第68話 赤狼


 探索隊たんさくたい一行いっこうは『ミシュバット遺跡いせき』を目指してタグアの町を出発し、6日目の夕方を迎えていた。


「今夜はここで野宿としましょう」


 エルグレドは道のわきの開けた草地まで馬車を進ませ、林のそばめる。レイラは結局この日の移動中は荷台に入らず、エルグレドと共に御者台に座り続けていた。


「あー……さすがに御者台に座りっ放しだと、腰とお尻が痛くなりましたわ」


 軽やかに御者台から草地へ飛び降り、大きく身体を伸ばす。


「さあ、あなたもお疲れ様でしたわね。ゆっくりお休みなさいな」


 引き馬の連結帯を外すと、馬はブルブルブルっと首と肩を揺さぶった。まるでレイラと同じように「あー、疲れたわ」とでも言っている様だ。


「干草とお水をお願いしますわねー」


 そう言うと、馬を手頃な木の下へ引いて行き綱をつなぎ始める。


「ではエシャーさん、アツキ君。レイラさんを手伝って下さい。スレイさんは……どうしました?」


 エルグレドは荷台の中で身を小さくかがめてひざを抱えているスレヤーに気づく。エシャーと篤樹は困ったような引きつった笑顔でスレヤーの前に立っている。


「あの……ずっとこうなんですけど……」


 篤樹が答えた。


「具合でも悪いんですか?」


 エルグレドは心配そうにほろの中に入って来た。


「んーとね……ちょっと『心の具合』が悪いみたい……」


「はい?」


 エルグレドがキョトンとする。スレヤーは膝を抱えたまま上目遣うわめづかいにエルグレドを見るが、おびえたようにまた目をせた。


「……何ですか、一体?『心の具合』って?」


 エルグレドはたまらずエシャーにたずねた。


「……レイラとエルグレドが御者台に2人で座ってるのが羨ましかったみたい……」


「はあ?」


「あと……『二人は付き合ってるのか?』って……」


 スレヤーは様子を探る飼い犬のように、恐る恐るエルグレドを見上げた。まるで入試の合格発表を見る受験生のような期待と不安の表情だ。エルグレドは大きなため息をついた。


「……付き合っていません! 彼女は旅の同行者以外の何者でもありません! いい加減にして下さい! だい大人おとなが、恥ずかしく無いんですか!」


 エルグレドのはげしい一喝いっかつに、篤樹もエシャーも驚き飛び上がる。同じように飛び上がったスレヤーだったが、その表情は晴れやかな笑顔だ。


「本当スか! お付き合いをされてるわけじゃ無いんですね!」


 喜びの声を上げながらエルグレドの手を握る。


「はい! 何度も言わせないで下さい。くだらない質問に答えてるとこちらが恥ずかしくなって来ます! さあ! 仕事をして下さい!」


 スレヤーの豹変ひょうへんに驚きながらも、エルグレドは三人に指示を出した。


「はい! 今すぐに!」


 スレヤーは干草ほしくさたばを肩にゴッソリかかえると、もう一方の手で葉桶ばおけ水桶みずおけを軽々と持ち、荷台から飛び降りてレイラのもとへ駆け出していった。


「えっと……僕らは……」


 やるべき仕事を全てスレヤーに持って行かれた篤樹とエシャーはポカンとしている。


「はぁ……面倒な人だ……スミマセン、それじゃあ2人でき付けになりそうな枝葉やき木を集めて来ていただけますか?」


 エルグレドは、レイラのもとへ駆けて行くスレヤーの後姿を見ながらため息をついた。


「まったく……あれじゃ『赤狼せきろう』と言うよりは『赤犬あかいぬ』ですね……」


「え?『赤狼』って?」


 篤樹がエルグレドのつぶやきに反応する。


「え? ああ……いや、彼の調査書にね……以前、彼が属していた部隊内での異名いみょうっていたんですよ。『赤狼』とね。髪の毛や眉の色だけでなく、あの『軍人らしからぬ』真赤な外套がいとうでしょ? そういう外見のせいもあるんでしょうが……それ以上に、彼の洞察力どうさつりょく情報収集能力じょうほうしゅうしゅうのうりょく、行動力……その嗅覚きゅうかくと実力から『あかおおかみ』と恐れられ、また、尊敬そんけいされていたそうです。でもあれじゃまるで……」


 篤樹とエシャーもほろの開きからレイラとスレヤーの様子を見る。まるで喜んでご主人様の下に駆け寄って行った犬が、行儀ぎょうぎの悪さをしかられてシュンとうなだれているような光景に見えた。


「先が思いやられます……」


 エルグレドの呟きに篤樹も心から同意した。



◆   ◆   ◆   ◆   ◆



 焚き火を囲んで食後の雑談ざつだんを始めて間もなく、エシャーがスレヤーに話を振った。


「ねえねえスレイ。軍隊の中で『赤狼』って呼ばれてたって本当?」


 エルグレドの横に座っているスレヤーはニマッと笑う。


「お、情報早いねぇエシャー。隊長さんから聞いたのか?」


「調査書の内容を共有しました。旅の同行者ですので」


 エルグレドは「当然」とでも言うように口をはさむ。


「へぇ……そう……『赤狼』ですの?」


 レイラは小さな本を開いて読みながら目も上げず、特に関心も無い話題に相槌あいづちを打つように答えた。


「そうなんですよレイラさん! 俺、生まれつきの赤髪あかがみだから小さい頃は『赤犬ちゃん』なんて呼ばれてたんですけど、軍ではいつのまにか『狼』に昇格したって感じなんです! まあ、階級は伍長止まりなんですけどね」


 赤犬かぁ……レイラさんに対してはホントに尻尾を振ってり寄ろうとしている忠犬みたいだ。


 篤樹はここまで自分の感情をあらわに出す大人を初めて見て、なんだかおもしろかった。


「軍歴を見るとかなりの問題児だったみたいですね? それなのに3隊連長に抜擢ばってきされるというのは……何かよほどの功績こうせきでも上げたんですか?」


 エルグレドが調査書に記されていない部分についての質問をする。スレヤーは肩をすくめた。


「最初はたまたま1隊を任されてたんですよ。入隊前から剣術の師範しはん資格も持ってたんで剣術隊に配属になって……で、あそこは階級以上に実力重視って事で、中央の特剣隊とっけんたいを1つ任されたんです。そしたら俺の隊の連中ばかりが大会や模擬戦もぎせんで賞を独占どくせんしてしまいましてね。他の隊の隊員から人事部に『赤狼隊せきろうたいに移りたい』って異動願いが次々に出されたそうで……他の隊の隊長は面目丸潰めんもくまるつぶれです。んで、中央の特剣隊6つの内3つの責任を持つ3隊連長に上げられたって感じです」


「あんまり嬉しく無かったんですか?」


 スレヤーの語調が淡々たんたんとしていることに気づいて篤樹が尋ねた。


「……嬉しく無いってよりイヤだったね。俺は人の上に立つタイプじゃねぇからよ。1隊でも面倒だって思ってたのに3隊なんて……苦痛以外の何モノでも無ぇ。特に日報だの月報だの、上に出す書類や下に出す指揮書が毎日山のように有って、ホント、二度とやりたく無ぇなぁ……」


「しかし部下からの人望はあつかったみたいじゃないですか?」


 エルグレドが尋ねた。スレヤーはエルグレドを見て苦笑いを浮かべる。


「……知ってて言われてるんなら、あんた……相当エグイ隊長さんですね」


 エルグレドは微笑みながらスレヤーを見ている。しかしその目は笑っていなかった。篤樹は二人のみょうなやりとりの中、レイラが本よりも会話に集中している雰囲気を感じた。スレヤーの目から疑心ぎしんの色が消える。


「……ま、それに何て書いてあるのか知りませんが……3隊連60名の精鋭せいえいの内43名が今回のサーガ大群行で犠牲ぎせいになったのは事実です……俺の指揮に問題が有ったってのも……本当の事でしょう。でなきゃアイツらが死んじまう事も無かったわけですから……」


「何が有ったんですか?」


 エルグレドはスレヤーの話を終わらせない。詳細しょうさいを確認するまでこの質問を続けるつもりなのだろう、とスレヤーも察したようだ。


「……サーガの群れ化が各地で報告されて……で、特剣隊は全隊王都防衛ぼうえいてられたんです。でも俺は……部下の偵察ていさつで東の小さな村が危ないって情報を聞いて……それで上に一隊だけでも送りたいと……まあ、軽く拒否されましてね。それで上と言い争いになって……俺もこらしょうが無いもんですから、上官の部屋をぶっこわしてしまいまして……で、そん時に3隊連長はめたんですよ……辞令じれいは後から出ましたけどね。小さな村って言っても、俺らが野戦訓練で世話にもなってる村でしてね……気の良いじいさん、ばあさん、気さくな村男衆むらおとこしゅうに……かわいらしい子どもらが住んでるところでしてね……見殺しには出来ませんでした。……俺は離隊りたいした足ですぐに村に向かって……逃げ遅れた村人が100人くらい残ってました。サーガ共が来て、初めは俺1人での抗戦こうせんでした。ヤツらは次々に湧いてきやがる。いつまで剣を振れるかと不安を感じ始めた時、アイツらが……部下達が駆けつけて来ました。千体近くはいたサーガを、アイツらは倒しましたよ……43名の命と引き換えにね……」


 スレヤーは手近な薪を拾って焚き火にし入れた。火の粉が宙に舞う。エルグレドは舞う火の粉を見上げながら口を開いた。


「……結果的に、あなた達のその前衛戦ぜんえいせんが有ったから王都を狙うサーガの群れを大幅に分散させ、防衛に成功することが出来た……との評価もあったはずです。その評価をって3隊連長復帰を固辞こじした理由はなんですか? 中央から西部の……それも町の監察部なんて内勤業務への辞令を受け入れたのは?」


「もともと人の上に立つような者では無かったって言ったでしょう?……あの一件でつくづくそれを実感したんですよ。俺が命令を守って王都防衛に当たっていたら死ななかったヤツもいるかも知れない……あの戦いの中で、俺が右ではなく左に剣を出していれば『あいつ』は死ななかったかも『こいつ』を助けられたかもって……そんな『たられば』に苦しむのがイヤで、除隊じょたいを考えたんです……まあでも、今月のお給金をいただく前だったんで、除隊前の観光旅行気分で監察部移動命令を受け入れたってのが正直な話です」


 そんな壮絶そうぜつな戦いを……数週間前に経験した人だったのか……


 篤樹は改めてスレヤーを見た。なんだか無責任で軽そうなイメージだったこの人が、そんな重たい責任を負って生きてきたなんて……


「なるほど……よく分かりました。では少なくともこの探索が終わるまで除隊は出来ないって事ですが、それも了解済みなんですね?」


 エルグレドが念を押す。スレヤーは心外と言うような表情を見せた。


「当たり前です! 志願したんですから最後までやり遂げますよ。だって……」


 スレヤーは急にモジモジとした感じでレイラを見る。


「……ったくぅ……いいですわ! この探索業務が終わるまでの間、あなたがこのチームの仲間として一緒に居ることを私も歓迎しますわ。ようこそ、スレイ」


 レイラは手に持っていた小さな本を閉じ、スレヤーに微笑みかけた。


「あ……あ……ありがとうございます! レイラさん! 一生懸命働きます! 仲良くしてください!」


「仲良くするかどうかは分かりませんけど、一生懸命働いてくださるのは大歓迎ですわよ」


 なんだかやっぱり「赤狼」と言うよりも「赤犬」だよなぁ……篤樹はスレヤーが尻尾をブンブン振って喜んでいる大きな犬に見えた。

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