第244話 動揺
――― 召宮の儀当日の朝 ―――
「ミラさんは、もうお城に入るんですね……」
篤樹は早朝からの法力呼吸訓練をしながら、そばに立つスレヤーに語りかけた。その声に反応し、スレヤーは篤樹の視線の先に目を向ける。
「同行はアイリちゃんとチロルちゃんだけか……」
王城に向かって歩いて行く3人の背中を見送り、スレヤーが深く息をついた。
「アイリちゃんは、まさか今日が『その日』だとは思って無ぇんだよなぁ」
「……まだ、言ってないんでしょうねぇ」
ルメロフからゼブルンへの王位
「それにしても……」
王城に入って行く3人の後ろ姿を見つめながら、篤樹は言葉を続けた。
「まさかチロルさんが内通者だったなんて……全く気が付きませんでしたよねぇ……」
「ん? そうか?」
同意を促す篤樹の言葉を、スレヤーは軽く否定する。
「え? スレヤーさんも気づいてたんですか?」
「ん……まあ、レイラさんみたいな洞察眼じゃ無ぇけどな……。湯浴み場で洗ってくれた時に、すぐに手の平から法術使いの『匂い』を感じてな。なのに法術使いって顔を隠してるだろ?『なんでだ?』って気にはなってたさ。ま、でも、悪意も敵意も匂わ無ぇから、別に良いやってな。で、ミゾベの1件も有ったし、情報屋の内通者があちこちに紛れ込んでるって分かったからよ『あ、んじゃチロルちゃんもそれか?』って感じに、な?」
レイラさんの洞察力やエルフの眼も凄いけど……やっぱりスレヤーさんの「鼻」も凄いなぁ……
篤樹は何気なく語るスレヤーを、改めて「赤狼スレヤー」として尊敬し、その横顔(特に鼻)を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ルロエ、出かけるぞ。馬は操れるな?」
湖水島の北側に在る省庁行政棟―――文化法歴省のフロア1室で棒弓銃の手入れをしていたルロエに、ビデルが声をかけて来た。手には先ほど届けられた1通の手紙が握られている。
「馬車ですか? 操れないことは無いですが……慣れた職員にやらせたほうが良いかと……」
「最少人数で動きたい。君に頼む。すぐに出たい」
やれやれ……
ルロエも2度は断らずに席を立ち、棒弓銃を携行袋に収めた。
「どちらまで?」
「壁内だ。研究所までやってくれ」
研究所? 軍部基地の隣の建物か……
ビデルはさっさと歩き出している。ルロエは半歩左後ろから付き従い、階段へ向かった。
一体、どんな情報が入って来たんだ?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうしたの? エル。改まって」
レイラからの
「とりあえず、扉を閉めていただけますか?」
指示に従い、レイラは後ろ手に客室の扉を閉めた。エルグレドは両手を広げ、部屋全体を囲うように動かす。
「あら? 積極的なアプローチかしら?」
「ふざけないで下さい」
遮音壁魔法を施し終わったエルグレドが、ウンザリしたような声で応える。
「深夜から、盗聴魔法を試みてる連中が複数いるんです。あなたならとっくにお気付きでしょう? チロルさんの封魔法コーティングが効いてますから大丈夫とは思いますが、一応、念には念を入れてです」
レイラは肩をすくめる。
「それで? 何のお話かしら? 隊長さん」
「今夜の配置……レイラさんには申し訳ありませんが、祝宴出席は御辞退願えますか?」
唐突な要請を語るエルグレドの目を、レイラはジッと見つめ、フッと笑みを漏らす。
「あら残念! 私、王室主催の
「申し訳ありませんが、次の機会を楽しみにしていて下さい」
レイラの態度に協力の意思を確認し、エルグレドは指示を続けた。
「レイラさんには、グラバ従王妃達の対応をお願いしたいんです」
協力の意思は確かだが、さすがに予想外の指示を受けレイラの眉がピクリと上がる。
「納得のいく……説明を下されば」
「グラバ様を監視していた内調の者が姿を消しました。……私の友人です。昨日、私が『散歩』に出ている間に、何かが起こったのだと思います」
冷静に語るエルグレドの言葉の響きに、レイラは深い悲しみと怒りの感情を読み取り、口元の笑みを消した。
「あのサレンキーって内調さんね?」
「はい……。昨夜、戻った後に警衛隊の情報を得ました。昨日午後に『また』宝物庫に賊が忍び込んだそうです」
「賊が? 初耳だわ」
レイラは脳内の情報を確認するように首を傾げた。
「マロイさんの判断でしょう。2日連続で宝物庫に賊が入り込んだなどと洩れれば、警衛隊の信用失墜ですからね。その時、宝物庫へ正規入室していたのがグラバ様と従者5名だったそうです」
「あら……」
「そして……賊が盗み出そうとした宝は、例の短剣……『シャムルの邪剣』だったそうです」
レイラは、これから語るエルグレドの推察への肯定を先取りするように、無言でうなずいた。
「賊は扉の魔法で滅消されました。目撃者であるグラバ様の従者の証言では、警衛隊のマントを羽織っていたそうです。全警衛隊員の所在確認で、今朝までに所在不明なのは3名だそうですが……恐らく、全員の所在がこの後、明らかになるでしょう」
「お可哀想に……」
滅消した「賊」はサレンキーに違いないとエルグレドは考えている。その推察は正しいのだろうと、レイラも思いを合わせた。
「『賊』の残灰と共に廊下に落ちていた短剣は、評議会の法術士によって再魔法をかけ、速やかに元の場所へ戻されたそうです」
「……手に入れたワケね? グラバ達は悲願の『邪剣』を」
エルグレドはレイラの先読みに笑みを浮かべた。
「恐らく……間違いないでしょう。アイリさんの目撃情報から考えても合致します。持ち出した短剣を
「秘術の道具を手に入れた……と思い込んでるお馬鹿さん達が、とんでもない事をやるのでは? なんて懸念が起こってしまったわけね」
1を語り10を理解する……それも的外れな早合点でなく、前情報を踏まえた適切な理解力……さすがですね。
エルグレドはレイラの応答に満足そうな笑みを浮かべうなずく。
「自分自身で動かないのは……まだまだ未熟者との理解なのかしら?」
「ふっ……」
「あら? 鼻で笑われるとは心外ですわ?」
レイラはエルグレドの心理状態をしっかり理解している。
その上で、あえて軽い口調を使う事でその心理状態を落ち着かせてくれる。ホントに……この人は……
「ありがとうございます。笑ったのは……あなたへの尊敬の思いからですよ。『エルフの眼』だけでは説明の出来ない、あなたの眼に感服したんです。……そうですね……もちろん状況として、私が宴を辞退することは不可能だからというのもありますが……」
エルグレドは気持ちを落ち着かせるように、深く長い息を吐き出した。
「
パチンッ!
突然、レイラがエルグレドの頬を両手で強く挟み込んだ。エルグレドは目を白黒させる。
「数百年の時を生きても、あなたは『人間』だってことですわ。
「え……あ……何を……」
「了解ですわ。グラバの従者達は法術使い……スレイやアッキーじゃ監視は無理。適材適所でいきましょ」
自分の中に薄青く燃え上がりそうになっていた憎しみの炎が、レイラの一打で瞬時に消えたことをエルグレドは感じ、目を閉じてうなずき笑みを浮かべる。
「まったく……あなたって人は……。ありがとうございます」
「片がついたら特別手当をよろしくね、隊長さん」
「ええ。経費の範囲内でしたら、喜んで……」
ボゴンッ!
レイラの強めの右拳が、エルグレドの左脇腹にキレイに入った……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
サラディナ……助けて……
従王妃宮の地下に造られた総石造りの部屋の中で、グラバは真っ黒な外套を頭からすっぽり被って身を震わせている。
お願い……誰か……私を助けて……。お願いよ……サラディナ……
10m四方の地下室……石床の上に敷かれた真っ赤な絨毯には、黒い龍の姿が描かれている。四方の壁に掛けられたランプが灯火を揺らし、怪しい影を絨毯の上に映し出していた。
グラバはその揺れる影を見開いた目で左右に追いながら、ブツブツ独り言を繰り返す。
『お願い! 一緒に逃げて! 私を連れて行って!』
恥も外聞も無く、サラディナにすがりつき泣き叫んだ……あの時……なぜ彼女は私の想いに応えてくれなかったの……。「助けになる」と言ってくれたのに……どうして私を見捨てたの……サラディナ……
揺れ動く影が人の形に変わる。それはやがて従王妃サラディナの姿となって映し出された。
「サラディナ……お願い……助けて……」
グラバに気付いたサラディナの視線……その表情に笑みが浮かび……突然、崩壊した。
「キャーッ!!」
グラバは目を閉じたかった。しかし、自分が
「ごめんなさい! もうやめてー! お願い! 助けて! 誰かーー!」
「グラバ様っ!」
扉が勢いよく開かれ、3人の従者が駆け込んで来た。グラバと同じ儀式用の真っ黒な外套を羽織る3人の姿を見上げ、グラバはキョトンと首を傾げた。
「ど、ど、どう……した……ので……す」
3人の従者は顔を見合わせ、軽く首を振る。先頭の1人が笑みを浮かべグラバに語りかけた。
「時は近づいております。御安心下さい。グラディーの怨龍が、我らグラディー族とグラバ様を、必ずや救い出して下さるでしょう!」
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