第256話 機会

「ウォーーーッ!」


 急に聞こえた叫び声と何かを激しくぶつける音に、一瞬、篤樹は身をすくめる。その声がスレヤーのものだと気付いても、何がこの闇の中で起こっているのか分からず、アイリを背後から強く抱きしめ恐怖に耐えようとした。その時、石床の下から何かの物音が聞こえた。


『………………』


「スレヤーさん! ストップ!」


 篤樹の声で、スレヤーの気配と声が止まる。


『静かに!』


 今度は声を潜め指示を出し、篤樹は耳を床石に押し当てた。


『何だ……』


『シッ!』


『……ほらな……間違いない……』


 分厚い石壁に四方を囲まれた防音室のような狭い空間に、聞き慣れないくぐもった声が伝わって来た。闇の中で全員に緊張が走る。


『……この上か?……ちょっと待て……』


 ガサリッ……


 床石の裏側……下の階の天井石を、誰かが触っている音が聞こえた。間違いない……「ここ」が調べられてる!


『……ほう……8人? 観察協力体とかいう2人も、やっぱり一緒か……』


 声がさっきよりも近くに聞こえた。


『……どんな様子だ?』


 少し離れた声も聞こえる。雰囲気からすると下の物置を2人の兵士が調査し、石天井の裏に隠れている篤樹達に気付き、ミラのような探知魔法を使って確証を得た……という感じだ。


 もう……バレてる?……なら、少しくらい聞かれたって……


「バレたみたいですよ。下から調べられてます。『8人いる』って話してますから、多分もう……。どうします?」


 篤樹はスレヤーが居るであろう方向に、声量を制限せずに語りかけた。


「……そっかぁ……ま、息が出来なくなって死ぬよりかは……マシな死に方が出来そうだな……」


 スレヤーの声に、かすかな安堵の色が宿る。身動きのままならないこの狭い閉鎖空間の中で死を待つよりかは、少なくとも「戦う」環境が整うだろうとの期待が籠っている。


『おい! よせ!……状況が分からん。あの赤狼が付いてるんだ。うかつに手を出すな』


「・・・・」


 しかし……「危険」を察しした下の2人の声が聞こえ、一瞬の沈黙が闇を支配する。


「ウォーーーッ! ここだぁー! 俺達はここにいるぞー! 抵抗しないでやるから、早く開けろーーー!」


 狂ったように石床を叩きながら叫ぶスレヤーの声に、全員が耳を塞ぐ。ひとしきりスレヤーは自分の存在をアピールすると、ゼェゼェと荒い息を吐きながら動きを止めた。やはり、かなり空気が悪くなってる。


「……いいから……とにかく……開けてくれや……」


 コン……ココン……コン……コ……


 下から石床を叩く音が聞こえた。棒か何かで叩いてるその規則的な打音に、スレヤーは何かを気付く。


「ちょ……と……待てよ……」


 ココン……コン……コ……ココン


 一定の間隔で続く打音がしばらく続いた。


「マジかよ……よし!」


 スレヤーの声の後、今度は闇の中で石床を叩く音……恐らくスレヤーが叩いているのだと篤樹は感じ取り、一体、何が起きているのか、見えない闇の中で音のする方向を見つめた。


 闇の中に、突然スレヤーの顔の一部が光に照らされ浮かび上がる。


「何?」


 同じ方向を向いていたアイリも気付いたのか、驚きの声を上げた。


「今の『打伝音』本当なんだろうな?」


 自分の顔を照らしている光に向かい、スレヤーは下を向いて問いかける。


「スレヤー伍長か? ミラ従王妃に伝えよ。『悪政を葬り、真政の夜明けを!』と」


「私はここに居ます!」


 会話を聞いていたミラが即座に応えた。


「味方よ! 助かったわ!」


「伍長! 少し身体をずらして待て!」


 ミラの声が聞こえたのか、下からの声がすぐに届く。闇に浮かんでいたスレヤーの顔が消えると、ほどなくして床下からの光源が広がった。サラサラと流砂のような音を立てて開かれる穴を避け、横向きに身を立てているスレヤーの全身が照らし出される。闇の中の淀んだ空気が一気に入れ替わって行くのを篤樹達は感じ、自然に笑みが浮かぶ。


「よっ……と!」


 まずスレヤーが穴から床下へ下りる。すぐに穴から顔を出し、笑顔が向けられた。


「大丈夫だ! 1人ずつな。……声は出すなよ?」



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「ベイラー大尉!」


 森の中でエシャー達と別れ王都壁内軍部基地に帰投したベイラーは、基地内の騒ぎに紛れて物資輸送隊庫へ向かっていた。だが、駆け足で行き交う兵達の合間から名前を呼ばれて立ち止まり、声の主を確認する。


「どうした? 兵長」


「どちらに行かれていたんですか! 出動指令が出てますよ!」


 駆け寄って来たのが「同志」でもある部下だと分かり、ベイラーは笑みを浮かべる。


「そうか。すまん……『例の件』で集まりがな」


「……そうでしたか。手はずは?」


「歩きながら話そう」


 ベイラーは兵長と並んで輸送隊庫に進みながら、他者に聞かれないよう手短に状況と作戦を説明した。


「ヒラー少尉と……ウェイビー中佐が?」


「ああ……。まさかあの2人が同志だった……というか『あちら側』の偽同志だったとはな……」


「それで……ですか……」


 兵長が納得顔でつぶやいたのを聞き咎め、ベイラーが尋ねる。


「どうした? 何かあったのか?」


「え? あ、いえ……。さっきから特剣隊やら法術兵があの2人を捜し回ってたんですよ。まあ、こんな状況ですから、各隊乱れてはいるんですけど……さすがに指揮官がいないんで焦ってたんでしょうね」


 言われて改めて周りの兵達の動きを見ると、確かに「出動」に向けて忙しく駆け回ってる兵達の中に、何人かの法術兵と特剣隊兵士らが所在無げにうろついている姿が目に入った。


「……まあ、いいさ。それより、今話した通り俺達は島に馬車3台を持って行って、あとは現地で次の指示待ちってことだ……と……」


 兵長に積荷の指示をしようとしたベイラーは、輸送隊庫前で指示を出している上官の姿に気付き口を閉じる。同じタイミングで、上官と視線が合った。


「ベイラー! どこで何をしてやがった!」


「すみません! 腹具合が悪くて……」


 言い訳を口にしながら上官に駆け寄る。


「そうか! それなら尻当てでも履いて来い! 10分後に出動だ!」


「はっ! 大丈夫です!……ではすぐに積込みを……」


 コートラスから言われた「車輪妨害用のガラクタ」を積み込もうかと考えていたベイラーを、上官が睨みつける。


「何を載せるんだ! 貴様の隊は兵員輸送だ! 早く準備を進めろ!」


「へ? 兵員……ですか?」


「城のほうは大したことは無い! 救護隊を向かわせた! それよりも『外』だ!」


 合点のいかない表情のベイラーを、上官は呆れ顔で見る。


「貴様……どこの便所に籠ってたんだ? 緊急伝令を聞かなかったのか!」


「は? すみません!」


「群れ化したサーガの大群がこっちに迫って来てるんだよっ! 早いとこ兵員を乗せて防衛線に向かえ!」


 上官からの一喝にベイラーは習慣的に了解の礼を示し、即座に自分の隊の詰所へ駆け出した。


 嘘だろ……このタイミングで……大群行が再発しただと?!


 輸送隊庫前には、出撃態勢が整った各隊が続々と集結している。ベイラーは「島」へ向かう約束を諦めた。


 すみません、コートラスさん……。革命後の町と人を守るために……こっちの作戦を優先させていただきます!



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「お! スヒリト軍曹!」


 蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている王都軍部基地で、昇格試験のために滞在していたスヒリトはボロゾフ准将から声をかけられた。


「あ、准将! お疲れ様です!」


「お父上はお元気かな?」


 護衛兵を待機させ、ボロゾフはにこやかにスヒリトに近寄って来る。


「は! 父母共に元気にやっております!」


「そうかそうか。お元気なら何よりだ。……この騒ぎが収まれば、軍部の再編もあるだろう。また、是非お会いしたいとお伝え願えるかな?」


 ボロゾフは意味深な笑みを浮かべた。

 王都壁外街区で豪商と名高い父とボロゾフの関係を、スヒリトも良く理解している。現在の軍部大将ヒーズイットが退いた後に備えての「政治戦略」が積まれる中、自分にとっても最大の後ろ盾となっているボロゾフに、スヒリトは忠犬のごとく愛想を振りまいていた。


「そうだ!……君、棒弓銃は扱えるかね?」


「え? あ……はい! もちろんです!」


 ボロゾフからの問い掛けに、スヒリトは即座に答えた。棒弓銃なら子どもの頃に狩りで使った事がある。まあ、腕前は全くの素人とは言え、扱ったことがある経験者には間違いは無い。


「そうか……」


 ボロゾフはしばらく思案し、うなずいた。


「……君は今度、准尉試験を受けるんだよな?」


「はい! 先日、学科試験を無事に合格し、明後日、実技試験となっております!」


「うむ。頑張りたまえ。ところで実は今、法術兵団の1隊で指揮官が行方不明になっていてな……。君、指揮を執ってみないかね?」


 思いもかけない誘いに、スヒリトは一瞬、キョトンとした。だが、言葉の意味を理解すると、笑顔を浮かべる。


「法術隊の……隊長、という事でしょうか?」


「ああ、そうだ。まあ、臨時ではあるが……どうだ? 今後に向けての良い経験にもなるんじゃないか?」


 「父」からの援助を取り付けるために「息子」であるスヒリトに高評価を得る機会を与えてくれたのだとすぐに理解した。スヒリトは姿勢を正し、最敬礼を示す。


「スヒリト軍曹、喜んで拝命いたします!」

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