第10話 湖神様
シャルロは何かの気配に気付き顔を上げ、エシャーを
橋を守っていた若者もルロエも、ほぼ同時に同じ方角に顔を向けた。湖岸や丘に点在する家々からも人が次々に出て来ると、皆、森の南の空を見つめる。
「おじいさま、今の『
エシャーが
「サルラからの
「父上!」
ルロエが駆け寄って来る。
「サルラは今朝、南の森の
「分からん……」
シャルロは首を振った。両手の親指と人差し指を「三角形」に合わせ目を閉じる。しかしすぐに目を開き、緊張の面持ちで口を開く。
「サルラの心に飛ばぬ。何か……起こったようじゃな」
「まさか……湖神様の守りは? 森のルーは?」
ルロエも両手の指を
「……何か……異変が……」
ルロエはエシャーの背後に回り、その両肩に自分の両手をのせて南の空を見つめた。湖岸に集まって来た人々もざわつき始めた時、湖面に大きな波紋が広がる。
何? エシャーはその波紋に気づき目線を湖面に移した。波紋は少しずつ大きくなり、湖面を
あちらこちらから村人たちの声が聞こえる。ある者は喜びの、ある者は感動の、ある者は恐れの声……光を両手で抱きしめようとする者もいれば、ひれ
「かあ……さん」
エシャーは背後で
「ジジさま……? いや……湖神様ですか……これは一体……」
隣に立つシャルロも、
え? 湖神様? でも……湖神様は今アッキーと……
エシャーは突然起こった出来事に声を失い、何とか頭の中を整理しようと目を閉じた。
ダメだ!
思いがまとまらずに目を開くと、エシャーの目の前にも光の球が浮かんでいた。
え? だれ……?
エシャーは、目の前に浮かぶ光の中に立つ女性の姿を
「こんにちは。エシャー」
光の中の女性……小宮直子がエシャーに語りかけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「せ、先生……」
篤樹は思いがけない人物、小宮直子との再会に言葉を
「先生!」
何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか、考えていたはずの質問が全て頭の中から消えてしまった。とにかく、目の前に担任の小宮がいる。ただそれだけで心が
でも、なんで? どうして先生が?……ってか湖神様が先生? 先生が湖神様?
「ア……ツキ? 篤樹……賀川……篤樹……くん……賀川君? 賀川君なの!」
湖神様……いや、光に包まれている小宮直子の表情が、見る見る
「ああ……やっと……
「あ、あの、先生?」
「あ、ごめんね。先生、嬉しくって……」
直子は涙を
「えっと……先生? ここで何してるんですか?」
篤樹は「なんとも場違いな質問だなぁ……」と思いつつ、そう
「私? わたしは……なんだろう?」
「湖神様って、先生の事だったんですか?」
「湖・神・様? あ、ええ、ええ、そうそう! 湖神様ね。そうよ……ずっとずっとここでは『湖神様』って呼ばれてたんだわ! ごめんなさい! あなたと会えて、先生嬉しくって、急に大昔の気持ちが
は? 大昔の気持ち? って、昨日離れたばかりじゃないか……
「賀川君。あなたはいつ『こっち』に来たの?」
「え? ……いつって……昨日、あの、事故の後……すぐですけど……」
「昨日?」
直子は今まで見たこともないほどに驚いた表情を見せた。
「はい。昨日……ほら、バスが事故って
直子はしばらく呆然とした表情を見せた後、ゆっくりとうなずいた。
「そっかぁ……。賀川君は……昨日……かぁ……」
そう呟き目を閉じる。閉じた
「あの……先生?」
「……あなたはあの時……バスの席は……一番後ろだったわよね?」
目を閉じたまま直子が問いかける。
「あ、はい。そうです。それで……」
篤樹は事故の後の記憶、突然の
「で、気づいた時には腐れトロルってバケモノに追いかけられて、ルエルフの森に逃げ込んで……エシャーっていうルエルフの子に助けてもらったんです」
「そう……だったの……」
直子は目を閉じてジッと篤樹の話しを聞いていた。
「すごく
「あ、まあ、怖いって言うか、とにかく何がどうなってんのか分からないで混乱してたって言うか……」
「怖くなかったの?」
篤樹はふと答えを考えた。恐怖と不安と
「怖くは……なかったです」
篤樹は強がることを選択した。
「そっかぁ……賀川君は強いわねぇ……わたしは……わたしは『こっち』に来た時、気が狂いそうなくらい怖かったわ。色んな事が起こって、何度も『夢なら
いや、別に、そんな……篤樹はなんだか恥ずかしくなって目をそらして呟く。
「変わってないなぁ……賀川君は。そっかぁ……『昨日』来たばっかりなんだもんねぇ……」
直子は何とも言えない微笑みを浮かべ、ジッと篤樹を見つめた。その視線に、篤樹はハッとする。
ちょっと待て! 落ち着け、俺! なんでここに先生がいるんだ? しかも「湖神様」だぞ? なんかおかしくないか?
篤樹はルエルフ村の
……湖神様に定まった姿は無い。……湖神様は
別に先生に会いたいとか先生が怖いなんて気持ちは無い……と思うが、「元の世界」「修学旅行」「3年2組」から、担任の小宮直子の姿を「
……思いがけぬ姿で目の前に現れた湖神様に驚けば、
ヤバい! これって……完全に湖神様の「
「賀川君はどうして怖くなかったの?
小宮直子……湖神様が篤樹に尋ねてきた。
えーい! これは先生じゃない! 先生の姿で湖神様が俺を試してるんだ! だったら……
「あの、先生?」
しまった! この姿を見てるとつい、いつものように「先生」って呼んじゃうよ……ま、いいや!
「なに?」
「いや、実はさっきのは嘘で……」
「嘘?」
「あ、はい。すみません。嘘って言うか、強がりって言うか……強がって嘘をついたんです」
「何が?」
小宮直子がキョトンとした顔で見つめる。
「怖かったんです! すっごく。何が起こったのかも分からなかったし……それにあのバケモノですよ! 最初は熊か象が動物園から逃げ出したのかって思いました! とにかく怖くて怖くて逃げ出したんです。ホント、泣きそうでした! ……ってか、大泣きしました! エシャー……ルエルフの女の子に助けてもらった時、ホント僕、自分でも恥ずかしいくらい、大声でギャン泣きしたんです。だって、怖かったし、助かって嬉しかったし、でも何が何やら分からないけど、とにかく『言葉が通じる相手』に会えて安心したから……」
「そう」
直子は、
「そりゃそうよ。当然よ! 私だって『教師』とか『大人』とか関係なしに、ホントに何日も何日も泣いて、絶望して、不安で仕方なかったわよ。当たり前よ! 恥ずかしがることなんか無いわ、大丈夫!」
小宮直子は「生徒を
湖神様、よく出来てるなぁ……俺の記憶とかを使ってんのかなぁ……あ、ダメダメ、他のこと考えちゃ!
「ところで先生? えっと……あの、湖神様? どっちで呼べば良いんですか?」
篤樹はとりあえず気持ちを整理するため、まずは「最初の
「え? どっちでもいいわよ、賀川君の呼びやすいほうで。でも、先生は出来れば『先生』って呼んで欲しいな……あの頃のまま、ね……。ホントに、ホントに久し振りに『先生』って呼ばれて、こんなに嬉しいなんて……いつもみんなが呼んでくれていた『私』が生き返ったみたい!」
「あの……先生?(ま、いいや、呼びやすいし……)」
「ん? なに?」
「その、僕、何からどう聞けばいいのか、ホントに色んな事が分かんなくって……」
「でしょうねぇ……」
「とにかく、あの……ルエルフの長に聞いたんです! 先生……湖神様に聞けば『元の世界』に帰れる方法とかヒントとか分かるかもって! どうやったら帰れるか、先生……分かりますか?」
直子は篤樹の質問を聞くと
「先生もずっとその方法を探したわ。何とか元の世界に帰りたい……みんなと会いたいって……でも、その方法は何一つ分からないまま……何も見つけられないままよ……」
篤樹は、途中から何となくこの返答を予想していた。だから、それほど大きなショックではなかった。たとえ目の前にいる先生が本物の小宮直子で無かったとしても、それでも「先生」が目の前にいて、いつもの口調で話をしてくれることで安心したのかも知れない。
そうか……帰る方法は分からないんだ……。それじゃ……
「先生、みんなは? 他のやつらはどこにいるんですか?」
直子は目を閉じると、言葉を選ぶように答える。
「……みんな『こっちの世界』にいるはずよ。感じるの。みんなの気配を。ただ……」
「ただ?」
「私が今まで直接会えたのは10人……今日、賀川君に会えたから11名だけ」
「え! 誰と誰ですか!
篤樹は急に自分の中に希望の光が
「私が今までに『こっち』で会えたのは、ダブルかずきと
ダブルかずき? ……サッカー部正副主将コンビの
「先生! 卓也……相沢卓也に会いたいんです! アイツなら何かこの世界……っていうか、SF? アニメ……ん、と、なんかこういう世界の事も分かるかも! あいつマジオタですから!」
「そう……かも知れないわね」
直子は
「ねえ……先生?」
「賀川君!」
急に直子の表情が真顔になり、口調が変わる。この表情は先生が相当真剣な話をする時の顔だ。篤樹は口をつぐみ、真っすぐ直子の目を見た。
「ごめんなさい。時間が無くなってしまったわ。私の知っている事、分かる事、経験を全てあなたにお話しするには時間が足りない……『
「は? い……これ? ですか……」
篤樹は直子の突然の変わり様に驚きながらも、首からぶら下げている学ランの古びたボタン……「渡橋の証し」を右手で持ち上げ見せる。
「そのまま!」
直子は、篤樹が持ち上げているボタンに向かい両手を伸ばす。左右の手の平の間に白い光の
「えっと……」
「とにかく、今急いで『私の持つ情報』をそこにコピーしたわ。外界に出て『タクヤの
「えっと、あの……『後ろ5・前8・後ろ5・前5』」
「そう! 5・8・5・5、後ろ向きから交互によ……ホントは南の森から出るのが一番なんだけど……仕方がないわ。北の森から出なさい。『タクヤの塔』は有名だから外界で聞けば、誰かに場所を教えてもらえるはずよ!」
「あの!」
篤樹は
「先生! 何なんですか? 急に! それに『タクヤの塔』って。卓也……相沢卓也と何か関係あるんですか? もっと話しを聞かせて下さい! なんか全然分かりません! 僕はこれからどうすりゃ良いんですか? 先生はなんで湖神様なんてやってるんですか!」
直子は
「初めからを説明するには、今は時間が足りないのよ。タクヤの塔に行けば全てハッキリ分かるから……とにかく今、外……ルエルフの村に
敵? 敵ってあの「サーガ」ってヤツのことかな? などと篤樹が考えていると、突然、直子の口からオレンジ色の光が飛び出し、篤樹をフワリと包み消えた。
「え? 何したんですか?」
「とにかくすぐに外界へ行きなさい! 今のは……言うなれば『
直子はそう言うと、また元の
「必ず、みんなで一緒に帰りましょうね……」
ひと言の希望の声を響かせて……
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