第310話 留守
崩落している部分から橋上にあがった篤樹は「臨会の場」がある桟橋の「端」に顔を向けた。
「……ねえ、行くよ」
歩み出そうとしてもついて来ないピュートに気付き、篤樹は振り返る。ピュートはかがみ込み、橋の崩落個所を調べていた。
「何やってんだよ。ほら、とりあえず……向こうに行こうよ。まずは先生に……湖神様に会わないと……」
篤樹としては、この状況を打開してくれるのは小宮直子しかいないと考えていた。「ここ」には湖神様となっている小宮直子が居る……これからどうすれば良いのかを相談できる「大人」が居る!……そう考えると、篤樹は少し気が楽になる。
「ねえ……もう、行くからな!」
反応を示さないピュートに苛立ち、篤樹は顔を「臨会の場」へと向け直し歩き始めた。立ち上がったピュートは橋の破損個所に右腕を突き出した。しばらくその姿勢のまま自分の右腕を不思議そうに注視すると、首をかしげ、身体の向きを変えて篤樹の後を早足で追う。
しばらく進むと、橋の左側湖上……水面から10メートルほどの高さに「虹色の膜」がユラユラ浮いているのが見えた。
あそこから落ちて来たのかぁ……
篤樹は歩を止めずに横目で「膜」を確認しながら、不意に不安を覚える。
あの高さじゃ……手が届かないよなぁ……梯子とか無いかなぁ……。先生に相談すれば、良い方法を教えてもらえるかな?
「カガワ……」
無言で背後について来ていたピュートから声をかけられ、篤樹は一瞬「ドキッ」とした。内調仕込みの気配を消した歩き方をするピュートは、篤樹のイメージ以上に真後ろについて来ていたらしい。
「わっ……と……あ? なに? 急にそんな近くで声かけられるとビックリするんだけど!」
驚いてしまった自分の恥を隠すように、篤樹は少し語気を強めて応じる。しかしピュートはそんな篤樹の態度には興味を示さず、淡々と言葉を続けた。
「湖神はまだここに居るのか?」
「はぁ? そりゃ……ここに住んでるん……だと思うけど……」
「どこに居る? 聞きたい事がある」
「どこって……あそこだよ。臨会の場の向こうの湖の中……だと思う……」
不確かな返事しか出来ない自分に気付き、篤樹は語尾に力を入れられない。ピュートは思っていた以上の情報を篤樹からは得られないと判断したのか、足を早めて篤樹を追い抜き、先に「臨会の場」に入った。
「……どこに居る?」
桟橋の端は、水上に設けられた10メートル四方くらいの「臨会の場」につながっている。ピュートは篤樹の言葉に従い、その一番端まで進み、湖上を見つめながら問いかけた。
篤樹はピュートからの問いには答えず、ゆっくり臨会の場の中央まで進むと周囲を確認する。「こっちの世界」に来て、初めて再会した「元世界の人間」……小宮直子の姿を思い出す。その後、ガザルと共に再びここに来た……あの時……小宮直子は姿を現さなかった。
「カガワ。湖神はどこにいる? 早く呼び出せ」
「え? そんな……俺に言われても……」
振り返り催促するピュートの要望に、篤樹は焦りながら端まで近づく。
あの時……別に何かをしたワケじゃないし……先生が自分から出て来てくれたんだけど……
篤樹は目の前に広がる湖面を見渡す。あの時……湖神となっていた小宮直子は、湖の中から水泡と共に姿を現した。しかし今、湖面には何一つ動きが見られない。
「もしかしたら……」
ポツリとつぶやいた篤樹の声に反応し、ピュートが顔を向ける。
「何か思い当たることがあるのか?」
言葉に迷っている篤樹に、ピュートが続きを促す。篤樹は顔をピュートに向けて答えた。
「もしかしたら……お留守かも……」
「・・・・」
数秒間、2人は互いを見つめ合う。動揺する篤樹の視線を受け止めていたピュートの瞳から、光が失われていく。そのまま、まぶたを閉じたピュートは首を左右に振り、再び顔を湖面に向け深い溜息をついた。
◆ ◆ ◆ ◆
「なんも動きは無ぇみてぇですねぇ……」
王都中央軍部基地内に臨時で設けられた「王政府」のためのフロア―――王室文化法歴省『エルフの小楯回収特別探索隊』は、そのフロアに1室を充てられていた。数日前まで置かれていたエルグレド用の「傷病者ベッド」は撤去され、今は軍部の小隊詰所のように、無機質な事務机と硬めのソファーセットが置かれている。
湖水島の王政府再建現場から戻って来たスレヤーは、事務机で書類を見ていたエルグレドに語りかけながら、2人掛け用のソファーにドカッと腰を下ろした。
「……それどころか例の『膜』、1メートルくらいにまで縮んでやしたぜ……」
エルグレドは書類の1枚にサインを書き込むと、ペンを机上に置き、両手を組んでスレヤーに顔を向ける。
「10日で1メートルの減少ですか……。どの道、あの出入口は使えなくなってしまうでしょうね……」
「どうします? アッキーたちを助けられるアテは無ぇんでしょう?」
しばらくの沈黙をはさみ、エルグレドからの応えが無いと判断し、スレヤーが続けた。
「グラバさんの『呪術師』ってのも、もう居無ぇから、あっちに『力』を送る方法も分から無ぇ……。湖神様の結界魔法が、今も正常なのか、それとも異常な状況になってんのかも分から無ぇ……。何んも分かん無ぇ空間に、アッキーとピュートを、何の準備も無く送り込んじまった……」
スレヤーは「大人たち3人」が共有している自己嫌悪を言葉に出し、両手を頭の後ろに組むと天井を見上げた。
「……いつまで俺らは『現状待機』のままなんすか? 大将」
「彼らへの助力が可能な方法が有れば、すぐにでも行動しますよ……」
エルグレドは苛立ちを押し殺すように、溜息混じりで応えた。
「ルエルフ村……湖神様の臨会の地への道が確定すれば、たとえそれが海を渡った先にあろうとも、すぐにでも向かうつもりです。しかし……」
「……すんません……」
苦渋を覚えているのは誰しもが同じであるのに、責任を「隊長」に押し付けるような発言をしたことを、スレヤーは悔いて謝罪する。エルグレドも自分の感情的な表現を詫びるように、頭を左右に振り、スレヤーの謝罪に応えた。
「……まあ、とにかく……」
気を取り直すように声の調子を上げ、エルグレドが口を開く。
「3週間以内で、無事に帰還して来ることを祈るしかありません。彼らが戻って来られても……そうでなくても、ガザル追撃と黒魔龍本体討伐は予定通りに決行されます」
エルグレドは机上の書類を数枚持ち上げ、スレヤーに示した。
「……3週間後に探索隊が解散するのは既定路線です。ゼブルン王の
「そうすか……ま、お給金を国からいただいてる身ですし、覚悟はしてますよ。どのみち、
スレヤーは、普段と変わらないとぼけた表情に戻り応じた。エルグレドも、いつもの微笑を浮かべてうなずく。
「……ところで、レイラさんとエシャーさんは、まだこちらに戻っておられないんですか?」
エルグレドは思い出したように尋ねた。
「ですねぇ……。レイラさんは一昨日の昼から留守にしてますねぇ。どこに行かれるかも言って無かったです……」
「そうですか……リュシュシュの方々と合流されてるかも知れませんね。例の『お弟子さん』も来られてたそうですし……」
サーガの大群行によって王都が包囲された夜、国内の有力な剣士や法術使いたちが、各地の軍部兵士らと共に駆け付けて来た。その事を、スレヤーたちは事件後数日が経ってから知る事になった。その援軍の中には、現代魔法術発祥の村と呼ばれるリュシュシュの法術士たちも数十名含まれている。
「ビルのヤツも、負傷者の介護で大活躍だったらしいっすよ。治癒魔法を習い始めて、まだひと月程度ってのに、軍部の医療法術士が『尉官クラスの治癒魔法だ』っつってました。さすが、レイラさんが弟子と認めるだけのこたぁありますね」
「そうですね……才能のある少年だと私も思いますよ。で? エシャーさんは?」
「昨日の朝に、バスリムと出かけたまんまっすね……。短けぇ期間とは言え、寝食を共にした学舎の子が、今回の犠牲になってますから……相当なショックでしょう……」
エルグレドは小さくうなずいた。
「……長城壁内外の王都民25万人の内、2割もの方々が命を奪われるほどでしたから……まあ、でも、バスリムさんが御一緒なら大丈夫でしょう。……どうせ、ここに居たって、何もやれることは無いんですから……」
自嘲気味な苦笑いを浮かべ、肩をすくめるエルグレドに、スレヤーも「お手上げ」のポーズで同意を示した。
トン、トン……
扉を叩く音に2人は顔を見合わせ、首をかしげる。
「どうぞ!」
来訪者の予定も無い中でのノックに、エルグレドは不審そうな表情を浮かべたまま、入室許可の声を発する。
「こ……れは……」
扉を開き、室内に入って来たゼブルンとミラ、そして、侍女たちの姿に、エルグレドとスレヤーは立ち上がって敬礼することも忘れ、驚きの声を洩らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます