第312話 責任

 狭い室内にゼブルン新王一行を招き入れたエルグレドは事務机の椅子に座り、スレヤーはその背後に立っている。硬い座面のソファーには王と王妃だけが座り、男性従者は室外の扉前に、女性従者2名は室内の壁際に控え立っていた。女性従者の内1名はミラの護衛兵として同行しているフロカ、もう1人は侍女のアイリだ。


「ところで……アツキの消息については?」


 ひと通りの情報交換の後でミラが尋ねる。エルグレドが状況を説明すると、ミラは視線をアイリに向けた。


「あなたからも伺いたいことは無い? アイリ」


 緊張の面持ちで壁際に立つアイリを、スレヤーもジッと見つめる。急に話を振られたこともあり、アイリは慌てた様子で応じた。


「えっ! あ……いえ……私からは……そのような……」


「御心配をおかけして、申し訳ありません」


 エルグレドがアイリに顔を向けお詫びの言葉を述べると、アイリはますます恐縮し「いえ……」と小さく呟く。


「とにかく『あちら側』の近況については、全く情報が入りません……」


 視線をミラに戻したエルグレドが改めて答える。


「アツキくんとピュートくんを、何の備えも無く送ってしまった不甲斐なさを痛感しています」


「何度も言うように、この件は君の失敗などではないよ」


 謝罪にも似たエルグレドの言葉をゼブルンが制した。


「とにかく、彼らが無事に帰還することを我々も祈っている。一応、君から情報を受けた『結びの広場』と思しき国内各所には、軍部と内調の者たちがそれぞれ調査に向かったが……今の所、どこからも有力な報告は来ていない」


 室内を短い沈黙が支配する。


「まあ、こういう状況の中でもあるし……」


 沈黙の責任を取るように、ゼブルンが口を開く。


「先ほど説明した通り、君には『改革委員会』に加わってもらいたい。ビデル大臣からも承諾はすでに得ている。もちろん、アツキくんたちの動向が分かり次第、探索隊の仕事を優先してもらって構わない……どうだ? 新生エグデン王国初代『内務省大臣』の初仕事として?」


 エルグレドはあからさまな苦笑を見せる。


「……私はまだ『若輩者』ですよ、陛下。『大臣』なんて器には力不足です。しかし、改革委員会での『お手伝い』ということでしたら……」


 背後のスレヤーが賛同の表情を向けているのを確認し、エルグレドは言葉を続けた。


「新しい国造りへの参与の務め、謹んで拝命いたします」


「そうか!」


 エルグレドの承諾に、ゼブルンは満面の笑みでうなずく。


「いやぁ、助かるよ! オスリムからも『絶対に承諾を得て来るように』と、強く言われてたから……これで彼を落胆させずに済む!」


「ありがとう……エルグレド補佐官……いえ、初代内務省大臣」


 喜びを隠さないゼブルンの隣で、ミラも嬉しそうに笑みを浮かべる。


「この国の未来には、あなたのような知恵と力に富む若者が必要です。是非、よろしくお願いします」


 頭を下げるミラに、エルグレドは慌てて声をかけた。


「おやめください、ミラ王妃! そのような……」


「良いんじゃ無ぇですかぁ?」


 制するエルグレドに、スレヤーが背後から口をはさむ。


「どこかの誰かに作られた『歪んだ王制』を、根本から変えようってぇのが『改革委員会』の務めなんでしょ? 感謝を表す姿勢に、王族だの平民だので違いは無ぇでしょや? ねぇ、ゼブルン『王様』」


 スレヤーはことさらに『王様』を強調し、ゼブルンに視線を向ける。ゼブルンは笑顔のまま、それに応じた。


「その通りだよ、エルグレド。スレヤーの言う通りだ。王室法も抜本的に見直しが必要だ。もっとも……親しき仲にも礼儀くらいは守ってもらわないとな?」


 ゼブルンはスレヤーに向け、片頬を上げて見せる。


「君にも、今後は将官としての働きを期待しているんだからね」


 スレヤーは大袈裟に肩をすくめた。


「よして下さいよ……。器じゃ無ぇってことくらい、ご存知でしょうや。俺ぁ、1兵卒としての下支え役が適所でさぁね」


「まあ、過大評価ではないことは、後の歴史が証明するだろうさ」


 ゼブルンもスレヤーの特別昇進計画を譲る気持ちは無い。新生エグデン王国の未来を描く新しき若い王の目は、熱き輝きを放っていた。エルグレドは、その瞳の輝きを満足げに見つめ口元を緩める。


「あっ……そう言えば……」


 そんな男連中のやり取りを温かく見守っていたミラが、思い出したように口を開いた。


「ん? どうした?」


 ゼブルンが尋ねる。


「ほら、先ほどの件……軍部からの……」


「ああ!」


 ミラの思いを察したゼブルンは、うなずきながら視線をエルグレドに向けた。


「ヒーズイット大将からの報告で、1つ気になる事があってね……」


 エルグレドはスレヤーと素早く視線を交わすと首をかしげ、ゼブルンの言葉の続きを待つ。


「そうだな……」


 ゼブルンは、エルグレドとスレヤーの顔を交互に見比べ、話を続けた。


「東部の壁外街区で、ちょっと気になる事件が起きているらしくてな……」


 東部壁外街区という名称にスレヤーがピクリと反応する。エルグレドも視線をスレヤーに向けた。


「スレヤー伍長の出身街でしたよね?」


 その反応を見て、ミラが確認するようにスレヤーに尋ねる。


「んまぁ……東部っちゃ、東部ですけどね……街端の川近くにあるスラム地区です」


「うん……共同墓地の下流だよな?」


 ゼブルンの問いに、スレヤーは真意を探るような目つきでうなずいた。


「今回の大群行で、壁内はガザルと黒魔龍により大きな被害を受けている……」


 スレヤーの目つきに気付きながら、ゼブルンは丁寧な説明を続ける。


「各地からの援軍が来るまでの間、壁外はサーガの群れによって甚大な被害を被った。王都民全死者の内、7割は壁外街区の人々だ。だが、今は壁内の復旧に多くの力が割かれている……」


 壁の内外で隔てられた「貧富格差」が存在するのは周知の事実だ。これほどの大きな厄災の中でも、壁の内外で救援・復興の差別が生じている事をゼブルンは申し訳なさそうに語る。


「仕方無いでしょう。何百年も続いた歪んだ根性は、そうそう消えやしませんって」


 思いを汲み取ったスレヤーの言葉に、ゼブルンは苦笑いを浮かべた。


「数年内には、その歪みも正したいものだよ……。まあ、そういうワケで……壁外街区では今もなお、被害に遭った者たち全てを葬り終えてはいない。恐らく、壁内街区から人手を割けるまで、あと数日は必要だろう……」


「壁外で何か問題でも?」


 エルグレドが、ゼブルンの話を本筋に戻す。


「ん? ああ……そう。それがな……壁外街区の復旧担当部隊から、気になる報告が上がって来たらしい……ヒーズイット大将が言うにはね」


「どんな報告なんで?」


 スレヤーも関心を示した。


「東部街区の……それこそスラム地区近くでね……いくつかの遺体が発見されたんだ」


 ゼブルンの返答に、エルグレドとスレヤーは拍子抜けの表情を浮かべる。


「いや……それは当然でしょう? まだ全遺体を回収する目途も立っていないでしょうから……」


 エルグレドの言葉をゼブルンは片手を上げて制した。


「大群行の被害者たちの遺体は、確かにまだ手付かずの範囲も多いよ。だが……」


 一旦言葉を切ったゼブルンに、エルグレドとスレヤーの視線は固定される。


「報告のあった遺体は、すでに回収済の区画で新たに発見されたんだよ。損傷具合から見て、サーガによって蹂躙されたのは間違い無い。それに……中には死後1日ほどしか経っていないものも有ったそうだ」


「それって……」


 内容を理解したスレヤーの声に被せ、エルグレドが応じた。


「サーガの残党が、壁外街区に居る……ということですか?」


「恐らく、東部街区のスラム地区内に……ね」


 ミラからの言葉と視線が、スレヤーへ真っ直ぐ向けられた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 湖神臨会の地で、篤樹はジッと湖面を見つめていた。


 前回……ガザルを「封じた」時に見た景色や雰囲気と、なんか全然違うよなぁ……


 空気全体に「圧迫感」を感じ、呼吸をするのも、何となく胸を押さえつけられているように苦しい。「空」の色も赤黒さを主とした暗い濃紺に染まり、雲のように全体がうごめいている。落ち着いて見れば見るほど「気持ち悪い……」と篤樹は感じていた。


「……湖神は、やはり現れないな」


 しばらく口を閉ざしていたピュートの声に、篤樹はまたもや「ビクッ!」と反応してしまった。


「急に声をかけるなよ! ビックリするだろ!」


 内調仕込みで気配まで消えていたピュートの声に、本気で驚いてしまった腹立たしさから、篤樹は恥ずかしさを隠すように抗議の声を上げる。


「……驚いたのか? この程度の声で」


「急にだったからだよ!」


「お前は不思議なヤツだな……面白い」


 淡々と語るピュートに、篤樹は呆れた表情を向ける。


「……何が面白いって?」


「法術剣士として備えている時のお前からは、それなりに集中力と警戒心を感じていた。ガザルとの戦いの中でも、さすがにチガセだと感じた。だが、今のように集中力も警戒心もゼロの時が多々ある。その落差が、面白い」


 馬鹿にしているワケでも、楽しんでいるワケでも無い。ただ、思ったままを口にしているピュートの顔を篤樹はマジマジと見つめ、溜息をつく。


「そりゃ、どうも……。『伝説のチガセ』なんかじゃなくって、ただの中学生だからな、俺は……。大体……」


「で? これからどうする?」


 ピュートはこのネタでの話を続けるつもりもない。身の上話を始めそうになった篤樹の言葉を断ち切り、改めて「計画」を尋ねる。


「どうするって……」


 篤樹は視線を湖面に戻し、ゆっくり周囲を見渡す。湖上の空間に漂う「虹色の膜」が目に付いた。


「あのさぁ……」


 とにかく、どうするべきかの判断がつかない篤樹は、やはり「大人」の意見をどこかで求めている。


 先生が居ないんなら……やっぱり、エルグレドさんたちと相談出来れば……


「何か策が浮かんだか?」


 ピュートの問い掛けに、篤樹は考えをまとめた。


「やっぱり……1回、『上』に戻るのが良いかなぁって……でさ、お前の魔法であそこの『膜』まで飛んだりとか、出来ない? 飛ぶの無理ならさ、ほら、この橋の木を使って梯子みたいなのを作ったりとか……」


 考えを口にしながら、篤樹は「これならイケるかも!」と、段々笑顔になっていく。しかし、無表情のまま話を聞いていたピュートは、篤樹が語り終わるのを待って答えた。


「無理だ。法力が抑えられている」


「はい?」


 ピュートからの思いもしなかった返答に、篤樹の笑顔が固まる。


「湖神の結界とやらが、どうやらまだ活きてるようだ。俺をガザルと勘違いしてるのかも知れない。今の俺の法力は、お前よりも少ない。悪いが、その提案に見合う法術は発現不可能だ」


「え……そ……そう……なの?」


「あそこの橋を壊したのはガザルだ。残留法力波で分かった。修復されていないということは、湖神も弱っているんだろう。それでも尚、俺の法力を抑えるだけの結界が働いているところを見ると、一旦発動させた結界は湖神の意思とは無関係に発現し続けるようだな。さすがだ」


 法力光を発することのない左右の手を確認しながら、ピュートは感心したように語ると、視線を篤樹に向け直した。


「それで? どうする?」

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