第292話 飛び去った危機

「あ……えっと……」


 頭部にガザルを乗せた「黒魔龍」の巨大な顔を見上げ、篤樹は頭の中が真っ白になっていた。


 頭部だけで5メートルほどもある真っ黒な蛇……生き物としての実体を持っているようにも見えるが、煙や霧が固まって形を成している「黒魔龍」の輪郭は、ゆらゆらとぼやけても見える。


 本当にこれが「あの」柴田加奈……彼女が創り出している思念体なのか?


 目の前に在る、全長200メートル以上の「黒魔龍」を見上げ、篤樹は声を失う。


「カガワ! とにかく呼び止めておけ!」


 篤樹の背後から声をかけたピュートは、黒魔龍の頭部に横たわるガザルへの攻撃を思案する。


 あの蛇の頭からガザルを叩き落す……あとはカガワの剣で頭部を打ち砕くなりすればガザルは倒せる。「蛇」は……思念体か? これだけの形を維持してるからには、どこかに「核」があるはずだ。それを砕けば、こっちも片はつく……


 ピュートは黒魔龍の視界から離れ、頭部に飛び移るための足場を探し移動した。


「シュー……シュー……」


 黒魔龍は頭部を左右に揺らしながら、自分の視界に現れた篤樹をジッと見下ろす。真っ赤な分かれ舌を口元から出し入れしつつ、威嚇音を発し続けていた。


 柴田……なんだよなぁ……


 エルグレドの情報から、黒魔龍は柴田加奈が生み出した思念体であるらしいと理解はしている。そうは理解していても、いま目の前に居るのは邪悪な黒色を発する巨大な蛇……篤樹は意を決し、頭を振って大声で叫ぶ。


「柴田ーッ! 柴田加奈なんだろ?! 俺……分かるか? 同じクラスの賀川だよッ! 3年2組の……なぁ? 分かるかーッ!」


 黒魔龍の頭部の揺れがピタリと止まった。舌を口の中に収め、威嚇音も止む。獲物を狙う殺意に満ちていた目の色が、動揺の色に変わったように篤樹は感じた。


「なあ? 分かる? 分かるよな? 俺……こっちに来てまだ2ヶ月も経ってないし……この前と……修学旅行の時と変わってないだろ?」


 言葉が伝わっている感触に、篤樹はホッとしながら声をかけ続ける。


「あの時……バスが事故ってさぁ……みんな『こっち』に迷い込んだんだって聞いて……そうだ! 俺、先生に会ったよ! 小宮先生に。お前も会ったんだろ?」


 呼びかけている途中で、篤樹は自分よりも小宮直子の名を出すほうが伝わる気がした。転校生の柴田加奈とは同じクラスとはいえ、記憶に残るような会話は無かったように思ったからだ。


「あっ! それとさ、高木さんにも会ったよ、俺! 高木香織! お前、よく一緒に居ただろ?」


 頼れる「おばさんキャラ」の高木香織は、積極的に転校生の柴田加奈に接していた。篤樹の記憶によれば、恐らく、柴田加奈とクラスで最初に友達となったのは高木香織だったはずだ。


 黒魔龍は上空で揺らしていた尻尾までの動きを完全に止め、篤樹の呼びかけをジッと聞いている。


 伝わってる!……んだよなぁ?


 篤樹は黒魔龍が見せたこの反応を、どう理解すれば良いか分からず愛想笑いを浮かべた。


「高木さんさぁ、俺のダチの亮と一緒に居てさぁ……ほら、牧田って……覚えてる? ってか知らないかなぁ……まあでも、とにかくさ! アイツら2人にも、このまえ会ったんだよ!……ちょっと……老けてたけど……」


 何を話せば良いのか分からない。実際に目の前に居るのは「巨大な黒魔龍の頭」なのだから、篤樹としては到底クラスメイトの女子に語りかけるように話を続けるのにも限界を感じる。


 その時、篤樹は何かが黒魔龍の頭部に向かって跳びかかっていく影を視界の端に捉えた。作戦通り、ピュートが近くの木を足場にし、ガザルに向かって飛びかかった姿だった。


「グアッ!」


 黒魔龍の頭上から叫び声が聞こえ、直後、ガザルが地面に落ちて来た。続いて、ピュートも地に降り立つが、すぐに膝をつき顔を押さえる。


「ピュートッ!」


 篤樹は顔をピュートに向け、駆け寄ろうとした。


「早くやれっ!」


 しかし、その動きに気付いたピュートは顔から手を離し叫ぶ。ピュートは顔の左半分に先ほどまでは無かった大怪我を負っている。その姿を確認し、篤樹は唖然となり目を見開く。


「ガザルをっ!」


 改めて叫んだピュートの声に、篤樹はハッとした。


 「相性が悪い」……ピュートとガザルは、理由は不明だがお互いへの攻撃が自分自身に跳ね返って来る。だからピュートがガザルを「殺す」ことは、自分自身を殺すことになると言っていた。


 ガザルの顔面を蹴り飛ばして落としたのか……


 ピュートが新たに負っている顔面の傷に納得し、篤樹は成者の剣を握り直す。左右4本の指が折れた状態でどれだけの打力を生み出せるかは分からない……しかし、篤樹は「ガザルを倒す」という目的をもって、身体の向きを変えた。


「……グ……くそ……クソッ!」


 地面に落ちたガザルが半身を起こしている。やはりピュートと同じく、顔の左半分は大怪我を負っていた。


 篤樹はゆっくり足を前に進めた。その姿にガザルは気付くと、怒りと殺意に燃えた目を篤樹に向ける。


「クソ……虫けらが……調子に……乗りやがって……」


 血の泡を口からこぼしながらガザルは悪態をつく。


「……オイ……オイッ! 聞こえ無ぇのかクソ娘ッ!」


 ガザルは視線を篤樹から逸らし、黒魔龍に向ける。


「仕事をしろッ! 馬鹿ヤローッ!」


 ガザルの鬼気迫る怒鳴り声に、篤樹は思わず足を止めて黒魔龍に目を向けた。しかし、黒魔龍はまるで珍しいモノでも見るように篤樹を見下ろし、首を傾げているように見えた。篤樹はその視線から目を離せなかった。


「カーナーッ! お仕置きされてぇのか、馬鹿娘がぁ!」


 再び、ガザルは苛立ちの怒鳴り声を発す。その声、その言葉に、黒魔龍はビクリと身を震わせ視線をガザルに向ける。篤樹も我に返りガザルを見た。


 ヤベッ! 早くガザルを……


 篤樹はその場から一気に駆け出そうとしたが、それよりも早く黒魔龍が動き、地面に横たわるガザルを口に咥えてしまった。


「あっ……」


 出遅れた篤樹は、再び黒魔龍と視線を合わせる。だがその目は先ほどまでとは違う……再び、殺意を秘めた戦闘モードの光を帯びていた。


「柴……田……」


 篤樹は鎌首をもたげる黒魔龍を見上げ、呟くことしか出来ずその場に立ち尽くす。上空で黒魔龍の尾が左右に揺れ始めた。


「カガワ、もういいッ! 逃げろ!」


 背後から投げかけられたピュートの声に反応し、篤樹は黒魔龍に背を向け駆け出した。成者の剣による効果を得、すぐに法力移動となる。


 黒魔龍の尾が王都上空の「壁」に再び打ちつけられると、長城壁からつながっていた防御壁魔法が光の粒となって四散した。ガザルを咥えた黒魔龍はその光の粒を突き抜け、空高く飛び去って行った。


 あ……


 砕けた法力光が雪のように舞い降りる空を篤樹は見上げる。黒魔龍の姿はすでに無く、空には法力光の残光の先に瞬く星々が またたいていた。


 逃がし……ちゃった?……いや……助かっ……た?


 気が抜けたように夜空の星を見つめ、複雑な思いのまま立ち尽くす。


「アツキくん!」


 ルロエから名を呼ばれ、篤樹は振り返った。まだ完治していない怪我の部位を両手で押さえるルロエが、ふらつきながら近づいて来る。


「ルロエさん!……大丈夫ですか?」


「ああ……まだ痛みはあるが……大丈夫だよ。ピュートくんの治癒魔法のおかげだ。彼は?」


 ルロエの問い掛けに、篤樹は視線を動かしピュートを探す。法力移動で逃げたおかげか、黒魔龍と対峙していた場所から200メートル以上離れていた。


「ピュートなら……多分大丈夫かと……」


 篤樹とルロエは横並びで歩き出す。


「ガザルは……逃げたのかい?」


「はい……あの蛇の口に咥えられたまま……飛んで行っちゃいました」


「そうか……まあ、ヤツもかなりの深手を負っていたようだし、すぐには戻って来ることもあるまい……。手の怪我は?」


 ルロエは篤樹の手元に視線を向け尋ねた。


「え? あ……痛いです……かなり。多分、指の骨が何本か折れてるんだと思います」


  成者しげるものつるぎは、変わらず「竹刀」形状のままだ。篤樹は痛みの無い右手の人差し指と中指でつば止めに近い柄の部分を握り、右肩に剣を載せ抱えている。


「……ガザルの拳で、まともに殴られましたから」


「そうだね……。まあしかし、よく頑張ったね! いつの間にか法術剣士にまでなってるとは、驚いたよ!」


「そんな……別に……」


 ルロエからの分不相応な評価を受け、篤樹は照れ臭そうに受け答えた。


「エルグレドさんから法力の呼吸法を教えてもらって……ここに来てからはスレヤーさんから剣術を教えてもらって……。あ! でも、どっちも基本だけです! だから……法術剣士なんて……」


「ははは! 私に謙遜する必要なんか無いよ。君は充分に法術剣士として、あのガザルと戦いを繰り広げたんだからね。そして……ヤツを退けた。その事実は充分に誇れるものだよ」


 思わぬ高評価にますます照れ臭くなった篤樹は黙ってうなずき、視線を前に向ける。その視線の先にある木立の陰からピュートが姿を現した。


「……大丈夫?」


 篤樹はピュートに声をかける。ピュートは顔の左側にまだ左手を添えていた。その手は薄っすらと治癒魔法を施す法力光を発している。


「逃がしてしまったな。作戦失敗だ」


 感情のこもらない淡々とした声でピュートが答えた。一瞬、篤樹は自分のミスを責められるのかと思ったが、ピュートの意図は責任探しでは無い事を感じ取る。


「ピュートくん……」


 ルロエが心配そうに声をかけた。


「その怪我は……」


「ガザルを蹴り落とした。ヤツも同じ傷を負っている。殺すわけにはいかないから力を加減した」


 加減した蹴りで、そんな大怪我を……


 篤樹は改めてピュートの「秘められた強さ」を認識し、言葉を失う。


「君は……自分の身体のことを……理解しているんだね?」


 ルロエが静かに尋ねた。ピュートはルロエの質問の意図を探るように視線を合わせ、少し首を傾げ答える。


「あんた……さっきも言ってたな?『父』からどこまで聞いた?」


「……ボルガイルは……全てを話したよ」


「えっ? あの……ルロエさん? ボルガイルって……内調の……」


 2人の会話の内容に驚いた篤樹が口を挟むと、ルロエは微笑んでうなずいた。


「そう……ピュートくんの『生みの親』……ボルガイル……彼は元王都研究所の主任だったんだ」


「研究所の……え? じゃあ……科学者……なんですか?」


「父の研究はユーゴと初代エグデンの遺志を果たす事……」


 篤樹の問いにピュートが答える。


「俺を生み出すために、父はガザルの細胞を使った。だから俺はアイツとつながっている」


 突然の「解答」に、篤樹は呆然と目を見開きピュートを見つめた。

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