第275話 瓦礫の中から

 謁見宮前に臨時で設けられた軍部馬車用の 馬繋場ばけいじょうにいたベイラーは、突然襲った謎の爆風により飛来した瓦礫の下敷きになっていた。キーンという耳鳴りと、何の備えも無く吹き飛ばされた衝撃で、自分が意識を保っていたのか失っていたのかさえ分からない。


「く……そ……どう……なってんだ……」


 自分が声を発することが出来たという事実に気付き、ベイラーはさらに意識を肉体に向ける。吹き飛ばされ、打ちつけられた痛みを全身に感じた。目の前には真っ黒な塊と夜空の星が折り重なるように見えている。


 仰向けに倒れた身体の上に障害物が折り重なっているのだと理解した段階で、ベイラーは完全に意識と肉体が結び付いた。


 謁見宮で……巨大な爆発が起こった?


 まずはそう理解する。何らかの爆発により謁見宮が破損し、瓦礫が飛散して来た……自分の今の状況は「爆風に巻き込まれた」のだと考えがまとまると、次の行動に意識が向く。


 全身に何らかの重みを感じるが、動かせない重さでは無い……ベイラーは手足を動かし、それぞれに載っている「重し」から抜け出す。目の前で視界を遮っていた真っ黒な塊を触り、それが重みの無い板状のモノであると分かるとすぐに取り除いて上半身を起こす。その段に入り、耳鳴りよりも周囲の音を聞き取れるようになっていた。


 よし……怪我は無い……


 全身の痛みの「質」を確認し、大きな怪我を負っていないと確信すると、ベイラーは瓦礫の中から一気に立ち上がる。


「ひでぇな……こりゃ……」


  馬繋場ばけいじょうに停められていた馬車の半数以上が横転していた。連結帯で車とつながれていた引き馬も共に吹き飛ばされ、多くは怪我を負ったか、すでに絶命しているようだ。連結帯を解かれていた何頭かの引き馬は、突然の出来事に混乱し、いななき暴れている。


 ベイラーは周囲を見回す。負傷者もかなりの数に上るようで、怪我を負っている者がさらに重傷な者に肩を貸し避難場所を探してさまよい歩いていた。


 記憶をさかのぼる……。恐らく、上空の防壁魔法によって飛散したと思われる真っ白な閃光……光源は湖水島の西岸辺りだろうと目星はついた。異常原因確認のために部下を走らせしばらくすると、今度は赤い法力光球が上空で飛散した。その直後に……あの爆風が起きた―――ベイラーは謁見宮に目を向ける。建物の上部が吹き飛んではいるが、爆心地とは思えない。ならば一体……


「ベイラー大尉!」


 誰かが謁見宮の脇からベイラーの名前を呼び駆け寄って来る。周囲の兵士が掲げる松明や法力灯の光で、ベイラーはその人物を確認した。


「ルロエさん! 御無事ですか? 一体何が……」


「ガザルです!」


 ルロエは駆け寄りながら答える。


「ガザルが現れました! サーガの大群行を率いているヤツです!」


 ベイラーのそばまで来るとルロエは足を緩めた。


「湖神様の結界に封じていたはずのガザルが何故か島の西側に突然現れ、攻撃魔法1発で王城を破壊しました! ここも危険です。みんなを島外に避難させて下さい!」


 ルロエは状況を手早く説明すると、右手で入島監視所方向を示す。渡島橋に向かう道に、島外へ避難して行く多くの人影が見える。


「お嬢さん……エシャーさんとは……」


「まだ会っていません! 捜し始めたところでヤツが現れたんです! 向こうは……酷い状況です! とにかく1人でも多くの人を避難させて下さい!」


 必要な伝達を終えたルロエは、再び、謁見宮「跡」へ身体を向けた。


「ルロエさん! あなたも……」


「あなたに急を知らせに戻っただけです! 娘の無事を確認したら、すぐに私も脱出します!」


 駆け出して行ったルロエの背中を見送り、ベイラーは周囲を見回すと、意を決したように声を張り上げた。


「御者兵は輸送準備! 負傷者を馬車に乗せろ! 島を出るぞ! 急げー! 走れる者は自分の足で今すぐ逃げろ! 総員退避! 負傷者は馬車へーー!」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 湖水島地下とサルカス系従王妃宮をつなぐ抜け道を駆けていた篤樹は、前を走っていたエルグレドの背にぶつかり、転びそうになった。


「ちょ……エルグ……」


「伏せて!」


 事情が分からない内にエルグレドが覆いかぶさって来る。そのまま床に屈まされ、エルグレドが防御魔法で2人を包んだ直後、激しい揺れを感じた。天井を支える石や柱がいくつも崩れ落ちて来る。


 篤樹はミシュバット遺跡地下で体験した恐怖を思い出し、目を閉じてエルグレドにしがみつく。


「……な……なんだったん……ですか?」


 エルグレドの強力な防御魔法で守られている安心感を覚えつつ、篤樹は尋ねた。


「誰かが……強力な法撃を放ったようですね……。これほどの法力量を持つ者が……敵か味方か分かりませんが、今現在、この上に居るということです」


 これ以上の崩落は無いと判断したエルグレドは防御魔法を解除し答える。


「敵……法術士ですか?」


「分かりません。しかし……」


 エルグレドは一部が崩れ落ちた天井を睨みつけながら続けた。


「量も質も、私が知る限りの法術士のモノではありませんでした。ただ……似た法質を持つ者は過去に会ったことがあります」


 通路に舞っていた埃に顔をしかめながら、エルグレドは慎重に歩み出す。篤樹もその後に続き歩き出した。


「似た法質? 敵……ですか?」


「ベルブです。アルビで……私とタフカの前に現れたサーガの統率者……」


 あ……


 篤樹はミシュバの町で聞いたエルグレドの「過去」の話を思い出す。サーガ化する前のタフカと協力戦闘で倒した「敵」。元は黒エルフだったというベルブ……そいつと「似た法質」? ということは……


「アツキくん……気をつけて行動して下さいね。もし……この法質を放つ者が『敵』であった場合……私は君を守ることが出来ないでしょう。自分の命は自分で守ってもらうことになると思います……」


 自分の命は自分で……


 篤樹は無意識に左腰の剣に左手を載せ確認した。フロカが捨てて行った模擬剣の柄を握り、気持ちを静めるように深く息を吐き出す。


「はい……大丈夫です。レイラさんとミゾ……バスリムさんと合流したら、すぐに逃げます!」


 エルグレドは歩みを止めずに振り返り、笑顔を見せた。


「そうです。『敵』を倒すことではなく、アツキくんは無事に逃げる事だけを考えて行動して下さい。ただ……」


「ただ?」


「……この道は恐らくもう使えないと思います。先ほどの衝撃だと……下の道は塞がれている可能性が高い……。レイラさんとは一応、万が一の時は馬車で落ち合うと話はしていますが……辿り着くことが出来ているかどうか……」


 行く手に、天井が崩れ落ちて出来た「壁」が見えた。エルグレドは立ち止まり、両手を前に突き出し、法術を放つ。瓦礫の「壁」が砂のように崩れ落ちると、その先に階段が現れた。


「上の状況次第ですが、場合によってはアツキくん……君ひとりで島から脱出してもらうことにもなるでしょう。……行けますね?」


 篤樹はふと両親との会話を思い出した。


 部活で市営陸上競技場を使うことがたまにあった。少し距離がある校区外の競技場ということもあり、いつもは車で送迎してもらっていた。だが中1の夏、両親の都合がつかずに自転車で行くことになった。

 父は前夜にインターネットのマップを開き、篤樹に何度も道を説明し、全体と詳細の地図を3枚も印刷した。母は家を出る直前まで「大丈夫? 本当に行ける?」と何度も確認して来た。


「行かなきゃいけないんだし、車が無理なら行くしかないだろ!」


 最後は怒鳴るような大声で答え、自転車を走らせた。……ホントは少しばかりの不安もあったけど「無理だから休む」なんて言いたくなかった。

 結局、行きも帰りも多少の道間違いは有ったが、無事に往復することが出来、その日以来、雨の日以外は自転車で競技場へ行くようになった―――


「大丈夫ですか?」


 エルグレドが振り向き再度確認する。篤樹は一瞬迷ったが、微笑みうなずいた。


「はい。大丈夫です。北の森ですね……行けます」


 篤樹の返答に、エルグレドは満足そうな笑みを浮かべる。


「では……私と別行動になった時には……北の森に各自集合ということで……。さ、行きましょう!」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「ミゾベさん……生きているんなら……お返事なさいな」


 レイラは自分の右脇腹を貫通している細い角材の破片を左手で握りしめ、可能な限りの声を上げ周囲に呼びかける。周りはガザルによって破壊された王城の瓦礫の山だ。


「ミゾベさん! クッ……」


 声を張り上げようとすると、腹部の傷が激しく痛む。角材が突き通っている場所から考えると、肝臓や大腸を大きく傷つけていることが予測出来た。滲んでいる出血量から考えると、太い血管も損傷しているだろう。治癒力の高いエルフと言えども、異物を安易に引き抜けば大量出血によって一時的な意識喪失は避けられない。


 治癒魔法で先に出血点を止めていただかないと……


 ガラッ……


 瓦礫の山の1つが崩れ、呻き声が聞こえた。レイラは歩行の振動による痛みに耐えながら、足をひきずるようにその瓦礫へ近寄る。


「ミゾベさん?……あなたなの?」


 瓦礫の隙間から人の手が1本飛び出し、掻き分けるように2本目の手が出て来た。まとまった量の瓦礫が崩れ落ちると、ルメロフ姿のバスリムが這い出て来る。


「ミゾベさんッ!」


「あ痛てて……おお、レイラさん! 良かった! 御無事でしたか!」


 バスリムは身体をよじらせ全身を瓦礫から抜け出すと、そのまま地面に腰を着き、両手で右太ももに治癒魔法を施し始めた。


「大腿骨がイってしまったようで……スミマセン。ちょっと待っててもらえますか? 今、応急処置でつなげてますから」


「ええ……大丈夫よ……お待ちしてますわ」


 苦痛に顔を歪ませながらも、バスリムは申し訳なさそうに苦笑いをレイラに向けた。しかし、すぐに真顔になる。


「レイラさん! あなた、それは……」


 この時点で、バスリムはようやくレイラの右脇腹を突き通している異物に気が付いた。


「お互い、あの衝撃で防御魔法の集中が切れたみたいですわね。私、自己治癒魔法は不得手ですの。そちら終わったら、少し手を貸して下さるかしら?」


「いけませんっ!」


 バスリムはすぐに自分の治癒魔法をやめて立ち上がる。


「グオッ……」


 しかし、右足の激痛に襲われ前のめりに転倒してしまう。


「あらあら……せっかちなお方ですわね? 私は後で構いませんから……」


「なにを……」


 バスリムは体勢を立て直すと、今度は激痛を「認識」しながらゆっくり立ち上がった。


「……おっしゃいますか。さあ……もう少しこちらへ……」


 レイラを手招きし、両手に法力を備え始める。バスリムの厚意に、レイラも素直に従った。正直もう、いつ意識が飛んでもおかしくない状態だと自覚していた。


「女性にお優しいのね? ミゾベさんは」


「……男女は関係ありません。トリアージです。複数の傷病者が出た場合には、生存率の高い重傷者からと教えられています。エルフであるあなたは生存率が高く、状態は私よりも重傷……優先順位です」


 バスリムはレイラの傷口に左手を当て、止血と血管修復の治癒魔法を施しながら右手で角材の先端を握る。


「1・2の3で抜きますからね……我慢して下さいよ」


 激痛の中で意識を保ち続けているレイラの額から、汗が滴り落ちた。


「私の肩に……両手を載せ服をつかんでいて下さい。いきますよ……1・2の……さんっ!」


 バスリムはレイラの腹部を貫いていた角材を抜き捨てると、すぐに右手を腹部の傷口に当て、左手を背面の傷口に当て直した。その間、レイラはひと声も漏らさず痛みに堪える。


「……よし……とりあえず、損傷が激しい部分の修復はしました。でも、さすがですね。もう肉体自己治癒が始まってますよ!」


 嬉しそうに声を弾ませ、バスリムはレイラに状態を告げた。


「助かりましたわ……。言葉ほどは優しく無い処置でしたけど、息もしやすくなりましてよ。ありがとう……ミゾベさん」


 レイラは左手を自分の腹部傷口に添えて状態を確認し、バスリムに礼を述べる。


「いや……」


 照れ臭そう左手を頭に添えるバスリムの背後から、何の前触れも無く真っ赤な攻撃魔法光球が迫るのをレイラは視界の端に捕えた。本能的に身を避けながら、バスリムに伸ばしたレイラの右手は、彼の手も服も……吹き飛ばされた彼の肉体の一部をも掴むことは出来なかった……

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