第10話 湖神様

 シャルロは何かの気配に気付き顔を上げ、エシャーを きしめていた両手を く。エシャーも顔を上げ、湖の 対岸たいがん……村を囲むルエルフ森南方上空に目を向ける。

 橋を守っていた若者もルロエも、ほぼ同時に同じ方角に顔を向けた。湖岸や丘に点在する家々からも人が次々に出て来ると、皆、森の南の空を見つめる。


「おじいさま、今の『 伝心でんしん』は……」


 エシャーが そばに立つシャルロに問いかけた。


「サルラからの 緊急伝心きんきゅうでんしんだったようじゃが……」


「父上!」


 ルロエが駆け寄って来る。


「サルラは今朝、南の森の 間伐かんばつに行くと言っていました。しかし今の伝心……『南から敵が侵入』とは一体……森のルーに 異変いへんは?」


「分からん……」


 シャルロは首を振った。両手の親指と人差し指を「三角形」に合わせ目を閉じる。しかしすぐに目を開き、緊張の面持ちで口を開く。


「サルラの心に飛ばぬ。何か……起こったようじゃな」


「まさか……湖神様の守りは? 森のルーは?」


 ルロエも両手の指を からめ、目を閉じる。


「……何か……異変が……」


 ルロエはエシャーの背後に回り、その両肩に自分の両手をのせて南の空を見つめた。湖岸に集まって来た人々もざわつき始めた時、湖面に大きな波紋が広がる。

 何? エシャーはその波紋に気づき目線を湖面に移した。波紋は少しずつ大きくなり、湖面を らす波のように変わる。そして……突然、光の たまが湖から飛び出して来た。光の球は音も無く はじけると、いくつもの小さな球に分かれ、ルエルフの村人たち一人一人のもとに飛散して行く。


 あちらこちらから村人たちの声が聞こえる。ある者は喜びの、ある者は感動の、ある者は恐れの声……光を両手で抱きしめようとする者もいれば、ひれ して地面にひたいをこすりつける者もいる。


「かあ……さん」


 エシャーは背後で つぶやくルロエの声を聞いた。


「ジジさま……? いや……湖神様ですか……これは一体……」


 隣に立つシャルロも、 眼前がんぜんの光の球に向かって つぶやいている。


 え? 湖神様? でも……湖神様は今アッキーと……


 エシャーは突然起こった出来事に声を失い、何とか頭の中を整理しようと目を閉じた。

 

 ダメだ! 


 思いがまとまらずに目を開くと、エシャーの目の前にも光の球が浮かんでいた。


 え? だれ……?


 エシャーは、目の前に浮かぶ光の中に立つ女性の姿を 呆然ぼうぜんと見つめる。


「こんにちは。エシャー」


 光の中の女性……小宮直子がエシャーに語りかけた。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「せ、先生……」


 篤樹は思いがけない人物、小宮直子との再会に言葉を まらせる。


「先生!」


 何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか、考えていたはずの質問が全て頭の中から消えてしまった。とにかく、目の前に担任の小宮がいる。ただそれだけで心が けそうなほどのうれしさと、喜びと、安心感に包まれた。


 でも、なんで? どうして先生が?……ってか湖神様が先生? 先生が湖神様?


「ア……ツキ? 篤樹……賀川……篤樹……くん……賀川君? 賀川君なの!」


 湖神様……いや、光に包まれている小宮直子の表情が、見る見る おどろきから笑顔に、笑顔からクシャクシャの泣き顔に変わる。


「ああ……やっと…… やっと会えた・・・・・・……」


「あ、あの、先生?」


「あ、ごめんね。先生、嬉しくって……」


 直子は涙を ぬぐうと、湖面を滑るように近づいて来た。


「えっと……先生? ここで何してるんですか?」


 篤樹は「なんとも場違いな質問だなぁ……」と思いつつ、そう たずねずにはいられない。


「私? わたしは……なんだろう?」


「湖神様って、先生の事だったんですか?」


「湖・神・様? あ、ええ、ええ、そうそう! 湖神様ね。そうよ……ずっとずっとここでは『湖神様』って呼ばれてたんだわ! ごめんなさい! あなたと会えて、先生嬉しくって、急に大昔の気持ちが よみがえって来ちゃったもんだから……」


 は? 大昔の気持ち? って、昨日離れたばかりじゃないか……


「賀川君。あなたはいつ『こっち』に来たの?」


「え? ……いつって……昨日、あの、事故の後……すぐですけど……」


「昨日?」


 直子は今まで見たこともないほどに驚いた表情を見せた。


「はい。昨日……ほら、バスが事故って がけだか橋の上から落ちたでしょ? あのまま気づいたら『こっちの世界』に来てたんです!」


 直子はしばらく呆然とした表情を見せた後、ゆっくりとうなずいた。


「そっかぁ……。賀川君は……昨日……かぁ……」


 そう呟き目を閉じる。閉じた 目蓋まぶたの間から涙がほほを伝ってこぼれ落ちた。


「あの……先生?」


「……あなたはあの時……バスの席は……一番後ろだったわよね?」


 目を閉じたまま直子が問いかける。


「あ、はい。そうです。それで……」


 篤樹は事故の後の記憶、突然の 衝撃しょうげきと転落の様子、磯野真由子いそのまゆこが生きていた様子、他にも何人かの生徒の うめく声を聞いたこと、それから車外に投げ出されたことを急いで説明した。


「で、気づいた時には腐れトロルってバケモノに追いかけられて、ルエルフの森に逃げ込んで……エシャーっていうルエルフの子に助けてもらったんです」


「そう……だったの……」


 直子は目を閉じてジッと篤樹の話しを聞いていた。


「すごく こわい思いをしたのね……」


「あ、まあ、怖いって言うか、とにかく何がどうなってんのか分からないで混乱してたって言うか……」


「怖くなかったの?」


 篤樹はふと答えを考えた。恐怖と不安と 安堵感あんどかんで、エシャーの前で子どもみたいに泣き叫んだことを思い出す。 ずかしい……あれは黒歴史だ!


「怖くは……なかったです」


 篤樹は強がることを選択した。


「そっかぁ……賀川君は強いわねぇ……わたしは……わたしは『こっち』に来た時、気が狂いそうなくらい怖かったわ。色んな事が起こって、何度も『夢なら めて!』って願いながら生きてきたわ。そう……やっぱり強いのねぇ……」


 いや、別に、そんな……篤樹はなんだか恥ずかしくなって目をそらして呟く。


「変わってないなぁ……賀川君は。そっかぁ……『昨日』来たばっかりなんだもんねぇ……」


 直子は何とも言えない微笑みを浮かべ、ジッと篤樹を見つめた。その視線に、篤樹はハッとする。


 ちょっと待て! 落ち着け、俺! なんでここに先生がいるんだ? しかも「湖神様」だぞ? なんかおかしくないか?


 篤樹はルエルフ村の おさシャルロの言葉を思い出していた。


……湖神様に定まった姿は無い。……湖神様は うかがいびとが心の中で欲する姿、あるいは けたい姿となって現れるのじゃ……


 別に先生に会いたいとか先生が怖いなんて気持ちは無い……と思うが、「元の世界」「修学旅行」「3年2組」から、担任の小宮直子の姿を「 ほっして」いたのかも知れない。それに……


……思いがけぬ姿で目の前に現れた湖神様に驚けば、 平静へいせいを失い、心が動揺どうようし伺うべきことを忘れて、逆に様々な質問を受けることになる。とにかく、言い分けや 誤魔化ごまかし、うそや取りつくろいだけは絶対にしてはならぬのじゃ。よいな?……


 ヤバい! これって……完全に湖神様の「 わな」じゃないのか?


「賀川君はどうして怖くなかったの?  ひとりぼっちでこんな知らないところに来て、バケモノにまで追いかけられたのに……」

 

 小宮直子……湖神様が篤樹に尋ねてきた。


 えーい! これは先生じゃない! 先生の姿で湖神様が俺を試してるんだ! だったら……


「あの、先生?」


 しまった! この姿を見てるとつい、いつものように「先生」って呼んじゃうよ……ま、いいや!


「なに?」


「いや、実はさっきのは嘘で……」


「嘘?」


「あ、はい。すみません。嘘って言うか、強がりって言うか……強がって嘘をついたんです」


「何が?」


 小宮直子がキョトンとした顔で見つめる。


「怖かったんです! すっごく。何が起こったのかも分からなかったし……それにあのバケモノですよ! 最初は熊か象が動物園から逃げ出したのかって思いました! とにかく怖くて怖くて逃げ出したんです。ホント、泣きそうでした! ……ってか、大泣きしました! エシャー……ルエルフの女の子に助けてもらった時、ホント僕、自分でも恥ずかしいくらい、大声でギャン泣きしたんです。だって、怖かったし、助かって嬉しかったし、でも何が何やら分からないけど、とにかく『言葉が通じる相手』に会えて安心したから……」


「そう」


 直子は、 せきを切ったように早口で話す篤樹を 唖然あぜんと見ながら、だんだん「 やさしい笑顔」になってきた。


「そりゃそうよ。当然よ! 私だって『教師』とか『大人』とか関係なしに、ホントに何日も何日も泣いて、絶望して、不安で仕方なかったわよ。当たり前よ! 恥ずかしがることなんか無いわ、大丈夫!」


 小宮直子は「生徒を はげます先生」の表情で篤樹にガッツポーズを見せた。


 湖神様、よく出来てるなぁ……俺の記憶とかを使ってんのかなぁ……あ、ダメダメ、他のこと考えちゃ!


「ところで先生? えっと……あの、湖神様? どっちで呼べば良いんですか?」


 篤樹はとりあえず気持ちを整理するため、まずは「最初の 疑問ぎもん」を尋ねてみた。


「え? どっちでもいいわよ、賀川君の呼びやすいほうで。でも、先生は出来れば『先生』って呼んで欲しいな……あの頃のまま、ね……。ホントに、ホントに久し振りに『先生』って呼ばれて、こんなに嬉しいなんて……いつもみんなが呼んでくれていた『私』が生き返ったみたい!」


「あの……先生?(ま、いいや、呼びやすいし……)」


「ん? なに?」


「その、僕、何からどう聞けばいいのか、ホントに色んな事が分かんなくって……」


「でしょうねぇ……」


「とにかく、あの……ルエルフの長に聞いたんです! 先生……湖神様に聞けば『元の世界』に帰れる方法とかヒントとか分かるかもって! どうやったら帰れるか、先生……分かりますか?」


 直子は篤樹の質問を聞くと さびしそうに微笑んだ。そしてゆっくりと首を横に振る。


「先生もずっとその方法を探したわ。何とか元の世界に帰りたい……みんなと会いたいって……でも、その方法は何一つ分からないまま……何も見つけられないままよ……」


 篤樹は、途中から何となくこの返答を予想していた。だから、それほど大きなショックではなかった。たとえ目の前にいる先生が本物の小宮直子で無かったとしても、それでも「先生」が目の前にいて、いつもの口調で話をしてくれることで安心したのかも知れない。


 そうか……帰る方法は分からないんだ……。それじゃ……


「先生、みんなは? 他のやつらはどこにいるんですか?」


 直子は目を閉じると、言葉を選ぶように答える。


「……みんな『こっちの世界』にいるはずよ。感じるの。みんなの気配を。ただ……」


「ただ?」


「私が今まで直接会えたのは10人……今日、賀川君に会えたから11名だけ」


「え! 誰と誰ですか!  そとに……村の外の『 外界がいかい』ってとこにみんないるんですか!」


 篤樹は急に自分の中に希望の光が し込んでくるのを感じた。なんだ! みんないるんだ! また会えるんだ! そうだ! 全員集まれば「向こう」に帰る方法が分かるかも知れない!


「私が今までに『こっち』で会えたのは、ダブルかずきと 康平こうへい牧野豊まきのゆたか小平こだいらさんと……みづきの6人、あとは 卓也たくや勇気ゆうき川尻かわじりさん、そして加奈かなさん……」


 ダブルかずき? ……サッカー部正副主将コンビの 上田一樹うえだかずき田中和希たなかかずきか。大田康平と牧野豊、小平洋子と 小林三月こばやしみづき……勇気は苗字みょうじなんだっけ? あ、 神村かみむらだ。神村勇気! 川尻さんって 恵美えみだよな? 加奈さん? 転校生の 柴田加奈しばたかなも無事かぁ。そしてアイツも……


「先生! 卓也……相沢卓也に会いたいんです! アイツなら何かこの世界……っていうか、SF? アニメ……ん、と、なんかこういう世界の事も分かるかも! あいつマジオタですから!」


「そう……かも知れないわね」


 直子は 複雑ふくざつ微笑ほほえみを浮かべ篤樹を見つめた。


「ねえ……先生?」


「賀川君!」


 急に直子の表情が真顔になり、口調が変わる。この表情は先生が相当真剣な話をする時の顔だ。篤樹は口をつぐみ、真っすぐ直子の目を見た。


「ごめんなさい。時間が無くなってしまったわ。私の知っている事、分かる事、経験を全てあなたにお話しするには時間が足りない……『 渡橋ときょうあかし』を出して!」


「は? い……これ? ですか……」


 篤樹は直子の突然の変わり様に驚きながらも、首からぶら下げている学ランの古びたボタン……「渡橋の証し」を右手で持ち上げ見せる。


「そのまま!」


 直子は、篤樹が持ち上げているボタンに向かい両手を伸ばす。左右の手の平の間に白い光の 綿わたのようなものが現れ、ボタンに向かい音も無く飛んで来た。そのままボタンにぶつかり包み込むと、ボタンの中に 吸収きゅうしゅうされるようにその光は消えた。


「えっと……」


「とにかく、今急いで『私の持つ情報』をそこにコピーしたわ。外界に出て『タクヤの とう』を目指しなさい! ルエルフの森を出る方法は、森の はしに立って後ろ向きで5歩・前向きで8歩・後ろ向きで5歩・前向きで5歩よ。いい? 後ろ5・前8・後ろ5・前5」


「えっと、あの……『後ろ5・前8・後ろ5・前5』」


「そう! 5・8・5・5、後ろ向きから交互によ……ホントは南の森から出るのが一番なんだけど……仕方がないわ。北の森から出なさい。『タクヤの塔』は有名だから外界で聞けば、誰かに場所を教えてもらえるはずよ!」


「あの!」


 篤樹は たまらず口をはさんだ。


「先生! 何なんですか? 急に! それに『タクヤの塔』って。卓也……相沢卓也と何か関係あるんですか? もっと話しを聞かせて下さい! なんか全然分かりません! 僕はこれからどうすりゃ良いんですか? 先生はなんで湖神様なんてやってるんですか!」


 直子は あせったような、困ったような「もう! 面倒くさいなぁ!」とでも言い出すような けわしい表情になったが、すぐにため息をつき優しく答えた。


「初めからを説明するには、今は時間が足りないのよ。タクヤの塔に行けば全てハッキリ分かるから……とにかく今、外……ルエルフの村に てき侵入しんにゅうして来てるわ。私のルーの すきをつかれたの。早くそちらに集中しないと村が大変な事になってしまう……だから急いでるの。分かって!」


 敵? 敵ってあの「サーガ」ってヤツのことかな? などと篤樹が考えていると、突然、直子の口からオレンジ色の光が飛び出し、篤樹をフワリと包み消えた。


「え? 何したんですか?」


「とにかくすぐに外界へ行きなさい! 今のは……言うなれば『 言語適用げんごてきよう魔法まほう』よ。言葉が通じないと大変でしょ? 『元の世界』にもあれば便利だけどね……さ、行きなさい。後ろ向きのままで橋を15歩進めば元の場所……湖岸に戻れるわ」


 直子はそう言うと、また元の まぶしい光のたまに包まれ、橋の「ステージ」から離れ、湖の中へ しずんでいった。


「必ず、みんなで一緒に帰りましょうね……」


 ひと言の希望の声を響かせて……

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