第14話 別れ


 エシャーは走った。


  視線しせんぐに、西の丘の中腹ちゅうふくにある我が家を見つめている。いつもと変わらない、なだらかな丘の道……いつもと全く違う焼け げたにおいがただよう道を。


 家が……私の家が!


 エシャーは確信した。あそこで煙を上げている こわれた家、あそこは私の家だ、と。


 お母さん! お父さん!


 エシャーは心の中で叫び続けた。突然背後から何者かが抱きついて来た。 はげしく草むらへ転がされる。え? 何? サーガ? 口元を何かで押さえられ声が出せない!


「エシャー! 俺だよ!」


 篤樹はエシャーの口に左手をあてたまま、小声で声をかけた。右手の人差し指を自分の口にあて「シーッ!」と、声を出さないように指示をする。

  目配めくばせで草むらから道の方を見るような 仕草しぐさをし、ゆっくり左手をエシャーの口元から離した。


 2人はうつ伏せのまま道の横にある石の陰まで移動し、身を隠しながら坂道に立つ人影の様子を うかがう。


「……ゴブリンだわ」


 エシャーが篤樹に小声で語りかける。やせ細ったシワだらけの 小柄こがらな生物が、ヨタヨタ歩いている。辺りをキョロキョロ見回したり、クンクンと何かの匂いを いだり、何が可笑おかしいのか、立ち止まってクククッと口を押さえて笑ったかと思うと、また真面目な顔で辺りをキョロキョロ見回す。


『何をしてるんだ?』『さあ?  偵察ていさつ?』『違う! 君だよ! 急に走り出したりして……』『だって、私の家が……お母さんが……』


 声を押し殺し、2人は会話を交わす。篤樹はゴブリンに気付かれないよう、ゆっくり頭を上げてエシャーの家の方角を見た。

 家の 角々かどかどに立っていた大きな4本の木の内、2本が みきの途中で折れ、家の二階部分を押し つぶしている。くずれた部分から煙が上がっているが火の手は見えない。


『おじさんとおばさんは?』『分からない……お父さんはお母さんを連れに戻ったはずだけど……』『ゆっくり近づこう……』

 

 2人は、見回りをしているゴブリンに見つからないよう、道の わきの草むらを低姿勢ていしせいで移動しながら、坂道に沿って家に近づいて行った。


 草むらから道を渡りエシャーの家に駆け込もうとした瞬間、篤樹は30mほど下った道の真ん中に立つゴブリンと、一瞬視線しせんが合った気がした。


 ヤバイ!


 しかしゴブリンは何も気付かなかったように、またヨタヨタと歩き出し、立ち止まってはキョロキョロし始める。


 「こっちよ!」エシャーが 斜面しゃめんの上、家の裏に駆け込んでいく。篤樹は後を追った。


 裏口の 木戸きどは内側から吹き飛ばされたようで、外に向かって倒れている。2人は足元に 散乱さんらんしている調理道具や木片などを踏んで音を出さないよう、 慎重しんちょうに、静かに家の中へ入った。

  暖炉だんろのレンガがくずれ落ち、その瓦礫がれき隙間すきまから煙が立ちのぼっている。

 

「お母さん? お母さん?」


 エシャーはかすれるような小声で台所付近に声をかけた。返事は無い。篤樹は瓦礫の ほこりかぶった 長椅子ながいすの上に、エーミーの服が無造作に置いてあることに気がついた。今朝おばさんが着ていた服だ…… 左袖ひだりそでの辺りに、まだ変色していない血の跡が付いている。


「エシャー……こっち!」


 家の正面付近の瓦礫の そばまで進んでいたエシャーを呼ぶ。


「これ……おばさんの服じゃ……」


 エシャーは振り返ると、顔を強張らせ駆け寄ってくる。


「お母さん!」


 叫びにも似た声をエシャーが上げた。マズイ! 篤樹はエシャーの口を押さえようとしたが手を払いのけられる。


「お母さん! お母さん!」


 埃を被り、抜け がらのように落ちているエーミーの服をエシャーは両手で持ち上げた。

 左袖の血の みに気付くと、まるで母親の手を握るようにその血に染まった袖の部分を握りしめる。服を広げると、お腹の辺りにも血の染みが広がっていた。


「いや!」


 エシャーは血の染み跡が付くエーミーの服をギュッと胸元に抱き寄せる。取り除かれたエーミーの服の下には、篤樹の学生服が綺麗に畳んで置かれていた。


「エシャー! 外に聞こえちゃうって!」


 篤樹は たまらず声をかける。エシャーは母親の服に顔を埋め、その場に座り込み、肩を ふるわせて泣き出した。

 崩れた壁の 隙間すきまから、篤樹は気が気じゃない様子で外を見る。さっきのゴブリンの姿は見えない。家の正面扉……今はもう2階の床が崩れ落ちているため出入りは出来ないが、とにかく家の正面……斜面の下方を確認できる隙間を探しに近づいた。


 斜面の右下方向に点在している数軒の家が見える。その周りに数名の人影、いや、あれはきっとサーガだろう。大きいのやら小さいのやらが、ウロウロと家々を確認しつつ、こちらに近づいて来るのが見える。篤樹は隙間から離れ、エシャーのそばに戻った。


「エシャー、やつらがすぐそばまで来てる。ここから逃げないと……」


 篤樹の問いかけに、エシャーは首を横に振り泣き続けている。


「おばさんだって、もう森に逃げてるかも知れないよ! 俺達も行こう!」


 自分が無責任な言葉をかけていることは篤樹も理解していた。何も状況は分からない。でも今は、とにかく 一刻いっこくも早くここから逃げ出すべきだと理解していた。


「……お母さん……お母さん……」


「エシャー! ほらっ! 行こう!」


「イヤッ!」


 篤樹はうんざりしてきた。おばさんも、おじさんも、もうここにはいないんだから、ここにいたって 仕方しかたないじゃないか!


「なぁ、とにかくおばさんの服をもって……」


「見たの……」


「は?」


 エシャーは母親の服に顔を押し当てたまま、篤樹に声をかけた。


「私たちは……ルエルフ族は死んだら 木霊こだまになるの。アッキーも聞いたでしょう?」


 あ、確か、そんな話をしてたな……ルエルフ族は「死んだ」ら無数の光の つぶになって飛び去って木霊になるとか……


「……さっき……橋を守ってたロイさん、あの若い村人が……ガザルに殺されたの……」


 ガザル? あ、あの怖いヤツか……


「アッキーが……橋から戻ってくる前に……アイツが来て……その時、私……人が木霊になるのを初めて見たの……ロイさんは……ロイさんの身体は無数の光の粒になって……空に飛び散っていったわ……」


 無数の……光の粒……あっ! 俺がさっき橋の上で見たのは……湖の向こう側でいくつか見えた、あの 虹色にじいろの光って、もしかして……


 ガザルを湖神様の橋の上に残して戻って来た時に見た村の光景を思い出す。立ち上る家々の煙と、時折り所々から空に上る虹色に輝く「光の粒」……


「……ロイさんの……着ていた服だけが……服は光の粒にならずに……そのまま地面に残ってたわ」


 え? それって……


 篤樹はエシャーが握り締めているエーミーの服を見つめた。朝、おばさんが着ていた服だ。間違いない。


…… 綺麗きれいたたんで置いてあった篤樹の学生服。昨夜、エシャーが座っていた場所だ。その横に……エーミーさんは「いつも座っている場所」に……そこに座っていた……でも今は……服だけが残されて……


「お……ば……さん?」


 篤樹は急に事の重大さに気がついた。エシャーが泣き出した意味、エーミーの服を握り締め、座り込んで動けない理由……そ、そんな……? おばさん? 篤樹はエーミーの服をそっと触り、そしてギュッと握った。まさか……そんな……


「ここだ! 中に2匹!」


 突然、家の外で大きなダミ声が響いた。


 エシャーと篤樹は顔を見合わせる。隙間から外の様子を のぞくと、さっきのゴブリンがエシャーの家を指差しながら叫んでいる姿が見えた。


 やっぱり見られてたんだ! エーミーさんが木霊になった悲しみに、今は打ちひしがれている場合じゃ無い。このままじゃ俺たちまで……ん? 俺も死んだら「木霊」になるのかな? いや、こんなところで死んでたまるか!


「エシャー! 裏から逃げよう!」


 2人は入って来た裏口から外に出ようと動き出す。あっ、そうだ……篤樹は綺麗に畳んである学生服の上下を手に持った。


 せっかく綺麗に畳んでくれてるけど、仕方ないさ……


 篤樹は学生服のズボンを学ランの中に小さく丸め入れ、学ランも折り畳み、袖部分の幅で一本になるようにまとめると、それを腰に巻いて結びつけた。ジャージのように伸びないから結びにくいけど、とりあえずこれで両手は使える……

 学生服の左腕の袖は綺麗に つくろってあった。


 おばさん……


 エーミーが制服の繕いをしている姿を思い浮かべた。クソッ! なんでこんなことに……怒りが き起こる。悲しみが心を いて あふれ出しそうだ。でも今は、何よりも異形の襲撃者への「恐怖」と「逃げなければ!」という本能が勝っていた。


 エシャーは涙の跡が残る顔をキッと引き締め、裏口の傍に立ち、ソッと外を覗って篤樹に手招てまねきをした。


 よし! まだ間に合う!


 篤樹はエシャーに「上に向かって逃げよう!」と、丘の上を指差すジェスチャーで伝える。もう一度エシャーが裏口の左右を確認し、2人で外へ飛び出した。しかし……


「いたぞ! こっちだ!」


 ニヤニヤと笑うゴブリンが、2人の目の前に突然現れ立ち ふさがる。不意をつかれた2人は、裏口から二・三歩出たところで立ち尽くした。


「こっちかぁー?」


 斜面を上る道側の家の角から、何者かが顔を出す。全身毛むくじゃらでゴリラのような体。頭には中世の騎士のような かぶとをかぶり、両手で長い やりにぎっている。反対の角からも豚の頭をした人型のモンスターが現れた。


「エシャー……」


 篤樹はすがるような気持ちでエシャーに声をかけてしまう。

 森の中で腐れトロルをやっつけたあの魔法……「アタクカギジュ」ってヤツで何とか切り抜けられるんじゃないか? と思ったのだ。

 エシャーは篤樹が「すがる」のとほぼ同時に、右手を目の前のゴブリンに向けて伸ばす。


「えいっ!」


 発撃の声を上げた。しかし……


「攻撃魔法にしちゃ遅せぇですなぁ」


 いつの間にかゴブリンは篤樹たちの背後に回りこみ、2人の肩に自分の両手をかけ、耳元に話しかけてきた。


 えっ? 何?


 篤樹とエシャーは、お互いに顔を合わせるような形で後ろを振り向こうとする。その時、ゴブリンは左右の手で篤樹とエシャーの頭を思い切りぶつけ合わせた。2人はそのまま突き飛ばされ、前のめりに倒される。


「キャッ!」「うわっ!」


 倒された2人に、ゴブリンと2体の 半獣人はんじゅうじんがニヤニヤしながら近づいて来た。


「ん? おい、見ろ! コイツ、 人間・・じゃねえか!」


 豚頭のほうが篤樹を見ながら叫ぶ。


「お! ホントだ。人間だ。 おう!」


 兜を被った毛むくじゃらが、手に持っていた槍を持ち替え篤樹に投げつけようとした。


「待て待て!」


 ゴブリンが2体を制止する。そして、サッと消えたかと思うと、すぐに家の正面のほうから声が聞こえてきた。


「こっちにはもう誰もいやしません! 最後の何匹かが北の森に向かって逃げていくのを確認しやした! 全軍で追い立てて下さーい!」


 そして、すぐにまた家の裏手の篤樹とエシャーの前に現れる。なんてスピードだよ……篤樹はゴブリンの「目にも止まらない移動速度」に驚いた。坂道で見た時はヒョロヒョロでヨタヨタの老人のようだったのに……


「さて……これで分け前は3等分だ……」


 ゴブリンは かわいたシワシワの口元からジュルリとよだれを流した。


「人間は久し振りだぁ。長生きはするもんだねぇ。たっぷりといただこうじゃないか……」


「お、俺は足一本でいいよ。右足。だからもう、もらっていいだろ?」


 兜頭の毛むくじゃらが近寄ってくる。


「んじゃ俺ははらわたが良いなぁ。この家、なべはあるかなぁ……」


 豚頭が裏口から家の中に入っていく。


「待て待て、静かにしろ。他の連中に気付かれたらせっかくの取り分が無くなっちまう。もう少し待て!」


 篤樹はバケモノたちのおぞましい会話に頭がクラクラした。いや、エシャーの頭とぶつけられたせいか? 何にせよ、この 状況じょうきょうはマズイ。兜頭の毛むくじゃらが持つ槍が、篤樹の目の前に突き付けられていて動けない。ゴブリンはへらへら笑いながら、ナイフを持つ右手を真っ直ぐエシャーに伸ばし見下ろしている。


 シュッ!


 不意に空気を く音が聞こえた。その瞬間、エシャーを 見下みおろしていたゴブリンのひたいから、何かが飛び出す。何? 棒? 篤樹は突然の不思議な光景に驚き、声も出せなかった。

 ゴブリンはよだれを らしてニヤニヤしたまま、エシャーの前にゆっくり倒れこむ。兜頭の毛むくじゃらも、一体何が起こったのか分からない。なぜゴブリンが、ルエルフの少女の前に急に倒れたのかを不思議に思ったようだ。


 その一瞬の判断の遅さが、彼の人生最後の後悔となった。これまた毛むくじゃらの胸から立て続けに棒が突き出て来る……いや、あれは……「矢」が突き刺さってるんだ!

  ひざをついて前にバタンと倒れた兜頭を見届け、エシャーと篤樹は矢の はなたれた方向……家の裏口に目を向けた。

 豚頭が立っている。その腹からは大きな刃が飛び出し、背後には 棒弓銃ぼうきゅうじゅうを持つルロエが立っていた。


「お、お父さん!?」


「ルロエさん!」


「大丈夫か? 2人とも」


 ルロエは、豚頭を裏口の外に突き飛ばすように押し倒した。


「行くぞ! 急げ!」


 ルロエは家から飛び出すと斜面を数歩駆け上り、家の裏手に生えている低木の しげみに駆け込んだ。


「大丈夫だ。こっちに向かっているヤツはいない。さあ! 北の森に逃げるぞ!」


 家を はさんで斜面の下側を見回し、安全を確認するとルロエは2人に声をかける。


「お父さん! お母さんが……」


 エシャーは駆け出そうとする父に、母の服を差し出し見せた。


「お母さんが……いないの……服だけが……」


 ルロエは一度顔を そむけて目を閉じ、すぐに何かを決断するように再び目を開く。


「とにかく森に入って……いや、無事に安全な場所に移動してからだ! エシャー……それは置いて……いきなさい」


「いや!」


 ルロエも「絶対にそうしろ」というつもりは無かったらしい。小さくうなずき見せると、斜面を上に向かって進み出す。エシャーと篤樹もその後に続く。


  最後尾さいこうびについて行く篤樹は、振り返ってエシャーの家を見た。スイスの山奥の村を思わせる、大自然の中に広がる美しい村の景色は一変し、 崩壊ほうかいした家々と、黒々とした煙が きりのように立ち込める不気味な集落に姿を変えていた。


 エシャーの家の裏手に倒れている三体のモンスターの姿が見える。倒れて動かない2体の半獣人サーガと違い、ゴブリンの身体はまるで水中に 墨汁ぼくじゅうを入れたようなユラユラとした 薄黒うすぐろけむりのようなものに変わり、やがて消えていった。


 ルエルフは木霊になるけど、あいつらは何になるんだろう……


 村は湖を底に「すり鉢状」に切り開かれた丘の斜面に家々が点在する作りになっている。そのため、湖側から見上げると斜面を上る人影は目立ってしまう。

 とにかく かげになるような岩や木、植え込み等を渡り歩くように移動していくしかない。


「ごめんね……アッキー……」


 森の入口まで登ると、父親の腕に抱き寄せられたエシャーが振り返って声をかけて来た。


「いや……俺のほうこそ……なんか……」


 篤樹は別に自分が謝る側ではないと思いつつ、つい「エシャーのせいじゃないよ」ということを伝えたい気持ちで返事をする。


 エシャーの家の裏手の森……西の森の入口に立つ木々の隙間からあらためてルエルフの村全体を見渡す。

 右手に見える南の森は、緑を失い茶色く見える。 ありのようにうごめいて見える黒い点々はサーガの群れだろう。南の森から湖を 迂回うかいしつつ、北の森を目指し斜面を上っていくサーガたちの姿が見える。湖神様の光球はすでに消えていた。


「北の森へは……もう行けないな……とにかく、先に進もう……」


 3人は西の森の中へ分け入って行った。

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