第318話 変貌

 ルエルフの森に取り残され潜んでいるサーガに注意しつつ、篤樹とピュートは小一時間ほどかけ森の「傾斜」を上り進んだ。周囲の木々の間隔が段々と広がり、下草も少なくなり見通しも良くなって来る。


「安心した。法力強化も、だいぶ慣れて来たな」


 ほぼ横並びで歩むピュートが篤樹に語りかけた。


「……まあ……ね……」


 篤樹はあいまいに答える。森に入って以降、ここまでに7体のサーガと遭遇した。最初の「ホビット型」を倒した後、ピュートから「法力呼吸」に意識を向けるようにアドバイスを受け、篤樹はエルグレドから教わった呼吸法を心掛けて移動した。そのおかげで、2体目以降との戦いではガザル戦の時に感じた「身体機能の法力強化」を実感しながら、冷静に集中して戦うことが出来た。


 ガザルによる「統制力」も失われているおかげで、サーガも単体行動しかとっていないことが幸いだった。狂暴ではあるが「人格ある敵」ではなく「獲物を狙う猛獣」のように襲って来られることで、篤樹も「身を守るための反撃」として自然に身体が動いたことも幸いだった。


「あ……」


 突然目の前がひらけ、森の「端」に辿り着いた事を知る。


「ここが……ルエルフ村か?」


 篤樹の横にピュートも立ち止まり、すり鉢状に広がるルエルフ村を見下ろしながら尋ねた。


「う……ん……。そう……だけど……」


 目の前に広がっているルエルフ村の異変を前に、篤樹は言葉につまる。エシャーに連れられ初めて村を見た時、青いガラスのように輝く湖が印象的だった。濃淡散りばめられた草木の緑が美しい丘陵地を敷き詰め、突き抜けるような青空と、薄く白い雲が流れる景色に感動を覚えた。湖岸や丘に点在する家々の姿を見て、まるで、テレビで観た「スイスの山奥の村」のように美しいと思った。


 その記憶にあるルエルフ村と、いま目の前に広がっている景色が同じ村だとは……すぐに認めたくない。


 湖は黒く濁り、まるで墨汁のようだ。丘の斜面の草木も枯れ、茶色い枯草と剥き出しの地面が広がっている。家々はほとんどが崩れ落ち、空は臨会の地と同じ「濃紺と黒と赤のグラデーション」に覆われている。


「湖神の力が崩れてるのか……まるで『 黄泉よみ』だな」


 先生の……力が……


 ルエルフ村が湖神……クラス担任の小宮直子により創られ保たれている「特別な空間」であることを篤樹は改めて思い出す。目の前の異様な風景は、直子の「力」が弱まっていることの証しだろう。


「カガワ……ルエルフの『 おさの家』はどこだ?」


「え? あ……ちょっと……待って」


 篤樹は気持ちを切り替え、情報収集に意識を移した。村を見下ろし、全体を見渡す。


「えっとぉ……湖の向きが……ん? ゴメン……目印が……」


 一度見ただけの景色で、目印となるモノもすぐには思い出せない。空も異様な色で、方位も分からず篤樹は焦った。


「あっ!」


 しかし、見下ろす湖の対岸、ちょうど真ん中ほどに桟橋のような造形物を見つけると、一気に脳内で村の地図が整えられていく。


「ほら、あれ! 見える? 湖の向こう側の……」


「……桟橋か?」


「そう! あれが『臨会の橋』なんだ! 本当なら、あそこの桟橋のとこに出るはずだったんだけど……。そっか……ってことは……向こう側が『北の森』だ!……で、北を背にして左が東……だから……こっちの森が南で、右側が『東の森』、んで、左側が『西の森』!」


 篤樹は次々に指さし、方位を確認しつつ説明する。


「えっと……エシャーの家は……あの西の斜面の……見える? 中腹にある家……」


 村の配置が分かったことで喜びの笑みを浮かべ視線を移した篤樹だったが、エシャーの母エーミーの笑顔と、家に残されていた血のついた服を思い出し、自然と表情が引き締まる。


「ルエルフの家は別にいい。 おさの家はどれだ?」


 ピュートにとって、ルエルフの村で関心があるのは「エルフの守りの小楯」だけだ。その在り処と聞いている「ルエルフの長シャルロの家」以外に興味は無い。そのことは篤樹も了解している。自分たちが今、やらなければならない使命は……


「良かった……シャルロさんの家は無事みたい。あのさ……あれ、分かる? 赤いとんがり屋根の家……湖の西側に……ほら!」


 篤樹はピュートの顔の前に自分の左腕を伸ばし、指先でシャルロの家を示す。ピュートはすぐに説明されている家を目視した。


「分かった。あの赤い 尖塔屋根せんとうやねの家だな?」


 ピュートも右腕を伸ばし、指先で示しながら篤樹に確認をとる。お互いにシャルロの家を確認し終えた事をうなずき合い伝えると、ピュートは村全体を見渡した。


「村の中にサーガはいないな……」


 焼け落ちた家々からの焦げた匂いが、時折、風に流され漂って来る。風に揺らぐ枯草や木々は目につくが、ピュートが言うようにすり鉢状の村内に動く者の姿は無いように見える。


「奴らも、何かを喰わなきゃ肉体を維持出来ない。獣を求めて森に散っているのかもな……それか、大部分はすでに黒霧化したか……」


 ピュートは視線を上げ、村を囲む森をグルッと見渡した。


「『上』から丸見えだ。見つかれば『狩り』に出て来る奴もいるかもな……。慎重に進むぞ」


 法力がほとんど封じられているとは言え、内調仕込みのピュートの身のこなしは心強い。シャルロの家までの移動はピュートを先頭にし、篤樹はその動きを真似しながらついて行くことにした。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「さぁて……と……。ヒリーのヤツぁ、どこだぁ?」


 スヒリトと合流するため、ベルニコからの指示に従い長城壁外東部街区復旧部隊軍営の指定場所まで移動して来たが、周囲には軍服を着た兵士以上に避難している民間人のほうが多い。


「難民収容区域で誰かに聞けば、すぐ分かるって言ってたけど……」


 エシャーも周囲をキョロキョロ見回し、スヒリトの姿を探す。ちょうど近くに軍服姿の兵士を見つけ、エシャーは声をかけた。


「あの……」


「ん? どうし……あっ! スレヤー隊長殿!」


 まだ若い兵士はエシャーに応じ始めた途端、スレヤーに気付き最敬礼を示す。スレヤーは面倒臭そうに略礼で応じた。


「あの、自分は、スレヤー隊長殿に憧れて軍に志願しました! 現在、剣術隊初等訓練課程ですが、いつかは特剣隊に……」


「ストーップ!」


  せきを切ったように満面の笑みで語り出した若い兵士を、ウンザリ顔のスレヤーが両手を開いて制止する。


「俺ぁ、今はただの『伍長』だよ! 特剣隊長じゃ無ぇ! だからその『隊長殿』って呼び方はヤメてくれ! それと、お前ぇさんの精進についちゃあ、是非とも頑張ってやんなさいって激励で終わり、な? で、こっちの用なんだけどよ、ちと人探しをしてるんだわ」


「人探し……ですか?」


 尚も、興奮した笑顔でスレヤーを見上げながら、兵士が尋ねる。


「おう! スヒリトの野郎、ここに居んだって?」


「え? スヒリト大尉ですか? はい、あちらに……」


 若い兵士はスレヤーの「不敬な言葉」に目を白黒させながら、右手の人差し指で3張り先のテントを示した。2人がその指さされたテントに目を向けた時、ちょうど中からスヒリトが数名に囲まれ出て来た。


「なん……だ……ありゃ……」


 しかし、スヒリトの姿を確認したスレヤーは、唖然とした表情で呆れたように呟く。


 スヒリトに肩車をされた4歳くらいの幼い少女が、両手を上げて楽しそうにはしゃいでいる。スヒリトの軍服を握って歩く8歳くらいの少年も、楽しそうに顔を上げて何かを話している。若い兵士数名、そして、20代半ばくらいの救援支援員らしき女性も和気あいあいといった雰囲気だ。何より、スヒリトの充実した笑顔にスレヤーはポカンと口を開けた。


「あっ! ちょうど良かった! スヒリト大尉、お客様です!」


 スレヤーの真横で若い兵士が大声で叫ぶ。声に気付いたスヒリトは、充実した笑顔のままゆっくり体を向け直し……みるみる笑顔が引きつっていく。


「な……あぁ?! スレ……なんで、お前がここに……」


 スヒリトは明らかに嫌悪のこもった、悲鳴のような口調で応える。周囲の者たちも一斉にスレヤーたちに顔を向けた。


「あ? んだテメェ……」


 スヒリトの声に、スレヤーも不快な声で応じそうになったが、右腕をエシャーから引っ張られ言葉を切る。


「ん? どしたよ……」


「スレイ、ダメだよ! ちゃんと『礼儀正しく』して上げて!」


 真剣な目で訴えるエシャーの言葉に、スレヤーは小首をかしげた。


「何の用だと聞いてるんだ、スレイ!」


 尚も不審者に構えるようなスヒリトの声が路地に響く。スレヤーは一瞬、鋭い視線をスヒリトに向けた。しかし、再びエシャーから腕を引かれ、仕方なく溜息をつくと、姿勢を正しスヒリトに敬礼を示す。


「お忙しい所、申し訳ございません、スヒリト大尉! 当軍営地担当指揮官ベルニコ大佐よりの指令通達に参りました!」


 スレヤーの「真面目な姿」にスヒリトは虚を突かれ、呆然とする。スレヤーは規律通りの姿勢を崩さず、スヒリトからの指示を待つ。


「え? あ……スレイ……?」


 何か裏が有るのかと疑心暗鬼になりながらも、スヒリトは幼い少女を肩から下ろす。


「……ン、ウンッ!」


 咳ばらいの後、スヒリトは表情を固め姿勢を正すとスレヤーに顔を向けた。


「あー……いいぞ! スレヤー伍長」


「はッ!」


 スレヤーは、ベルニコの署名とスヒリトの同行指示が追記されたゼブルン王の特命書を取り出した。


「『ゼブルン王特命調査隊に、調査協力者としてスヒリト・ベン・オズマーン大尉を同行させる』とのことです!」


「はあ?」


 即座に状況が飲み込めないスヒリトは間の抜けた声を漏らし、ズカズカとスレヤーに近付き、ひったくる様にその手から特命書を受け取った。


「わー! すごーい!」


 スヒリトと共にテントから出て来た子どもたちも駆け寄って来る。


「新しい王さまからのお手紙なの? さすが、スヒリトお兄ちゃんだねー!」


「王さまとお友だちなのぉ? お兄ちゃん、すごーい!」


 特命書を両手でつかみ食い入るように書面を確認しているスヒリトの左右脇から、子どもたちが歓喜の声を上げる。一緒に居た若い女性や兵士らも近付いて来た。


「スヒリト大尉! 王の特命とは、また、大きな任務が来ましたねぇ!」


「ベルニコ大佐からの御指名って……危険な任務なのでは……」


 笑顔の兵士らと、心配そうに眉尻を下げる若い女性にスヒリトは「あっという間」に囲まれる。当のスヒリトは困惑顔でスレヤーに目を向けた。


「本物……だな?」


「当然であります!」


 スヒリトは特命書をスレヤーに返しながら、尚も怪訝そうに顔をしかめる。


「『例の件』の調査か……分かった。いつから始めるんだ?」


「大尉と合流次第、現場に向かうようにとの指示を受けております!」


 2人の関係性を知らない者が見れば、下士官が上級幹部兵に礼を尽くす会話に見えるが……スヒリトにとってはかえって「新たなおちょくり」に感じる。しかし、周囲の人々の反応を気にしてか、スレヤーの「本意」を聞き出せない消化不良を感じていた。


 疑わしそうにスレヤーを睨みつけた後、スヒリトは子どもたちの目線まで腰を屈め、笑みを向ける。


「ごめんなジェメス。急なお仕事が入っちゃったから、兄ちゃん今からまた出動しなきゃなんないんだ。メサナ姉ちゃんの言う事をよく聞いて、留守番しててくれるかい?」


「うん! 了解!」


 ジャメスと呼ばれた少年は笑顔のまま、見様見真似の軍部敬礼で応じた。横に立つ少女も、さらに型の崩れた軍部敬礼姿勢を真似する。


「気をつけてね!」


 スヒリトは笑みをこぼしながら、幼い2人の頭をそれぞれ撫でて身を起こす。


「……ということで、メサナさん……悪いが、留守中2人のことをお願いします」


 付き添っていた若い女性に顔を向け、申し訳なさそうに語りかけたスヒリトの表情を、スレヤーは引きつった笑顔で凝視していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る