第255話 閉暗の恐怖

 コートラスは車内の様子を気にしながら、周りに怪しまれない程度の最大速度で馬車を走らせる。


 選択の余地は無かった―――


 あの特殊な内調の少年法術士を相手に、勝機は毛ほども無いと即座に分かった。エシャーを死なせるワケにはいかない……新たな世界を築き上げる信条をもつ少女を失ってはならない―――

 

 脅しに屈する他無いと判断しかかっていた時、エシャーがピュートに尋ねた。


「ねえ? なんで一緒に行きたいの? 自分達の馬車で行けば良いじゃない」


「……今、馬車は無い。ベガーラが持って行ってる」


「ふうん……」


 エシャーは少し考え言葉をつなぐ。


「じゃあ、隊長さんも一緒に? それだとちょっと困るんだけど……」


「隊長は研究所で任務中だ。俺一人で行く」


「隊長さんは知ってるの? このこと」


 ピュートは一瞬答えに迷ったように黙る。


「ねえ?」


「知らない。伝えて無いし、会っても無い。戻りかけに警笛を聞いたから……」


 ピュートの回答にエシャーは満面の笑みを見せた。


「勝手なことやって、後から怒られない?」


「怒る? 誰が?」


「隊長さん」


「……さあ? 知らない。任務を失敗すれば怒るかも知れないが、これは任務じゃ無いしな。今日は『好きにしろ』と言われてる」


 コートラスは口を挟むべきでは無いと判断し、エシャーに対話を任せたが……ボルガイルの言った「好きにしろ」の意味を、恐らく、履き違えているピュートの理解に苦笑する。


「それに……」


 ピュートは話の筋を変えて来た。


「さっき、その男は俺を『連れて行く』と言った。だから連れて行ってもらおうと思い直した。どうする? 連れて行くか……ここで『終わり』を迎えるか……」


 コートラスに視線を送ったピュートの前に、エシャーはサッと移動し立ち塞ぐ。


「分かった! お城の近くまで一緒に連れて行ってあげる。だけど、私達の邪魔はしないって約束できる?」


「……約束はしない。でも『1人で見に行った』と報告する」


 エシャーは真偽鑑定の難しいピュートの目を真顔でジッと見つめ、ニッコリ微笑んだ。


「いいよ。じゃあ、お城の湖の所までね。こっちも色々と用事があるから……それで良い?」


「な……エシャー!」


 苦情の声を上げたコートラスに、エシャーは片手を向けて制止する。


「……お前達に興味は無い。それで良い」


 こうして3人は、貨車の座席下にヒラーを積め込み、軍部基地横の雑木林から湖水島に向けて出発した―――



~ ~ ~ ~ ~ ~ ~



「ピュートは何に興味を持ったの?」


 通り沿いの歩道に集まる市民らを車窓から眺めるピュートに、エシャーが尋ねた。


「……大きな法力発現を感じた。それは短時間で消えたが、その後、もっと大きな法力も急に感知した。それが誰なのか見たくなった」


 大きな……法力? それって……


「補佐官じゃ無い」


 一瞬、エルグレドの事かと考えたエシャーの思いを見抜いたように、ピュートが言葉を続ける。


「あの男の『色』は感じなかった。それよりも……」


 ピュートは言葉を出さずに話を打ち切る。少し待ってエシャーが聞き返す。


「それよりも?」


「…………」


 ピュートに答える気持ちが無いことを察し、エシャーも追及をやめる。


「……何をやる気だ?」


 しばらくの沈黙後、ピュートからエシャーに語りかけて来た。


「え? うーん……ちょっと……分かんなくなっちゃった」


 車窓から外を見ていたピュートは、視線を車内のエシャーに移し怪訝な表情を浮かべる。エシャーは慌てて言葉を選ぶ。


「あ、えっとね……予定が変わっちゃったから……ほら! 急にこんな警笛とか鳴りだしたしね? だから……何をやる事になるかも……ちょっと、まだ分からないって言うか……」


「作戦変更時には、各自が臨機応変に対応すれば良い……」


 エシャーが「隠し事」をしていないと判断し、ピュートもそれ以上は追及しなかった。


 コン!コン!


 御者台との仕切り窓板が叩かれる。エシャーがすぐに板を開くと、コートラスが身を屈め車内に話しかけて来た。


「大通りは野次馬で溢れてる。橋も封鎖されてるみたいだな。……ってことで俺達は西に迂回するが……お前はどうする?」


 チラッと視線をピュートに向ける。


「……じゃあ、ここで良い」


 ピュートの返事を確認し、コートラスは姿勢を戻した。エシャーはついでに、コートラスの先に見える真正面の湖水島方向を確認する。馬車も人も大混雑で車道は埋まり、空には2色だった信号煙が混ざりあって薄れ1筋の雲のように見えた。


 左の側道に曲がって馬車が止まると、ピュートは立ち上がりサッサと扉を開いて外に出ようとした。


「あ……じゃあ……ね?」


 エシャーは別れの挨拶で声をかける。ピュートはその声が聞こえなかったのか、顔も向けず車外に降り立ち、あっという間に人混みの中へ分け入り見えなくなった。


「……気味の悪いヤツだ……」


 開きっ放しにしていた仕切り窓からコートラスが顔を覗かせて呟く。エシャーは、ピュートが開け放した扉を閉じると「ふぅ……」と溜息をついた。


 あの子……一体なんなんだろう……



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「うおっ!」


「きゃっ……」


 闇の中で突然大きな揺れを感じ、思わず声を上げてしまった。篤樹達は自分のそばに居る「人間」のどこかを咄嗟に掴む。


『なんだぁ? 今の揺れはよぉ……地震かぁ?』


 声量を抑えたスレヤーの声に、ミラの声が応える。


『……強力な法力を感じたわ……大きな法術を誰かが使ったみたいね……』


 び……びびったぁ……


 篤樹は胸がドキドキしていた。ミシュバの町で体験したあの巨大地震の記憶が甦る。もしお城が崩れるくらいの地震が今来たら……このまま瓦礫に潰されて一巻の終わりだろう……と考えただけで冷汗が出る。


『城内も……先ほどより騒がしくなっていますね』


 すぐ真横でアイリの声が聞こえ、篤樹はかなりギョッとした。


『ア、アイリ?』


『え?』


 声の近さから、今、自分の隣に並び横になっている相手が誰なのかを初めて認識した。


 思わず握っていた「誰かの手」が、ピクッと動揺したのを感じる。


『……これ……アイリ?』


 言いながら篤樹は握っている手に「ギュッギュッ」と軽く力を入れて確認した。


『あ……うん……そう……』


『どれどれ……』


 スレヤーの声が聞こえ、おもむろに篤樹は誰かに頭をガッツリと握られる。


『ここかぁ? アッキーは。んで、こっちがアイリちゃんかぁ?』


『痛い! ちょっと、スレヤーさん! 髪の毛が……』


『あの……私です』


 乱暴なスレヤーの確認の手に篤樹は抗議をし、アイリとは反対側からチロルの声が間近に聞こえた。どうやら、篤樹を挟んでアイリとチロルは横たわり、その頭上にスレヤーは横たわっているようだ。


『おっと……済まねぇな、チロルちゃんだったか……』


 分厚い建材石が防音の役目を果たしている上、城内は「逃亡者捜索」だけでなく、今の「法術による攻撃(?)」で大騒ぎになっているようだ。抑制していた会話が出来るタイミングだとスレヤーは見計らった。


『ちと、誰か1回だけパッと発光魔法使えねぇか? 全員の状態を確認してぇ……』


『……少々お待ち下さい』


 チロルが返事をし、ガサゴソと動く音が聞こえ……その後、仰向けに横になっていた篤樹の目の前にオレンジ色の薄い光が灯った。蛍の光程度の光量のため視力を奪われることも無く、一瞬だけ目を背けたがすぐに辺りを確認することが出来る。


 右隣にアイリ、左隣には左手で細い棒の先に光を灯し差し伸ばしているチロル、頭上にスレヤーが居る。


『みんな、無事のようね』


『はい……』


 足元から聞こえたミラとフロカの声に反応し、篤樹は顔の向きを変えて足方向を見る。そこには灯りに照らされているミラとフロカ、それに一緒に床下へ潜って来た男女の顔が見えた。身体を横にすると両肩が上下の石に触れるくらいの高さしかない空間……スレヤーは身体の向きを変える事さえ難しいだろう。


『狭いなぁ……』


 自分達が居る空間を確認し、スレヤーが改めてウンザリしたように語り……大きく欠伸をした。


『……退屈ですねぇ』


 篤樹もつられて欠伸をする。チロルが灯していた光がスッと消える。


『チロル……もう少し点けててくれない?』


 ミラが声をかける。


『……はい……あの……すみません……あれ?……』


 チロルがモゾモゾと動く気配……そう言えばアイリは? 篤樹は右側に顔を向けて語りかける。


『アイリ……どうしたよ? 黙ったまんまで……大丈夫か?』


『ん? ああ……ちょっと……頭が痛くって……』


『さすがに……キツィなぁ……』


 アイリの返事にスレヤーも同意を示す。


 そうだよな……こんな暗くて狭くて埃っぽい所に1時間近くも……あっ!


「スレヤーさん! 早くここから出ないと、マズいです! 痛ッ!」


 篤樹は声量を抑えずに叫び、同時に起き上がろうとして頭をぶつける。


『ば……アツキ!』


 隣でアイリが心配そうな声を上げた。


『ん……なんだぁ、アッキー? 急に……』


『ここ……空気が……酸素が少ないんですよ!』


 暗闇の中で篤樹は前頭部をさすりながら説明する。


『どういうことだ?』


 足元からフロカの声が投げかけられた。


 そうだよ……この場所……エシャーと閉じ込められた瓦礫の下よりも空気が悪いじゃないか!


『空気の中の酸素が足りなくなってるんです! この場所にこのまま居たら……全員、息が出来なくなって死んでしまいます!』


 篤樹はみんなが理解しやすいように説明をする。


 岡部の話……保健の時間に何か変な話をしてた……。空気の中の酸素は普通20%? 全体の2割程度だとか、16%を切った場所に居たら酸欠で死ぬとか……子どもの頃にふざけて「業務用冷凍庫」の中に入ってしまい、危うく死にそうになったとか……


『息が出来なくなる……そういや……息苦しいな……。しゃあねぇ……』


 1人が動くためには、全員が身体の位置を変える必要のある狭い空間で、スレヤーがモゾモゾと動いた。


『チロルちゃん……こっちの……1番端っこの……下の石をよぉ……開けてくれるか?』


 スレヤーから手引きをされて、チロルが場所を移動しているようだ。篤樹も身体を折って移動の「道」を空ける。同じようにアイリも身体を横向きに折り、2人は「くくの字」のように身体を寄せ合った。


『……真下は3階の倉庫のはずだ……普通なら人はいないだろうけどよ……捜索されてっかも知んねぇから……慎重にな』


 スレヤーの指示を受け、チロルが呼吸を整える雰囲気を感じる。しかし……


『どした? いいぜ? 今なら人の気配も無ぇし……』


『あの……ダメです! 法術が……発現出来ません! あれ? 呼吸が……法力が……掴めないんです!』


 闇の中にスレヤーとチロルの焦り声が聞こえる。


『オレも……法力の呼吸が乱れて……出来ないよ……』


 篤樹の前面に身体を寄せるアイリも、何かの術を試そうとして出来なかったのか、唖然とした声を出した。


『他に……誰か……あなたたちは?』


 ミラも焦りの籠った質問の声を、同行した男女にかけた。


『私達は……全く……』


 ただでさえ「悪い空気」が、全身にますます重くのしかかって来るように感じる。


「クソッ……。グオゥ!」


 スレヤーの、叫びにも似た呻き声が暗闇の中に聞こえた。ザリッ! ザリッ! と何かがすり合う音が闇の中に響き始める。


 ダメだ……こんな半端な姿勢じゃ、全然、力も入ら無ぇ……


 スレヤーは上下の石板を押し広げるように、全身を使って力を入れようとする。しかし、自分の今の姿勢ではしっかり組み合わされているこの「石の天井と床」のどちらにも歯が立たないと悟るだけだった。


 嘘だろ……? ここで……「また」俺の判断ミスで……みんなを……


「ウォーーーッ!」


 石床に拳をぶつけ、石天井に頭を押し当て、可能な限りの打撃を試みながら、スレヤーは闇の中で絶望的な雄叫びを上げた。

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