第276話 嫌悪の殺意
「クセェ、クセェ! エルフ臭ぇなぁ!」
吹き飛ばされていくバスリムの身体と、宙を舞う彼の左腕を見つめるレイラの耳に、何者かの声が飛び込んで来た。声の質と発せられている法力から、レイラは即座に、声の主があの「湖面に現れたバケモノ」だと気付く。
バスリムの肉体へ向けようとしていた視線を戻し、レイラは声の主を見た。
「悪臭が漂って来たから見に来てみりゃよ……やっぱり居やがったか、クソエルフが。……ちっ! ゴミが邪魔で外したか……」
吹き飛ばされ地に落ちたバスリムに一瞥をくれた後、ガザルは両手に法力を充たし、ユラユラと光を放ちながらレイラに近付き真っ直ぐ右腕を向ける。
「俺の目の前で生きてんじゃ無ぇぞ! クソ虫がぁ!」
レイラは防御魔法を自分の目の前に発現させた。ほぼ同時に、ガザルの攻撃魔法が衝突して来る。
クッ……ダメッ! 受け切れないっ!
その攻撃の威力を瞬時に分析し、レイラはガザルの攻撃魔法を「受ける」ことを諦め「そらす」ことを選択した。防御魔法の角度を変えると、直線上に向かって来たガザルの攻撃魔法球が軌道を変え、レイラの背後へ弾け飛んでいく。ガザルの法撃光球は湖水島北部の行政棟の1つに当たり、激しい破壊音を響かせ建物を瞬時に半壊させた。
「お名前くらい、おっしゃってはいかが?」
全身に感じる「死の恐怖」に
「もしかして……『元』同族の御方かしら?」
ルエルフ族出身であるガザルの容姿から特徴的なエルフの耳に気付いたレイラは、特に大した意図も含めずに尋ねた。しかし、そのひと言にガザルは口元の冷徹な笑みを消し、怒りの形相を浮かべる。
一瞬の間も感じなかった。レイラは10メートルほど先にいたガザルの姿を見ていたはずなのに、突然、その視界に「棒状のモノ」が宙を飛ぶのを見た。ガザルの姿も消えている。次の瞬間……地に落ちた「棒状のモノ」が、自分の左腕である事に気付き、同時に背後に死の恐怖を感じる。
「あ……」
判断が追いつかず、叫ぶことも出来ないレイラの背後から、乾いた冷たい声が投げかけられた。
「エルフなど……クソ虫のエサになれよ」
逃げ出す術も時間も無かい。ガザルが振り抜いた右足の蹴りは、レイラの右足膝を真横に折り曲げ、そのまま身体を半回転させて地面に叩きつける。逃避姿勢に移るためわずかに右足を浮かせ始めていたおかげで、かろうじて下肢切断は免れたが……右膝の関節は完全に粉砕されていた。
「ア"ーーー」
地面に激しく叩きつけられたレイラだったが、意識を失うには至らなかった。その代わり、わずかに遅れて反応した痛感神経の情報により、全身に起こった破壊の激痛と向きあう事になる。絶望的な苦痛の叫びが、瓦礫の散乱する宵闇の中に響き渡った。
「『不浄な者は浄化を経た後に、木霊へ還さん』……なんだろう?」
ガザルの語りかけにも、もはやレイラは応じる意識が向かない。左腕を切断され、右足膝下もギリギリで身体の一部としてつながっているだけの状態……反撃への道筋を冷静に立てられる状況では無かった。
「キサマ等の方法で『浄化』してやるよ、クソエルフがっ!」
地に横たわり呻くしかないレイラの左足首を、ガザルは右足のかかとで踏み潰した。レイラが苦痛の叫びを上げる。
「まだまだぁ! 命が尽きるまで浄化タイムだ!」
ガザルはさらに右足を上げると、レイラの右肩を目がけ踏み込む。
しかし、その足のかかとがレイラの右肩にふれる前に、青い閃光がガザルを背後から包み込み、そのまま数十メートル先まで吹き飛ばした。
「アレが正体か……」
湖岸の植込みの中から近づく人影に、レイラは苦痛に歪む顔を向ける。
「良いようにいたぶられていたのか? 情けない」
レイラは声の主に向かい、精一杯の笑みを浮かべて応じた。
「あら……今夜も……小舟のお散歩でしたの? カミーラ大使」
「ふん……」
カミーラは攻撃魔法で吹き飛ばしたガザルの行方に視線を向ける。
「……ミシュラ、カシュラ。『それ』の回復を手伝ってやれ。自力では時間がかかり過ぎるからな」
視線を戻さずに、カミーラは背後に付いている2人に指示を出す。
「またですか?」
「放っておいても3日もあれば癒えますよ、この程度なら」
2人の不満そうな返答にカミーラは溜息をついて振り返る。
「『アレ』を抑えるのは私1人では無理だ。戦える手が要る。3日も待ってられんだろうが?」
「……分かりました」
ミシュラは不本意そうに応じると、レイラのそばに近付いた。
「私よりも……先に……あの男性を……」
レイラは近づくミシュラに声をかけ、バスリムが吹き飛ばされた方向に顔を向ける。カミーラとカシュラも反応し、視線を移す。
「うえっ! 人間じゃないの、あれ。気持ち悪い!」
瀕死の状態で地に伏すバスリムの姿を確認したカシュラが即座に答えた。
「虫の息だな……あれならすぐに楽になる。放っておけ」
カミーラも関心を示さない。しかしレイラは尚も声を上げた。
「彼は……必要な人材ですの。失うワケにはいかないわ。虫の息でも……あなた達なら……まだ間に合わせられるでしょう? ミシュラ……カシュラ」
「出来ないんじゃなくて、したくないって言ってるの!」
ミシュラは地に落ちていたレイラの左腕を拾い上げて告げる。
「カミーラ様の命令だから、仕方なく、あなたなんかの回復を手伝うのが精いっぱい。ましてや人間なんか見るのもイヤ。ほら、身体を起こしてよ!」
レイラが上半身を起こすのを手伝いながら、ミシュラは言い放つ。
「私よりも先に……彼に処置を……」
「しつこいぞ! レイラ!」
尚も願い出るレイラに向かい、カミーラは厳しい表情を向けて一喝した。しかし、その表情が、見る間に困惑していく。
「な、なんだ? お前……そ……その顔は!」
レイラは顔をクシャクシャに崩し、涙をボロボロと溢れ流していた。
「お願いです……大使……いえ……お父様! 私よりも彼を……バスリムの治癒を!」
しばらく呆然とレイラの視線を受け止めたカミーラは、顔を背け、ガザルを吹き飛ばした方向へ向き直る。
「……カシュラ。あの人間も……ついでに癒してやれ」
「は? カミーラ様!」
カシュラは抗議の思いを込めて返答する。
「正気ですか? あんな死にぞこないの人間を……私が?」
「構わん! やってやれ!」
カミーラは視線を戻さずに答えた。
「……それは……ご命令でしょうか?」
挑むような口調でカシュラが尚も確認すると、カミーラはゆっくり振り返る。一瞬、レイラと視線を交わした後、カシュラと視線を合わせた。
「カシュラ……頼む。私個人のお願いとして……やってもらえないか?」
カシュラは溜息をつくとカミーラに背を向け、バスリムに向かい歩き出す。途中で、分断されて落ちていたバスリムの左腕を無造作に拾い上げ、レイラに向かって憎悪に満ちた視線を投げかけた。
「ありがとう……ございます……お父様……」
レイラは荒い息を精一杯に整え、泣き顔のままでカミーラに感謝を述べる。
「ふん……感謝など要らぬ。それに『父』などと2度と呼ぶな! 気持ち悪い……。様子を見て来る! ミシュラ、カシュラ、手煩いをかけるが、頼むぞ」
動揺した様子で視線を泳がせながらレイラに答えると、カミーラは未だ動きの無いガザルの気配に向かい進んでいった。
「……人間共の『演技力』まで身に付けてるなんて、サイテーね!」
左腕の接合処理を終えたミシュラが、左足首に手を添え直しレイラに向かって怒りのこもった声で語りかける。
「あら? 演技ではなくてよ? それに、私、人間達に出会う前からこの『交渉術』は身に付けていましたわよ」
微笑を浮かべレイラは平然と応じた。
「母親似なんですってね! あなた!」
少し離れた場所でバスリムの治癒を始めているカシュラも会話に加わる。
「ミレイ様か……分かる気がするわ……それ」
ミシュラが納得したようにレイラの母の名を呟いた。
「まあ? 相変わらず失礼な方々ね。切実な訴えの効果を高める母譲りの交渉術ですのに」
レイラは、生気の回復を感じ始めたバスリムに顔を向け、いつものように涼し気な笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
不意を突いた一撃とはいえ、あれで終わるようなヤツでは無いはずだが……
カミーラは自分の周囲に防御魔法を施し、慎重にガザルに向かって歩を進める。直接対峙したことは無いが、敵を間近に感じ、カミーラは「ヤツ」がガザルであると確信していた。300年前の大群行時に嫌というほど感じ取った「最恐最悪」の気配は忘れようも無い。
ヤツがここに現れたということは、やはり「外」の大群行再発もヤツの仕業か……湖神の結界など、所詮この程度だったか……
自分が放った法術の威力から考えても、100メートルは吹き飛ばせてはいない。カミーラは目測を立て、ガザルが居るであろう地点に注意を向け進むが、未だにガザルの姿を視認できない事に一抹の不安を感じていた。
壁外にはサーガの大群、壁内にはその統率者ガザル……排除するしかあるまい……
カミーラは全神経を法力感知に向けた。これだけ近づいたのに、未だにガザルの居場所が特定出来ないことに焦りを感じる。
「テメェ……アイツの仲間か?」
突然、耳元でガザルのささやきが聞こえた。カミーラは動きが取れない。逃避も反撃も選択出来ないと直感し、一切の動きを止めた。
「ほう……年の功だけあって、さっきのメスよりは賢いなぁ。だが……」
ガザルの左拳がカミーラの左脇腹を背後から打ち抜く。カミーラは数メートル前方へ殴り飛ばされた。
「ガハァ……」
「……避けてんじゃ無ぇよ、クソ虫が……」
苦悶の表情で振り返り、カミーラはガザルを睨みつけた。ガザルは自分の左手を握ったり開いたりしながら拳を見つめていた。肉体を刺し貫く予定で打ち出した拳だったのに、一瞬の内に前方へ逃避行動をとられたため、ただ背後から「追撃」を与えた形になってしまった。不満が表情に現れる。
「……なるほど……貴様がガザルか……確かに狂気の強さだな……」
カミーラは法力を整えると、攻防両策に体勢を備えた。
「そんな薄っぺらな膜でこれを防げるかぁ?」
ガザルの右腕に法力光が満ち始める。最初、カミーラは法撃に備え防御魔法への体勢をとったが、増大し続けるガザルの法力光に力の差を認めるしか無くなってしまう。
なんだ……あの異常な法力量は……
「その薄っぺらな膜を引っぺがして、全細胞を粉砕……ま、これだけあれば充分だろ?」
格下の相手を嘲笑い、ガザルはカミーラにしっかり視線を合わせた。
「……消えろ……クソエルフ」
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