第295話 大難去って……

「あの……こんばんは……」


 篤樹は目の前に立つ女に、恐る恐る声をかけた。背後に立つウラージたちを睨みつけていた女は、その呼びかけにハッと振り返り、篤樹をマジマジと見つめる。


『お前……分かるのか?! あたしの言葉、通じるのか!』


「はぁ……まあ……一応は……」


 女の顔に見る見る笑みが浮かぶ。直後、その目に涙が溢れ、こぼれ落ちる。


『そっか……話が……ちゃんと通じるのか……』


 やわらいだ女の表情に篤樹も軽く笑みを返し、うなずき応じた。


「その……『言語適用魔法』とかいう、特別な魔法をかけてもらってるそうで……僕は普通にあなたの言葉分かりますから……安心して下さい」


『……名前は? お前の名前はなんだ?』


 女が親し気な笑みを浮かべ尋ねる。


「あっ、賀川です! 賀川篤樹です。えっと……あなたは……」


『あたしはミスラ! カミュキ族のミスラよ。よろしくね、カガワアツキ』


 ミスラと名乗った女は、後ろ手に縛られたまま軽く頭を下げた。篤樹もつられてお辞儀を返す。すると、ミスラは首を傾げながら頭を上げた。


『あっ……えっと……挨拶の仕方は……やっぱり違うのかな?』


「えっ……いや……今のは……」


 篤樹は自分のお辞儀が間違っていたのかと、不安に感じながら尋ねる。


『お互いに名前を明し終わったら、おでことおでこを合わせて挨拶をするのよ。やってみて!』


 ミスラに促され、篤樹は恐る恐る上目遣いで頭を下げる。するとミスラが一歩近づき、篤樹の前頭部に自分の前頭部を軽く合わせて来た。


『よろしくね、カガワアツキ。言葉が通じるのはあなただけのようだから……』


 血やホコリで薄汚れた顔のミスラが、篤樹の目の前で満面の笑みを見せる。篤樹は急に恥ずかしくなり、慌てて後ろに距離をとった。


「そいつは何と言ってるんだ! 訳せ!」


 ウラージが痺れを切らして怒鳴り声を上げる。自分たちには理解出来ないユフの民の言葉で語るミスラと、自分たちが理解出来る言葉で語る篤樹の「異様なコミュニケーションの姿」に、まるで「誰かが電話で会話している内容を、そばで予想しながら聞き耳を立てているもどかしさ」を感じているのはウラージだけでは無かった。


「あっ……えっと……」


 篤樹はミスラから視線をそらし、ウラージたちに意識を向ける。


 そのまま伝えちゃ……マズイよな……


「その……ずっと縛られてたから手が痛いそうです! 縄を解いて欲しいそうです! あと、名前はミスラさんだそうです」


 篤樹はとりあえず、ミスラの「痛々しい姿」をなんとかして上げたいと思い立ち、ウラージに告げる。


「何だと? 捕虜のクセに生意気な……」


 ところが、怒りの表情でウラージが近づく姿に、篤樹は慌てて口を挟んだ。


「大事な話があるそうなんです! でも、こんな格好じゃ痛くて話しにくいからって!」


「そいつは強力な法術使いなんだぞ! 解くワケにはいかん!」


 尚もウラージは怒りあらわな険しい顔で篤樹を怒鳴りつける。篤樹はミスラに意識と視線を向けた。


「あの、ミスラさん? 手が自由になっても攻撃魔法とかで暴れないですよね? 何か大事な話があるんですよね?」


 篤樹の問いかけにミスラはキョトンと小首を傾げた。


『あのエルフのクソジジイが、急に攻撃を仕掛けて来たから反撃しただけだ。身の安全を保障してくれるんなら、暴れたりはしないさ。それに「大事な話」がある。この国の指導者に会いたい。なんとかあの馬鹿共を黙らせて、君から話を通して欲しい』


 ミスラの返答に、篤樹はホッとした。思い付きで「大事な話がある」と言い切ってしまった以上、どうしようかと内心ドキドキしていたが、これで「嘘」では無くなった。


「わかりました」


 篤樹はミスラに告げると、ウラージに視線を戻す。


「ミスラさんは、自分から攻撃する事は絶対にしないそうです。乱暴なことさえされなければ、暴れることは無いと言ってます。それに、大事な話を、早く王様に伝えたいんだそうです」


「王に?」


 ビデルが不審そうに声を洩らし、レイラのそばに立つバスリムへ目を向けた。ガザルからの攻撃によって顔も全身も流血や土埃で汚れてしまってはいるが、外見は誰の目から見てもルメロフ王その人の姿だ。


「えっ? あ……」


 突然、話題の中心に挙げられたバスリムは動揺し、言葉が続かなかった。それを察知し、すぐにレイラが助け舟を出す。


「あら? そう言えば大臣方は御存知ありませんでしたね。こちらの『ルメロフ王』は、エルグレド補佐官が立てられた『王の影武者』にございましてよ」


「か、影武者だと?!」


 ヴェディスが驚きの声を上げる。


「ええ。メルサ正王妃がジン・サロン剣士隊と共にクーデターを計画している……との情報がございましたの。ルメロフ王を暗殺し、女王制国家を樹立するという計画ですわ。そこで、王の命をお守りするために、エルグレド補佐官が昨夜、急きょこちらの『影武者』をお連れ下さいましたのよ」


「聞いとらんぞ!」


 レイラの説明にヴェディスが抗議の声を上げる。その横で、ビデルは驚きの表情から含みのある笑顔へ変わった。


「なるほど……エルグレドによる緊急避難の判断だった、というワケですな?」


 ビデルの言葉に、レイラは笑みをもってうなずき応える。


「ふん……そいつは法術士か……」


 ウラージは汚物を見る様な目でバスリムを睨む。


「そ、そんな権限は……たかが大臣補佐官の分際で……」


 ヴェディスは尚も抗議を続けようと口を開いた。しかし、即座にウラージの右手から攻撃魔法が放たれ、ヴェディスの眼前を横切る。


「黙れ! そんなことはもはやどうでも良い!……コイツはルメロフの偽物だという事が分かった。ならば本物はどこにいる? 今すぐ連れて来い!」


 ウラージの視線がレイラに向けられた。レイラは微笑を浮かべたまま小首を傾げると、バスリムに向き直る。


「お仲間方に、すぐにお伝えする方法はございまして?」


「え? あ、はい!」


 バスリムは返事をし、すぐに両腕に法力を溜める。淡い水色の法力光が両腕を包むと、身体を湖の対岸に在る「王家の森」へと向けた。


「あちらへ……入城可能の合図を送ります」


 ひと言の説明後、バスリムの両腕から薄青い法力球が放たれる。尾を引きながらその光は対岸の森の木々へ吸い込まれ、すぐに大きな輝きとなり森を数秒間包んだ。


「……作戦が二転三転はしましたが、この合図は有効のままですから……すぐに兄たちに伝わるはずです」


 バスリムの説明にレイラはうなずき、ウラージに視線を戻す。


「……とのことですので、少々お待ち下さいますでしょうか?」


「よかろう。動きが無ければこちらから乗り込めば良い。あの森に居るのだな? あのバカ王は」


 ウラージはレイラに答え、視線を篤樹に向けた。


「おい、キサマ」


 ウラージからの高圧的な呼びかけに、篤樹は「ビクッ」と身体を震わせる。1年の時に、保体の岡部から入部勧誘された時のような緊張を覚えた。


「その女の縄を解いてやれ」


「え、あ……はい。あ、でも……」


 ウラージからの「命令」に思わず動き出した篤樹だったが、目線を両手に向けてオズオズと言葉を続ける。


「えっと……僕……指が……」


 ガザルとの戦いの中で負傷した両手の指が、まだジンジンと痛んでいた。篤樹は両手を眼前まで持ち上げ怪我をアピールする。


「自己治癒も出来ぬ小僧が『伝説のチガセ』か……所詮は人間種だな。おいっ! 魔法院の! そいつを治してやれ!」


 ウラージは篤樹を睨むように見つめたまま、背後のヴェディスに指示を出した。


「な! なんで私が……」


 声を上げかけたヴェディスだったが、ウラージが振り返る動作を見せただけで渋々という表情で篤樹に近付く。


「……手を出して」


 ウラージの横を抜け篤樹の前まで来ると、ヴェディスは面倒くさそうに声をかける。言われるままに篤樹は両手を前に出した。その様子をミスラが興味深そうに見つめる。


『お前、そんな怪我をしてたのか?』


 左手の人差指と中指、右手の小指と薬指が通常の倍ほどにも腫れ上がり、紫色を帯びていた。篤樹も改めて自分の手を凝視する。


「あのガザルと戦ってこの程度の傷で済むとはな……」


 両手をかざして治癒魔法の法術光を放ち始めたヴェディスは、違う意味で感心の声をかけた。


「かなり細かく砕けてしまってるな……まあ、材料は全部残ってるから、とりあえずは大丈夫だろうが……」


 ブツブツと独り言のように語りながら治癒魔法を施すヴェディスの横から、ピュートがヌッと顔を出す。


「ユーゴの会長の割に下手な治癒魔法だな」


「な……」


 不意のダメ出しに、ヴェディスが声を詰まらせた。しかしピュートは構わず、自分の両手をヴェディスの手に重ねる。


「法力を注ぎ続けろ。細かい所は俺がやる」


 有無を言わせぬ口調のピュートに気圧されたのか、ヴェディスは不満気な表情でピュートに一瞥をくれただけで法術を続けた。その間に、結局ウラージ自身がミスラの縄を解いてやっていた。


「あら……」


 レイラの驚きの声に、一同が視線を湖岸北の森に向けると、淡い緑の法術光球が対岸に複数見えた。


「ちゃんと伝わったようですね……。すぐに渡って来るはずです」


 バスリムが安心した声でレイラに語りかける。


「ミスラさん、もうすぐ王様に会えるそうです!」


 治癒魔法を受けながら、篤樹は嬉しそうな声でミスラに説明した。


「大難は去り、役者が揃うか……」


 ウラージが誰にともなく語ると、ルロエが何かに気付き頭を上げ、周囲を見渡す。つられるように、ビデルやヴェディスも何かを探るように周囲に顔を向けた。


「今回の大群行も、どうやら収まったみたいですわね……」


 レイラが笑顔を篤樹に向ける。


「瀕死のガザルがこの地を去った。指示者を失ったサーガ共など、所詮は野の獣のようなもの。人間共にも狩られる害獣に過ぎん。命拾いしたな、人間種」


 ウラージは、ビデルとヴェディスへ交互に顔を向け声をかけた。


「……だが、この瀕死の国に我らエルフ族が追い打ちをかけたら、どうなるかな?」


「な……何をおっしゃいますか!」


 ウラージの思わぬ言葉にヴェディスが驚きの声を上げ、篤樹の手の治癒魔法を離れて向き直る。しかしウラージはその抗議を叩き潰すように怒鳴った。


「貴様ら人間種の小賢しい計画とやらのせいで、大陸全土に災厄が降りかかったんだぞ! 思い違うな人間種めが! この地は貴様らの私物では無い! 昔も、今も、これからもなっ!」


「宣戦を……布告なされるのですか? 長老大使……」


 ビデルが額に汗を浮かべ、噛みしめるようにゆっくりと尋ねる。しかしウラージは表情を変え、口角を上げて応じた。


「それも手のひとつに有るという事だ。だがむしろ、貴様らが国を建て直すために助力を与えてやることも出来る。役者が揃えば、良い結論が出るだろう」


 ウラージは視線を湖上へ向ける。ならうように、全員の視線が対岸から渡り始めている 数艘すうそうの舟影に向けられた。

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