第52話 誘拐

 エルグレドは林道脇に、少し開けた場所を見つけて馬車を乗り入れた。道として使われている場所とは比較ひかくにならない悪路あくろに入り、荷台にだいが大きくれる。


したまないように!」


 エルグレドの注意に従い、ほろの中の3人は荷崩にくずれをしないよう、要所要所ようしょようしょささえながらギュッと口を閉じた。しばらく進み、馬車が止まる。


「馬の雨除あまよけをって下さい!」


 エルグレドの号令ごうれいで篤樹とエシャーは荷台から降りると、防水布ぼうすいぬのとロープを持って馬車の前に移動した。レイラは荷台の中で葉桶ばおけ干草ほしくさ、馬用の水のみ桶を準備している。


「アツキくん、そちらの木にのぼってこのロープをむすんで下さい!」


 篤樹は受け取ったロープのはしを握り木の下に立つ。


……えっとぉ、木に登って? ロープを結ぶ? 篤樹は指示された木のみきを確認する。はしごも無いのにどうやって登るんだ?


 やるべき事は理解しているがやり方が分からない。呆然ぼうぜんと立ち尽くす篤樹に気付いたエシャーが声をかける。


「アッキー! 木登り苦手にがて?」


 防水布を広げながらたずねるエシャーに篤樹は苦笑いを向けるしか出来ない。苦手って言うか……やったこと無いし!


して!」


 エシャーは篤樹にけ寄ると、その手からロープを受け取りスルスルっと木に登った。


「このえだでいいー?」


 5mほど離れた木に登っているエルグレドに確認する。エルグレドから次の指示が響いた。


「アツキくん! ハトメにロープを通してこちらに渡して下さい!」


 ハトメ? 何だそれは?


 篤樹は予測を立てながら、広げられている防水布を見る。布の角にあつ補強ほきょうしてある部分があり、その中央に金具かなぐ補強ほきょうされた「穴」がある。ロープが通せそうな穴だ……ここのことか?


 「間違ってたらどうしよう……」と思いながら、篤樹はおずおずとその穴にロープを通し、端をエルグレドに返す。


「アッキー! こっちも!」


 エルグレドからの「ダメ出し」が無いのをみて、自分の作業が間違っていない事を確認した篤樹は、急いでエシャーの下に駆け寄る。ロープの端を受け取ると、先ほどと同じように防水布のハトメ穴にロープを通し、端をエシャーに投げ渡す。エルグレドとエシャーはそれぞれの木の幹にロープを巻くと下りて来た。


「アツキくんはエシャーさんを手伝って!」


 エルグレドの指示を受け、エシャーと一緒にロープを引っ張る。一端を引くと、防水布はズルズルと木に向かって引きずられていく。エシャーとエルグレドはそれぞれでロープをたくみに組み合わせ、さらに一端いったんを引っ張る。布はそれぞれの木に向かってのぼって行き、ロープを巻いた枝の高さまで持ち上がった。


「反対側は馬車に!」


 篤樹は意図を理解しロープを1本持つと、垂れ下がった布の角のハトメに通し、ロープの両端をにぎって馬車に戻る。エルグレドの動きを見よう見真似みまねで覚え、対になる位置にロープを結び付けた。


 引き馬の連結帯れんけつたいはずしたレイラが、馬車の横に馬を移動させ草と水を与える。


「よし! 何とか間に合いましたね」


 馬車と木の間に防水布の「屋根やね」が完成した。空は今にも雨がこぼれ落ちそうなくらい真っ暗で、稲光いなびかりと共に雷鳴らいめいもゴロゴロとひびき渡っている。


「レイラさん! 馬を中へ!」


 レイラは食事中の馬の手綱たづなを引き、即席の「屋根」の下までさらに移動させた。篤樹はエシャーと共に、飼い葉桶と水桶の移動を担当する。エルグレドはレイラから手綱を預かると、大きな幹に結んである長めのロープに手綱を結び合わせた。

 馬は不穏ふおんな空気に耳をクルクル動かしながらも「労働の対価」である食事の続きを始める。数分も経たない内に、夏の夕立のような激しい雨が急に降り始めた。


「ほろの中に! 前後の『フタ』も下ろして下さい!」


 4人は御者台側ぎょしゃだいがわと後部からほろの中へ駆け込んだ。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「……いつむのぉ?」


 エシャーはウンザリしたように、荷台後部の「フタ」を少しめくり外の様子をうかがう。雨空だからというだけでなく、もうすっかり陽も沈んでいる時間のため外は完全に「闇」となっていた。


 林の中に馬車を移動し、高い木の枝々えだえだの下に入れたおかげで、滝のような雨の直撃ちょくげきからは守られてはいるが、ほろ上部に当たる枝からのしずく音はまだまだ大きくて速い。


「……この調子だと一晩中降り続けそうですね。まあ、あの雷雲かみなりぐもが過ぎただけでも良かったですよ」


 ほろの荷台に4人が駆け込んで最初の1時間は激しい雷雨だった。篤樹は元の世界でも、あれほどの雷鳴と落雷の振動しんどうを感じたことは無かった。子どもの頃に親か姉かに教わった「稲妻が光って何秒後に音がしたかで、雷がどこら辺に落ちたか分かるんだよ」という話を思い出す。

 

 確か中1の理科でも同じような話を聞いたなぁ……音は1秒間に340m位進むんだっけか? 光ってから音が聞こえるまでの秒数かける340って計算だったっけ? そんな事を考えながらその雷雨の時を過ごした。


 初めの内こそピカッ! と光る度、心の中で「1…2…3…」と数えていたが……30分後には数えるひまも無い間隔かんかくで「ピカッ! ドーン!」「ピカッ! バリバリバリー!」と鳴り渡る雷鳴らいめいちじみ上がる。


 荷台の中央に4人で身を寄せ合い、互いに抱きしめあいながら落雷の恐怖と戦い続けた1時間……空気全体が帯電たいでんしているようで、ビリビリと産毛うぶげ逆立さかだつのを感じる恐怖の時間だった。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「あれはさすがにすごかったですわねぇ。屋外であれだけの雷雨を体験したのは生まれて初めてかも知れませんわ」


 レイラが言うんだからよほど「大物」の雷雲だったんだろう。何せ220年での初体験なんだから……


「どの道、このままここで野宿になりますから……雨が落ち着いている内に食事を済ませ、交代で休むことにしましょう。引き馬の見張りを十分にお願いしますね。この辺りは野獣やサーガだけでなく『盗賊とうぞく』も出没しゅつぼつする地域ちいきですから。『彼女』を失っては、荷物の大半たいはんを置いて行く事になってしまいます」


 彼女? あの馬ってメスだったんだ……


 篤樹は「盗賊」よりも、引馬が「雌馬ひんば」だったという情報に驚いた。

 馬の世界でも「女」のほうが強いのかなぁ?


 かたそうなパンをみ切っているエシャーをチラッと見る……木登りくらい、俺も子どもの頃にやっておけば良かった……



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「エシャー……エシャー!」


 御者台側の「フタ」の隙間から外の様子を見張っていていた篤樹は、毛布にくるまって眠っているエシャーに声をかけた。


「う…うーん…」


 エシャーは両腕を伸ばして「のび」をすると、再び毛布をつかんで頭までかぶってしまう。


「……ったくぅ。エシャー、エシャーってば! 交代だよ。時間!」


 篤樹がエシャーの毛布を開く。毛布の中の「体温気流たいおんきりゅう」がフワッと篤樹の顔まで上がって来た。代わりにエシャーは外の冷気れいきを感じたのか、ブルブルッと身をふるわせ目を開ける。その目覚めを確認するように、篤樹はもう一度エシャーに声をかけた。


「エシャー、見張り。交代の時間だよ」


 そう言いながら、エルグレドの長方形型懐中時計ちょうほうけいがたかいちゅうどけいを見せる。篤樹は2時間ごとの見張り交代の2番手だった。時計は夜中の1時の目盛めもりでボンヤリと光っている。


 エシャーが目をこすりながら毛布からい出して来た。


「……おはよう……アッキー……そっか……交代だったね……」


 エシャーは、もう一度大きくびをすると、使っていた毛布をクルクルまとめて手に持ち、御者台のそばへ移動する。篤樹はエシャーに近づき時計を渡した。


「俺、ちょっと出てくるから……」


 ほろの「フタ」を上げ、篤樹は御者台に出る。


「え……? アッキー、どこに行くの?」


 だから……ちょっと外に、ってニュアンスで分かれよぉ……


「トイレだよ、トイレ」


 雨はもう完全に上がってるみたいだ。篤樹は御者台の横の足台を使い、静かに地面へ降り立つ。あれだけの大雨だったわりには、草があるおかげで地面はそれほどぬかるまない。


「アッキー、待って!」


 ほろの中から、エシャーも毛布を頭からすっぽりかぶり出てくる。


「私も行く」


 えっと……女の子と「連れション」なんて……


 篤樹は返事にまよったが、決意をもった生理現象せいりげんしょうおさまらない。ここで是非ぜひろんじるよりは……


「んじゃ……ちょっと離れて、な?」


「当たり前でしょ?」


 エシャーは下草したくさの少ない木々の間から、林の中へ入っていく。篤樹は互いの「音」が聞こえないくらいの距離を取り、用を足し始めた。朝まで降り続くかと思っていた雨も止み、空には時折ときおり雲の切れ間から明るい月が見えかくれしている。


 用を足し終えた篤樹は振り返り、エシャーが進んで行った木々の合間を確認する。まだ出て来ないか……篤樹はゆっくり馬車に向かって歩き始めた。


 突然、何者かに背後から布で口を押さえつけられる。慌てて振りほどこうとした両手を、他の誰かに押さえつけられた。


 1人じゃない! クソッ! じゃあ、足で……


「静かにしろ!……あれを見てみな!」


 耳元で囁かれた言葉に従い、目の前にチラつくナイフが示す方向に目を向ける。


 グッ……エシャー!?


 押さえられている口では「ウグググ……」としか声が出ない。


 こいつら……エルグレドさんが言ってた『盗賊』か!


 林の中から連れ出されて来たエシャーも、2人の盗賊におさえられている様子だ。


あばれたら殺す。2人共だ。いいな?」


 エシャーにも同じような脅迫きょうはくが言い渡されているのか、攻撃魔法を使う気配も見せず、口を押えられたままジッと篤樹を見つめている。


 エシャーに2人……こっちには……3人か……


 篤樹は盗賊たちの人数をざっと確認した。5人……いや、まだいるぞ? 馬車の近くから1人の影が篤樹たちのほうへゆっくり近づいて来る。


「どうだ?」


 篤樹の背後からささやく声が聞こえた。近づいて来たのは……普通のおじさんだった。篤樹は恐怖と闇で「いかにも」な襲撃者しゅうげきしゃをイメージしていたので拍子抜ひょうしぬけだった。その男は首を横に振りながら焦った声で答える。


無理無理無理むりむりむり! ヤバイって! 中にいるヤツら、最高法力レベルだよ。あきらめよう」


「マジか……何でこんな田舎いなかにそんなレベルのヤツラが……」


 篤樹の背後ろの男が絶句ぜっくする。け寄って来た男は篤樹を抑えている男たちに「温度計」のようなものを見せて回った。


「レベル計は?……ありゃりゃ、無理だわ、これは……」


「どうするよ? 気づかれたら反撃はんげきされるぞ」


あきらめるしかないかぁ……」


 え? 諦めるの? 


 篤樹はこの「盗賊たち」が、予想外に安全第一なグループっぽいことを感じとる。何と言うか……全然殺気を感じないというか……あばれても大丈夫なんじゃないか? という気さえする。

 暴れだせば、きっとエルグレドとレイラが騒ぎに気づいて対応してくれるだろう。コイツら自身が何かではかったように、あの2人は相当の魔法使いのはずだし……でも……

 篤樹はエシャーのほうを見る。向こうがどうなってるか分からない。下手に暴れて向こうでエシャーが怪我けがでもしたら……


「よし……とりあえずこの2人は連れて行こう! 御頭おかしらんとこに連れて行きゃ、とりあえずはなんか考えてくれるさ。引き上げるぞ!」


 盗賊たちは篤樹の首筋にナイフを押し当てたまま、両腕を後ろ手にしばり上げ、道のほうへ静かに連れ出して行った。エシャーも同じように連れて来られているのを篤樹は視界の端で確認する。


 えっと……これって……「誘拐」されたの? 俺たち……


 あまりにも現実感の無い深夜の誘拐劇に、篤樹はまるで夢でも見ているのかと思いつつ、とにかく、盗賊を刺激しげきしないように気をつけながら、指示に従い連れ去られて行った。

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