無くカガワを狙った。予定は変わったが、上手く行って良かったな」


「あ、ああ……うん……」


 えっと……それって……俺が何か「臭う」ってこと?


 会話を打ち切って歩み続けるピュートの1歩後ろに下がり、篤樹はそれとなく自分の服をつまみ、匂いを嗅いでみた。

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