第291話 対面

「うおっ! なんだっ!」


 突然大きく跳ね上がった馬車の衝撃にヴェディスが叫ぶ。ビデルはヴェディスとの間で両手両足を拘束し座らせていたユフの女性を支えるように衝撃を耐えた。対面で座っているウラージも体勢をわずかに崩したが、すぐに立て直し窓に身を寄せ状況を確認する。


 軍部の高官用馬車で湖水島へ向かっていたが、道半程で起こった衝撃に馬の足も止まってしまう。


「……地震か?」


 馬車の動きが止まったにもかかわらず、ガタガタと続く揺れを感じウラージがつぶやく。


「……法撃では?」


 ビデルも緊張を隠し切れない様子で推論を述べる。その時、ユフの女性が拘束されている身体を投げ出すように車窓へ顔を近付けた。


「お……おい! 何を……」


 自分の前に突然飛び込み移動して来た女に向かい、ヴェディスが驚きの声を上げる。しかし女は構わずに顔を車窓のガラスに押し付け、外の様子をうかがう。


「何か知ってるのか?!」


 ウラージは女の後ろ髪をつかみ引っ張ると、強引に顔を自分に向けさせた。女は嫌悪の視線をウラージに向け苦痛の叫びを発したが、すぐにまくし立てるように語り出した。


「りねに……りねしすに! きんさせうれけに!」


「まったく……」


 ウラージはウンザリした声を出す。


「こいつは何かを知っている……が、この言葉じゃ何も聞き出せんと来た……。早くカガワアツキを見つけて……」


 言いかけたウラージは言葉を切る。ヴェディスも何かを感じた様子でハッと息を飲んだ。少し遅れてビデルも車窓の外に視線を向ける。


「なんだ……この感覚は……」


「……今まで……感じたことが無い巨大な法力……いや? この力は……何だ?」


 ヴェディスもビデルの言葉に被せるようにつぶやいた。ユフの女は必死に身をよじらせ、馬車の扉に身体を打ちつける。


「たなも! てせふふそひくな!」


「……ふん。言葉は分からんが……言いたい事は分かった……。おい! 降りるぞ! この女を連れてついて来い!」


 そう言うと、ウラージはすぐに馬車の扉を開き外へ飛び出す。指示通りにビデルとヴェディスも女を抱え車外へ降り立った。


「女の足の拘束を解け!」


 ウラージが即座にヴェディスへ指示を出す。


「あの……」


 御者兵が御者台から声をかけて来たが、ウラージは構わずに歩き出している。2頭の引馬は何かに怯えている様子で、落ち着きなく ひづめを鳴らし足踏みをしていた。


「上等兵! 馬の連結を解いてやれ! すぐに貴様もこの通りから離れろ!」


 ビデルと共にユフの女を両脇から挟み、ウラージの後を追い始めたヴェディスが御者兵に向かい大声で指示を与える。その声に弾かれたように御者兵は台から降り、指示された通りに引き馬たちを解いた。ビデルとヴェディスはその様子を確認し、さらに足を早めウラージを追う。


「マズいな……」


 ウラージは立ち止まり周りを確認する。市中に溢れ出ている人々も、経験したことの無い地揺れと、立ち込め始めた「異様な空気」に動揺し右往左往していた。


「隣の道まで走るぞ!」


 何かを確信したように、ウラージは1本東の道へ向かい駆け出す。ビデル達もその後を追って駆け出した。数十秒も経たず、再び突き上げるような衝撃が足元を襲い、ビデル達は路上に転倒する。直後……背後で激しい衝撃音が起きた。建物が倒壊していく揺れが続き、連鎖的な破壊音が辺りに響き渡る。


 ビデルとヴェディスは倒れたまま、すぐに自分達3人の周りに防御魔法を発現させ上半身を起こす。


「な……んだ……あれは……」


 衝撃を感じた後方を振り返ったヴェディスは、先ほどまで自分達が居た大通りから空に向かって伸びていく「黒い柱」を見つめて目を見開いた。


「グラディーの……怨龍……」


 ビデルはその「柱」が、巨大な蛇の胴体だと気付きつぶやく。


「りみう……ささいのすにし……」


 ユフの女性も、ビデルやヴェディスと同様、地面を突き破って現れた黒く巨大な「柱」を呆然と見つめていた。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「なんだ……あれは……」


 ルロエは突然襲った激しい揺れを、腰を下げ耐えると、震源と思われる南側街区方面に顔を向けた。王都上空に突如現れた黒い柱……黒雲のようにも見えるが「それ」は形を持つ生き物のように上部をくねらせ、周囲を確認している。


「新手か……」


 ピュートは一瞬だけその「柱」を確認し、視線をガザルに向けた。


「は……はは……。あれが『ヤツ』の言ってた『便利な娘』かよ……。ホントに来やがったか……」


 ガザルの顔に笑みが浮かぶ。


「カガワ! 急げ!」


 ピュートはガザルの表情から一刻の猶予も無い事を悟り、これまで以上に切羽詰まった声で篤樹に指示を出す。しかし、篤樹はガザルから受けた「血矢」による肉体的・精神的なショックからまだ回復しきれていない。両膝を地につき、成者の剣を支えにし、かろうじて意識を保っている状態だった。


「あれは……蛇か?!」


 ルロエは「黒い柱」の上部が、蛇の頭部と似た形である事に気付き声を洩らす。南街区上空に現れた黒い影は、鎌首をもたげ、とぐろを巻くように全身を王都上空に持ち上げる。


「何を……」


 上空の空を覆った「巨大なとぐろ」は、稲光のような輝きを放ち始めた。数回、その輝きを確認した後、南街区の広範囲に何かが降り注いでいる様子を確認する。


「馬鹿が……」


 ガザルもその様子に気付くと、小さく呟く。


「何をやってんだ! こっちへ来い!」


 満身創痍のガザルは、膝立ちのまま大声で叫んだ。その叫び声に反応し、篤樹もようやく背後の空で起こっている異変に気付く。


 あれは……なんだ?


 王都南上空に渦巻く黒い雲……いや……今や実体化している蛇の姿に篤樹の目は釘付けになる。と同時に、エルグレドが語っていた「グラディーの怨龍」のイメージと重なった。


 黒龍……降り注ぐ「矢」の雨……あれが……


「柴……田?」


 篤樹は小さく声を出し、柴田加奈の名を呼んだ。3年生の4月から篤樹達のクラスに転入して来た転校生……大人しいというよりも、どこかおどおどした雰囲気の小柄なメガネ女子。転校生という「特別な存在」でなければ、同じクラスでも篤樹の記憶に残らなかったかも知れない。


 ほんとに……あれが……


「早く来い! クソ娘っ!」


 ガザルが再び大声で叫ぶ。その声にピュートが反応した。


「お前の手下か?」


「はぁ?……へっ! どうだろうなぁ? でも分かるぜ! アレは俺を探してここへ来たってな! ちぃとばかし頭が弱い馬鹿娘なんだってよ!」


「アツキくん、ピュートくん! 逃げて!」


 ピュートとガザルが会話をしている間に黒龍の様子が変わった事に気付き、ルロエが叫ぶ。


 ガザルの指示が聞こえたのか、黒龍は鎌首をこちらに向け、ゆっくり「とぐろ」を解きながら近づいて来ていた。


「くっ……」


 ピュートは防御魔法を左手で維持したまま、右手で篤樹の襟元をつかみ引きずるように移動する。ルロエも急いでガザルのそばから離れた。その場に残ったガザルは、膝立ちの姿勢からフラフラと立ち上がる。


 黒龍の頭部が湖水島上空まで届き、ガザルに向かってゆっくり下ろされて来た。


「……なるほどな……。初対面にしちゃ扱いやすい『娘』で助かったぜ……」


 黒龍の顔をジッと見つめるガザルは、何かを確認するようにうなずきながら独りごちる。


「……よし……分かった……だが、今は分が悪い……一旦『あそこ』へ俺を連れて行け。『ガラスを壊す』のはその後だ!」


 ガザルは今にも倒れそうな身体を黒龍の頭部に預け、しがみついて上部へ移動するとバタリと身を横たえた。黒龍は攻撃的に恨めしそうな視線を周囲に巡らせる。


「……いいから……今は俺の身体が優先だ! 早く行け!」


 黒龍の頭部で倒れたまま、ガザルが叫ぶ。黒龍は本能に従い暴れ出したいのか、ガザルの命令によって押さえ込まれている不満が、その表情に現れている。だが、諦めたように黒龍は顔を上空に向けた。


 空に浮いたままの黒龍の尻尾部分が、左右にゆっくりと動く。突然、黒龍はその尻尾で勢いよく空を「叩いた」。激しい衝撃音が王都の空に鳴り響き、長城壁から張られている王都上空の「防壁魔法」に大きな切れ目が走った。


 篤樹とピュートは湖水島北端の木々の間からその様子を眺める。


「あの『壁』を……破れるのか? アイツは……」


 空に現れた大きな亀裂を見上げ、ピュートが呆れたように呟く。篤樹の視線は空よりも、ガザルを頭部に載せている黒龍に向けられていた。


「柴田……加奈……。そんな……」


「カガワ? さっきから誰の名を呼んでいるんだ?」


 篤樹の言葉にピュートは関心を示す。


「あの蛇……? 黒い雲で出来た『黒魔龍』? とにかく、あの蛇の正体が……俺のクラスの子かも知れないって……」


 呆然と目を見開いて語る篤樹の言葉を受け、ピュートは眉を寄せた。


「……詳しい話を聞かせろ。でも今は、アレを止めろ。逃げ出すと面倒だ」


「は? いや……止めろって……どうやって!」


 急に無理難題を振られた篤樹は、驚いてピュートに顔を向ける。だが、ピュートは涼し気な表情のまま篤樹に答えた。


「知り合いなら、呼び止めれば良いだろ?」


「はあ?!」


 呼び止めろって? そんな……柴田と話した事なんかほとんど無いし……いや! それよりも「あんな姿」の柴田加奈に、何て呼びかければ……


 上空で黒龍の尾が再びゆっくりと動き出した。


「早くしろ!」


 その様子に気付いたピュートが篤樹を急かす。とにかく、ガザルを倒す絶好の機会は今しか無いと感じているピュートは、篤樹の腕を乱暴に握ると黒龍の前に押し出した。


「うわっ!……っと……おい! 何を……」


 突然の暴挙に苦情の叫びを出そうとしたが、ピュートの視線につられ篤樹も視線を動かす。鎌首をもたげ上空を見ていた黒龍の顔が、自分の前に突然現れた篤樹を見下している。その視線がバッチリ合ってしまい、篤樹は声を失い口をポカンと開いた。

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