第259話 昼と夜の境

「全兵、退避行動!」


 ベイラーは手綱を打って引馬に指示を出し、声の限りに叫んだ。


「大尉! あれは何だ!」


 急転回をする御者台から振り落とされないよう、台の手すりを握るヒーズイットが問いかける。


「分かりません! しかし、危険な『敵』だと判断しました! 全兵退避! 退避ー!」


 ベイラーの指示で異変を感じた兵達も、前線から迫って来る超大型のサーガに気付くと、それぞれに退避行動へ動き出す。

 馬を失った騎兵や歩兵らが前方を駆けているため、法力馬が引く馬車であってもなかなか速度を上げることが出来ない。ベイラーは一旦、兵らを避けるため前線側へ迂回するルートを選択した。


「あれは……まさか……オーガか?」


 御者台右側に座るヒーズイットは、真横から迫る巨大なサーガの全容を確認し呆然と呟いた。数百年前に絶滅したと伝えられている好戦的で大型の生物が、サーガ特有の雰囲気をもって迫って来る。

 だが……サーガ以上にヒーズイットの関心を惹いたのは、その前方をこちらに向かって疾走して来る1頭の馬……誰だ? あれは―――


「おい! 貴様ら! これを捕まえておけ!」


 馬車の真横に並んだ馬上の男がヒーズイットに向かって声をかけて来た。男の前には両手を後ろ手に縛られ、横向きに馬上に乗せられている人の姿が見える。


「あ、あなたは……」


 ヒーズイットは馬上の男の姿をハッキリと確認し、驚きの声を上げた。しかし男は、そんなヒーズイットの驚きを気にも留めず、縛り上げている人間をまるで荷物のように御者台へ投げ渡した。


「私が『アレ』を殺る間、それをしっかり見張っておけ!」


 白銀に輝く肩下までの長髪、その髪を分けて見えているエルフ族特有の大きく尖った耳……色白な印象が強いエルフ族の中にありながら、シワを刻む顔色は浅黒く、高齢でありながらも戦士の風格に満ちている。


「ウラージ長老大使ですかっ!」


 ヒーズイットが問いかける声を無視し、ウラージは馬上に立って背後を見上げ、巨大なオーガ型サーガに向き合う。


「あの4体だけでは無かったか……。人間共が……勝手な真似をしおって……」


 走り続けながらウラージを掴もうと伸ばして来たオーガの右腕に自ら跳び移り、そのままの勢いで腕から肩へと駆け上がる。オーガは立ち止まるために速度を緩めつつ、右肩に乗って来たウラージを今度は左手で掴もうと手を伸ばして来た。

 しかしウラージはその間に腰に帯びていた長剣を抜き、オーガの後頭部へ回り込むと頭頂部に手をついて跳び上がり、オーガの顔の正面に向かって落下していく。そのまま、右手に握っていた剣をオーガの左目を狙い真っ直ぐ突き立てた。と同時に、右腕に溜めた法力を剣先に送り込み、オーガの眼底で膨張爆発させる。戦闘はわずか数秒で終了した。


「大尉! 止めろ!」


 ヒーズイットの指示でベイラーは手綱を引き、減速した馬車をゆっくり転回させる。数十メートル後方からウラージがゆっくり歩み寄って来る姿と、その後ろで前のめりに倒れ伏しているオーガの影を確認した。


「馬が逃げた。私も乗せて行け」


 合流するとウラージは当然の要求のように伝え、左側から御者台に乗り込む。


「あっ……では、自分は後ろに……」


 スヒリトが御者台から後方の荷台へ移動するが、ほろ付きの荷台の中も負傷兵らで満載状態だった。仕方なく、御者台と荷台の仕切板部に身を縮めて座り込む。


「軍曹……彼女を頼む……」


 ベイラーはウラージから渡された「拘束されている人物」に顔を向けた。気を失っているのか、完全に脱力している上に小柄な体型なので、スヒリトの力だけでも容易に移動が出来る。


「前線はあと30分ももたんな。全員、壁の中に戻る他は無いだろう」


 ウラージは腰を落ち着けると、正面を向いたまま淡々と語った。


「あの……ウラージ長老大使……私はエグデン国軍部の現大将である……」


「知らん! 政治は高老大使に任せておる。お前が何者だろうが、関係無い!」


 自己紹介を拒絶されたヒーズイットは、さすがに気分を害して表情を強張らせ、ウラージを横から睨みつける。


「そういうワケにはいきませんな! 長老大使! 政治の話では無く、協定違反の犯罪行為に関しての尋問なのですから!」


「なんだと?」


 ヒーズイットの怒声に、さすがにウラージも顔を向けた。間にはさまれているベイラーは少し上体を後ろに反らし、スヒリトに助けを求めるように横目を向ける。


「互いの種族に対し、非人道的な虐待行為は禁じられているはずですぞ! あなたは我がエグデン国民であるこの女性を縛り上げ、物のごとく扱い、その生命に危険を及ぼした。これは明らかな協定違反行為です! ご説明願おう!」


 ウラージはヒーズイットの弁の途中から口の端に笑みを浮かべ、最後には進行方向へ顔の向きを戻してしまった。その態度にヒーズイットはますます熱くなる。


「長老大使! ご説明を! 彼女を捕えて何をするおつもりですか? 人間を奴隷にでもするおつもりか!」


「ふん……これだから短命種は……。お前の眼はふし穴か? そいつは協定保護対象外の人間種だ」


 侮蔑された事への怒りよりも、ウラージの言葉の意味が分からずヒーズイットは戸惑いを見せ、スヒリトが抱えている人物に視線を向けた。戦場を駆け抜けて来たためか、あるいはそれ以前にウラージに何かをされたのか、女の着ている服はかなり薄汚れて痛んでいる……いや?……違うのか?


「軍曹! その人の肩を見せろ!」


「え? え? はい……。肩……でありますか?」


 突然の軍部大将からの指示に、スヒリトは慌てて対応する。後ろ手に縛られているため、開きの大きな襟元を肩側へと引きずらすしかなかった。女の左肩がさらけ出される。


「こ……これは……」


 ヒーズイットはさらされた女の肩を凝視した。月明かりの中でもハッキリと識別できる、赤と黒の模様が刻まれている。この印は……


「この女は人間種だが、エグデンの者ではない。ユフの民だ。分かったか? 早とちりな短命種の大将とやら」


 満足そうに声を上げて笑うウラージを乗せた軍馬車は、長城壁南門へ向けて駆ける足を速め進んだ。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 王城3階の東側に面した小部屋は、様々な用具が雑然と置かれた物置部屋になっている。今はそこに石材の天井を分解した砂も散乱し、酷い有様だ。


 部屋の扉が開かれる。


「……今なら移動できます」


 顔をのぞかせたのは、王城警衛隊の服を着た若い男性兵だ。篤樹達を石床下の空間から助け出してくれた2人の兵士の内の1人で「バズ曹長」と名乗っていた。


「ミラ様。オスリムさん達との落ち合い場所は……」


 室内に一緒に待機していたもう1人の警衛兵士、ガイア少尉がミラに尋ねる。


「王政広間の玉座に、地下への入口があるとうかがっています」


「……2階かぁ」


 ミラの言葉にスレヤーが反応した。


「じゃあよ、もう1回こっから穴を空けて……」


「無理だな」


 ガイアが即座に否定する。


「んでだよ!」


 検討も無く否定されたスレヤーが、不満タップリに尋ね返す。


「2階は王城広間と、我々警衛隊のフロアだ。床も壁も天井も、全て我が隊独自の強力な封魔法コーティングを施している。他のフロアは部外者でも簡単に破れる程度かも知らんが、我が隊のコーティングは別格だ。我々隊員でさえ誰も破れん」


「……手前ぇらがヘタレなだけじゃ無ぇのか?」


 小声で漏らしたスレヤーの悪態を聞き咎め、ガイアが睨みつける。


「とにかく通常ルートで移動するしかありません。急ぎましょう!」


 2人の空気を無視して、バズが早期の移動を促す。


「……行きましょう」


 ミラの声を合図に、バズを先頭にしてフロカとミラが移動を始める。そのすぐ後ろからチロルが続いた。


「あの、リュウさん達から……どうぞ」


 篤樹は動き出しのタイミングが重なったワンピース姿の男女に声をかける。待機している間に聞いた話では、リュウとリメイは壁外街区の住民ということだった。ただ壁外街区は貧富の格差が大きく、リュウ達はかなり貧しい地区で生まれ育ったらしい。

 幼い頃から、親からも周りからも酷い扱いを受けて育つ中で出会った2人は、貧困地区から逃れるために努力をしたが報われず、彼らの経済力を超える負債を背負わされ、魔法院評議会により観察協力体として「買われた」という事だった。


「評議会の連中が、性も命も尊厳も……何にも御構い無しに自由に扱える人体実験動物ってこった」


 スレヤーからの衝撃的な説明で、篤樹はこの2人を「被害者」と語ったミラの真意を理解した。あの部屋にいた年配女性が、ミラ達の前でこの2人に何をやらせていたのかを察し、篤樹は怒りよりも「変な想像」をして恥ずかしさを感じてしまった。そして、そんな自分の心をさらに恥じ、リュウ達に対して申し訳ない気持ちになる。


「俺ぁ、東のスラム出身だからよ。南の事ぁよく分から無ぇが……ま、同郷みてぇなモンだな。よろしくな!」


 リュウとリメイに向けたスレヤーの笑顔は屈託なく、2人に対して全くの自然体で向き合う姿勢に、篤樹は何とも言えない頼もしさを感じた。


 リュウとリメイに続き、篤樹とアイリ、スレヤーが部屋を出ると、最後にガイアが出て、扉を静かに閉じる。


「……裏階段を使いましょう」


 バズは廊下を右に進み、途中で西側に続く中廊下を曲がった。廊下の正面突き当りに、王城外壁の窓が開けている。まるで縦長の額縁のような窓からは、遠くに長城壁上部の輪郭が黒く見え、その上に夕の終わりを告げる濃い茜色の光が見えた。

 廊下を半ほどまで進むと先頭のバズは立ち止まって屈み、床に手を置いて何かを確認し始める。


「オーマガトキね……」


 窓の外に映る景色を見つめていたミラがポツリと呟いた。


「なんすか? その、なんちゃらトキって?」


 スレヤーが尋ねる。


「王室の古文書に書いてあった言葉よ。初代エグデン王の言葉だそうだから……アツキのほうが詳しいんじゃないかしら?」


 ミラのひと言で、皆の視線が篤樹に向けられた。


「え? あの……すみません……。もう1回、言ってもらえますか?」


 聞いたことの無い言葉の響きに、言語適用魔法で変換されているのかと思い、篤樹はミラの口元に注目しながら改めて聞く。


「オーマガノトキ……いかが?」


 口の動きに違和感は無い……って事は、普通の言葉? 江口がこっちの世界で作り出した言葉じゃないの? オーマガ……あっ!


「あの……もしかしたら、元々は『オーマイガッ!』って言葉だったんじゃ……それだったら分かりますよ。僕もたまに使ってましたから」


「んで? どういう意味なんだよ?」


 スレヤーが篤樹に尋ねる。


「え? それは……『なんてこった!』とか……」


「良くない事が起こる時間……」


 篤樹の説明途中にミラが口を挟んだ。


「古文書には『悪い事が起こる時間帯』とか『悪しき者が現れる時間』というような意味が書かれていたわよ?」


「・・・・」


「……大丈夫です。ここから下りましょう!」


 バズがおもむろに立ち上がり声をかけたおかげで、何となく漂っていた変な空気は流れ去った。


「ここは?」


 一直線に階下へつながる階段が、壁の一部に突然現れた。人ひとりが下りられる程度の幅しかない。怪しむフロカの問いに、背後からガイアが答える。


「警衛隊専用の隠し階段だ。滅多に使われることも無い。普段は今のように法術で隠してある」


 フロカは後部に立つスレヤーに目を向ける。スレヤーがうなずいたのを確認し、ミラの前にフロカは立った。バズはフロカに笑顔を向けてうなずき階段を下り始める。暗く狭い階段を下りながら、篤樹の胸の中には変なモヤモヤがわずかに残っていた。


 何だよ、江口!「オーマガノ」ってのは……なんか俺、知ったかぶりして……恥かいたじゃないか!

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