第309話 心配

 篤樹は橋を支える木製の柱を掴み、周囲を確認する。ピュートは篤樹の周囲確認が終わるまで、黙ってその様子を見ていた。


「とにかく……上にあがらなきゃ……」


 ピュートと目が合い、篤樹は「やるべきこと」を口に出す。しかし、ピュートは無表情で篤樹を見つめたままだ。


「あのさ……上にあがろうか?」


 尚も変わらず黙ったままのピュートに篤樹は 苛立いらだちを覚え、少し声を荒げる。


「お前さ、何とか言えよ! ほら、橋の上にあがろうって!」


「……どうやって?」


「はァ?」


 ピュートからの指摘で、篤樹は顔を上に向けた。水面から1メートルほどの高さまで伸びる橋脚柱は、それぞれが横木でつながれている。よじ登って行くのは、それほど難しそうには思えないが……問題は橋幅の両端に「直接」柱がつながっていないことだった。


 支柱上部は、橋幅の両端から50センチメートルくらい内側で橋を支えている。そのため、橋板自体が「ネズミ返し」のように水面からの進入を はばんでいた。


「ここから、このまま上るのは無理だ」


 ピュートの声に反応し、篤樹は視線を向ける。その時、ピュートの後方200メートルくらい先に目が向いた。


 あれ?……なんだろう……


 篤樹の視線に気付いたピュートが水中で身体の向きを変え、その視線の先へ目を向ける。


「あそこ……橋が……壊れてない?」


「……ああ。壊れてる」


 以前に来た時には気付かなかった「橋の破損部」に、篤樹は一瞬「敵」が近くに居るのかも知れないと緊張する。臨会の地の雰囲気にも、以前とは違い何となく 禍々まがまがしい気配を感じていた。


「あそこから上るのか?」


 しばらくの沈黙を破ったのは、ピュートの声だった。


「う……ん……」


 篤樹はもう一度周囲を確認した。自分たち2人以外に、特に気配を感じないのを確かめると決断する。


「そうだね……ちょっと回り道だけど、行ってみようか?」


 橋の 崩落個所ほうらくかしょを見ながらそう言うと、篤樹は改めて後方を確認した。こちら側の橋は100メートルほど先から向こうには続いていない。つまり、湖神様との「臨会の場」となる桟橋の「端」が有るのはこちら側だと予想を立てる。


「向こうの壊れてる所から上ったら、その後でこっちに戻って来る……分かった?」


 柱を頼りに、先に移動を始めたピュートの背に向かい篤樹は声をかけた。


「分かった。『こちら側』に上がれば良いんだな」


 ピュートは振り返る事無く返事をすると、どんどん先へ進んで行く。篤樹もなるべく急いではみたが、どうにも慣れない「水中着衣移動」に体力を奪われていく。


 先に橋の破損個所へ辿り着いたピュートが振り返った時には、篤樹は50メートル以上引き離されていた。


「先に……上がってて……いいよ!」


 支柱につかまり息を乱しながら、篤樹はピュートに声をかける。何となく「足手まとい」になってる気がして、少し気持ちが落ち込んでしまった。ピュートに遅れること5分ほど経って、篤樹もようやく橋の破損個所に辿り着く。


右側・・の足場が安定してる」


 篤樹の到着を確認したピュートが、橋の上から声をかけてきた。篤樹は言われるままに「右側」の破損木材に手をかける。途端にその木材がグラリと動き、半身を水中に沈めたままの篤樹に向かい落ちて来た。


「うわっ!」


 慌てて身を避け何とか難を逃れると、篤樹は目を見開きピュートに叫ぶ。


右側・・は安定してるって言ったじゃん!?」


 ピュートも驚いたように目を開き、少し首をかしげ篤樹を見下ろしている。ピュートの指先は「篤樹の 左側・・」に在る破損木材を示していた。


「はァ? おま……だって……『 右側・・』って……」


 橋上と水中で向き合う2人は、それぞれ『 自分の右側・・・・・』を確認し、再び視線を合わせる。


「…… 右側・・だ」


 篤樹は頭を左右に振って気持ちを整え直し、ピュートが示す「右側」の破損木材を使って、橋上へのぼりながら考えた。


 コイツと2人っきりで……大丈夫かなぁ……



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「心配なことが……3つ?」


 真剣な表情のエルグレドに、エシャーは話の続きを促すよう問いかけた。


「はい。……まあ、細かな心配を挙げればキリはありませんが……」


「計略家にとって、伝聞情報だけでは心配が尽きぬか?」


 ウラージが冷笑を浮かべて口をはさむと、エルグレドはフッと表情を和らげる。


「そうですね……現場の状況も分からず、同行も出来ず、適切な助言も出来ないままに送り出すことになりましたから、心配だらけですよ……」


「でも、あの2人ならそんなに心配しなくても……」


 スレヤーが改めて安心材料を挙げようとしたが、エルグレドが右手の人さし指を上げて制する。


「ピュートくんは確かに優れた法術士です。私やガザルとも遜色無く戦えるくらいの力を持っています」


「そりゃ、ガザルの『血を引く』ボウヤですものね……」


 レイラが面白くも無さ気に呟く。エルグレドは視線をレイラに向けた。


「そう……ガザルの血を引く……というか、ガザル細胞を用いて生み出された彼は、先ほどウラージさんが言われたようにヤツの『分け身』とも言える存在です。湖神様の結界がガザルと間違い招待されたほどに……。エシャーさん、ピュートくんはあの虹色の膜に『引き寄せられてる』と言っていたんですよね?」


 エルグレドの視線を受け、エシャーはうなずく。


「そういう事ですかい……」


 ハッと気付いたように、スレヤーが口を開いた。同時にレイラも厳しい表情になる。


「『結界への誘引』……ね」


「えっ? どうゆうこと? 何、その『ユーイン』って……」


 エシャーは舟のふちに両手をつき、身を乗り出し尋ねた。


「『膜』が引き寄せてたのは、あのボウヤではなく『ガザル』だった……ってことよ」


 応じるレイラの言葉だけでは理解出来ず、エシャーはエルグレドに顔を向け「どうゆうこと?」と問うように目を見開き、首をかしげた。


「湖神様の封印結界は強力なもののようです。取り逃がしてしまったガザルを、再び封じようとするほどの『意志』を感じます。しかし同時に、グラバさまたちの謀略によってかなり強引に結界を破断されたせいで、法力バランスが著しく崩れています」


「つまり?」


 エルグレドの説明に対し、エシャーはまだ理解が追い付かない。自分が理解出来る結論に至るのか心配になり、催促するように口をはさんだ。


「だから、それがどんな『心配』になるの?!」


「ガザルを封じていた結界が、再びガザルを引き込もうと力を働かせていたんです。ところが引き込まれたのはガザル本体では無く、ガザルの分け身であるピュートくん……つまり、湖神様の結界はピュートくんを『封じ込めた』可能性が高いんです」


 すでにエルグレドが抱く「心配」を共有している3人の「大人たち」が、エシャーに視線を集める。


「でも……だって、エルは……アッキーとピュートを行かせるつもりだったって……」


「あの結界がピュートくんを『引き寄せている』という情報が入る前は……単純にそのように考えていました。もう『結界の効力』は失われていると思ってましたので。でも……結界の効力が『活きていた』となると……」


 エルグレドはどのように言葉を続けようかと、一旦言葉を切った。その雰囲気を察してレイラが口を開く。


「あのボウヤが、エルやガザル並みの法術使いだから安心……なんてことはないってことよ。湖神様の結界はガザルの法力を封じて来た強力なもの……今はガザルではなく、あの子の法力を封じてるでしょうから……アッキーと一緒に今居るのは『戦力』にもならないただの生意気なクソガキってことよ」


「んで、組んでるのは詰めの甘いアッキー……」


 スレヤーも言葉を重ねる。ここに来て、エシャーもエルグレドの「心配」を理解した。


「詰めの甘い未熟な法術剣士と、法力を封じられた最強クラスの法術士か……」


 なぜかウラージは楽しそうな口調だ。


「戦力的な心配は分かった。で? あと2つの心配事とはなんだ?」


 エルグレドが真剣に「心配」している姿を見るのがよほど心地よいのか、ウラージはニヤニヤと顔のシワを深く刻みながら尋ねる。エルグレドは不愉快を隠さずにウラージをひとにらみした後、気持ちを鎮めるように深く溜息をついた。


「……やはりあなたの性格の悪さは群を抜いていますね。あとの2点ですが……」


 視線をウラージから外し、「3人の仲間」へ向ける。


「湖神様の結界魔法がピュートくんとガザルの判別もつかない『暴走状態』であるなら、湖神様の法力によって成り立っているルエルフ村の状況も……今現在どうなっているか分かりません。不安定な空間となっていれば、アツキくんにとっても『初めての地形』になっている可能性があります」


「目的地が……分からなくなる、とか?」


 レイラの確認に、エルグレドはうなずいた。


「ミツキさんの『森』も、法力によって成り立っていました。同じような原理で創られている『ルエルフ村』を安定させていた湖神様の法力が崩れているなら……」


「最悪……『村』自体が無くなってるかも知れ無ぇってことですかい?」


 スレヤーの言葉に、エシャーが目を見開く。


「そんな……」


「3つ目は……」


 エシャーのつぶやきに一瞬だけ視線を送り、エルグレドは続けた。


「仮にあの2人が無事に『村』へ入り、盾を手に入れたとしても……ここへ戻って来る『道』がありません。2人にはあの『膜』から縄梯子を下ろしながら、少しずつ『中』を調べてもらうつもりでいましたが……どのくらいの高さを『落ちた』のかさえ分かりません」


「では、あの2人は同じ道を通っては戻って来られん、ということか?」


 ウラージの問い掛けにエルグレドは静かに首を左右に振る。


「無事の帰還を……祈るしか無いわね……」


 無力さを覚えながら、レイラがポツリとつぶやいた。

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