第243話 雌伏

 島内からの脱出経路も不明のまま……。どこから捜索を始めれば良いの? 足取りなんか分かるはず無いわ……


 マミヤは壁内街区で「逃亡者ミゾベ」の捜索を続けていた。グラディー抑留地制限線監視隊への「降格的左遷」までの期間、評議会長ヴェディスからサレンキーとは別々の任務を与えられていた。しかし、印象としては「雑用に回された」という感が拭えない。


 サレンキーは居眠りしてないかしら?


 西の長城壁へ吸い込まれるように傾く太陽に顔を照らされ、自分の任務の重要度に疑念を抱く。制限線監視隊の馬車が出るまでの3日間、可能な限りミゾベの情報を集めるようにとの指示を受けたが、同時に「引継ぎは集めた範囲の情報だけで良い」とも言われている。サレンキーの任務も同じようなものだ。従王妃グラバの動向を監視し「何かあれば報告を」とだけ命じられている。


 仕方ないわよね……自分達で「役立たず」になることを選んだのだから……。この屈辱的な任務も、2人でグラディーに行くために我慢しなきゃね……


 マミヤは建物の壁に背を預け溜息をついた。


「幸せが逃げ出しますよ」


 突然声をかけられたマミヤは、瞬時に攻撃魔法体勢をとり声の主へ構える。


「こんなところで溜息をついて……どうされましたか?」


「え……エル……さん」


 いつもの文化法歴省上級職員用外套ではなく、一般市民の服装にフード付きマント姿のエルグレドがにこやかに立っていた。


「あの……大丈夫ですか?……怪我は……」


「処置も良かったですし、それほど大きな怪我ではありませんでしたからね。サレンキーとは別動ですか?」



―・―・―・―・―・―・―



 グレーブ屋で飲み物だけを注文し、エルグレドとマミヤは店前の路上席で向かい合って座っている。


「……そうですか。グラバさまの監視を……」


「あ、でも……一応……」


 マミヤはエルグレドが復唱した言葉にハッとし、困り顔を見せた。


「大丈夫ですよ」


 エルグレドはマミヤの懸念を払拭するように笑みを浮かべる。


「同窓の友としての会話です。他に漏らしたりはしませんから安心して下さい」


 内調から制限線監視隊へ移動が内定したこともあって、マミヤもエルグレドに対する警戒心が完全に消えてしまっていた。親しい友として、そして……想いを昇華し終わった「元」憧れの男性として、隠し事なく現況を語っていたことを今さらながら気にかける。


「それにしても……」


 エルグレドは机上のカップを両手で包み口を開いた。


「サレンキーと一緒にグラディー監視隊に……とは、ね」


 意味深な視線を向けたエルグレドの言葉に、マミヤは満面の笑みで応じる。


「……はい。だって、エルさんとは別次元なのだとハッキリ分かりましたからね。同じ次元で生きている人と、一緒に生きることに決めたんです」


 迷い無きマミヤの視線を受けエルグレドは一瞬驚いたが、すぐに温かな笑顔を浮かべた。


「……グラディーは良い地ですよ。随分と再生も進んでることでしょう。立ち入ることは出来ないでしょうが、是非、あの素晴らしい山並みを2人で堪能されて下さい」


「はい! エルさんも……いつか戻られるおつもりですか?」


 マミヤは「聞かせてもらった話」を思い出し尋ねる。エルグレドは微笑のまま首を傾げた。


「さあ……一緒に戻る人を見つける事が先ですが……いつか必ず、とはいつも考えていますよ」


 フィリー……フィルフェリーさん……


 エルグレドの瞳に、マミヤは会ったことも無い「エルフ女性の姿」を映し見たような気がした。


「ミツキの森……見つかると良いですね……」


「……ええ。ホントに……。まあ、でも……」


 エルグレドは納得したようにうなずき、言葉を続ける。


「探しものというのは、案外近くに有ったりするものですからね。視界に入っているのに認識出来ないだけで……目の前に有ったりもする……。見出す『時』がまだ訪れていないだけなのかも知れません」


「探しものかぁ……」


 マミヤは任務を思い出し、再び溜息をついた。


「ミゾベさん……どこに隠れてるのかなぁ……」


 マミヤの背後を1台の馬車がゆっくり横切る。エルグレドは御者台に座る男に視線を送った。黒いシルクハットを被った御者はエルグレドの視線に応えるように小さくうなずく。ミッツバンの家紋が施された黒塗りの馬車は、石畳の路に車輪の音を小さく響かせながら通り過ぎて行った。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「よっしゃ、アッキー。ほんじゃあ、次は本気で打ち込んで来てみな!」


 模擬剣の柄に両手を載せ、杖のようについて息を整えている篤樹に向かい、息一つ乱さず余裕の笑みを浮かべるスレヤーは呑気な声で指示を出した。


「え? ちょ……っと……待って下さい。息が……。腕も……」


「あ~ん? 息と腕が何だってぇ? 今の流れは5人を相手にした程度の動きだぜぇ? 6人目に『ちょっと待って』なんて通じねぇっつうの! ほら! かかって来いやぁ!」


 クソッ! 何だよこの人……どんだけ体力有り余ってんだよ!


 篤樹は面倒臭い鬼教官にウンザリしながらも、これまで教わって来た剣術法を頭にイメージする。スレヤーは篤樹の視線に小さく笑むと、左手一本で握っていた模擬剣を横に投げ落とした。


「6人目は法術使いってぇ設定で行こうか? ま、俺ぁ何にも放ち出せはし無ぇけどよ。代わりに、俺が腕を前に突き出したら『2秒で攻撃が放たれる』ってイメージでかかって来な!」


「フゥ……フゥ……本当に……良いんですね? 本気で……打ち込みますよ?」


 どうせ当たりはしない。これまで、何百回も「本気」でスレヤーに打ち込んでみたが、篤樹はただの1度も手応えのある打ち込みを見舞えはしなかった。剣ではいなされ、素手ではかわされ続けて来た。


 だけど……今度こそ……


「来ねぇなら……」


 スレヤーが踏み込んで来る。しかし、篤樹はそれを見越していた。即座にバックステップでかわし、自分の間合いで剣を横一閃に振る。だが、スレヤーもその剣筋を見極め身体をひねり、左腕を真っ直ぐ篤樹へ向けた。仮想法術2秒の間に、篤樹は詰め寄りながら剣を左右に振ってスレヤーの体勢を崩させる。


 突き出した腕を「斬り落とし」に来た篤樹の攻撃に、スレヤーは腕を引き戻して後退し、剣動が止まるタイミングで再び間合いを詰めていく。


 篤樹は剣を振れる間合いでは無いと感じると、スレヤーの胸板目がけて剣を真っ直ぐ突き出した。


 でも、かわして懐に入って来るんだよなぁ……


 これまでの経験から「突き」をかわされた後に懐に入られると、手痛い打撃で沈められることは分かっている。


 だから今回は……


 篤樹が真っ直ぐに伸ばした「突き」を、やはりスレヤーはセオリー通りにかわすと、右拳を握りしめがら空きの腹部に向けて打撃態勢に入った。


 よしっ!


 狙っていた位置にスレヤーの頭部が潜り込んで来たタイミングを見計らい、篤樹は突き出した剣を引き戻しすと、思いっきり剣柄でスレヤーの後頭部に打撃を打ち下ろす。


 入った!


 柄頭にハッキリ伝わる衝撃を感じ取り、篤樹は自分の作戦が上手くいったと喜ぶ。しかし……


 ドンッ!


 スレヤーの拳が腹部にめり込む事は無かったが、勢いのついた屈強な肉体による衝突により、篤樹は数メートル後方まで弾き飛ばされてしまった。


「うわっ!」


「痛ってぇ~!」


 両手で後頭部を押さえしゃがみ込むスレヤーを、弾き飛ばされた草地の上で転がりながら篤樹は確認する。


 よし! 当たったぞ!


「くぅ~……」


 スレヤーのダメージ具合を、篤樹は草地上からしばらく見ていた。スレヤーは苦痛にしかめる顔を篤樹に向け、右手で後頭部を押さえながら助けを求めるように左腕を前に伸ばしている。


「痛ってぇ……」


「あ……あの……。大丈夫ですか?」


 スレヤーのあまりの痛がり様を前に、篤樹は段々心配になって来た。力加減など出来る余裕もないまま打ち下ろした柄頭が、思いのほかスレヤーにダメージを与えてしまったのかも知れない。篤樹は差し伸ばされるスレヤーの左手を握り立たせようと足を踏み出した。


「……はい、2秒!」


「え?」


 スレヤーは右手で後頭部をさすりながら立ち上がる。


「なぁに途中で攻撃の手を止めてんだぁ? 2秒だよ! 法術士ならお前ぇの顔面吹き飛ばすくらいの攻撃魔法を放ち込んで来てるっつうの!」


 痛みを堪えるように顔を歪ませながら、スレヤーは篤樹に近付く。伸ばした左腕でそのまま拳を握り、篤樹の胸を軽く小突いた。


「『最後』まで気を抜くなって言ってんだろぉ? 」


「あ……はい。スミマセン……」


「……んでも、狙いは良かったぜ? 最初から狙ってたんだろ?」


 スレヤーは、まるで後頭部の痛みを右手で全て拭い取ったかのように、右手の平に「フゥ」っと息を吹きかけ、左右の手を合わせ掃いながら篤樹に尋ねた。


「はい……」


「んじゃ、最初のあの『突き』は捨て技か?」


「え? あ……いえ……。一応、当たりそうならそのまま全力で突こうかと……。でも、かわされそうならすぐに柄を使って後頭部を狙おうと思ってたんで……。一応、どっちでもイケるつもりで……」


 篤樹の答えにスレヤーは満足そうに笑顔を見せた。


「よし! だいぶ実戦力が身に付いて来たじゃ無ぇか。攻守パターンをいくつも持ってりゃ、相手に合わせて攻め手・守り手のアレンジも広がるってこった。……あとは詰めの甘さだな? アッキーの課題は」


「……ですね。気を付けます」


 そう言えば、卓也ん家で格闘ゲームやってた時にも、亮から言われたよなぁ。高難度のコンボが決まったら、つい嬉しくって「追撃」忘れて……で、結局逆転敗けってパターン……。「詰めの甘さ」かぁ……


「いいかよ?」


 スレヤーが真剣な表情を見せる。


「お前ぇさんの世界が、どんだけ平和で安全な世界なのか、俺ぁ知ら無ぇけどよ……。殺す気で襲って来る相手ってぇのは、たとえ指1本しか動かせ無ぇ状態になっても命を狙う攻撃をしてくるもんだぜ? 相手に戦意がある以上、こっちは、相手が指1本も動かせ無ぇ状態になるまでは、絶対に攻撃の手を止めちゃあダメだ。分かったかよ?」


「……はい」


「ん。分かってりゃあ良い。とにかく……絶対ぇに死ぬなよ。無理なら逃げたって良いからよ……とにかく死ぬな! 逃げられない時ぁ、戦って……勝てよ?」


 スレヤーは真剣な眼差しで篤樹に語る。その声のトーンから、篤樹はスレヤーの胸に在る「後悔」を感じ取っていた。多くの部下を……仲間を失った、ひと月前の大群行での戦い……。旅の中でスレヤーが時に見せる自己犠牲的な戦闘スタイルは、二度と友の死を弔う側に残りたくないという恐れのようにも感じる。


「スレヤーさんも……死んじゃイヤですよ。無茶は……しないで下さいね」


「ん……あぁん?」


 篤樹の応答に詰まったスレヤーは、表情を崩す。笑顔というには情けない歪みを口元に浮かべ一瞬何かを言いかけたが、出かけた言葉を入れ替える。


「……なぁまいき言ってんなよぉ! 俺の心配するなんざ100年早ぇよ、馬鹿野郎!」


 屈託ない笑顔を浮かべ両手で篤樹の頭を掴むと、髪をぐしゃぐしゃに乱す。


「あ! もう! やめて下さいって!」


 抵抗して抗議する篤樹の頭部を一方向に固定し、スレヤーが耳元に小声で告げた。


「……連中もこっちの動きを探ってやがるからな……気ィは抜くなよ、マジで」


 視線の先に、こちらを見ている王宮兵団ジン・サロン剣士隊数十人が立ち並ぶ姿が映った。

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