第306話 酔狂

「あっ……」


 エシャーが何かに気付いたように声を上げた。その視線の先へ篤樹とスレヤーも顔を向ける。


「おっ、ピュートじゃねぇか」


 敷物ごとにいくつものグループに分かれている従者席の合間を、1人で歩いているピュートの姿があった。


「おい、ピュート!」


 おもむろにスレヤーが声をかける。ピュートは視線を3人に向けると、無表情のまま近付いて来た。


「探索隊は補佐官とエルフだけが上座か?」


「んあ? いんにゃ。レイラさんもこっちの席だぜ。お前こそビデル大臣と一緒の席じゃねぇのかよ?」


 スレヤーはピュートが座れるように、場所を空けながら尋ねる。


「オレは『自由にしてろ』と言われた。だから自由にしている」


 ピュートはスレヤーに応えながらも、視線は篤樹とエシャーに向けていた。


「まあ座れや……お前は飲めるんだろ?」


 スレヤーは酒樽を持ち上げピュートに笑顔を向ける。勧められるまま、ピュートは敷物に腰を下ろす。


「酒か? 飲めるが好きじゃ無い。カガワとルエルフも飲んでるのか?」


「えっ……いや……俺は……」


「私もお酒キラーイ。一緒だね、ピュート」


 戸惑い気味に答える篤樹と笑顔で応じたエシャーを見つめ、ピュートはスレヤーから渡された杯を受け取る。


「ほら、飲めや。キボクの珍しい酒らしいぜ!」


 ピュートは視線を杯に移し、中を確認した。


「……ルエルフは酒がキライなのか?」


「うん! 匂いがダメぇ」


 エシャーは「しかめっ面」で舌を出して答える。


「……オレも飲まないでおく」


 渡された杯を、ピュートは敷物の上に置く。


「んだよ、オメェら! 付き合い悪すぎんぞ!」


 スレヤーは3人に向かい、呆れ声で抗議する。


「あら? なぜそのボウヤが増えてるのかしらぁ?」


 果物籠を片手に抱えたレイラが、引きつった笑顔を見せながら戻って来た。


「あ、レイラさん。聞いて下さいよ! こいつら、 成者しげるものにもなってやがんのに、俺との酒に付き合おうとしねぇんですよ!」


 スレヤーがワザとらしく、情けない声でレイラに訴える。


「オレはまだ成者じゃない。数ヶ月先だ」


 その訴えにピュートが口を挟んだが、レイラは気にもかけず敷物に腰を下ろし、果物籠を中央に置いた。


「お酒は強いられて飲むモノでは無くてよ、スレイ。お好きな方だけいただけばよろしいですわ。はい、エシャー。戦利品よ」


 籠に盛られた「貴賓席用」の果物に、エシャーは早速手を伸ばす。


「マジで旨ぇ酒なんすけどねぇ……」


 スレヤーも勧められるままに、籠に手を伸ばした。


「アッキーとボウヤも、どうぞ」


 レイラは必死に平静を装いながら、篤樹とピュートにも勧める。


「これ……エルグレドさんから?」


 篤樹は ふさから外れている 葡萄ぶどうの粒を口に運びながら尋ねた。


「そうよ。あちらだけ特別なメニューでしたから、お 裾分すそわけしていただきましたの。ほら、ボウヤもどうぞ」


 ピュートはレイラの顔をジッと見つめながら籠に手を伸ばし、葡萄を1粒口に運ぶ。


「あら? ボウヤは葡萄がお好き?」


「……なんだか、エルフはオレを馬鹿にしているように聞こえる。なんでだ?」


 レイラはニッコリ微笑みながら、冷静に言葉を選ぶ。


「そんなこと無いわよぉ。私はただ、あなたが何を好きなのか興味があっただけぇ。もしかしたら、明日からメンバーに加わるかも知れないんでしょう? お食事のメニューを考える上で、食の好みは知っておきたいのよぉ」


「……摂取する栄養は何でも良い。肉体の活動を維持さえ出来れば十分だからな。それに、こうして複数人で一緒に摂取する必要さえ無い」


「あ~、ダメだよぉピュート!」


 エシャーが会話に加わる。


「エルが言ってたよ。食べ物はただ栄養をとるためのモノじゃ無いんだって。みんなで一緒に食べるお食事は、身体だけじゃ無くって心も元気にする栄養になるんだよ」


 ピュートは不思議そうにエシャーを見返した。


「……『心』という器官を持つ生物はいない。在りもしない器官に栄養は必要無い。補佐官は何を言ってるんだ?」


「えっとぉ……」


 真面目な顔で尋ねられ、エシャーは苦笑いを浮かべる。


「ホント……教育のやりがいがあるクソガキだわ……」


 篤樹は、ボソリと聞こえたレイラの声に殺気を感じ顔を向けた。こめかみに青筋を立てたレイラが、満面の笑みでピュートを睨みつけている。


「レイラ~!」


「カミーラさま! お席にお戻り下さい!」


 かがり火と法力灯がユラユラ照らす薄闇の中を、3人の人影が近付いて来た。


「レイラさん……あれは……」


 左右から支えようとするミシュラとカシュラを弾くようによろめきながら、カミーラが従者席に迫って来る。


「まあ……困ったわねぇ……」


 レイラはウンザリしたように独りごちると、溜息をついて立ち上がった。


「レイラさん……?」


 スレヤーが声をかける。


「なかなか見られないモノが見られますわよ、きっと……」


 ウインクを見せたレイラは、カミーラに向かい声をかけた。


「お父様ぁ、こちらですわ~!」


「お、お父様?」


 カミーラを呼ぶレイラの言葉に、一同は驚きの声を合わせる。


「おお! レイラ~、そこに居たのかぁ」


 カミーラの嬉しそうな声が返って来た。 千鳥足ちどりあしの人影は、相変わらず右に左によろめきながら、顔を識別できる距離まで近づいて来る。


「まあ、お父様。どうなされたのですか?」


 レイラは芝居がかった対応でカミーラに近付いて行く。そばに控えているミシュラとカシュラは、不愉快な思いを表情に浮き上がらせていた。


「お前の顔を見たくなったんだよぉ。身体は大丈夫かぁ? 傷は癒えたのかぁ?」


 カミーラはレイラに倒れ掛かるように抱きつくと、レイラの真っ直ぐな黒髪を愛おし気に両手で撫でながら尋ねる。


「な……カミーラさん……どうして……」


「……酔ってんな。ありゃ……」


 篤樹の疑問に、スレヤーが答えた。


「母さんは……ミレイは元気か? 一緒じゃ無いのか?」


「お母さまはお元気ですわよ、きっと。最後にお会いした時には、北の森の木々たちに囲まれてお幸せそうでしたわ」


「そうか……うん……そうか……良かった……」


 カミーラは涙声で応え、何やらモゴモゴと言葉にならない会話を続けている。レイラはその一言一言に 相槌あいづちを打つように、優しく応じていた。


「あ~あ……こりゃ、レイラさんとも飲め無ぇなぁ……」


 スレヤーは酒樽を持って立ち上がる。


「あれ? スレイ……」


 エシャーが声をかけるが、スレヤーはそのまま湖岸に向かい歩き出す。


「ちょっくら向こうで飲んで来らぁ」


「……行っちゃった」


 エシャーは呟き、立ち去るスレヤーの背に灯火の光が当たらなくなるまで見送る。


「カミーラ様……そろそろ……」


 ミシュラとカシュラが、レイラに抱きついたままブツブツ呟くカミーラに声をかけているが、こちらは全く動きそうにもない。


「カガワ……ちょっといいか? ルエルフも……」


 レイラが持って来た籠に残る最後の葡萄1粒をエシャーが口に入れたタイミングで、ピュートがおもむろに声をかけた。


「ん? 何?」


「少し歩きながら話そう」


 立ち上がったピュートにつられ、篤樹も立ち上がる。篤樹が差し出した右手をつかみエシャーもすぐに立ち上がった。


「お話なら、ここでしてても良いじゃない?」


「……歩きながら話したい」


 ピュートはお構いなしに、湖岸へ下る道を歩み出す。


「あなたたち、どこに行くの?」


 気配に気付いたレイラが声をかけて来た。


「あ……ちょっと……」


「ピュートと一緒にお散歩してくるねー」


 ピュートは立ち止まり、2人がついて来るのを待っている。エシャーはレイラに手を振ると、篤樹の手を引くようにピュートの元へ歩み出した。


「お散歩……」


 レイラは心配そうに3人の背を見送りながら、自分に抱きつきオイオイと涙を流すカミーラの背中をさすり続けた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「お酒に弱いだけでなく、情にも弱い方……なんですか?」


 エルグレドは楽しそうに笑みを浮かべながら、ウラージの話に聞き入っている。


「ああ。それも、酷いものだ。だからカミーラには酒に手を出すなと戒めを与えた。とはいえ、次の おさとなる立場上、少しは飲めんとな。折りを見て練習はしておったが、法力で胃腸を防御しても、1~2杯が限界だ。原因は、やはりレイラの母に施した治癒魔法の影響だろう。あれ以来、カミーラの法力バランスは崩れたままだ」


「……それほどの難産だったんですね」


 ウラージはエルグレドの言葉に、深くうなずいた。


「元々、我らは少子種族だ。その理由の1つには難産傾向もある。母胎は自己治癒できぬし、胎児もまた能力を備えてはおらんからな。女子エルフの死因は、出産時が多くを占めておる。まあ、それも自然の ことわりと受け止めるのが普通だが、カミーラはそれが出来んかった。そこがヤツの愚かさだ」


 言葉とは裏腹に、ウラージはまるでカミーラの自慢話を楽しむように続ける。


「ミレイ……レイラの母に死の 兆候ちょうこうが現れてよりの3ヶ月……ヤツはレイラを宿した母親に触れ続け、法力治癒を行い続けた。いかに法力量に充ち、治癒能力に高い我らエルフと言えど、3ヶ月間も連続で法力を放出し続けるのは自死行為だ。だが、ヤツはそれを成し切った」


「……素晴らしい息子さんじゃないですか」


「ふん!」


 エルグレドの賛辞にも、ウラージは笑みを浮かべずに鼻を鳴らす。


「おかげで、あれから200数十年経った今も、ヤツは自己治癒能力をほとんど失ったままだ。治癒能力の高いエルフをいつもそばに従えねばならぬ不自由な身よ。まあ……それでも、ヤツの愚かな選択の全てが間違いであった、とは言い切れんがな」


 思いがけずレイラ出生にまつわる話から、ウラージ、カミーラの「内に秘めた情の深さ」を聞き、エルグレドは嬉しそうに微笑む。同族間……親子間での「愛情の深さ」は、グラディーのエルフ属戦士らと変わらない……そんな一面を知る事で、ウラージへの評価が改めて高まる。


「……そんな事もあって、我ら長命種のエルフ族も稀にわずか数百年で生命を終える者もおる。そのような時に思いを遺すために『それ』はある」


 ウラージはエルグレドの左側を指すように、アゴを軽く上げた。


「『残思伝心の実』ですか……本当にいただいても良いんですか?」


 うながされるようにエルグレドは左手を伸ばし、ウラージから渡された革袋に手を載せた。


「ふん……酔狂ついでだ。貴様の人生に、俺が関わった『証し』として大事に持ってろ」


「ええ……」


 エルグレドは笑みを浮かべ応じながら、必死に左手で卓上を探る。


 あれ? 革袋の上に……確かに置いたはずなんですが……


 残思伝心の実が無くなっていることに気付き、チラチラと卓上を確認しながら状況を思い浮かべる。


 葡萄の粒のような色形をした『残思伝心の実』……そばには果物籠が有り……レイラさんが来られて……籠を持って行かれて……


 続けて昔話を語り始めたウラージの言葉が、もはや耳に入って来ないほどの動揺を感じつつ、冷や汗と愛想笑いを浮かべたままエルグレドは空の革袋を隠すように握りしめていた。

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