第283話 矢音

「これは……」


 ビデルは絶句した。4階建ての研究所はつい先ほどまでの姿を消し去り、今は側面から押し倒されたかのような瓦礫の山だけが目の前に在る。辺りは生存者の捜索を行う軍部の兵士や研究所職員らでごった返し、喧騒が響く。


「5キロも離れていてこの威力とは……なんという法力だ……」


 ヴェディスも驚愕の声を漏らす。2人の反応を一瞥し、ウラージはさらに瓦礫の山へと足を進めた。


「ちょ……長老大使! まだ危険な……」


「うるさい!」


 足を止めたまま制止の声をかけたヴェディスに向かい、ウラージは一喝する。


「貴様らも、あの小僧と男を早く探し出せ! あの小僧ならこの程度の法撃でも大丈夫のハズだろうが!」


 ビデルとヴェディスは視線を合わせ、互いに何かを確認するように首を横に振った。ウラージは振り返り立ち止まる。


「あの小僧はここに一緒にいなかったのか? ヤツの法力波が無いぞ?」


「えっ……そ、そうですか?」


 ヴェディスが仕方無しに歩み出すと、ビデルもその後に続く。


「私もボルガイルとしか会っていませんので、ヤツの部隊がどう動いているのかまでは分かりませんなぁ……」


 ビデルの言い訳を聞き流すように、ウラージは鼻で笑った。


「ここで何をやっていたんだ? 貴様らが知ってることを全て話せ」


 ビデルとヴェディスは顔を見合わせる。


「……私の目を誤魔化そうなどとは思うなよ」


 ウラージの鋭い視線に、2人は観念してうなずいた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「なるほどな……ヤツの異常な法力波の原因がこれで分かった」


 ウラージは納得げにうなずき、視線をヴェディスに向け直す。


「大法老タクヤが300年前に封じたガザルの一部を、よもや研究に使おうなど……よくもまあ思いついたものだな? さすが愚かな短命種の浅知恵か」


 皮肉の込められたウラージの言葉にヴェディスは目を泳がせ、ビデルは無表情のまま見つめ返した。


「で? 30年間での成功体は『アレ1体』だけなのか?」


「……はい。ボルガイルからはそのように」


 ビデルが答え、隣のヴェディスに補足を促す。


「ええ……。大陸中央の国家研究施設で実験を繰り返して来ましたが、人間種として使える状態にまで育ったのはピュートだけだった、と報告を受けています」


「まったく……」


 ウラージは口の端を緩め、小馬鹿にした笑みを浮かべる。


「その研究施設とやらで作られた出来損ない共も今回の大群行に引き寄せられ、人間共を襲っている。オーガ種など、とうの昔に絶滅したはずの種族までサーガ化してな。貴様ら短命種が招いた災厄に、我々まで巻き込まれるとは実に迷惑な話だ!」


 ヴェディスに向かい吐き捨てるように言い放つと、ウラージはビデルに視線を向けた。


「あの男……エルグレドとかいうヤツはどうなんだ? 貴様らの『作品』か?」


「いえ……彼が何者であるのかは正直分かりません。ただ言えるのは、初代エグデン王とユーゴの願っていた新しい人間種の『鍵』となり得る存在であろうかと……」


「我々は補佐官には一切関与しておりません。むしろ、ヤツが何者なのかを探っていたくらいで……そうだ! それこそ長老大使こそヤツから何かをお聞きになられたのではないですか?」


 ビデルの返答に続いてヴェディスがウラージに答え尋ねると、ウラージはニヤリと笑みを浮かべる。


「何も知らん。知っていても貴様ら短命種に話してやる必要も無い」


「ヴェディス会長!」


 ウラージの返答とほぼ同時に、研究所の職員が駆け寄って来た。3人は顔を見合わせ、ヴェディスが応じる。


「どうした!」


「発見しました! 主任……ボルガイル前主任です!……ただ……もう……」


「どこだね?」


 職員に向かいビデルが歩み出し尋ねると、ウラージとヴェディスも後に続く。


「こちらです!」


 先導する職員に付いて3人が進んで行くと、瓦礫の山から少し離れた場所に何十人もの負傷者が横たえられていた。半数以上は恐らくすでに「負傷者」ではなく「遺体」であろうことが見てとれる。


 特に「動かない者」ばかりが並べられている場所まで進むと、職員が1人の遺体の前で立ち止まった。3人の目にも、それが「遺体」である事は一目瞭然の姿だ。


「服装と……所持されていた物品類からボルガイル元主任ではないかということで……法力波検知で肉体部を調べましたところ、間違いないと……」


「それはなんだ?」


 職員の説明を遮り、ビデルはボルガイルの横に置いてある「遺品類」を指さし尋ねる。


「は? あ、こちらは全て元主任の所持品で……」


「それくらい分かる! 左端の箱だ!……何が入ってるんだ?」


 ビデルの苛立った声に、職員に代わってヴェディスが答えた。


「研究試料用の保管ケースだな……」


 屈んでヴェディスがその箱を手にする。


「例の……採取された『補佐官のやつ』か?」


 ウラージが興味深そうに尋ねた。先ほどの2人への「尋問」で、ボルガイルが研究所でエルグレドの体組織を調べていた事は分かっている。所持品として最期まで大切に持っていたのであれば恐らく間違いないだろうと、ヴェディスはうなずいた。


「開放権限魔法もかけられる重要試料ケースです。間違い無いでしょう……」


 ヴェディスは、研究所所管組織でもある魔法院評議会権限を使い、箱に開放法術を施す。「カチャリ……」と音が聞こえ、箱の中央に切れ目が開いた。切れ目に沿ってフタを開くと、厳重に包まれた試料ビンが現れる。中は透明の液体で満たされていた。


「ん?」


 ビンを手にしたヴェディスは首を傾げる。


「どうした?」


 ウラージが苛々とした声で尋ねると、ヴェディスはさらにビンの内容物をよくよく確認した後、視線をビデルとウラージに向けた。


「中身が……例の試料が消えています。保存液だけです!」


「どういうことだ?」


 ビデルがビンを奪うように取り、自分の目で中を確認する。


「ふん……実験体の小僧もおらん、補佐官の肉片も無し、か……無駄足だったな」


 ウラージは呆れたように首を横に振った後、ヴェディスを睨みつけ怒鳴った。


「馬を出せ! 私がガザルを止める!」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「……お前が遅いせいだ……エルフ」


 ピュートはひと言呟きレイラを睨んだ。レイラが即座に手綱を打つと、引馬は背後に立つ「恐怖」も影響してか大きくいななき、急速に駆け出そうとした。その衝撃が連結帯を伝って馬車を大きく揺らす。バランスをとろうとしたガザルだったが、ピュートはその隙を与えず、左足で強くガザルを押し返した。


「グオッ!」


 バランスを崩したガザルは、御者台の前部から下に落ち、直後に馬車の車輪は何かを乗り越えたような衝撃で揺れる。


 篤樹は王都入城の日にスレヤーから聞いた話を瞬時に思い出した。


『前に寝ぼけた兵が御者台から落ちて貨車の車輪に頭潰されて死んじまったのを見た事があるぜ』


 うわ……今の振動って……


 御者台から身を乗り出し、篤樹は背後を確認する。だが、薄明りの路上にガザルの姿を見出す事は出来なかった。


「カガワ……何かにつかまれ」


 ピュートから声をかけられ、篤樹は急いで前方に向き直る。


「クソ虫共がぁーーー!」


 進行方向10メートル先の路上に、いつの間にか移動したガザルが立っていた。腕を真っ直ぐ馬車に向け、攻撃魔法体勢から一気に法術を放って来る。レイラは手綱を引いて馬を止めようとしたが間に合わなかった。ガザルの攻撃魔法が連射され、矢のように正面から飛んで来る。


 引馬は正面から全身を法撃で貫かれ、ガクガクと身を揺らしながら絶命し地面に倒れ込んだ。馬車は転倒こそ免れたが、引馬の身体がブレーキとなり後輪を大きく浮かせ停車すると「ドスン!」と着輪する。大きな衝撃で篤樹は危うく御者台から地面に叩き落されそうになった。


「……小僧……テメェ……」


 馬車から3メートルほど正面に立つガザルが、憎々し気にピュートを睨みつけている。御者台の前には、薄い緑の光を放つ防御魔法が張られていた。ピュートは法術を発現している左手人差し指を立て、ガザルの視線を受け止める。


「仕方ないわね……ボウヤ。ほら、やっておしまいなさい」


 手綱を下ろしたレイラが、微笑を浮かべてピュートに語りかけた。ピュートはその言葉に、片眉をピクリと上げて反応する。


「……調子に乗るなよ……オバサン」


 ピュートの返答に対し、レイラは即座に左腕を横に向け水平に伸ばし「へらず口」への殴打を試みた。しかし、真横に居たはずのピュートはすでに姿を消している。


「なっ……」


 レイラは、ピュートが高速移動で姿を消したと悟り、すぐに横を向いた。同時にガザルが第2撃の体勢に入っている事に気付く。


「クソがぁーーー」


「アッキー!」


 法力が溜まっていないレイラは、まだピュートのような防御魔法を発現出来ない。攻撃魔法を放とうとするガザルに気付いても、回避行動を促すように篤樹の名を呼ぶことしか出来なかった。


 ピュン!


 御者台の上で身を横たえるのが精一杯の回避行動だった篤樹とレイラの耳に、ガザルの攻撃魔法音ではない、空気を切り裂く音が聞こえた。


「痛ぇ!」


 続いて聞こえたガザルの叫び声に、篤樹とレイラは顔を上げる。ガザルの右上腕部に1本の矢が突き刺さっていた。すぐにまた、あの空気を裂く音が聞こえたが、今度はガザルもその矢が頭部に刺さる前に左手で矢をつかみ止める。


「誰だ!」


「昔の身内だよ……ガザル」


 道路脇の植え込みから、棒弓銃を構えたルロエが姿を現した。


「ルロエさんっ!」


 思いもしなかった助けに驚いた篤樹は、大声でルロエの名を叫ぶ。


「アツキくん、レイラさん! お逃げなさい!」


 ルロエは棒弓銃をガザルに向けたまま、篤樹達に指示を出す。


「おいおい、誰かと思えばルロエ坊やかよ……」


 ガザルは鼻で笑い、左手でつかんだ矢を地面に落とすと、そのまま右肩近くに刺さっている矢をつかむ。


「悪いがよぉ……『おじさん』はテメェの弓ゴッコに付き合ってやるつもりは無ぇよ?」


 外見は少年姿のガザルは、一気に矢を引き抜きながらルロエに応える。


「でも、ま……こんなイタズラッ子にはお仕置きをしてやらなきゃなぁ?」


「レイラさんっ!」


 ルロエの声に、レイラは反応した。


「アッキー、こっちへ……」


 レイラは篤樹の腕を掴むと、御者台から後ろのほろの中へ転がるように移動する。


「ウ……ウ……レ、レイ……ラ……さん?」


「あら? お目覚め?」


 貨車の中に入ると、バスリムが声をかけて来た。


「ひどい……揺れでした……ね……」


 どうやら先ほどの着輪の衝撃で意識を取り戻した様子のバスリムは、苦しそうにだが、冗談交じりの口調で語り続ける。


「いった……い……何……が? 私は……なぜ……」


「色々有ったのよ。後で御説明するわ。でも今は無理ね……」


 バスリムのそばまで移動し、レイラは彼の手を握る。


「ガザルに襲われて、今も戦闘中よ。間の悪い時にお目覚めになったわね。もう少し休まれていればよろしかったのに」

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