第311話 サレマラ

 エグデン王都から5キロメートルほど東を流れるユーラ川―――その川沿いの丘に、今回の犠牲者たちを埋葬する共同墓地が整備されていた。丘の上には数万もの真新しい墓標が立ち並び、常時、数百・数千もの人々が哀惜の想いと共に訪れている。


「サレマラ……」


 エシャーは墓地の端に近い場所に立てられている墓標をジッと見つめた。この辺りは、つい昨日整備された区画だ。


「……有ったよ。多分……ここ……」


 振り返り、声をかける。車椅子に乗せられているサレマラは、頭部と右手、そして両足に包帯を巻かれた姿だ。


「おっと……座ったままで……ね?」


 怪我を忘れて立ち上がろうとしたサレマラを、車椅子を押すバスリムが制した。治癒魔法を用いても尚、完全な回復まで数ヶ月はかかる大怪我を負っているサレマラは、力無く椅子にもたれ直す。


 バスリムが墓標のそばまで車椅子を進める。真っ白な1本の墓標の下に、四角い磨き石が置かれていた。その石の表面に、複数名の名前が刻まれている。


「……ボズル……さん……」


 サレマラは視線を墓碑銘に向け、包帯が巻かれた右腕をわずかに伸ばすが……とても届かない。エシャーは手を貸そうと近寄ったが、車椅子を押すバスリムが無言で首を左右に振り制した。


 王都一の「グレーブ屋」として紹介された、サレマラの恋人ボズル……彼もまた、今回の事件に巻き込まれた被害者となっていた。治療を受けていたサレマラに頼まれ、バスリムと2人でエシャーは「行方不明」となっていたボズルの安否を調べていたが、結果は……


「自宅に居たところを、ご両親と妹さんと一緒に……。倒壊した建物から遺体が運び出されたのは2日前だそうです。それで、昨日、こちらへ……」


 バスリムが簡単に状況を伝えると、サレマラの瞳から涙が溢れ出す。しばらくの間、言葉にもならない嗚咽に身を震わせる友人を、エシャーはかたわらに立ち見守り続けた。



―・―・―・―・―・―



「学舎の子たちも……何十人もが犠牲になったわ……」


 墓前から馬車に戻る中、サレマラは口を開いた。


「……そうだね」


 車椅子を押すエシャーが応じる。途中ですれ違う人々は一様に沈痛の面持ちで、ある者は墓前に供えるための花束を、ある者は思い出の品々を抱えていた。


「こんなことが王都の中で起こるなんて……考えた事も無かったわ……。ついこの間まで一緒に過ごしていた人と……こんな形で、急にお別れをすることになっちゃうなんて……」


 サレマラの言葉に、エシャーはただ唇を噛みしめる。


「学長先生がね……」


 エシャーからの応答を求めるワケでも無く、サレマラは抑揚の無い声で話を続けた。


「最初の法撃で宿舎が壊された時に、私たちを助け出してくれたの……他の先生たちも一緒にね。どこが『安全』なのかも分からないからって……救助隊が来るまで、怪我をした子たちを一ヶ所に集めて、しばらくのあいだ防御魔法で包んでくれてたわ。だけど……あの龍が降らせた『矢の雨』で……」


 バスリムとの調査の中で、エシャーもサレマラが語る内容を様々な人から聞いていた。王室公営学舎の被害もまた、大きなものだった。建物だけでなく、人的被害は寄宿舎生数十名の他、学長であるミリンダと10数名の教師たち……教師の大半は、死の間際まで負傷した子ども達を防御魔法で守り続ける中、命を奪われてしまった。


「……なんで、あんなバケモノが急に現れたんだろう? エシャー……何か原因を知ってる?」


 まるで目撃者の1人のようにミリンダの最期を想起しつつ口を閉ざしていたエシャーにサレマラが尋ねて来た。一瞬、言葉の意味が理解出来ずエシャーは足を止める。


「えっ? ゴメン……何?」


「『ガザル』……って言うんだっけ? それとあの黒い龍……あれは一体何だったの? サーガの大群行もアイツらのせい? あなたなら、何か情報を知ってるんじゃない?」


 相変わらず抑揚の無い口調で尋ねるサレマラの声が、エシャーはまるで自分を責めている言葉のように感じた。自分が知っている情報をサレマラにも教えて上げたい! そう思い口を開こうとしたエシャーの目に、バスリムが首を横に振る姿が映る。


「まだまだ王宮も混乱しているからね……」


 代わりにバスリムが口を開く。


「サーガ大群行のメカニズムも、あの龍の正体も、ガザルと呼ばれる者の目的も……まだ何も分かって無いんだよ。現在、あらゆる機関が体制を整え直しつつ調査を始めているから……いずれ、正式な発表が出されると思うよ」


 つまりこの返答により「何も事実を語ってはいけない」と、バスリムはエシャーに釘を刺したのだった。しかしサレマラは、バスリムの言葉を素直に受け入れる。


「そうですね……どうせ、理由が分かったところで、ボズルさんが帰ってくることは無いですもんね……。学長先生も……ソリアたちも……」


 独りごちるように淡々と語るサレマラの言葉に、エシャーの胸が痛む。厳しさと慈愛を兼ね揃えていた学長ミリンダの姿……あどけなさの残る笑みで語り合っていた低学年児らの姿を思い浮かべた。


「……みんなを生き返らせる魔法って、無いのかなぁ……」


 サレマラのつぶやきに、エシャーがハッと顔を上げる。バスリムが視線を合わせ、再び首を横に振った。


「そうですねぇ……」


 そのままバスリムが応じて口を開く。


「命の終わりは、全ての者におとずれるものです。とはいえ、今回のように理不尽にも突然おとずれられると、本当にツライです。私も……兄のように敬愛していた仲間を……今回失いました」


 湖水島地下で息を引き取ったコートラスの姿をエシャーは思い出した。自然に、車椅子を押す歩調がゆっくりになる。


「まだまだ多くの事を彼から学べると思っていましたし、共に笑い合い、慰め合い、語り合う日々が続くものと思っていましたが……突然、その『未来』が失われてしまいました」


 バスリムの話に、サレマラは自分とボズルの「未来」を重ね合わせる。突然、何の前触れも無く奪われた「未来」への喪失感と、奪ったモノに対する言い様の無い怒り……そして、自分の無力感……


「……今はまだ、私の中にはポッカリと穴が開いています。真っ暗な闇が広がる、大きな穴が……。そして、その穴が埋まる事は……この先の人生でおそらく無いでしょう」


 言葉の割に絶望的な嘆きでは無く、どこか、明るさを秘めるバスリムの語り口調にエシャーとサレマラは視線を上げた。


「埋まることの無いその穴を、いかに埋めようかと思い巡らせながら時を過ごす方法もあります。でも私は、その塞がることの無い穴をどうにかしようとするより、コートラスさん……失った友を想いつつ、残された日々を歩んで行きたいと思います」


 サレマラには、何か伝わるものが有ったのだろうか、両目からこぼれ流れる涙を拭うことも無く大声を上げて泣き出した。エシャーは車椅子を止め側面に回り、両腕でサレマラの頭部を包み込む。共同墓地へ集まる人々の嘆きを代表するかのように、サレマラの 哀哭あいこくの声は、しばらく止むことは無かった。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「ゴメンね……エシャー。……汚しちゃったね」


 バスリムが御するミッツバンの馬車の中、サレマラがエシャーの肩にもたれたまま何度目かの謝罪を口にする。


「ううん……イイって、別に……。大丈夫? サレマラ……」


 エシャーは、涙等で汚された自分の服の胸元よりも、サレマラの体調のほうが気になる。致傷後の早い段階で治癒魔法を受けられたことで、後遺症も無く完治出来るだろうと診断されているとは言え、サレマラは本当ならまだ安静を要する状態だ。


 しかし、時折苦痛に顔を歪めながらも、サレマラは以前と変わらない笑みも浮かべるようになっていた。


「大丈夫だよ、もう……多分……」


 不思議なサレマラの返答に、エシャーは微笑み小さく首をかしげる。


「御者さんも……大事な人を亡くしたんだね……」


「……うん」


「私ね……」


 サレマラは自分の中にある思いを、整えながら言葉を選ぶように会話を続けた。


「何だかさっきまで……ボズルさんのことを忘れちゃってたみたい……だったの。なんて言うか……『なんとかしなきゃ!』『なんとかならないの!』って気持ちばかりが……ずっと頭の中に有って……」


「……うん」


「御者さんが言うように……『穴』にばっかり目を向けて……ボズルさんを見てなかった……」


 エシャーはサレマラの頭部を、傷が痛まないように気を付けながら優しく撫でる。サレマラは安心したように体重をエシャーに預け、言葉を続けた。


「まだ……全然、実感は無いし……これから、もっともっと悲しくなるんだろうなぁって思う。うん……だって……悲しいんだもん! 当たり前だよね? こんな……急に……」


 嗚咽にも似た涙声が収まるまで、サレマラはしばらく口を閉ざした。やがて、呼吸が整うと、再び話を続ける。


「だけどね……だけど……自分の無力さや、理不尽な出来事への怒りや、どうしようもない『穴』に目を奪われてちゃダメだよねって……ボズルさんを見ないと、ダメだよねって……私がボズルさんを忘れちゃ、ダメだよねって……」


「うん……美味しかったよね……ボズルさんのグレーブ……」


 エシャーは自分とボズルの接点を思い返し、サレマラに伝える。エシャーなりのボズルを「覚える」言葉に、サレマラは微笑む。


「でしょ?……でもね……彼ね……結構失敗作も有ったんだよ。あのね……」


 ミッツバンの豪奢な馬車の中、エシャーとサレマラは少しずつ会話を紡ぎ始めた。やがて、学舎の食堂で会話していた談笑のテンポにまでその声は回復していく。


 どうやらお嬢さん方の心も、少しは元気になったようで……


 御者台との仕切り窓から洩れ聞こえる2人の声の調子に、バスリムも笑みをこぼす。馬車は王都北東地区の貴族居住街へ向かう。幸いにもガザルの法撃と黒魔龍の「矢の雨」からの被害を一切受けなかった貴族居住街は、ゼブルン王の勅令により、家屋を失った被災者の仮宿や、傷病者の治療施設として供出されていた。


 お……っと……


 サレマラも含む多くの傷病者を収容している「イグナ系貴族邸」まで馬車を進めたバスリムは、馴染みの「同志」が自分を見つけ駆け寄って来る姿に気付き馬車を停める。


「どうしました? そんなに慌てて……」


「バスリムさん! オスリムさんがお探しです! 至急、ミッツバン邸に戻られて下さい!」


「兄貴が?……なんだろう?」


 オスリムは客車との仕切窓を軽く叩く。すぐにエシャーが窓を開いた。


「急ぎでミッツバン邸に戻ることになったんだけど……どうしますか?」


「私、もう少しサレマラと居る」


 エシャーからの返事を受け、オスリムは「同志」に顔を向けた。


「お2人を降ろしたら、すぐに戻ります。一緒に乗って行きますか?」


「いや、自分の馬で……では、先に戻りますから、お願いしますね」


 駆け出して行く「同志」の背を見送ると、バスリムは馬車を療養所となっている貴族邸玄関前まで動かし始めた。


「多分、迎えには来れないと思うけど……平気かい?」


 開いたままの仕切り窓に向かい、声をかける。


「大丈夫だよ! 歩いて帰るから」


 エシャーの快活な返答の声に、バスリムは優しく微笑んだ。

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