第278話 訃報

「そこで何をしているのです?」


 植え込みの裏から現れた予想外の「不審者」の姿に、メルサも驚きはしたが、それが篤樹であった事から、逆に自らの立場を損なわない態度を示す。


「あの……僕……えっと……」


 マズイ! どうしよう……


 篤樹は上手い言い訳を考えるどころか、頭が真っ白になっていた。エルグレドと別れた後、避難している人々の流れに逆らって北部を目指せば目立ってしまうと考え、建物沿いの植え込みに身を隠しながらここまで移動して来た。それが裏目となり、今は逃げ道を塞がれている。


「ミラ従王妃はどこだ?」


「スレイさんは一緒か!」


 ムンクとシルバから矢継ぎ早に質問が飛ぶ。


「え……あの……僕1人です!」


 この返事が正解なのかどうか分からない。篤樹は心臓がキュッと締め付けられるようなストレスを感じながら、とにかく現状を素直に答えた。


「ジンはどこ?」


 えっ?


 メルサからの追加の質問に、篤樹の緊張は高まる。


 ジンさん……


 地下の分岐ホールの床で、倒れ伏しているジンの姿が脳裏に浮かぶ。スレヤーとの戦いで……死んだジンの姿……


「ミラ従王妃達を追って王城に入ったはずよ、ジン達は」


「あの……僕……」


「城が吹き飛ばされた時、あなたはどこに居たの? 怪我ひとつ負っていないわね?」


 マズイよ……秘密の通路の話は……やっぱり秘密なんだよな?……言っちゃダメだよね? えーっ! 何て答えりゃ良いんだよ!


「秘密の通路ね?」


 突然の的を射るひと言に篤樹は思わず目を見開き、メルサの言葉に反応してしまう。


「あ……えっと……は……い?」


 メルサの口元に笑みが浮かんだ。


「本当に在ったのね。驚きだわ」


 あれ? 今のって……誘導尋問ってやつだった?!


「なるほど……王城の秘密の通路を使い脱出を図ったってことか」


 ムンクが情報を整理しうなずくのを篤樹は呆然と見つめる。


「じゃあ、ジンさん達もその通路に?」


 シルバが笑みを浮かべメルサとムンクに顔を向けた。


「どうなの? カガワアツキ。答えなさい!」


 メルサの声に感情が籠る。篤樹は「ビクッ!」と肩をすくめ、思わず視線をそらす。


「し……知りません……」


 そのあからさまな動揺の姿から、メルサもムンクも篤樹が「何かを知っている」ことを察する。メルサの視線を受けたムンクはうなずくと、ひと呼吸を置き、植え込み上部の葉を横一閃になぎ払う。植え込みを間に挟み、剣先が篤樹の真正面に向けられた。


「ジンさんは……どこだ? 城の中にはいなかったんだろ?」


 剣先から伝わる殺気に篤樹の身体は硬直する。背中は建物の壁にピッタリとつき、もうこれ以上は後方に身を動かせない。ムンクが植え込みの中にあと一歩でも踏み込めば、その剣先は篤樹の胸板から背中まで十分に刺し貫けるほどの距離だ。


「答えろよ! ジンさんはどこだ!」


 しびれを切らしたシルバが植え込みの中に分け入って来る。篤樹は目を閉じた。植え込みに隠れる高さで、ゆっくりと右手を動かし左腰の剣柄を握る。


「痛い思いをしてでも答えてもらうしかないか?」


 篤樹は目を開く。スレヤーが訓練の中で「寸止めでは無い一撃」を打ち込んで来る時と同じ気配をムンクから感じた。ムンクは剣を少し引き戻し、次の瞬間、植え込みの中に足を踏み込み一気に突き込んで来る。


 だが、篤樹はその気配を感じ取り一瞬早く身を右にずらし、刃の線上から逃れた。同時に左腰の鞘から剣を真上に引き抜き、突き出されて来たムンクの剣の根元付近に打ち下ろす。


 ムンクも殺意をもって突いたわけでなく、手傷を負わせるくらいの気持ちだったのだろう……右手一本で軽く握った剣を、植え込み上部で滑らせる程度の力で突いていた。篤樹の剣は、ムンクが軽く握っている右手とグリップの真上から一切の躊躇なく打ち下ろされる。


 バゴキッ!


 葉のついた生木が折られたような鈍い音が響いた。


「ぐわッ!」


 思いもかけなかった反撃に、ムンクは苦痛の叫びを上げる。グリップをつかんでいた右手の甲と親指の骨が粉砕され、たまらず剣を手放すと、剣は植え込みの中に沈み落ちた。


「貴様ッ!」


 植え込みを分け入り篤樹の左側から近づいていたシルバも、目の前で起こった反撃に驚き声を上げる。篤樹は剣を打ち下ろすと同時に、植え込みと壁の隙間を掻き分けるように駆け出していた。


 ヤバイ! やっちゃった……早く逃げなきゃ!


 篤樹は壁にこすれる右肩と、枝葉に引っ掛かれる左半身の痛みに襲われながらも、とにかく植え込みの切れ目を目指し走り続ける。


 とにかく……逃げないと、殺される!


「待てぇ!」


 シルバはそのまま植え込み奥まで分け入り、篤樹と同じように右の壁と左の植え込みに両半身を傷つけられながらも追いかけて行く。ムンクは植え込みに沈み落とした長剣を諦め、右腰に差していた短剣を左手で握り持つ。篤樹に打ち砕かれた右手はしばらく使い物にならない。しかし、ある事に気が付いた。


 アイツの武器……模擬剣か?


「待てぇ!」


 シルバの怒鳴り声を背後に聞きながら、篤樹は目指していた「植え込みの切れ目」まで辿り着く。植え込みを抜け出し、一気に左に向かって駆け出そうとした。だが、何かに足を取られて派手に転んでしまう。転倒の拍子に右手で握っていた剣を手放してしまった。


 痛ッ! ヤバ……早く立たないと……


 立ち上がる動作の途中、自分が何に足を取られたのかに気付く。


 剣の……鞘?


「そこまでだ、カガワアツキ」


 片膝をついた状態で、篤樹はゆっくり声の主に向かい顔を上げた。左手で短剣を握り、篤樹に向かって剣先を定めているムンクが立っている。先ほど植え込みに落とした長剣の鞘がムンクの腰に無いことに篤樹は気付き、自分が転倒した理由を悟った。と同時に、手放した「模擬剣」がムンクの足下にあることに気付く。


「……まさか模擬剣で向かって来るとはな……さすがスレイさんの弟子だよ、お前……」


 ムンクの口元に一瞬笑みが浮かび、すぐに消える。


「愚かな状況判断だったなあ!」


 左手で握る短剣を左右に振りながら、ムンクが篤樹に迫って来た。片膝立ちから転がるようにその攻撃を避け、篤樹は即座に立ち上がりムンクに向き直る。


 えっと……えっと……相手が短剣の時は……


『とにかく短剣は切り裂く武器じゃねぇ。突き刺す武器だ。素人は振り回すだけだから怖くねぇ。疲れるまで振り回させてりゃいい。だけど訓練を受けたヤツは突いて来っからな……』


 スレヤーとの訓練を思い出す。この数週間、何度も何度も繰り返されて来た剣術訓練……「暗黙知」が身に付くまでと、同じ動作を何度も何度もやらされた。


 この人は……まだ本気で攻めて来ていない……


 訓練を十分に積んでいる剣士隊の兵士が、篤樹相手に短剣を「振り回し」ているのは……格下だと侮っているからだ。篤樹は状況を考える。このままムンクが痺れを切らすまで短剣を振り回させ続けるべきか? いや! 早くしないとシルバが植え込みから出て来てしまう……ムンクを本気に……「突き」に来させるためには……


「あなた達も……ジンさんだってそうでしょ!」


 篤樹はここでジンの名を出した。ムンクは短剣を左右に振る動作を止める。


「……どういう意味だ?」


「た……戦う……戦う必要の無いスレヤーさんを……こ……殺そうとしたりするから……愚かな判断で追いかけたりするからっ!」


 ムンクは短剣のグリップを握り直し、ブレードを縦にする。腹から心臓に向かって「突き上げる」ための持ち方……本気で「突き」を狙う握り方だ。


「スレイさんと……ジンさんが……」


「お城の地下まで追いかけて来て、ミラさん達を殺そうとしたりするから、だから……スレヤーさんだって本当はやりたくなんか、なかったはずなのに!」


「まさか……ジンさんを……スレイさんが?」


 ムンクの表情が見る見る怒りの形相に変わる。


 来るっ!


「きさまー!」


 怒りに任せて、ムンクは「訓練された兵士」通り真っすぐ短剣を突いて来た。その動きを予め覚悟していた篤樹は、刃の線上から右半身に避ける。勢いよく伸びて来たムンクの左腕……手首辺りを自分の右肘で軽く弾いた。そのまま左手でムンクの左手親指を剣柄ごと掴むと、その部分を思いっきり自分の方向にねじ回す。


 本当ならそのまま相手の短剣を奪い取ることが出来るはずらしいが、スレヤーとの練習でも10回に1回奪えるかどうかだった。練習の確率通り、スレヤーのように100発100中で奪うことは出来ない。だが、それでも篤樹はムンクの左手から短剣を剥ぎ落とすことに成功した。


 落ちた短剣をすぐに右足で遠くへ蹴り飛ばし、その勢いのまま地面に落ちている自分の「模擬剣」を拾い上げ、中段の攻撃姿勢をとる。


「もう……やめて下さい! これ以上の殺し合いとか……。それに! 向こうにガザルが現れてるんです! メルサさん達も早く逃げないと!」


 篤樹はスレヤーに教えられた通り、一切気を抜く事なくムンクに剣を向けたまま声を上げた。


「ジンは……死んだのか?」


 メルサが静かに尋ねる。篤樹は一瞬返答に迷うが、一呼吸おいて答えた。


「……はい」


 植え込みの切れ目まで来ているシルバも、篤樹の返答に動きを止める。


「……他の者達は?」


 ついでのようにメルサは尋ねた。


「何人かは……。でも半分以上は生きてます。エルグレドさんの拘束魔法で動けなくなってますけど……」


 篤樹はメルサがどんな判断を下すのか気が気ではなかった。こちらを見てはいるが、視線が合っているとは思えない……どちらかと言えば……


 メルサの視線が自分よりもムンクに向いていると気付いた篤樹は、即座に逃避体勢をとる。ほぼ同時にムンクからの蹴りが繰り出されて来た。


「殺してしまいなさい!」


 メルサの指示が飛び、植え込みを抜けたシルバも駈け込んで来る。篤樹の剣が「模擬剣」だと見抜いているムンクは、大胆に近接攻撃を繰り返して来た。超近接の戦いに置かれた篤樹は、剣の間合いを取ることが出来ない。


 ヤバッ……ちょ……これ……


 おもに下半身への蹴りを繰り出すムンクの攻撃により、篤樹は逃げ出す体勢も取れない。背後から迫るシルバの殺気も感じ取る。とにかく、ムンクの蹴りで即座に死に至る事は無いが、シルバの剣撃を背後から受ければ即、死につながってしまう。


 篤樹はムンクからの攻撃を受ける覚悟を決めると、背後に迫ったシルバの殺気に向かい振り向きざまに剣を振った。タイミングよく顔面に剣先を打ち込まれたシルバは、まさかの攻撃による驚きと痛みで体勢を崩し転倒する。ほぼ同時に、下半身へのムンクの蹴りを真後ろから受けた篤樹は、前のめりに倒されてしまった。


 転倒の際に投げ出されたシルバの剣をムンクは即座に拾い上げ、起き上がろうとしている篤樹の頭部に向け一気に振り下ろした。

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