第302話 仲違い

 島内を歩いて移動し、更地となっている王宮跡の丘まで来ると、こめかみに青スジを浮かべたレイラが立ち止まった。振り返り、明らかに怒りを抑えているのが分かる口調でエルグレドに詰め寄る。


「どういうおつもりだったのかしら? ご説明いただけます?」


「何がですか?」


 エルグレドはレイラの怒りを受け流すような、柔らかな笑みを浮かべ応じた。


「なぜ おさに向かって、あんな言い方をしたのかって聞いているのよ!」


 レイラは今にも攻撃魔法を放ちそうな勢いで、エルグレドの眼前に右手の人差し指を突き出す。その指先は怒りに震えている。


「まだ何の調査もしていないんだから、あの『膜』を通って、本当にルエルフ村に行けるかどうかも分かんないでしょ! ルロエさんの……エシャーのお父様の命がかかってるのよ! それを……3週間だの20日だのと……タグアの裁判長が下した、ただでさえ短い探索期間をさらに自分から短縮させるなんて……バカじゃないの!?」


「そうですよ、大将……」


 レイラの怒りはごもっとも、とでも言うように、スレヤーが同意にうなずきながら口を開いた。


「過去のしがらみは分かりますし、レイラさんのおじい様とはいえ、確かにイケ好かねぇ奴ですけど……あんな売り言葉に買い言葉みてぇな物言い、らしく無ぇですよ」


 レイラとスレヤーにエルグレドが詰め寄られる中、エシャーは篤樹の左腕にしがみつき、そのやり取りをジッと真剣な表情で見ている。


「本当ならあと7週間の余裕が有ったんですのよ? それを3週間に短縮させてしまったということは、ルロエさんを協議会の再裁判に引き渡す日を1ヶ月も早めてしまったということを……お分かりなのかしら?!」


 ダメ押しのように語るレイラに、エルグレドは「心外」とでも言いたげに目を見開き、驚きの表情を向けた。


「おや? 私はただの一度だって、ルロエさんを協議会裁判に引き渡そう、なんて考えたことはありませんよ?」


 エルグレドはいつものように余裕の笑みを浮かべている。レイラは「ハッ」とした表情を見せると、引きつった笑顔で口を開いた。


「……まぁた、お得意の『秘密作戦』でもあるのかしらぁ? ひとり遊びが大好きな隊長さぁん?」


「えっ?」


 レイラとエルグレドの顔を見比べながら、スレヤーが尋ねる。


「何すか? じゃあ、さっきのは口論に熱くなっての 安請やすうけ合いってワケじゃ……」


「当然です」


 エルグレドは楽しそうな笑みを浮かべる。


「あ、それで……」


 思わず篤樹の口から洩れた声に、全員の視線が向けられた。


「あっ……いや……多分……ですけど……」


「なぁに?」


 レイラが続きをうながす。


「最後に振り向いたら、ウラージさんが笑ってたんです。その……変な笑いじゃなくって……なんだか……楽しそうに……。だから、もしかしたら、ウラージさんもエルグレドさんの……考え? 作戦……ですか? それに気づいて期待したのかなぁ……って……」


「さあ……」


 エルグレドが満足そうに笑みを浮かべ応える。


「どうでしょうか? ただ、彼とは確かに『 因縁いんねん』が有りますが、それを超える『懐かしさ』をお互いに感じているのかも知れません。どこか、古き友と出会った『喜び』のようなものをね。あちらは歳相応に、周りに敵対者も反抗者もおられないご様子ですから、ちょっとしたサービスのつもりで感情的に応じただけです」


「じゃあ……本当に大丈夫なんだね?」


 エシャーがボソリと口を開いた。


「本当に……絶対に……大丈夫? あと3週間で、村から盾を持って帰って来れる?」


 不安と期待で見つめるエシャーの瞳に、エルグレドはしっかりと視線を合わせてうなずいた。


「正直、『たぶん大丈夫』としか今は言えませんが……ルロエさんの命は、何があっても絶対に大丈夫です。お約束しますよ」


「ちょ……エル?!」


 その返答に、レイラが あわてて口を はさむが、エルグレドはエシャーとの視線をそらさずに改めて応える。


「ルロエさんの命は、何があろうと私が守ります。たとえウラージさんと再び戦う事になったとしても、ね」


「……いざとなったら、エルフ族とやり合ってでも……ってことですかい?」


 スレヤーが微笑を浮かべながらも、緊張した声で尋ねた。


「呆れた……」


 レイラが首を横に振り、肩をすくめる。直後、篤樹にも分かるほどの殺気が込められたひと言が続いた。


「……その時は、永遠に殺し続けて差し上げましてよ、 不死者イモータリティーさん」


「おや? てっきりこちらに付いて下さるかと思いましたが……」


 エルグレドは相変わらず、余裕の笑みを浮かべたままレイラに応える。


「レイラ……」


 エシャーが困ったような、哀し気な視線をレイラに向けた。


「まあ、ですから……」


 場の雰囲気を変えるかのようなエルグレドの声に、全員の視線が自然に向く。


「そのような事態にはならない、という確信を私は持っている……そのように御理解下さい」


 エルグレドの余裕の笑みは変わらずだが、その眼光には力強い説得力が満ちている。エルフの 真偽鑑定眼しんぎかんていがんで確認せずとも、その発言には一切の嘘偽りも不安も無いと誰もが納得した。レイラは「フッ」と息を吐き出し、穏やかな微笑を浮かべる。


「まったく……800歳や1000歳の 狡猾こうかつな御老人方の毒気に、すっかり当てられてしまいましたわ! さ、見た目だけ若者の隊長さん。責任もって私たちをルエルフ村へ連れて行って下さいな!」


「そ、そうですよ、大将! 俺ぁ、何だってやりますから、指示をお願いしますよ!」


 スレヤーも、ホッと安心したように声を上げた。


「そうですね。では早速、試しに行きましょうか?」


 エルグレドの声かけを合図に、レイラとスレヤーが 湖岸こがんに向かい歩み出す。その後に従い、エシャーと篤樹も進み出した。


「さて…… 何人・・入れますかねぇ……」


 篤樹の耳に、独りごちたエルグレドの呟きがかすかに届いた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 一行は王宮跡地前の湖岸に並び立つ。


「あの『ブイ』が目印よ」


 レイラは、湖面に浮かぶ紅白2色の棒を指さした。目印の4本のブイが、湖岸水際から10メートルほど離れた場所でユラユラ揺れている。


「さて……それでは調べてみましょうか?」


 エルグレドはそう言うと、湖岸に上げられている小舟を湖面へ押し始めた。篤樹も急いで舟に手をかける。同時に、もう 一艘いっそうをスレヤーが押して水上に浮かせた。


「そちらに3人で!」


 エルグレドはスレヤーたちに声をかけるとすぐに舟へ乗り込み、篤樹に手を差し出した。その手を掴み、篤樹も乗り込む。


「あの……エルグレドさん……」


 座位での両舷オールを ぐエルグレドに、篤樹は話しかけた。


「どうしました?」


「さっき……チラッと聞こえたんですけど……『何人入れるか』って。あれ、何なんですか?」


 篤樹の問いに、エルグレドは舟を漕ぐ手を休めず、笑顔のまま応じる。


「私の『読み』としては、アツキくんは確実にあちらへ行けると踏んでいます。もしかするとエシャーさんも大丈夫かな、と。ただ、私たち3人はどうだろうかと……。『同行者』として認められるのか、それとも『部外者』として こばまれるのか……」


 エルグレドの説明が終わる前に、舟は目印のブイの横へ着いた。スレヤーたちの舟も、すぐにブイの横へ並び着く。


「どうします? 大将」


 虹色の膜に近づけたのは、今のところルエルフ村に 所縁ゆかりのあるルロエだけであったとの情報は共有している。スレヤーの確認の声に、エルグレドは応えた。


「このまま、近づいてみましょう!」


 2艘の小舟は、目印の4メートル四方4隅に浮かぶブイとブイの間を抜け、中央に ただよい浮かんでいる虹色の膜へゆっくり近づいて行く。しかし、2メートルほど進むと、 舳先へさきが何かに抑えられたように、舟は前進することが出来なくなった。


「やはり、全員は無理なようですね……」


 エルグレドが洩らした言葉に、篤樹は緊張を覚える。


「あの……それって……」


「スレイ! そっちはどうですか?」


 篤樹が問いかけようとした声は、エルグレドの声にかき消された。


「ダメですねぇ……動きません!」


「こちらに、舟を寄せて下さい!」


 エルグレドはすぐに指示を出し、自らもオールを操作する。


「アツキくん、エシャーさん……こちらにお2人で乗られて下さい」


 2艘を寄せ合うとエルグレドは立ち上がり、篤樹と場所を移動しながらエシャーに指示を出した。エシャーはうなずき立ち上がると、エルグレドの手を借りて舟を移動する。エシャーの着座を確認し、エルグレドはスレヤーたちの舟に乗り移った。


「さて……残念ながら全員での入村は無理なようです。ここからはお2人に期待するしかありません。ルロエさんは膜に『触れる』ことは出来ましたが、それ以上は『入れなかった』ということです。お2人はどこまで『入れるか』を、まず調べて下さい。ただ、たとえ全身が入れそうでも、今は入らないで下さいね。今日はあくまでも調査までです」


 篤樹は深く息を吸い込み、吐き出した。全員で行くことが出来ない可能性は聞いていたが……いざ、本当にエシャーと2人だけでとなれば……


「行こっか……」


 不安を振り払うように篤樹はエシャーへ声をかけ、オールを握る。軽くひと漕ぎすると、先ほど「舳先が止まった場所」よりも前に進んだことを体感した。舟の右舷……舳先に背を向ける篤樹の左側の湖面に、虹色の膜が広がっている。


「これが……」


 エシャーが膜に手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくりと手を近付け……膜の上に「置いた」手をジッと見つめる。


「あれ? えっと……エルぅ! 膜には『 さわれる』んだけど……」


「エシャー……」


 篤樹は中腰でバランスをとりながら移動し、エシャーの肩を抱いた。


「次は、俺がやってみるよ。少し反対側に体重を移動してくれる?」


 エシャーが座ったまま移動し場所を空けると、篤樹は舟のバランスに注意しながら右手をゆっくり伸ばした。エシャーは篤樹の左腕をしっかり掴んでいる。


 エシャーだけだと、ルロエさんと同じように「膜に 触れるだけ」だった……そのエシャーと俺が接触していても、変化は無し。じゃあ……あとは、俺が触れた状態で、エシャーも一緒に入れるのかどうか……それがダメなら、俺ひとりだけなら入れるのか……


 篤樹は膜の上に右手を乗せた。そして押してみる。膜はまるでレースのカーテンのような触り心地だったが「中に入れる」という感じはしない。


 エシャーと2人じゃダメ……じゃあ、俺1人でってこと?


 深呼吸をした後、篤樹は身体に れないようにとエシャーに指示を出し、再度、膜に向かって手を伸ばし置く。しかし、やはり「中に入る」ことは出来なかった。


「ダメです! 入れません!」


 1人でルエルフ村へ向かわなくても良さそうだとどこかホッとしながらも、結局、エルグレドがあれほど自信を見せていた「道」が開かれなかったことへの不安を抱き、篤樹は結果を報告する。


「分かりました。では、そのまま、一旦岸に戻りましょう!」


 エルグレドが声をかけると、篤樹は漕ぎ手座に移動しオールを握った。


「さて……どうするおつもりかしら?」


 漕ぎ手のスレヤーの前に座るレイラが、船首向きに座るエルグレドと対面になり問いかける。


「さて……どうしましょうかねぇ……」


 エルグレドは穏やかな表情のまま、困ったような声で応えた。


「あなた、本当に困っていらっしゃるの? それともまた、お1人だけで何かを企んでいらっしゃるの?!」


 レイラの厳しい声が、静かな湖上に響く。エルグレドは 溜息ためいきく。


「全員で行ける事を第一に期待していました。アツキくんが先導すれば可能性は高いのではないかと。それが叶わなくても、アツキくんとエシャーさんの2人なら……いえ、アツキくんだけでもと……。ガザルが出て来られたのですから、入る事も可能なはずなんです。ただ、条件が分からない……条件さえそろえば、アツキくんは行けるはずです」


「なんですの! その根拠の乏しい『確信』は!? あなたの言葉を信頼してみんな……」


「おい、エルグレド! 何をやっているのだ?」


 レイラの怒りが爆発する寸前、湖岸から声がかけられた。


「仲間内での 仲違なかたがいはみっともないぞ!」


 湖岸に立つ3人の姿……文化法暦省大臣ビデルと―――


「お父さん!」


 エシャーはビデルの隣に立つルロエに気付き、大声で呼び掛ける。


「……なんで?……あのガキが……」


 ビデルの背後に立つピュートの姿に、レイラはボソリと声を洩らした。

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