第251話 備えの間の守秘義務

 フロカの指示に小声で返答した男女が服を着ているのか、しばらく衣擦れの音が聞こえる。


「フロカさんよぉ、もう良いかい? そのベッドやら椅子やらで扉を押さえてぇんだけどよぉ!」


 スレヤーが焦りの声を出す。扉の向こうから、複数の足音……警衛隊が駆け付けて来る雰囲気が伝わって来る。


「どけっ! 良いぞ!」


 フロカの許可が出て、篤樹とスレヤーは急いで振り返った。ベッドから下ろされた男女は、裾の長いワンピースのような服を着終わろうとしているところだ。


「お前も手伝え! 部屋ん中のモンを全部扉へ!」


 畳4枚位の広さがある大きなベッドを、スレヤーは奥側に回り込んで扉へ押し始める。篤樹と共に服を着たばかりの男も指示に従い、スレヤーと同じようにグイグイ押していく。


「よぉし……」


 扉までベッドを寄せると、スレヤーはほぼ1人の力でそれを持ち上げ、扉側の壁に立て掛けた。そのベッドを補強するように、年配の女性以外の全員で室内にあるその他の家具類を積上げた直後、扉を押し開こうとする気配が伝わって来た。


『ミラ従王妃! 御無事ですか!』


 扉の向こう側から兵士達の呼びかける声が聞こえる。


「大丈夫です! 問題ありません!」


 ミラが大声で応じた。しかしすぐに苦笑いを浮かべる。


「……そんなワケ無いわね……」


 自分自身の言葉を否定し、乱入して来た仲間達の顔を見回した。


「短時間で説明をお願い」


「グラバ様んとこに、警衛隊と剣士隊が押し寄せてます。ジン達の計画でしょう。強制逮捕って事みたいです。レイラさんは王様んとこにいる大将に伝えに行ってます」


 スレヤーは状況を簡潔に説明する。その間にも、扉向こうの人員と喧騒が増している気配が伝わって来た。


「そう……始まったのね……」


 ミラは状況を把握出来たのか、うつむき落ち着いた声で呟くと笑顔で顔を上げた。


「さて……こちらの騒ぎにはどう対応しましょうか?」


 外からは「扉を開け!」と兵士達が声をかけ続けてくる。


「俺らの役割はミラ様を守ることになりまさぁね。んでも……スミマセン」


 王城警衛隊数人をなぎ倒した「暴漢達」が、従者としてミラと共に大手を振って出歩けるはずもない。


「どこかに身を隠さなければ……」


 フロカは室内をサッと見回し、1つだけ開かれている窓に近付き顔を覗かせる。垂直な壁に開かれた窓から地面までは15メートル以上の高さだ。目線を動かすと、2階部分のバルコニーが左手5メートルほど離れた斜め下に確認出来る。


「こりゃ、なかなか無理があるぜ?」


 フロカの頭越しにスレヤーも外を確認したが、苦笑しながら室内に視線を戻した。ベッドからすり落ちた大きなシーツが目に付く。


 参ったなぁ……


「スレヤーさん、どうします? このままここで……持ち堪えられますか?」


 扉前に積上げられたバリケードを、篤樹は不安げに見つめながら尋ねた。扉自体の内鍵とかんぬきを施し、かなり重量のあるベッドや家具で押さえているのでそう簡単には開かれることは無いだろうが……


「持ち堪えられるわきゃ無ぇよな……ヤツラ、全員法術剣士だ。その気になりゃ、壁1面破壊して入って来るぜ」


「策が無いのなら投降しろっ!」


 年配の女性が薄ら笑いを浮かべてスレヤーに食ってかかった。


「あーん? なんだぁ、この婆さんは?」


「ば……婆さんだと! そ、そんな歳ではないぞっ!」


「評議会が準備した『性教育担当』の女性よ。まだ60歳そこそこのお姉様だそうよ」


 ミラがウンザリした声で簡単に紹介する。


「せ……せい……教育?」


「妃たる者、主従を問わず王の良き慰み者とならねばならぬ。御世継ぎを得るためにも、この『備えの間』にて男女の営みをしっかり覚え、速やかに王に仕える『受け入れの器』として、その身を備える必要があるのじゃ!」


 呆気にとられる篤樹とスレヤーに、年配の女性は誇らしげに告げた。


「その大切な学びの時に、このような騒ぎを起こしおってぇ……この、愚か者共が!」


「……あなたの喋り方、やっぱりお婆さんだわ」


 篤樹とスレヤーに向かい息巻く年配女性の背後で、ミラが静かに言い放つ。


「は? はあ?!」


 まさかミラからそんな言葉を投げかけられるとは思っていなかったのか、年配女性が驚いた表情で振り向いた。


「チロル……固めて」


 何か言いたげな年配女性から顔を背け、ミラは隣に立つチロルに声をかける。


「こ……これ……従王……」


 右手を差し伸ばそうとする途中の姿勢で、年配女性の動きがピタリと止まった。


「やっと静かになったわ!」


 激しく扉を叩く音が響く中、ミラはスッキリした表情で宣言する。


「……えっと、従王妃? 一体ここは……」


「話は後だスレヤー伍長!」


 スレヤーが苦笑いを浮かべ尋ねたが、即座にフロカにその質問は断ち切られた。


「チロル……お前……」


 アイリはチロルが「拘束魔法」を使ったこと……それ以前に「法術使い」であったという事に驚きを隠せない。


「それも後よ」


 チロルは笑顔のウインクでアイリに応え、顔をスレヤーに向け尋ねる。


「ここに居続けることは出来ません。スレヤー様、御指示を!」


 俺かよ……


 スレヤーは状況を整理しながら、善後策の検討に頭をフル回転させた。


「……フロカちゃんよぉ……そいつは生きてんのか?」


 床に横たわる護衛兵を見下ろしながら尋ねると、フロカはうなずいた。


「訓練中に飛び出したので模擬剣だ。側頭部を打ち払ったが……気を失ってるだけだろう」


「んじゃ、チロルちゃん。コイツも一応『固めちゃって』もらえるかな?」


「……? はい」


 すでに気を失っている相手にまで、あえて拘束魔法を施す。スレヤーは念には念を入れておいた。


「あと……そこのお2人さんは……どうする? 一緒に逃げるかい? それとも『被害者』になって『固まっとく』かい?」


「彼らはすでに『被害者』よ」


 間髪入れずミラが答える。呆然と立ったまま抱き合い、事の流れを見守っていた見知らぬ男女はうなずいた。


「お願いします。ご一緒させて下さい」


「……よし。んじゃ、絶対ぇに指示と秘密を守れよ? とにかく急いで『これ』でロープを作っちまおう!」


 スレヤーは床に落ちている寝具を拾い上げた。


「なんつっても、まずは身を隠さなきゃな」


 そう言うと、視線が合ったチロルにウインクをして見せた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「状況は?!」


 王城4階、魔法院評議会フロアの「備えの間」前に特別警衛隊隊長のマロイが駆け付けて来た。衛兵ら数名が持って来た3メートルほどの丸太を抱え、扉の破壊を試みている。


「何をやってるんだ?」


「あっ、隊長! 賊が室内に立て籠り、何かで扉を押さえていますので……」


 マロイは右手を真っ直ぐ扉に向けた。


「どけっ!」


 扉前に集まっていた兵達は振り返り、マロイが攻撃魔法態勢なのを見ると、慌てて左右に退く。即座にマロイの右手から緑色の攻撃魔法が放たれた。


 ガゴンッ!


 木製の扉板に穴が開く。しかし室内から押さえるバリケードが邪魔で、扉を開くことが出来ない。


「隊長! 中にはミラ従王妃が……」


「構わんっ! 何かあれば賊の責任だ! 聞こえるかスレヤー伍長! 何を企んでるのか知らんが、投降しろ! ミラ従王妃に何かあれば、貴様が責任を問われることになるぞ!」


 マロイは扉に開けた穴から室内に呼びかける。しかし、スレヤーからの返事は無い。


「少尉! 分隊で壁ごと外せ!」


 そばに居た兵に命令を出すと、すぐに指示が伝わっていく。


「分隊整列!」


 少尉の号令で扉周りの壁に向け8人の兵士が右腕を突き出した。


てッ!」


 構えた兵士達の右手から、一斉に真っ白な光の攻撃魔法が壁の上下左右部に放たれ穴が開く。最後に少尉が壁に手をつき法術を放つと、残っていた壁全体に亀裂が走りガラガラと崩れ落ちる。


 舞い上がる埃が薄れるのを待ち、中からの反撃が無い事を確認すると斥候兵2人が室内に飛び込んだ。


「2名確保!」


 すぐに中から状況報告の声が響く。マロイは5人の兵を伴い、崩れた壁跡を踏み越え室内に入る。


「……拘束魔法か」


 年配女性と護衛兵の男が、まるで彫像のように壁に立てかけられていた。


「こいつらは?」


「私達の職員です」


 マロイの問い掛けに、若い男性の声で背後から答えが返される。振り返ると、魔法院評議会の職員服を来た数名が室内を覗き込んでいた。


「評議会の? 中には他に誰が居た?」


「あ……ミラ従王妃と侍女が2人……あと観察協力2体が入室……と記録がありました……」


 観察協力体? ああ……


「また、何かの実験か?」


 評議会職員らは顔を見合わせる。


 分かってるよ……どうせ答えはこうだろ?


「守秘義務か?」「守秘義務です」


 マロイはあまりにも定番の返答に苦笑した。


「分かった。評議会の活動内容に関してとやかく言う立場ではないからな。だが、観察協力体も一緒にいなくなってしまってるぞ? 性別や特徴だけでも情報提供してもらえないか?」


 どうせこれも……


「守秘義務か?」「守秘義務です」


「それに……」


 苦笑するマロイに向かい、最初に声をかけた男性職員が申し訳なさそうに言葉を続ける。


「私達も……実際に誰が何をしているかまで知らされていないんです。今日は一般職員しか出ていませんので……魔法院の方がおられないと、答えようもなくて……」


「隊長!」


 散乱する室内で捜索していた兵士から呼ばれる。マロイは職員達に形ばかりの礼をすると、呼び掛けられた方へ進む。窓か……


「ロープです!」


 急ごしらえしたとみられる「布ロープ」を、兵士が窓枠から少し引き上げてマロイに見せる。一端は家具に結び付けられていた。マロイは外を覗き込む。


「……足りんな」


 外にぶら下がっている布ロープは、地上5mほどの所までしか届いていない。


 2階のバルコニーか……


 マロイは左斜め下に見えるバルコニーに目をやった。バルコニーの奥には1階につながる外階段がある。その先は、城郭庭園の木々が茂っていた。


 クソッ……


「賊はミラ従王妃らを連れて城外へ逃亡した! 追え! 裏の林だ!」


 マロイの号令一下、警衛隊の兵士らは一斉に駆け出して行く。最後に部屋から出たマロイに、先ほどの評議会職員が声をかけて来た。


「あ……あの……隊長さん……。ここは……」


「ん? 何か?」


 立ち止まって応じたマロイに、若い女性職員もおずおずと尋ねて来る。


「壁とか……部屋とか……」


「ああ!」


 マロイは2人に笑顔を向けて応じた。


「我々は本来、4階への立入りは禁じられてる。色々と『守秘義務』の決まりがあるからな。今回は賊が押し入った有事としての特別進入だ。すぐに逃亡した賊の追跡に向かうから、後は評議会の自由にどうぞ。では!」


 立ち去ろうとするマロイを、なおも女性職員が呼び止める。


「あの、せめてあの2人の拘束魔法だけでも解いていってもらえませんか?」


 ボロボロの室内に立てかけられている男女2人に、3人は視線を向ける。


「その……私達は一般職員なので……拘束魔法も解除も……さすがに……」


「ああ!」


 マロイは納得の表情を見せ、笑みを浮かべた。


「我が隊の拘束魔法解除術で、君たちの前であの2人の拘束を解除して欲しい、と?」


 女性職員は笑顔でうなずき、男性職員は「しまった……」という表情を見せる。


「部隊機密だ!」「部隊機密ですよね……」


 声が重なった男同士は笑顔でうなずき合い、マロイは颯爽と駆け出して行った。

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