第305話 果物籠

「ユフの民の言語を、だいぶ理解されたみたいですね」


 エルグレドは隣に座るウラージと静かに会話を続けていた。エルグレド自身も感じているように、互いを敵視するよりもどこか「懐かしい友」との会食のようでもある。


「我々の言語習得能力は人間種とは比較にならん。言葉そのものだけでなく、思いを聞く耳をもっておるからな」


「思いを聞く……ですか。エルフ族の『伝心』も、そうした特性から発展した能力かも知れませんね」


 ウラージはニコリともせずに杯を傾けた。エルグレドも自分の杯を口元に運ぶ。


「ふん……知ったふうな口を……。『あの娘』からの血分けの影響か? 貴様がさっき使った幼稚な『伝心』は?」


「ええ……恐らく……」


 お互い、先ほど口論していた場面を思い出す。他のメンバーには聞こえない「個人伝心」を、2人は織り交ぜて「言い争って」いたのだった。


「3週間以内での 目途めどの根拠……チガセもルエルフの娘もダメだったのだろう? 貴様が『伝心』で言っていた『ほぼ確実な方法』とやらは試したのか?」


「出来れば最初の2案で成功して欲しかったんですけどね……最後の方法は、少しチーム内での調整が面倒なので……」


 エルグレドは杯を傾け、喉を潤す。貴賓席には極上の赤ワインが振舞われていた。


「でも……」


 口内を潤し、エルグレドが続ける。


「面子がそろいましたから……明日にはアツキくん達を村へ送り出せるでしょう」


 確信に満ちたエルグレドの瞳を、ウラージは横から睨むように確認した。


「ふん……貴様の自信に満ちた眼光は嫌いじゃないぞ。上手く行ったなら、すぐに報告しろ」


 ウラージからの言葉に、エルグレドは杯を少し掲げて応じる。


「そうだ……」


 一瞬だけ頬を緩め微笑を浮かべたウラージが、懐から小さな革袋を取り出した。何をするのかと、エルグレドは興味深くウラージの手元に目を向ける。


「これを貴様にやる」


「何ですか……これは?」


 ウラージから渡された革袋を受け取り、口紐を解き中を確認する。


「貴様の思い出話に出て来た『鳥人種』が食ったモノだ」


 革袋を逆さにし、中身を手の平に載せたエルグレドは、ウラージの顔と手の平に載る柔らかな濃紫色の球体を見比べた。


「鳥人種……ケパさまの……食べたモノって……」


「南のエルフ族からもらって食ったと言ってただろう? エルフの秘薬『残思伝心の実』だ。俺には不要だが、一族の長として持っておった。貴様にやる」


 ウラージは怒ったような口調でそう言うと、視線を戻し目の前に置かれている骨付き肉を掴んだ。


「……良いんですか? 一族の宝なのでは……」


「『守りの小盾』は一族の宝だが、『それ』は知らん。大事にしろと先代から預かっただけの不要品だ」


 かすかに洩れ聞こえるウラージからの「伝心」に、エルグレドは温かな思いを感じ取った。テーブルの上に置いた革袋……その上に、まるで1粒の 葡萄ぶどうのような「残思伝心の実」をそっと載せると、ウラージへ身体の向きを変える。


「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」


「ふん!『 不死者イモータリティー』の貴様にも不要かも知らんが、ま、師匠とやらを思い出す際のネタにでも持っておけ」


 エルグレドはウラージの横顔に向け、にっこりと笑顔を見せた。


 ガシャーン!


 突然、食器類がぶつかり合う音が響き、エルグレドとウラージは騒音方向に顔を向ける。少し離れた席に座っていたカミーラが、テーブルに突っ伏していた。


「なんだ?」


 周囲がわずかにざわつく。


「どうした!」


 カミーラの席の後ろに立っているミシュラとカシュラに向かい、ウラージが怒鳴りつけた。ミシュラは屈んでカミーラの状態を確認している。カシュラがオロオロしながらウラージに応えた。


「わ、分かりません! お水を飲まれてすぐに……」


「水?」


 ウラージが問い ただすと、ミシュラが応じる。


「カミーラ様が、 今宵こよいはお酒を飲まれないとのことで、お水をいただいて来るようにと……カシュラが水をいただいて来たのですが……」


「毒か?!」


 ウラージは席を立ち、カミーラのそばへ急いで移動した。すでに両手をカミーラに向かってかざし、状態確認を始めている。しかし……


「いえ……毒ではなく……」


 先に状態確認を済ませたミシュラが、困惑気味に応えようとする。


「ん? 酒か?」


 ミシュラが説明を続ける前に、ウラージも状態確認を済ませていた。テーブルに突っ伏しているカミーラのそばには、透明のガラス製コップが置かれている。ウラージはそれを手に取り確認した。中には真水のように透き通った透明の液体が3分の1量ほど残っていた。


「そばに給仕がいなかったので……あちらにいた衛兵に命じて……」


 カシュラが指さす方向には、すでに指摘された当の衛兵の姿は無い。ウラージはコップを自分の鼻に近づけ、香りを確かめる。確認が終わると、ニヤリと口元を緩めた。


「真水のごとく澄んだ、芳醇なる『酒』か……」


「え? そ……そんな……」


 唖然とするカシュラに、ウラージはコップを差し出す。恐る恐るという感じで、カシュラはそれを受け取り、自分も確認する。


「人間種の 下衆げすな衛兵が、お前が飲むものだとでも思い持って来たのだろう。質の良い酒をネタに、エルフ女と近づきにでもなりたかったのかも知らんな」


「そんな……」


 困惑するカシュラにチラッと視線を向けた後、ウラージはテーブルに突っ伏すカミーラを見下ろし、嬉しそうに微笑んだ。


「こやつは『酒』と分かって飲んでも、すぐに酔いが回る体質だ。ましてや知らずに飲んだからには、何の準備もしておらんからな……起きるまで放っておけ!」


 そう言い放つウラージの目は、幼い我が子を でる父親のように やわらいでいた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 バシッ!


ッ!」


 突然、後頭部を叩かれたエルグレドは、思わず声を上げた。


「あ~ら、甘んじて受けたワリには、 大袈裟おおげさな声ですこと!」


 エルグレドの左後方に立つレイラは、自分の右手の平を冷ますように息を吹きかけながら応じる。


「貴女ですから危険は無いと思って受けただけですよ! まさか力加減をせずに叩かれるとは思いませんでした!」


 両手で後頭部を押さえながら、エルグレドはレイラに振り返り抗議する。


「加減はしましたわよ? 法力強化せずに叩きましたもの」


 レイラは何食わぬ顔で言い放つ。


「……まったく」


 エルグレドは不快な表情をレイラに向け、肩をすくめた。


「仕方無いでしょう? 私は大臣補佐官であり探索隊の責任者です。諸事情的にも、このような席順になるのは当然の……」


「あ~ら、やっぱり御自分が上座に招かれるのを分かっておられたワケですわね?」


 レイラはエルグレドの横でテーブルに腰を預け寄りかかった。


「私たちは『席』さえ用意されていないのも、御存知だったのかしらぁ?」


 エルグレドの前に置いてある果物籠から、レイラは赤いプラムを1つ取ると、自分の口に運びながら尋ねる。


「知りませんよ……そこまでは……」


 抗議の反論を試みたエルグレドだったが、すぐに視線をレイラから背け、語尾が途切れる。


「目は口ほどにモノを言いましてよ、隊長さん?」


 レイラは勝ち誇ったように告げた。エルグレドは溜息をつくと、少し離れた席でやり取りしているウラージたちに視線を向けたまま応える。


「……王室主催の宴での慣例は分かっていましたよ。でも貴女を『エルフ族協議会メンバー』として、上座のカミーラ高老大使のそばには勧めたく無かったんです。探索隊メンバーとして登録した結果、従者席に通されたことが不愉快だったのでしたら、謝りますよ」


 後半は真っ直ぐレイラへ視線を戻した。その瞳をレイラはジッと見つめ、細く笑みを浮かべる。


「あなたの悪い癖ですわよ、エル。どんなに良い計画でも、ご自分の中だけで組まれていては、理解して差し上げられなくてよ。言葉に表して下さらなければ、良い気持ちも伝わらないもの……ま、真意が分かりましたから、今回は許して差し上げますわ」


「そうですね……自分でも改めなければとは思うのですが……なにせ長い間『独り』で歩んで来ましたので……以後、気を付けるようにしますよ」


 レイラからの指摘に、エルグレドは笑顔で素直に応えた。


「レイラさん……」


 そのまま、エルグレドは言葉を続ける。


「ピュートくんを……このチームに加えることになるかも知れません」


 再び果物籠に伸ばしかけていたレイラの手が、一瞬「ピクッ!」と反応する。


「……明日、ピュートくんとアツキくんの2人で、例の『膜』への出入りを試してもらうつもりです。もし、彼らの組み合わせで上手く行きそうなら、そのまま彼をメンバーに加えようと考えています」


 レイラは一口サイズにカットされている果物をつかみ、口元まで持ち上げる。


「……それはまた……ショッキングな計画ですわね……。先ほどの私の気持ちは、汲み取っていただけなかったのかしら?」


 怒気の籠った口調ながら、レイラの雰囲気は穏やかであった。本来、エルグレドは明朝「篤樹とピュートの組合せ」を試した結果を見て、計画を公表するつもりでいたが、そうしなくて正解だったと安心する。


貴女あなたが言うように、ピュートくんは確かに『生命への関心』が薄いとは思います。彼から にじみ出す『死の香り』を、貴女が嫌悪する気持ちも理解します。ただ……」


「『死の香り』……ガザル、ね?」


 レイラはエルグレドが皆まで語る前に口を挟む。エルグレドは満足気な笑みでうなずいた。


「湖神様の 臨会りんかいの地を最後に出た者はガザルでした。それも『無理やり』に出たワケですから、ガザルを引き込む力は残されていると考えます。そして、アツキくんとガザルは一度、2人で臨会の地に入ったと聞いています。ガザルとの『相互干渉体』であるピュートくん……湖神様と強いつながりを持つアツキくん……この2人の組合せなら……」


「分かりましたわ」


 レイラは諦めたように肩をすくめ、溜息混じりに応えた。


「隊長さんの読みは、恐らく『当り』でしょうね。それを、明朝になって急に知らされなくてホントに良かったわ。……まあ、あのガキがそばに居るだけで、私も平常心を乱されますけど……『身内』に迎えるからには、それなりにキッチリ教育して差し上げることにしますわ。腐った果実が混ざった果物籠はさすがに許せませんから。……私の教育方針に口出しはしないと、お約束いただけるかしら? それが条件よ」


 2人は互いの瞳をジッと見つめ、それから、おもむろにエルグレドが吹き出した。


「なぁに、エル! 汚いっ!」


「いえ……スミマセン……ホント……貴女を見ていると、ミッシェルさんを思い出して……。はい、分かりました。ピュートくんの教育担当は、レイラさんにお任せします」


「もう!……っと……じゃあ、戻りますわ。『おじいさま』は苦手ですの……」


 レイラが動かした視線の先にエルグレドも顔を向ける。酔い潰れてしまったカミーラの確認を終えたウラージが、こちらに戻って来ようとしていた。


「これ、いただいて行きますわね。従者席のモノとは比べ物にならない上物ですから」


 果物籠を片手に持って立ち去って行くレイラの背を、エルグレドは苦笑いを浮かべて見送った。

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