第280話 戦場のメルサ
あれは……ボルガイルの隊の……。どういうつもり? 私に対してこんな……
メルサは立ち去って行く篤樹たちの足音を意識のどこかで聞きながら、脳内での情報整理を行う。ピュートの法撃は本人も言う通り殺傷を目的としたものではなく、戦闘能力と意識を一時的に奪う程度のものだった。特に「正王妃」であるメルサに対しては、法力発現力を抑えて放っていたため、すでに解け始めている。
ジンが……死んだ? スレヤー伍長の手で……殺された?
回復して来る意識の中、メルサは篤樹からの情報を改めて認識した。王宮兵団の中でも、正王妃付としてジンの剣士隊は常にメルサを護り、また、メルサの手足となって働いて来た「特別な部隊」だ。
人として、また、女性としての人格や尊厳を蜘蛛の糸ほどにも顧みられることの無い「王妃候補」としての生い立ち……そして、召宮に向けた「屈辱的な扱い」。そんなメルサの精神的・実務的な支えとして、ジンは一剣士隊員時代から献身的に尽くして来てくれた真の「同志」だった。
メルサは、ジンと出会った日から共に歩んだ日々を思い、また……想い描いていた「2人の明日」が、叶うことなく途絶えた事実を改めて認識する。革命への戦場を共に歩んだ「愛する男」の死を……
スレヤー伍長……いや……エルグレド……ミラ……
ピクリと指が動く。ピュートの法撃効果は消え、肉体の支配権を取り戻す。
許せない……
身体と意識が繋がったことを確認するように、メルサはゆっくり身を起こし辺りを見回す。離れた場所で、ムンクとシルバはまだ地に伏せていた。
私の……私たちの未来を……よくも……
完全に意識を取り戻したメルサは立ち上がると、怒りに燃える眼光で倒れている剣士たちに向かい歩み出す。その視線は、ムンクが落とした短剣に向けられていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「カガワアツキ……お前は本当に、この世界の人間ではないんだな?」
おもむろにピュートから質され、篤樹は一瞬返答に迷う。
「報告書を読んだ。違う世界で生まれ、育ち、『バス』という乗り物で『この世界』にやって来たと。本当なのか?」
そっか……こいつ……内調だもんなぁ……
篤樹は、自分と歳も同じくらいの「少年」から続けられる「尋問」に、あまり好い気はしなかった。
「……バスに乗って来たってワケじゃないけど……バスが事故って……気が付いたら『この世界』に居たってだけだよ」
「カガワアツキの世界にはサーガもいない、魔法も無いというのは本当か?
ピュートからの単調な問いかけに、篤樹は足を止める。
「あのさ! 俺、別にお前からとやかく質問される筋合い無いから! ちょっと黙っててくれよ……。それと、いちいち名前をフルネームで呼ぶのもやめてくれない?!」
「・・・」
語気を荒げた篤樹を、ピュートは不思議そうに見つめる。そのあまりにも冷静な表情に、苛立ちを見せた自分が恥ずかしくなった篤樹は、視線を逃れるように目線を下げた。その視界にピュートの手が映る。
「ではやはり『アッキー』と呼べば良いのか?」
「はぁ?」
ピュートがおもむろに口にした言葉に、篤樹は思わず視線を上げ目を見開く。
「えっ……な……なんだよ……それ……」
「ルエルフたちがそう呼んでるだろ? 補佐官以外は。『アッキー』と呼べば質問に答えるのか?」
最初は馬鹿にしてるのかと思ったが、どうやらピュートはいたって真面目に確認している様子だ。篤樹はひと息を吐き出し気持ちを整える。
「……俺の世界では賀川が名字……家族の上の呼び方なんだよ。で、上の呼び方だけだとみんな一緒だから、下の名前を別々に付けてんだ。だから俺の下の名前……呼び方は篤樹。上と下を合わせると賀川篤樹。普通は上の名前か下の名前だけでお互いを呼び合ってるから……両方で呼ばれると変な感じがするんだよ」
「そういうことか。カガワアツキの世界では、みんながカガワで下の呼び方が違う……」
「そうじゃなくって!」
篤樹は自分が説明出来る範囲での「家制度」を説明した。
「……で、本当の名前の呼び方の他に、愛称とかアダ名って呼び方があって……俺は篤樹だったから、子どもの頃は『アッキー』って愛称で呼ばれてたんだ。んで、こっちに来たら、エシャーからもそれが呼びやすいからって……」
「呼びやすい?『かわいいから』と言っていたぞ、ルエルフは」
「かわ……?」
ピュートからのツッコミに篤樹は言葉に詰まる。この場に居合わせていないエシャーに文句を言いたい気持ちを収め、改めてピュートに視線を向けた。
「とにかく!……学校じゃ大体みんなからは賀川か篤樹かのどっちかでしか呼ばれてなかったから……呼ぶんならどっちかにしてくれると……」
「分かった……ではカガワと呼ぼう。良いな?」
何となく上から目線な言葉遣いに多少の抵抗を感じるが、篤樹は「イイよ、それで……」とだけ答える。
「んじゃ俺も、お前のこと名前で呼ぶよ? いいね? えっと……」
「ピュートだ」
「お、おう……。よ、よろしく……ピュ……ピュート」
同年代男子としてはどこか波長の違うピュートを前に、篤樹は変な緊張感を覚えた。だが、とりあえず互いに「敵対心」の無いニュートラルな挨拶が出来、「ま、いっか……」と笑顔を見せる。それでもピュートは感情の読めない能面のような表情を崩すことは無かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さて……どうしたものですかねぇ……
ガザルとの近接肉弾戦で攻防を繰り広げる中、エルグレドは手詰まり感を覚え始める。
幼少期に、師匠ケパから受けた体術と剣術の基礎は、姉ミルカとの「秘密訓練」で実戦レベルにまで高められた。そして、グラディー戦士としてその能力は急速に開花し「悪邪の子」との異名さえ付けられた。アルビ大陸でのベルブとの死闘を境に、法術士として生きては来たが、体術も剣術も「鈍り衰えた」とは思っていない。
まいりましたね……
エルグレドの勝算は体術に有った。つかんでいる限りの情報では、ガザルが体術にも長ける存在であると微塵も考えていなかったのだ。ベルブ程度の体術能力であれば圧勝出来る目論見で臨んだ近接戦……しかし、その目論見は大きく外れていた。
「くそ……くそ……クソがー!」
怒りの形相で四肢連打を繰り返すガザルもまた、目の前に現れた「人間種」の敵に苛立ちを覚えている。心中刺し貫いて全身を細切れにするという「計画」が、全く思うようにハマらない。自分以外の存在を「餌」としか考えないサーガの本性が、自分に逆らう「餌」に対する怒りを引き上げていく。
互いに数千・数万の打撃を繰り出し、かわし合い、隙を突こうと狙い合う……その攻防のため、全身に魔法術を施す。両者とも、自身の内に蓄えている法力が急激に失われていくのを感じていた。
このままでは……法術発現が出来なくなってしまいますね……
クソッ……コイツの法力量は……俺以上なのか? 人間種のクセに……
連撃連打の攻防が想定以上の「消耗戦」となっていることに焦りと苛立ちを覚え、両者は次の策を思案する。とにかく均衡を破る一手を先にキメた方が、一気に状勢を覆す事が出来る……ガザルは口の端に笑みを浮かべた。
「オリャっ!」
ガザルは前蹴りの反動を利用し、後方へ跳び下がる。前傾に組み続けていた攻防の流れが途切れたことで、エルグレドも数歩後退し体勢を整えた。
「……どうしました? 一時休戦ですか?」
エルグレドは笑みを浮かべガザルに語りかけながら、法力充填呼吸を整える。
「テメェ……もしかして『アイツ』が言ってた『面白い素材』かぁ?」
ガザルの口から出たひと言に、エルグレドの顔から笑みが消えた。その表情の変化を見逃さず、ガザルは続ける。
「そうか……人間種のクセに、おかしいと思ったぜ」
「何を……知ってるんですか……あなたは……」
エルグレドは両腕に法力を溜め始める。ガザルの腕も、法力充填による発光が始まっていた。
「なんも! テメェに興味は無ぇ。ただ『アイツ』が言ってた『特別な人間』ってのが居たなぁって思いだしただけだ」
「……その方のこと、詳しく聞かせていただきたいんですけどねぇ……」
数百年を経て現れた「思わぬ情報保持者」を目の前に、エルグレドははやる気持ちを抑え尋ねる。しかし、ガザルは狂気に充ちた笑みを浮かべ、両腕をエルグレドに向けて突き出す。
「知るかっ!」
ガザルの手から強力な攻撃魔法が放たれた。中距離からの法撃に備えていたエルグレドは、予想軌道上に防御魔法を即座に立てる。しかし……
「なっ……」
法撃波の衝撃に備えていたエルグレドは、ガザルの攻撃魔法の軌道を目で追い、絶句する。ガザルの手から放たれた法撃球光は湖上を通過し、壁内街区へ突き抜けて行った。その軌道上の街区に、次々と火柱が上がる。
「何をっ!」
エルグレドはすぐにガザルに向け攻撃魔法を放つが、全てガザルの残像を突き抜け湖水島北部の木々をなぎ倒しただけだった。
「殺しにくい奴と時間かけて遊んでるより、こっちのほうが面白ぇからな!」
エルグレドの法撃を避けたガザルは、さらに2つの攻撃魔法球光を街区に向けて放つ。
「本当なら、クソ虫どもが目の前で死んでいくのを見る方が好きなんだけどよ、まあ、今回は質より量ってかぁ?」
ガザル本体への法撃は簡単に避けられてしまう……エルグレドは再び近接肉弾戦に持ち込もうとするが、目的を変えたガザルを捕えることが出来ない。その間にも4発目、5発目の攻撃魔法球光をガザルは街区へ放ち込んでいく。ガザルの法撃軌道上街区は瞬く間に燃える瓦礫の山へ変えられていった。
「ヒャッハー!」
尚も街区への法撃を放ち出したガザルの正面にエルグレドは瞬時移動すると、防御魔法を立て軌道を上方へ修整する。
「……いい加減にしなさい!」
「ほう……そう来たか……」
挑みかかる怒りの眼差しを向けるエルグレドに、ガザルは口角を上げ応じた。
「どんだけ防げるか……せいぜい頑張ってみなー!」
ガザルは法力量を抑える代わりに、左右の手から連続で法撃を放つ。一方向ではなく左右に散らし放たれる法撃を、エルグレドは瞬時移動を繰り返しながら上空へ逸らし続けるしかない。
「エルグレドーっ!」
突然、女性の叫び声が響いた。エルグレドは視界の端に映った人影を確認し、目を見開く。
なっ……メルサ……正王妃?
ガザルの目に、勝機を得た確信の光が浮かんだ。
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