第11話 ガザル

「あなたが…… 湖神様こしんさま……ですか?」


 エシャーは目の前に現れた小さな光球体内に立つ女性に、恐る恐る声をかけた。


「そうです。あなたには……私はどのように見えていますか? エシャー」


「人間の……女の人に見えます。不思議な 格好かっこうをした……」


 光球内の女性は少し驚いたような表情を見せた。


「そう……あなたは、やはり特別な娘のようね。 賀川君かがわくんを……篤樹あつきをよろしくね」


「『アツキ』!? そうだ! アッキーは?」


 エシャーは橋に目を向けた。そこにはまだ誰の姿もない。


「今、賀川君……篤樹は私と話しをしています」


「え? でも……」


「説明は不要でしょう。とにかく、もうしばらくすれば彼はここに戻ります。そこで、あなたにお願いがあるのです」


「私に……湖神様が?」


 エシャーは湖神様からの突然の申し出に驚いた。


「もうすぐ『ガザル』が……サーガの大群がこの村を襲って来ます。私の力でも おさえられない強大な力です。恐らくこの村はもう……。だから、篤樹を連れて外界に逃げて欲しいのです」


「ガザル……? 村が……滅びる? サーガって……サーガが おそってきてるんですか!?」


 エシャーは まわりを見回した。シャルロが真剣な 眼差まなざしを目の前の光球に向けている。他の人々も、それぞれの目の前に浮かぶ小さな光球体に向かい、驚いた表情を向けていた。


「なん……ですと……」


 頭上で父ルロエの つぶやく声が聞こえた。エシャーは父の顔を見上げる。その目から涙が あふれ流れていた。エシャーは両肩に置いてある父の手をそっと下ろし、数歩離れる。


「今、私は村人1人1人に語りかけています」


 エシャーの目の前に、先ほどの光球体が移動してきた。


「それと同時に、私は彼らから『 あずかった記憶きおく』を返しています」


「預かった……記憶?」


「そうです。サーガとなった『ガザル』に関する記憶……この村や外界にもたらされた、大きな悲しみと傷の記憶を」


「ガザルの……」


 湖神様は一体何をおっしゃってるんだろうか? エシャーは再びシャルロに目を向けた。その様子に湖神……小宮直子は気づき話しを続けた。


「エシャー……あなたが生まれるずっと以前の話です。シャルロ……あなたのおじい様とお父様のルロエが、この村に帰って来た時の話は聞いていたでしょう?」


 お父さんとおじいちゃんがこの村に来た時の話……30年前の……


「何度も聞きました。おばあ様とお父様が大きな 怪我けがをして……死にそうな状態だったから、おじい様が2人を連れてルエルフの森に入ったと……でも、おばあ様は……」


「そう。シャリー……あなたのおばあ様は 木霊こだまとなりました。では、なぜおばあ様とお父様がそんな大きな怪我をされたのかは聞いたことがありますか?」


 え?……そう言えば……外界で何が起こったのかは一度も……


「その記憶を私は預かったのです。そして、その時に、あなたのおじい様……シャルロが村人に報告した内容と……それに関わる全ての記憶を」


 湖神……小宮直子は南の森の空に目を向けた。エシャーもつられて目を向ける。そこには先ほどまで気がつかなかった黒い雲が広がっている。雲? 違う! 何かがうごめいている!


「時間がありません! とにかく、良いですかエシャー? 賀川君……篤樹が戻り次第、すぐにこの村から彼を外界へ連れ出して下さい。あなたも、村人たちも、それぞれ急いでここから逃げ出すのです。森から出る方法は村人全員に、今、伝えています。いいですね? お願いしましたよ!」

 

 叫ぶように言葉を発すると、エシャーの目の前の光球は一瞬強い光を発した後、湖の中央付近に向かい飛び去っていった。村中から同じように小さな光球が湖の中央に集まり、一つの大きな光の球となる。


「湖……神、さ……ま?」


 エシャーは 呆然ぼうぜんと、その大きな光の球を見つめながら つぶやいた。両肩にトンッと父ルロエの手が乗せられ、エシャーは振り返る。


「お父さん……」


「エシャー、母さ……いや、湖神様から聞いたな?」


 エシャーは一瞬うなずいたが、続けて首を横に振った。


「お話はしたわ! 聞いたわ! でも、全然意味が分かんないよ! なに? 湖神様が預かってた記憶って? ガザルって誰? 村が大変な事になるって……みんな逃げろって!……アッキーを連れて逃げろって、どういう事なの?」


「ガザルはワシの 叔父おじじゃよ」


 シャルロがエシャーに答えた。


「おじい様……え? オジ?」


「そう。ワシの母の弟、それがガザルじゃ」


「だったら……だったら何で? どうしておじい様の叔父さんが村を襲ってくるの? それにガザルは『サーガ』だって……」


「昔……」


 ルロエが口を開いた。エシャーの肩に乗せている両手に力が入り、 ふるえている。


「昔、サーガになって村を 追放ついほうされたルエルフもいた、という話をお前も知っているだろう? 今まで……私も忘れていたよ。それがガザル……ヤツだったんだ……。父上!」


 会話を中断し、ルロエは叫んだ。

 南の森上空に現れたサーガの群れから突然、 湖上こじょうの光球に向かい黒い光球体が一直線に放たれたのだ。

 光球……湖神様はその「黒い光の球」を受け止めたように見えた。しかし次の瞬間、湖神様は はじき飛ばされ湖に沈んでしまう。

 「黒い光の球」は、そのままエシャーたちのいる 湖岸こがんまで飛んで来た。ぶつかる! エシャーは 咄嗟とっさに目を閉じる。


「は! どこのじいさんかと思ったら、シャルロかよ。 としをくってもやっぱり小せえままだな?」


 聞いたことの無い声……誰? すごく かわいた、命のぬくもりが全く感じられない声……


 エシャーはそっと目を開く。エルフ(ルエルフ?)の若者が湖面から1mほどの 空中に立って・・・・・・いた。


「ふんぬぅ……ガザル……やはりおぬし、生きておったか……」


「おいおい! 相変わらずクソ生意気なガキだなぁ、小人ちゃんよぉ。叔父様を呼び捨てにするなんて、親の顔が見てみたいぜ!」


 ガザルはそう言うと、一瞬の内にシャルロの背後へ回り込み、耳元に ささやきかける。


「特に 小人の親父・・・・・の顔を……よ!」


 振り向こうとしたシャルロの後頭部に、ガザルの りが入った。シャルロは受け身も出来ず、前のめりに蹴り倒される。


「父上!」


 倒れされたシャルロにルロエが駆け寄った。


「おやおや、ルロエ坊やか? すっかりおっさんになっちまったなぁ?」


 ルロエはシャルロを助け起こしながら振り向き、ガザルを にらみつける。


「どうやって入った? この村は……森の魔法はお前らを 排除はいじょするはずだぞ!」


 ガザルはニヤッと口端を上げ、グルッと村を見渡した。


「ちっぽけな世界だよなぁ……ここは。あんまり小さ過ぎて目にも留まらなかったよ」


「ウグッ!」


 シャルロが呻きながらヨロヨロと立ち上がる。


「ぬしらの 邪悪じゃあくな目にはうつるはずもなかろう。湖神様が守って下さっておいでじゃからな」


「湖神様か……あの女のせいで俺たちは……」


 ガザルは、湖に半分しずむ光球を 憎々にくにくしそうににらみつけた。


「草っぱらはよぉ……」


 視線を湖の光球に向けたままガザルは続ける。


「あの『草っぱら』は結構前から見つけてたんだ。でもよぉ……」


 ガザルの視線がエシャーと合った。 生者せいじゃの眼じゃない! エシャーは思わず視線をそらす。


「はっ! 甥も甥なら、その孫まで礼儀がなってねぇなぁ。 くさった 監獄かんごくの住民共ってのは、根っからの馬鹿ヤローか? まあいい……とにかく、あの小っぽけな草っぱらを囲む森をどんなに探しても、あの女のせいで村は見つかりゃしねぇ。面倒だから周り全部を焼き払っても、ホンの数分で元通りになりやがる。ホント、いけ好かねぇ森だったぜ。だからよぉ……」


 ガザルは顔を そむけているエシャーの目の前に、突然顔を のぞかせた。


「だからよぉ、あの森に 見張り用の腐れトロル・・・・・・・・・・を数匹置いておいたんだ」


 エシャーは驚いて後ずさり、そのまま足がもつれ倒れてしまう。


「ハハッ! 間抜けなのは血筋かぁ? お前のおかげだよ、バカ娘の『エシャーちゃん』」


「何の事だ!」


 倒れたエシャーとガザルの間にルロエが割って入る。


「この馬鹿娘が 目印・・を森の中に残してくれたおかげで、見えないはずの森の中を見ることが出来たんだよ!」



「め……じる……し?」


 エシャーはギョッとした。何? 目印って? 私は森の中でアッキーに会っただけで……


「あっ!」


「分かったかい? そう。お前がとても 綺麗きれいに飛び散らせてくれた、あの特別製の腐れトロルだよ。死んでも きりにならねぇアイツが目印さ!」


 私の……せい? エシャーはガザルの言葉に 動揺どうようした。


 私が森の中で腐れトロルを倒しちゃったせい? そのせいでこんな変なサーガを村に まねき入れてしまったの? エシャーは恐る恐る祖父の顔を見た。シャルロは首を横に振る。


「お前のせいではない。こやつは遅かれ早かれ、いずれここに 辿たどり着いた。執念深しゅうねんぶかいバケモノじゃからのう!」


「はぁ?!」


 シャルロの言葉にガザルの 声色こわいろが怒りを帯びる。


「ざけんなよ……」


 ガザルは右手をシャルロに伸ばし、何かの攻撃を仕掛けようとした。その瞬間、シャルロの眼の色が変わる―――シャルロは発現した「小人の 咆眼ほうがん」でガザルを睨みつける。


「クッ!」


 ガザルの動きが止まった。シャルロは小人の咆眼でガザルを にらみつけたまま、両手にゆっくり「力」をためる。


「いずれにせよ……消えよ!」


 一喝し叫んだシャルロの両腕から、真っ青な攻撃魔法がガザル目がけて放出された。青い光はガザルを包み込み、激しい攻撃をその身体に刻んでいく。しかし……ガザルはその攻撃の中で立ち続けていた。


「ハ、ハハッ! はーはっはっは!」


 光の中から、ガザルの かわいた高笑いがひびく。


「何ッ?」


 シャルロが上げた驚きの声を 嘲笑あざわらいつつ、ガザルは、まるで風呂上りに体に巻いたバスタオルを巻き取るように、全身を包む真っ青な光を自分の両手で巻き集める。


「こんなの……要らねぇよ……」


 ガザルはその「丸めた光の球」を指で弾いた。真っ青な光の球は、目にも止まらぬ速さでシャルロの わきをかすめ飛んで行く。


「うわー!」


 その「球」は、湖岸で橋を守っていた若いルエルフに巻き付いた。


「いかん!」


 シャルロは振り返り、若者に手を伸ばしたが……若者はすでに、その場で ひざから くずれ落ちていた。うつ伏せに倒れ伏した若者を包んでいた青い光が消えると、倒れた若者の身体はボンヤリと光を放ち、やがて無数の光の 粒子りゅうしとなり空へ舞い上がっていく。後には若者が着ていた服だけが、まるで 脱皮だっぴをしたへびがらのように落ちていた。


「ハッハー! シャルロ坊や、お前のせいでソイツは死んじまったぞ!」


 ガザルの声が響く。


「き、きさまぁ……」


 シャルロはガザルに向き直り、再び小人の咆眼で睨みつけようとした。


「な、ガザル……貴様、その眼……」


 ガザルはニヤニヤしながらジッとシャルロを睨み返す。


「ああ、これか?」


 右目を指差すガザルを、シャルロは呆然と見つめる。ヒマワリの花びらのように真黄色な白目、真紅しんく虹彩こうさい縦長たてながに開いた瞳孔どうこう……


「『小人の咆眼』ってか? 俺にゃ全然必要無い目玉なんだけどよぉ、ちょっとした芸には使えるから、そのまま持っておく事にしたんだ。ちなみに……」


 ガザルはニヤリと笑った。


「さっき言ったよな?『お前の親の顔が見てみたい、特に小人の親父の顔を』って……」


 自分だけが答えを知っているクイズの問題を出す子どものように、ガザルは楽しそうに笑いを こらえているように見える。


「ダメだぁー! 黙ってらんねぇ! これを言わずにお前を殺したら、長年温めてきた楽しみが減っちまうー」


「な、なんじゃ? ガザル! 何のことじゃ!」


 シャルロは身を震わせている。怒りと、不安と、底知れぬ恐怖を感じていた。


「お前の小人の親父の顔は、外でしっかり見といてやったぜ! 間抜けな小人族の中でも、一番のお間抜け野郎だったぜぇー! ヤツの顔は2度と見れねぇけど、鏡を見ればヤツの間抜けな『 右目・・』はいつでも見られるって事だよ!」


「ウグワァー!」


 シャルロは声とも うなりとも言えない、地の底から響くような叫び声を上げガザルに両手を向けた。しかし今度は何も放ち出されない。ガザルの「小人の咆眼」で動けなくなってしまったのだ。


「どしたい、おチビちゃん?『お父ちゃんの咆眼』には、やっぱ勝てねぇか?」


 ガザルはゆっくりシャルロに近づく。周りに集まっていた人々も、ルロエでさえも一歩も動けない。ガザルは思いきりシャルロの腹を り飛ばした。シャルロは後ろ向きに吹き飛ばされ、橋の上まで転がっていく。


「軽いなぁ、小人ってのは!」


 右手を上げたガザルは、シャルロに ねらいを定めゆっくり近づいていく。


「やめてー!」


 エシャーは体当たりを試みるが、ガザルは軽く身を けるとその左腕をつかみ、反転させて顔を向けさせる。


「ふん! 気にくわねぇ顔だ。テメェも消えろ!」


 そう言い放ち、橋の上に転がるシャルロに向かって乱暴に突き飛ばした。エシャーは倒れながらも ひざをつき、目の前で口から血を流し倒れているシャルロを抱きしめた。


「エ……エシャーか? ……逃げなさい、早く、グッ!」


 シャルロはガザルの蹴りをまともに らい、大きな怪我を負ってしまっているらしい。小さな手の平をお腹に当て、苦痛に顔を ゆがめている。

 ガザルが2人に近づいて来た。右腕を真っ直ぐ2人に向かって伸ばしている。攻撃色を帯びた黒い きりのようなモノが、うっすらとその腕に集まっていた。殺される! エシャーは倒れたまま、シャルロの首を両腕で抱きしめ目を閉じた。


「あれ? エシャー?……シャルロさん!」


 突然、ガザルが構えていた方向から声が聞こえた。それはエシャーがもう一度聞きたかった声……乾いた死者のようなガザルの声ではなく、生きた、命の うるおいに満ちた人間の声……アッキー! エシャーはその声に向かって目を開き、笑顔を浮かべたが……目の前に現れた篤樹の姿に、笑みが凍り付く。


「えっと……何か……ちょっと、おかしいんだけど……」


 そこには困ったような表情で、しかし、エシャーとの再会に嬉しそうな 微笑ほほえみを浮かべている「篤樹の顔」があった。


「な、なんだ、どうしたんだ! クソ! 何がどうなってる!」


  かぶせるように、ガザルの乾いた死人のような声も響いた。エシャーは それ・・を呆然と見つめる。

 

 湖岸と橋との境界上に「それ」は立っていた。なんとも奇妙な姿だ。まるで二つの画像を重ね合わせたように、ガザルと篤樹が「重なって立ち」、橋の上のエシャーとシャルロを見ているのだ。

 「重なっている」のだが、半身が完全に「一体化」しているようだ。ちょうど篤樹の左半身と、ガザルの右半身が結合されているような……少し幅が広い3本足の人間のような姿……


 篤樹もガザルも、自分のすぐ真横で聞こえる聞きなれない声に驚き、そちらを見ようとした。しかし、お互いの身体を引っ張り合うような形になるので、よく状況が分からずオロオロしている。

 

 シャルロはそんな2人に向かい、攻撃魔法を放とうと右腕を上げた。


「ダメ! おじいちゃん!」


 その腕を、エシャーが両手で押さえる。


「アッキーにも当たっちゃう!」


「アッキー?」


 ガザルが聞き返す。


「え、何? 俺の横に誰かいるの?」


 篤樹は必死で首を左に回そうと努力する。その反動で体のバランスを くずした「2人」は、そのまま後ろ向きで湖岸に倒れた。


「痛ってー!」「あ痛っ!」


 起き上がろうとするが、とにかく、お互いに片手しか自由に使えない状態なので上手くいかない。足も、篤樹の左足とガザルの右足が1本に結合された「3本足状態」のため、どうにも上手く動かせない。

 それでも、力が勝っている「ガザル側」から起き上がり、なんとか立ち上がる事が出来た。


「くそ! 何だというんだこれは!」


 ガザルが 悪態あくたいをつく。篤樹も右手で土を はらいながら困惑して尋ねる。


「エシャー、俺、どうなってるの?」


 とにかく前に……篤樹は「 渡橋ときょうあかし」が首から落ちていないことを右手で確かめつつ、橋上のエシャーを見つめ歩み出す。


「クソッ!」


 ガザルもその動きに合わせ、二人三脚のような「三本足状態」でエシャーたちへ近づく。しかし、その「足」全てが橋の上に乗ったと思った瞬間、篤樹とガザルの「結合体」は橋の上から き消すように消えてしまった。


 エシャーとシャルロは、目の前で繰り広げられた奇妙な光景の残影空間を、ただ 唖然あぜんと見つめていた。

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