第68話 赤狼
「今夜はここで野宿としましょう」
エルグレドは道の
「あー……さすがに御者台に座りっ放しだと、腰とお尻が痛くなりましたわ」
軽やかに御者台から草地へ飛び降り、大きく身体を伸ばす。
「さあ、あなたもお疲れ様でしたわね。ゆっくりお休みなさいな」
引き馬の連結帯を外すと、馬はブルブルブルっと首と肩を揺さぶった。まるでレイラと同じように「あー、疲れたわ」とでも言っている様だ。
「干草とお水をお願いしますわねー」
そう言うと、馬を手頃な木の下へ引いて行き綱をつなぎ始める。
「ではエシャーさん、アツキ君。レイラさんを手伝って下さい。スレイさんは……どうしました?」
エルグレドは荷台の中で身を小さく
「あの……ずっとこうなんですけど……」
篤樹が答えた。
「具合でも悪いんですか?」
エルグレドは心配そうにほろの中に入って来た。
「んーとね……ちょっと『心の具合』が悪いみたい……」
「はい?」
エルグレドがキョトンとする。スレヤーは膝を抱えたまま
「……何ですか、一体?『心の具合』って?」
エルグレドは
「……レイラとエルグレドが御者台に2人で座ってるのが羨ましかったみたい……」
「はあ?」
「あと……『二人は付き合ってるのか?』って……」
スレヤーは様子を探る飼い犬のように、恐る恐るエルグレドを見上げた。まるで入試の合格発表を見る受験生のような期待と不安の表情だ。エルグレドは大きなため息をついた。
「……付き合っていません! 彼女は旅の同行者以外の何者でもありません! いい加減にして下さい!
エルグレドの
「本当スか! お付き合いをされてるわけじゃ無いんですね!」
喜びの声を上げながらエルグレドの手を握る。
「はい! 何度も言わせないで下さい。くだらない質問に答えてるとこちらが恥ずかしくなって来ます! さあ! 仕事をして下さい!」
スレヤーの
「はい! 今すぐに!」
スレヤーは
「えっと……僕らは……」
やるべき仕事を全てスレヤーに持って行かれた篤樹とエシャーはポカンとしている。
「はぁ……面倒な人だ……スミマセン、それじゃあ2人で
エルグレドは、レイラのもとへ駆けて行くスレヤーの後姿を見ながらため息をついた。
「まったく……あれじゃ『
「え?『赤狼』って?」
篤樹がエルグレドの
「え? ああ……いや、彼の調査書にね……以前、彼が属していた部隊内での
篤樹とエシャーもほろの開きからレイラとスレヤーの様子を見る。まるで喜んでご主人様の下に駆け寄って行った犬が、
「先が思いやられます……」
エルグレドの呟きに篤樹も心から同意した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
焚き火を囲んで食後の
「ねえねえスレイ。軍隊の中で『赤狼』って呼ばれてたって本当?」
エルグレドの横に座っているスレヤーはニマッと笑う。
「お、情報早いねぇエシャー。隊長さんから聞いたのか?」
「調査書の内容を共有しました。旅の同行者ですので」
エルグレドは「当然」とでも言うように口を
「へぇ……そう……『赤狼』ですの?」
レイラは小さな本を開いて読みながら目も上げず、特に関心も無い話題に
「そうなんですよレイラさん! 俺、生まれつきの
赤犬かぁ……レイラさんに対してはホントに尻尾を振って
篤樹はここまで自分の感情をあらわに出す大人を初めて見て、なんだかおもしろかった。
「軍歴を見るとかなりの問題児だったみたいですね? それなのに3隊連長に
エルグレドが調査書に記されていない部分についての質問をする。スレヤーは肩をすくめた。
「最初はたまたま1隊を任されてたんですよ。入隊前から剣術の
「あんまり嬉しく無かったんですか?」
スレヤーの語調が
「……嬉しく無いってよりイヤだったね。俺は人の上に立つタイプじゃねぇからよ。1隊でも面倒だって思ってたのに3隊なんて……苦痛以外の何モノでも無ぇ。特に日報だの月報だの、上に出す書類や下に出す指揮書が毎日山のように有って、ホント、二度とやりたく無ぇなぁ……」
「しかし部下からの人望は
エルグレドが尋ねた。スレヤーはエルグレドを見て苦笑いを浮かべる。
「……知ってて言われてるんなら、あんた……相当エグイ隊長さんですね」
エルグレドは微笑みながらスレヤーを見ている。しかしその目は笑っていなかった。篤樹は二人の
「……ま、それに何て書いてあるのか知りませんが……3隊連60名の
「何が有ったんですか?」
エルグレドはスレヤーの話を終わらせない。
「……サーガの群れ化が各地で報告されて……で、特剣隊は全隊王都
スレヤーは手近な薪を拾って焚き火に
「……結果的に、あなた達のその
「もともと人の上に立つような者では無かったって言ったでしょう?……あの一件でつくづくそれを実感したんですよ。俺が命令を守って王都防衛に当たっていたら死ななかったヤツもいるかも知れない……あの戦いの中で、俺が右ではなく左に剣を出していれば『あいつ』は死ななかったかも『こいつ』を助けられたかもって……そんな『たられば』に苦しむのがイヤで、
そんな
篤樹は改めてスレヤーを見た。なんだか無責任で軽そうなイメージだったこの人が、そんな重たい責任を負って生きてきたなんて……
「なるほど……よく分かりました。では少なくともこの探索が終わるまで除隊は出来ないって事ですが、それも了解済みなんですね?」
エルグレドが念を押す。スレヤーは心外と言うような表情を見せた。
「当たり前です! 志願したんですから最後までやり遂げますよ。だって……」
スレヤーは急にモジモジとした感じでレイラを見る。
「……ったくぅ……いいですわ! この探索業務が終わるまでの間、あなたがこのチームの仲間として一緒に居ることを私も歓迎しますわ。ようこそ、スレイ」
レイラは手に持っていた小さな本を閉じ、スレヤーに微笑みかけた。
「あ……あ……ありがとうございます! レイラさん! 一生懸命働きます! 仲良くしてください!」
「仲良くするかどうかは分かりませんけど、一生懸命働いてくださるのは大歓迎ですわよ」
なんだかやっぱり「赤狼」と言うよりも「赤犬」だよなぁ……篤樹はスレヤーが尻尾をブンブン振って喜んでいる大きな犬に見えた。
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