第257話 急転直下

 石畳に落とした棒弓銃を拾おうとルロエは身を屈めたが、足先にヴェディスの攻撃魔法が放たれてくる。


「動くなと言ってるだろう!」


 ルロエは武器を諦め、下から睨みつける様に顔を上げた。ヴェディスの右腕は真っ直ぐルロエに狙いを定めている。ボルガイルも、いつでも参戦できるように法力を両腕に溜めているのが分かった。


「ルロエくん……」


 ビデルが微笑みを浮かべ語りかける。


「君ひとりの感情論で、人間種の大きな成長を妨げてはならないよ。彼ら3人を通して全ての人間種が世界の頂点に立てば、君達ルエルフだって、もうエルフの模写生物などと呼ばれることは無くなるかも知れないのだよ?」


 ルロエは身を真っ直ぐ起こし、ビデルを睨みつけた。


「ビデル大臣……何か、勘違いされていませんか? 私は裁判所の命令に従いあなたと行動を共にして来ましたが……ただそれだけの関係です。あなたの思想や研究には全く興味は無いし、ましてや共感も同意も出来ない!」


「ルロエとやら……」


 口を挟んだボルガイルに、ルロエは視線を移した。


「手の傷は、もう治癒したのか?」


 ヴェディスにやられた右手をルロエは左手で覆い、治癒魔法を施している。痛みはだいぶ引いたが完治とまではいかない。それがどうしたというのだ?


「……純粋なエルフなら、その程度の傷であれば、もう完治してるだろうなぁ?」


 ボルガイルは口角を上げ、小馬鹿にするように告げる。


「……何が言いたいんだ? あんた……」


「エルフなら3分、ルエルフなら30分……しかし、普通の人間なら3週間はかかるのだよ、その程度の傷が完治するのにもね」


「そういう事だ!」


 ボルガイルの言葉を受け、ビデルが再び語り始めた。


「エルグレドもピュートくんも、エルフ以上の回復力を持つ『特別』な身体だ。彼らの何が『特別』なのかを解明し、理解し、それを他の者に応用すれば、どれだけの者が幸せになれると思うかね? 加えてあの『チガセ』の肉体構造・存在構造を解明するなら、湖神のような永遠の存在に誰もが成り得るかも知れないのだよ!」


「……ホントに……くだらんヤツだな……あんたらは……」


 ルロエはこの3人が目指している「人間種の成長」を、心底くだらないと思った。求めているものが分からないでも無い……だが……人ひとりの存在を「実験道具」としか考えないような連中が掲げる「理想」に、何一つ魅力を感じられない。


「ビデル!……まだ、他に漏らされるとマズイぞ?」


 交渉決裂と見たヴェディスがビデルに判断を仰いだ。ボルガイルと2人で狙いは定めている。ビデルは微笑みながらうなずいた。


「残念だよ、ルロエくん……」

 

 ルロエの最期を見るのも忍びないと、ビデルは背を向ける。


「なんだ……」


 そのビデルの目に入ったのは、こちらに向かって疾走して来る2騎の騎兵の姿だった。しかも法力馬なのか、あっという間に眼前まで迫って来る。


 あまりにも突然に、しかも強化防護された 蹄鉄ていてつを激しく鳴り響かせ現れた騎兵達に、ヴェディスもボルガイルも意識が向いてしまう。その一瞬をルロエは見逃さず、不得意ではあるが両腕から2人に向けて攻撃魔法を放ち出し、そのまま駆け出した。


「グワッ!」


「くそッ……」


 ルロエの攻撃魔法は大した威力も無かったが、それでも2人の法術士による追撃を防ぐには充分な手傷を負わる。


「緊急伝令です!」


「えっ……と……ヴェディス会長……大丈夫ですか?」


 騎兵達は目の前で突然起きた「事件」に驚き、何を優先すべきか混乱する。ビデルはルロエが逃げる先を見た。軍基地と隔てる雑木林が広がっている。木々の中へ入ったルエルフは、騎兵の足では到底間に合わないだろうと判断した。


「あの……追いますか?」


 魔法院評議会会長らに法術攻撃を仕掛け走り去っていく「不審者への対応」を、騎兵の1人が尋ねる。


「構わん。放っておけ……で? 一体どうした?」


 顔面にルロエの法撃を食らってまだ呻いているヴェディスとボルガイルを横目に、ビデルが尋ねた。


「はっ! えっと……」


 騎兵の1人は答えると、隣の騎兵に目を向ける。お互いに別々の緊急伝令を持って来た様子だ。


「どちらからでも良いから、早く用件を言え!」


「はい! 湖水島王政府にて、王宮を含む複数施設への法撃が発生し、多数の死傷者が出ています! また、王城内におられたミラ従王妃が、何者かにより拉致され、現在行方不明となっております!」


「なん……だと?」


 先刻来の警笛が非常事態周知連笛だとは分かっていたが、まさか王都の中心である湖水島王政府がそんな事態になっていたとは……ビデルは絶句する。


「壁外警戒隊からの緊急伝令です! 群れ化した多数のサーガが、王都に向かい全方向から押し寄せて来ています!」


 2人目の騎兵も、緊急伝令の務めを果たす。


「大群行が……再発しただと……」


 ヴェディスがようやく目を開き、騎兵を見上げながら聞き返した。


「はっ! 王政府と軍部基地にはすでに別の者が知らせに……自分は研究所に会長がおられるとの めいを受けてこちらに……」


 ビデルはヴェディスを見る。本気で驚いてる様子だ。お忍びで来たはずなのに、軍部にまで筒抜けだった、ということか……


「それぞれの指揮は誰が執っている?」


 伝えられた情報をまだ状況整理しきれていないヴェディスに代わり、ビデルが確認した。


「湖水島王政府では、現在、メルサ正王妃が陣頭に立ち、ジン・サロン剣士隊と王城警衛隊が負傷者・行方不明者の救助、及び、ミラ従王妃捜索を行っています!」


「壁外防衛線には、視察中だったヒーズイット大将がおられます! 壁内基地はボロゾフ副司令官が指揮を執り、増援部隊を送り出しています!」


 エグデン王都1000年の 安寧あんねいが……まさかこのような形で内外同時に崩れようとは……カガワ・アツキ……これもあのチガセのせいなのか?


 ビデルは鳴り渡る警笛の中、夕から夜へ移り行く空を見上げた。頬が緩み、堪えきれない笑いがこみ上げて来る。


 鳴り止むこと無く非常事態を告げる警笛の緊張感と、心底楽しそうに声を上げて笑うビデルの姿……その場に居た4人は、その違和感に満ちた光景をしばらく呆然と見つめていた。

 


◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「ヒーズイット大将! 側面からも来ます!」


 軍上層部専用馬車を2頭の法力馬に引かせ操る御者が叫んだ。


「馬車の全方位を騎兵で固めろ! 増援はまだか!」


 車内でヒーズイットの隣に座る白髪の幹部兵が大声で指示を伝える。


「ペイン中将……大声を出すな」


 ヒーズイットは揺れの大きな車内でも、腕を組んでバランス良く腰かけていた。両脇の護衛兵は、それぞれ車内の手すりにしがみついている。


「……申し訳ございません」


 叱責された中将は謝りを入れた。こちらはヒーズイットとは対照的に、恐れと緊張がその表情から見て取れる。


「まさか、こんなに早く来るとはな……」


 車窓を見つめながらヒーズイットは呟く。


 小・中規模の「群れ」出現報告がこの数日増え続けていた。大群行の再発は近い……軍部にとってもこれは最大懸念事項だった。前回は群れ化の兆候をみすみす見逃してしまった。だからこそ今回は先手先手で部隊を配備して来たのに……


「今さら王都に戻っても同じだ……終わりだよ。王都も、この国も……」


 宵闇が迫る車窓の外には、まるで山脈が移動しているのかと見間違うばかりの無数のサーガがうごめき迫って来る。数千なんて単位では無い。数万、いや、数十万はいるだろう。大陸全土に生息していたサーガが、今、王都一点を目指して進んでいる。


 ガラガラガラ……!


 突然、車窓の景色が急旋回し、ヒーズイットはどことも分からず身体を打ちつけ意識が飛ぶ。ヒーズイット達を乗せた馬車は、荒野の急速に車軸が耐え切れず破断し、激しく横転してしまった。

 


◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「スヒリト隊長、これをどうぞ」


 兵員輸送馬車の中で、兵長の階級章を付けた法術兵がスヒリトに棒弓銃を渡して来た。


「あん? 何だ、これは?」


「棒弓銃ですが……」


 やり取りを横目で見ながら、周りの法術兵達がクスクスと笑いを漏らす。スヒリトは不満げに顔をしかめ、怒鳴り声で尋ねた。


「棒弓銃くらい知ってる! だから聞いてるんだ! お前らも法術兵なんだろう? ボロゾフ准将が法術士官である私にこの隊を委ねられたのは、法術戦の指揮のためだ! 棒弓銃で狩りを楽しむためじゃない!」


「お言葉ですがスヒリト隊長……法力弓術を……まさか御存知無い?」


 正面に座っていた副隊長のマルイが、いかにも驚いたようなわざとらしい声で尋ねる。


「法力……弓術ぅ?」


 ちょっと待て……なんか聞いたぞ……いや、読んだな? なんだったけ?「ズバリ合格!」に載ってたような……


「我々『元』ヒラー法術隊は、全員が法力弓術のエキスパートで組織されてる隊です。まさか、隊長は法力弓術を操れないとか言わないですよね?」


 明らかに格下を小馬鹿にする口調で、マルイはスヒリトに問いかける。


 あれぇ……? そう言や、ボロゾフ准将からも、何か確認された気が……


 ボロゾフから「棒弓銃は扱えるか?」と聞かれた。即座にスヒリトは扱えると答えたが、あの時は……てっきり普通の棒弓銃の話だと思ってたのだが……


「隊長、どうなんですか?」


「そりゃ……使えるよ……おい! 貸せ!」


 スヒリトは勢いよく立ち上がると、そばに立っていた兵長の手から棒弓銃を奪うように受け取り構えて見せた。


「当然だろ! だから俺がこの隊を任されたんだ!」


「そうですか……」


 マルイは口元に笑みを浮かべてはいるが、その目はまるで「汚物」を見る様な冷淡な色を帯びている。スヒリトも睨み返すが、こちらは怯えと動揺に震える目だった。マルイが合図を送ると、周りの兵士達は自分の棒弓銃を足元から取り出し、両手で握り、胸の前で備え持った。


「あんた……持ち方が違うんだよ……」


 マルイは口元の笑みも消し去り、怒りの籠った声をスヒリトに投げかける。


「な……きさ……」


 ほろ付きの薄暗い兵員輸送馬車の中、スヒリトは恐怖と不安と悔しさで泣き出しそうになりながらマルイを睨み返す。


「お……俺は……ボロゾフ准将からこの隊の隊長を拝命したんだ! 棒弓銃の扱い方がどうとかは関係ない!」


 軍部基地副指令でもあるボロゾフの威光を思い出し、スヒリトは勝ち誇ったように言い放つ。しかし、マルイをはじめ、隊員達は嘲笑の色を強めた。


「な……何が……何がおかしいんだ!」


「あんた……ここで降りな」


 冷ややかにマルイが告げる。


「は? はぁ? 何言って……」


 マルイの棒弓銃が、真っ直ぐスヒリトへ向けられた。ギョッとして、周りに助けを求めるように顔を動かすと、隊員全員がスヒリトへ棒弓銃を向けている。


「現場を何も知ら無ぇヤツが出しゃばって来ると、こちとら自分らの命にかかわるんだよ。そんな上官なんか『任務遂行不能』になって作戦から降りてもらうのが、この隊にとって1番ありがたい……全員の総意だよ。あんたに命を預ける気は無い!……死体になって投げ降ろされるか、自分の意思で降りるか、今すぐ決めろよ」


 矢を装填済のいくつもの棒弓銃がスヒリトを狙っている。


 な……なんだよ……こいつら……頭おかしいんじゃねぇの? クソッ!


 スヒリトは左右から狙いを定める棒弓銃に追い立てられ、荷台の最後部まで移動させられた。


「き……貴様ら! 分かってるな? こ、これは、明らかに軍規違反だぞ!」


 隊員達はニヤニヤしながらスヒリトの言葉を聞き流す。奥から、マルイが席を立って近付いて来た。


「さようなら。スヒリト『元』隊長さん……」


 マルイは構えていた棒弓銃を片手に持ちかえると、スヒリトの腹を右足で思い切り蹴り押した。

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