第13話 篤樹の魔法


「とにかく勇気です!」


  し暑い体育館の中、生徒たちを前に 熱弁ねつべんをふるう初老しょろうの男性……見た目以上に良く通る元気な声。

 中学1年の夏休み、と言っても篤樹たち部活生にとっては「部活集中期間」というくらい、一日中運動けの真夏の日々。国や教育委員会がどんなに部活ルールを変えるお達しをしたところで、結局現場では 顧問こもんや先輩達の「熱意」がルールを曲げる。


 まあ、父たちの時代と違って「水を飲むな!」ではなく「 のどかわいてなくても水分は定期補給!」となってるだけマシかも知れない。

 

 南町中学校の運動部では、毎年中学1年生の運動部員を対象に「救急救命・ 心肺蘇生術しんぱいそせいじゅつ」の特別講習が開かれている。

 2年生と3年生は秋季大会に向けての練習が忙しい、という理由で1年生だけの参加講習だ。当然、陸上部の篤樹たち1年生も講習に参加「させられ」ていた。

 講師はここ数年、同じ初老の男性、元救急隊員だった「元気なおじさん」が来ているらしい。


「体育館は蒸し暑いのぉ……」


 後ろに座っている 高山遥たかやまはるかが、篤樹の背中をつま先でつつきながら声をかけてきた。


「バ、馬鹿! やめろよ!」


 篤樹は顔を前に向けたまま、小声で遥に 抗議こうぎする。


「外の方が すずしいぞぉ、今日は……」


 構わずに遥が話しかけてくる。


 もう! やめてくれよ! 岡部に気付かれたら……


「……という事で、今からこちらの 模型もけいを使って実習をしますが……ちょっと数が足りないんで、とりあえず代表で10人にお願いします」


 講師の男性が宣言する。


「はい、やりたい生徒は手を上げてー」


 女子バレー部の顧問が 面倒めんどうな注文をしてきた。 好奇心旺盛こうきしんおうせいな、目立ちたがり屋の小学生ならいざ知らず「空気」を読み始める思春期に入ったばかりの中学1年生が手なんか上げるかよ……


「はい!」


「はーい!」


 50人くらい集まってる中ですぐに手を上げたのは2人だけ。先生たちのお気に入りの良い子ちゃん、空気を読めない身勝手女の 江夏千里えなつちさと。あとはお調子者の野球部男子……


「他は? 早い者勝ちだぞぉ!」


 何の顧問か知らないが、別の男性教師も声をかける。それぞれの部活仲間で「お前やれよ」「やりたそうな顔してるじゃん?」などとザワつく声が聞こえ、さらに3~4人が手を上げ前に出る。


「ほらぁ! まだ救助が必要な人が残ってるんだよ! 勇気を出して一歩前へ!」


 男子トイレの張り紙のようなコメント付きで、講師の男性が声をかけた。残っているのは「ホントに、やるの面倒くさい!」と思ってる生徒だけだろう。


「賀川!」


 岡部の声が体育館に響く。なんだよ! 指名かよぉ! 篤樹は振り向いて遥を にらんだ。


「お前が話しかけたりするから……」


 遥はそっぽを向いて手を口に当て、くぐもった声で答える。


「日頃の行いじゃ。精進しょうじんせい!」


 そう言うとワザとらしく 咳払せきばらいをした。クソッ! 面倒だなぁ……篤樹はそれでも教師の指名には 反抗はんこう出来ない「子どもの さが」にしたがい、素直に「はい」と手を上げた。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 ……そうだ…… 心肺しんぱい……蘇生術そせいじゅつ


 篤樹は蒸し暑い体育館で、ほぼ無理矢理に覚えさせられた「心臓マッサージ」を思い出していた。シャルロの口元を見る。ベットリと黒味を びた血が付いていた。


 えっと…… 人工呼吸じんこうこきゅう?……はやめておこうかなぁ……確か 水難事故すいなんじこじゃなきゃ、心臓マッサージだけでも良いとか何とか言ってたよなぁ……ゴメン! シャルロさん!

 

 シャルロの 態勢たいせいを変え、斜面側しゃめんがわ腰掛こしか程度ていどの石にシャルロの両足を乗せる。とにかく脳に血液を送ることが第一の目的……少しでも下半身の血を上半身に流すための「体内輸血」だ。


 さて、本当は「胸をはだけて圧をかける場所を確認」って言ってたけど……この服はどうはだけさせれば良いのか分からない。ボタンも無いし、とにかく 胸骨きょうこつの中心、みぞ落ちより少し上、手の平の下半分で真ん中の かたい「板」の部分を……


 あの講習の時はまさか自分が「小人の老人」の心臓マッサージをするなんて、夢にも思っていなかった。


 成人男性……で……良いんだよなぁ? 赤ちゃんは2本指で押すとか言ってたけど……ええい! ままよ! 


 篤樹は 仰向あおむけに横たえたシャルロの右側に膝立ちになり、右手の平の下半分を「圧位置」に置くと、左手で右手の指を持ち上げた。右腕を ぼうのようにぐシャルロの胸の上で ばし恐る恐るグッ! と押してみる。


 硬ッ! え? こんなに硬いの? 


 篤樹は講習の中で体験した模型の硬さを思い出してみた。もう少し簡単にグッ!と押せたような気が……


『実際に生身の人間の心臓マッサージをすると、最初の内はとても押せない硬さのように感じます。それは模型と違って「生きている人」という意識が働くため、無意識に力を加減してしまうからです。でも、そんな軽い力でギュッギュッと でたくらいでは心臓マッサージにはなりません! 心臓という「ポンプ」を押さないと、脳に血液を送れないんです。5cm押し込む力。これは勇気のいる作業です。でも、あなたの勇気が命を救い、 蘇生そせい後の脳障害のうしょうがいを軽減させるのです! さあ、頑張って!』


 講師の言葉が 脳裏のうりよみがえる。


 5cm押し込む勇気の力……でも……


 シャルロの「出血」が気になった。胸を強く押して出血がひどくなったらどうしよう? どこを怪我してるかも分からないのに、心臓マッサージをやっても大丈夫だろうか……でも、とにかく心停止の場合は、何があっても心臓マッサージをやれって言ってたよな……クソ! 何だか分からないけど、とにかくやろう!


 篤樹は意を決し、態勢を整え直した。


 そうだ! リズムだ! リズムよく……何の曲だっけ? 何かの 童謡どうようで……


 右腕に体重をかけるように「グッ!」とシャルロの胸部を圧迫する。さっきよりも強い力……5cm しずめる気持ちで……


「……むっかしーむっかしーうらしまはー……」


 小声で口ずさみながら、リズムに合わせ右腕の押し戻しを始める。ん? あれ? なんか違うぞ? この歌じゃない……リズムはあってるけど……何か違うほうの歌だった気が……

 講習で教わった「心臓マッサージに適した歌」と違う……と途中で感じたが、それでも、とにかく1回歌い終わるまで続ける。


「……えーにもかけない、うつくしさー」


 1回目のマッサージを終え、シャルロの顔を見る。色を失いかかっていたシャルロの顔に、血の気が戻ったようにも見えるが……まだ呼吸は戻っていない。

 講習ではこのタイミング……マッサージを1回終えたら、次にマウスツーマウスで2回人工呼吸を行うと言ってたけど……今回それは 勘弁かんべんしてもらおう!……あ、そうだ! 篤樹はすぐに2回目のマッサージを始めた。


「もし、もし、かめよー、かめさんよー……」


 パッと口から出たのはさっきと違う童謡。あ! これだ! この歌だ! えっと……なんだっけ? もしカメ? 違うなぁ……曲名はなんだっけ? 何にせよ、この曲が心臓マッサージ1回分の長さにちょうど良いって言ってたはずだ。篤樹はそのままマッサージを続ける。


「……どーして、そんなに、のろいのか」


 2回目が終わる。シャルロの様子を見るが変化はない。とにかく何回もやるしかないんだよなぁ……あの時も蒸し暑い体育館で5~6回連続でやらされたっけ……本番ならAEDが来るまで、とか救急車が来るまで、とか……自発呼吸が無い間はずっと続けるって言われたけど……あ……AED? ここにそんなものないぞ! 救急車だって……

 

 篤樹は5回目の心臓マッサージをやりながら、絶望的な気持ちになってきた。そもそも、いま、この村で何が起こってるんだ? みんなは何から逃げてるんだ? 俺はここでこのまま、心臓マッサージを続けてても良いのか?


「アッキー!」


 シャルロの心臓マッサージを始めて5分ほど った頃、エシャーが まきを運ぶための木製背負もくせいせおい台を持って現れた。


「何やってるの! おじいちゃんに何をするの!」


 エシャーが駆け寄ってくる姿を見ながらも、篤樹はリズム良く「ウサギと亀」を小声で口ずさみながら心臓マッサージを続けていた。


 あ、エシャーだ。良かったぁ……AEDは……あるわけ無いかぁ……そうだ!


「エシャー!」


 篤樹はちょうど一曲終わったタイミングでエシャーに声をかける。


「おじいさんの心臓が止まってる! 息もしてない! 君の魔法で治せない?」


「イヤー! おじいちゃん!」


 エシャーは篤樹の言葉の意味を理解できず、シャルロに駆け寄って抱き上げようとする。篤樹はその手を振りほどき再び問いかけた。


「聞いて! 君は電気の魔法は使える?!」


「デンキの魔法?」


かみなりみたいなやつ! 分かる!」


 エシャーは なみだれた眼でキョトンと篤樹を見つめた。


「あの、えっと、こんなの?」


 エシャーが両手を空中で近づけると、左右の手の平を渡るように電気の線がビリビリと見えた。


「雷みたいなのは無理だけど……」


「それよりもう少し強いのを、一瞬だけとかって出来る?」


「多分……そんな事よりおじいちゃんは?! おじいちゃんはどうなってるの!」


「死にかかってる! 心臓が止まって息もしてない。ちょっと待って!」


 篤樹は再びシャルロの心臓マッサージを始めた。だいぶリズム良く出来る。


「な、何をするの!」


 エシャーが篤樹をシャルロから引き離そうとする。


「まって! 今、おじいちゃんを、なんとか、助けようと、俺だって、頑張ってる。だから、待って!」


 篤樹の熱のこもった言葉にエシャーは手を引っ込めた。よし!


「俺は今、止まってしまった、おじいちゃんの、心臓の代わりに、こうして、手で心臓を動かしながら、血を脳に送ってるんだ」

 

 篤樹はマッサージの手を止めた。


「心臓が自分で動き出さないと、おじいちゃんは死んでしまう。だから、止まってる心臓が、自分でまた動き出せるように、君の魔法でおじいちゃんの心臓に電気でショックを与えて欲しいんだ。うまくいけば、それで心臓はまた動き出すはずだから!」


「電気……ショック? ど、どうすれば良いの?」


 篤樹は考えた。えっと……AEDなら音声で色々とやり方を教えてくれるんだけどなぁ……でも、エシャーはAEDじゃない。俺が考えないと……確か……


「エシャー、手を貸して!」


 篤樹はエシャーの左手の平をシャルロの右肩下に当て、右手の平をシャルロの左脇腹裏に当てるように移動させた。


「おじいちゃんの心臓はここ! この胸の真ん中の骨の下にある! 左手の平から右手の平に向かって、さっき見せてくれたのより少し強めの電気を一瞬だけ通してみて! おじいちゃんの心臓に電気を通して、ビックリさせるようなイメージで!」


 講習会の模擬実習を思い出しながら、篤樹はエシャーに指示を出した。通電スイッチを押す前の「離れて下さい」というAEDの音声を思い出す。通電はエシャーに任せよう! 篤樹は離れた。


「いい? 3・2・1で……」


「えい!」


 バチン! とエシャーの手から通電音が聞こえた。シャルロの身体が音と同時にビクン! と動く。でもそのまま変化は無い。


『……AEDは 自動体外式除細動器じどうたいがいしきじょさいどうき、つまり機械が「 心室細動しんしつさいどう」を自動で検知し、細動があれば電気ショックでその細動を止めるものです。細動……つまり心臓が 痙攣けいれんしているような状態だと、ポンプとしての機能が働かないのです。電気ショックを与えて心臓を動かすのではなく、ショックを与えて、心臓が正常に動くのを 邪魔じゃましている細動を除去じょきょする機械なんです。なので、AEDの使用で「すぐに心臓が動き出す」というものではないって事は覚えていて下さい。細動が除去されれば、AEDの電気ショックは不要になります。でも、その段階でも心臓は止まったままという事はよくある事です。ですからAEDが細動を検知せず、電気ショックを不要と判断しても、心臓マッサージは救急隊員が来るまで続けて下さい』


 これのことかぁ……


 篤樹はあの講師の説明を思い出す。心臓を動き出させることが「成功」なのではなく、細動を止めることがAEDの成功……心臓が動くための準備は出来たって事だ。

 でも、細動は止まったのか? まだ細動があるのか? そもそも最初から「心室細動」が起こっていたのか? 細動ってのが止まっても、心臓が動き出さなきゃ意味無いんじゃないか? 篤樹は不安になった。

 心臓が止まってるからと言って、必ず「心室細動」が起きてるわけでもないかも知れ無いのに、電気ショックなんかを与えたらかえってマズイのかも……


 でも今は……


「エシャー! 手はそのままにしておいて! 合図をしたらもう一回お願い!」


 篤樹は再びシャルロに心臓マッサージを始めた。クソッ! クソッ! どうなってんだ? 「細動」ってのが起こってるのか? 起きてないのか? どうなってんだ!


 「ウサギと亀」を小声で歌いつつ、篤樹はリズムよくマッサージを続ける。エシャーの両手が、シャルロの身体を はさむように置かれているので押し づらいが、とにかく今、自分が出来ることに集中する。


「……どーしてそんなにのろいのか。よし。エシャー!……えっと、ちょっとまって!」


 篤樹は指示をする前に十分に距離をとった。


「よし! 3……」


 バチン!


 ……やっぱり、エシャーはタイミングが分かっていない! 危ねぇー!


「グホッ!」


「あっ!」「あ…」


 エシャーの2度目の通電で、シャルロの身体がビクンッと はじけたと同時に、シャルロの口からドス黒い血の かたまりが飛び出す。そしてそのまま「スハーッ」と呼吸音が聞こえた。


「おじいちゃん! おじいちゃん!」


 エシャーがシャルロの顔に両手を当てて呼びかける。意識は無いようだ。でも息をしている! 心臓の動きも戻ったってことだよなぁ……


「息が……戻った!」


 篤樹は立ち上がり、両手を膝に当てて腰を曲げた。ハァ、疲れた……いや、休んでる ひまは無い!


「エシャー! この村にお医者さんはいないの? おじいちゃん、このままじゃまた……」


「おい! お前たち! 早く北の森へ!」


 2人に声をかけて駆け寄って来たのは、昨日、エシャーと村の道を歩いている時に声をかけてきた男の人だった。


「あ! シェイさん! お願い! おじいちゃ…おじいさまを、 おさを助けて!」


「こりゃひどい……でも、息はまだあるな……これなら……」


 シェイと呼ばれたルエルフの男は両手の平を合わせると、シャルロの足元から頭までを、まるでスキャナーが原稿を読み取るように「スーッ」と移動させた。そして、その手をゆっくりシャルロのお腹の上にまで戻し目を閉じる。

 かざした手の平から、桜の花びらが散るように うすピンクの光がヒラヒラとシャルロのお腹の上に落ち、身体の中へ吸い込まれるように消えていく。


「……とりあえずこれで何とかなるだろう。とにかく、早く北の森へ! 森に入れば森の いやしの魔法で完全に治るはず……とにかく急げ!」


 シェイは2人を てた。


「エシャー! それを貸せ!」


 シェイは、エシャーの横に置いてある木製の背負い台を指差す。


「長を乗せろ! 俺が運ぶ!」


 空の台を背負いながら、シェイは篤樹に視線を向け、静かに語りかけて来た。


「……お前がどんな魔法を使ったか知らんが、さっきまで長からは生気が抜けていた。離れて見ていて、俺は……てっきり長も木霊になるものだと……俺は あきらめて自分が逃げること、みんなを逃がすことを第一に考え行動していた。すまない……ありがとう……」


 篤樹は驚いてシェイを見返す。しかしその視線に気付いたシェイは今度は 苛立いらだった声で指示を出した。


「おい! 早く長を乗せるんだ! 落ちないようにしっかり結び付けろ!」


 エシャーと篤樹は協力し、シェイの背中の台にシャルロを乗せ、ロープで固定する。


「いいか! 行くぞ!」


 シェイが斜面を駆け上がる。エシャーと篤樹もそれについて行くように駆け出そうとしたが……


「あッ!」


 エシャーが立ち止まり悲鳴にも似た叫び声を上げた。


「お母さん!」


 斜面を横切るように、急にエシャーは西の森のほうへ駆け出して行く。


「エシャー!」


 篤樹は大声でエシャーの背に向かって声をかけた。しかしエシャーは振り返りもせず駆けて行く。篤樹はエシャーの先、西の斜面の 中腹辺ちゅうふくあたりに目を向けた。南側から広がり始めた火の手が、もう、西の斜面に点在している家々にまで広がり始めている。


「あ……」


 エシャーの家の辺りにも所々煙が立ち上っていた。


 エシャーの家が……あ、エーミーさん!


 篤樹はエシャーの母、エーミーのことを思い出した。まだ家に? いや、みんなみたいに、もう逃げ出してるはずじゃ……篤樹は一瞬迷った。だが決心し、シェイを呼ぶ。


「シェイさん! エシャーが!」


 もう、だいぶ先まで上っているシェイは振り返り、逃げてくる人々と逆方向の西斜面に向かい走るエシャーの 後姿うしろすがたを確認する。


「連れ戻して来い! 俺は長を森に運ぶ! 早く行け!」


 篤樹はシェイの言葉が終わらないうちに、エシャーの後を追って駆け出した。

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