第234話 人選

 大きな鏡に向かって座るメルサは、鏡面に映るフードを被った男に視線を合わせた。


「……宝物庫に?」


「はい。……それと、外部の者達とも 頻繁ひんぱんに連絡を取り合っているようです」


「そう……」


 メルサは視線を鏡面に映る自分の胸元に向けた。大きな緑色の宝石が埋め込まれたペンダントを鏡越しにしばらく見つめる。


「……情報通りに動きがありそうね」


 椅子から立ち上がり、メルサは呟く。


「いかがなさいますか、メルサ様」


 報告を終えた男の横に立つジン・サロンが、腰に下げている剣の柄に両手を乗せたまま尋ねた。メルサは笑みを浮かべ、ジンの手元に視線を向ける。


従王妃じゅうおうひと言えど、宝物庫を狙い、外部の賊を招き入れるなら国家への反逆者……死に値する罪人よ。王宮兵団の権限をもって、成すべきことを成しなさい」


 ジンの手がピクリと剣柄を動かす。


「……では……ついに決行を?」


「先ほどルメロフ王の使者が来たわ。ミラ従王妃の『召宮の儀』を明後日の晩に催すそうよ。先立つ祝宴は、例の補佐官釈放祝いを兼ねるとか……。ミラのための宴だから、グラバ従王妃も私も宴に呼ばれることは無い……」


「……では私は軍部の同志らの手配を」


 フードを被った男がうなずき答えた。ジンは笑みを浮かべてメルサを見る。


「我が隊だけでなく、王宮兵団他隊同志らも準備は万端です。エルグレド補佐官らが騒動を起こす想定で準備をしていましたが……ま、従王妃による騒乱でも同じ事。手筈は整っています」


 召宮の儀……あの「不能男」にとって何の意味があるというのかしら? あの変態どもからこの身に受けた屈辱……決して赦しはしない……。魔法院評議会の連中もろとも……消し去ってやる!


 メルサの目に宿る冷たい殺意の輝きと無慈悲な微笑を たたえる唇を、ジン・サロンは 恍惚こうこつとした表情で見つめ続けていた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「……なあ? マミヤぁ……」


 王城地下取調室の椅子に逆向きに座り、背もたれ上部に両腕を載せているサレンキーは、部屋角の書記台席でボンヤリ壁を見つめるマミヤに声を掛けた。2人きりの静かな空間……しかしマミヤの耳にサレンキーの声は届いていない。

 小さく舌打ちをしたサレンキーは再び声を発する。


「マーミヤぁ! おいって!」


「えっ! あ……ゴメン……。呼んだ?」


「3回な!……ったく……何だよお前、その気の抜けた姿はよぉ!」


 マミヤは戸惑いの笑みを浮かべながら身体の向きを変え、サレンキーを見る。


「そりゃ、俺だって悔しいよ? あんな『真っ黒』な犯罪者を有罪に持ち込めなかったってのはさぁ! んでも、仕方ねぇだろ? もう気持ちを切り替えようぜ!……大体アイツは昔っから……」


 そうじゃない……


 最高法院裁判でエルグレドの「犯罪行為」を立証出来なかった事を熱く語るサレンキーをマミヤは見つめる。


 そうじゃないんだよ……サレンキー……。あの人は……私達と別次元の存在……この国の歴史が生んだ……可哀想な彷徨い人……犠牲者なんだよ……


「……だからよぉ! もう、アイツんことは忘れてさ、とにかく仕事に身を入れ直し……」


「疲れちゃった……」


 自嘲気味な笑みを浮かべて熱弁をふるっていたサレンキーは、マミヤの発したひと言に言葉を切った。


「はあ? ど、どう……大丈夫かよ?」


 サレンキーの顔から自嘲の笑みが見る見る消える。と同時に、逆向き座りをしていた椅子を離れてマミヤに近付いた。


「そういやお前、朝から顔色良く無かったもんな? 熱は? 疲労か? 自己治癒魔法効かないんなら、やっぱり疲労系の……」


 マミヤの返答を待つまでも無く、サレンキーは左手をマミヤの首筋に、右手を額に当てて体調を診始めた。マミヤはサレンキーの右手に自分の右手をそっと添える。


「そうじゃなくて……」


 そのままサレンキーの右手を掴み下ろしながらマミヤは微笑み、口を開いた。


「この仕事……内調のお仕事に疲れちゃったなぁって……」


「へ?」


「エルさんのこと……色々調べ回ってさ……で、結局『有罪』にも出来なかったし……なんだか『調査』とかに疲れちゃったなぁって……」


 マミヤは寂しそうに微笑みながら、気持ちを絞り出すように語った。サレンキーはゆっくりとマミヤから手を離す。


「内調の仕事……抜けたいってのかよ?」


 コクリとうなずくマミヤの反応を確認し、サレンキーは溜息をついた。


「そりゃ……お前……無理だよ……。捧身誓約してんだから……」


「分かってる……でも……もう……嫌なの……。私……もう……出来ない……」


 マミヤの思いが、一時的な疲労から来る弱音では無いとサレンキーも感じ取った。しばらくの沈黙は、サレンキーが気持ちを整えるために必要な時間だった。


「……オレもさ……自分がこの仕事に向いてんのかどうか……ずっと考えてはいたんだよ……」


 静かに口を開いたサレンキーに、マミヤは視線を合わせる。


「でもよ、誓約しちまってるから、もう『表』の世界には戻れねぇしよ……離隊すりゃ、それこそ他の内調から命を狙われることになっちまう……」


「……うん」


 その言葉が、単に「不可能だから諦めよう」という口調ではない、と感じたマミヤは、サレンキーが対案をもっているのだと確信し興味深くうなずいた。


「……グラディーの抑留地制限線警備の仕事……評議会で募集を見たんだ」


 マミヤの反応を探るようにサレンキーは一旦、言葉を切る。


「うん……それで?」


「ああ……一応、魔法院の仕事だしよ、評議会の管轄だから捧身誓約対象業務だろ? 転属も可能かなって……ちょっと思ってたんだ」


「グラディーかぁ……」


 マミヤはつい昨日、盗聴魔法で聞いた、エルグレドとウラージの会話を思い出した。


 グラディー族の戦士……悪邪の子……エグザルレイ……


「どう思う? いや、危険も少ないし、別に誰かの監視やら尋問やら調査もねぇしよ……。そりゃ、給金は今とは比べ物にならないくらいは下がるだろうけど……」


 サレンキーはマミヤの表情が一瞬、戸惑いを見せた事に気付き慌てて問いかけた。しかし、マミヤはすぐに笑顔を向ける。


「グラディーの空かぁ……抜けるように青い空……。もう、闇に隠れて誰かの秘密を探るのはウンザリ! 制限線警備要員なら、少しはのんびり出来そうだね……うん! それ、良いかもね!」


「だろっ?」


 マミヤの同意にサレンキーは満面の笑みで応える。


「前に聞いたんだけどさ、制限線警備っつっても、一日に何回かの巡回の他は駐屯村の住民と同じ生活らしくってよ。治癒魔法院とか農作業とか手伝ったり、たまにサーガやら野獣やらの退治もあるみたいだけど……結構のんびり暮らせるみたいなんだよな。所帯もって子育てしてるヤツも結構いるしさ!」


「所帯?」


 サレンキーの言葉からマミヤが拾い上げて聞き直す。サレンキーはハッとして目を泳がせながら拳を口に当てる。マミヤはニッコリ微笑んで椅子から立ち上がると、サレンキーの背中に両手と頬を押し当てた。


「……行きたいな……グラディーの空の下に……自由な青い空の近くに……」


「お……おう。そうだな……よし!」


 サレンキーは振り返ってマミヤの両肩に自分の両手を載せた。


「そんじゃ、善は急げだ! ヴェディス大法老も今日は評議会室にいるし、俺、転属の相談に行ってくるよ!……ま、エルグレドの件でバツも付いたし、ミゾベの馬鹿のせいでこのユニットはどのみち解散だろうからよ……責任を取っての左遷希望とか言えば、案外通るんじゃね?」


 マミヤはサレンキーの弁を楽しそうに微笑んで聞く。


 この人は……本来、こういう能天気な人なんだ……温かい人……。青い空の太陽のような……


 陽の射し込まない取調室の中、2人の思いは暖かなグラディーの青い空へと向かい、翼を広げていた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「なるほどな……従王妃のグループが……」


 ヴェディスは目の前に立つジンを睨むように見つめて呟いた。


「内調がどこまで掴んでいるかは分かりませんので、とにかく、大法老のお耳にだけは入れておいたが良かろう……と、メルサ様からのお心配りです」


「……その正王妃は何を企んでる?」


 ジンからの「密告」の裏に、当然、メルサも企みをもっていると気付くヴェディスは、尋問者の圧を強めて問いかけた。


「あくまでもメルサ様の御懸念をお伝えしたまでです」


 しかしジンも真っ直ぐにヴェディスの目を見返し、用件のみを伝える。


「ふん……分かった。空いてるチームを使って調査に当たらせよう。確かにここ最近のグラバ従王妃と従者達の動きは、私も気にはなっていたところだしな。正王妃によろしく伝えておいてくれ。『情報に感謝する』とな」


 ジンは満足そうに笑顔を浮かべるとヴェディスに一礼し、扉へ身を向けた。


「ジン・サロン大佐!」


 退室間際、不意にヴェディスから呼び止められたジンはゆっくり振り返る。


「はい? 何か?」


「我々評議会の務めは、この国の実権バランスを程良く保つ事だ。王族と我々がバランス良く表裏一体で治めてこそ、人間種がエルフやサーガの脅威に支配されない国家を築いてこられたのだ。このバランスを崩す者は、人間種の敵……排除すべき害悪なのだよ。分かっているね?」


 ヴェディスは、疑いよりも確信に満ちた目でジンを睨む。それは明らかに最後通告として発する警告の視線だ。


「……私は魔法院の捧身誓約ではなく、王宮兵団の挺身の儀をもってこの務めに立っておりますので。もちろん、大法老の言わんとされるところは充分に承知しておりますゆえ、どうぞ御安心を」


 ジンは先ほどとは違い、兵団式の最敬礼の姿勢を示して答えると、意を決したように身を翻し部屋から出て行った。


「……正王妃……お飾りのお姫様が図に乗りやがって……」


 苦虫を噛み潰したような怒りの表情でヴェディスは呟く。


 クソッ! ユーゴの遺志もあと一歩で完成という段階に入っているのに……大群行だけでも手が足りぬのに王族の馬鹿共めが……。グラディー系のグラバに旧エグデン系の正王妃か……おとなしく自分の「役」に徹していれば良いものを……


 コン……コン……


 つい今しがたジンが出て行った扉を誰かが叩いた。ヴェディスは大きく溜息をつくと共に深呼吸で表情を整え直す。


「入れ!」


 自分より上位者の居ない王城内の一室だ……ヴェディスは最高権威者の威厳で入室を許可する。扉を開いて入って来たのは、やはり下っ端の内調隊員だった。


「ん? あー……君は……」


「失礼します。内調隊のサレンキーであります!」


「ああ……知ってるよ。昨日は御苦労だったね。いや、ホントに残念な結果になったなぁ。まあ、最高法院決定として下された裁定だから仕方無いな……」


 ヴェディスは急いでサレンキーに関する情報を脳内で集める。


 あの補佐官と魔法院学舎で同期だったって連中か……適任だと聞いてたが……所詮はカス部隊だったか……


「はっ! この度はご期待に沿えず、有効な証拠を集めきれないままで……私の力不足でありました。まことに申し訳ございません! せっかく召喚下さいましたエルフ族協議会会長からも、まさかあのような証言が飛び出すとは……」


「まあ、終わった事は忘れよう。で? 一体何の用件だね?」


 緊張に表情を強張らせながら言葉を絞り出すサレンキーに、微笑みさえ浮かべる温かな表情で向き合うヴェディスは、早い段階でこの面談の結論を決めていた。


 コイツにグラバを見張らせるか……

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