第10話 変化
「ああ、ミディ!! 帰りが遅いから、迎えに行こうと思っていたところだよ!!」
城に戻り、魔王の部屋に向かったミディを迎えたのは、ジェネラルの慌てた声だった。
本当は拉致られた瞬間に、スタイラスの離宮に向かおうとした魔王だったが、ユニの説得によりこの場に留まったのだ。
しかし彼の心配も知らず、ミディの様子はあっけらかんとしている。
「あら、そんなに長居をしてしまったのね」
特に悪びれる様子もなく、王女は迎え入れられるまま部屋に足を踏み入れると、そのままソファーに腰を掛けた。
とりあえず彼女の様子から、何もなかった事を感じ取ると、ジェネラルもホッとした表情を浮かべ、彼女の前に腰かけた。
ため息をつくいつもの彼の姿を見ながら、ミディはスタイラスから語られた話を思い出していた。
彼が心の中に抱え続けている、深い孤独の事を。
少年の姿と、今の青年の姿が重なる。
無意識に唇を噛み、ジェネラルから視線を逸らした。
“短い時間しか生きていない私の言葉なんて……"
産まれてたった19年のミディが人生を語ったところで、すでにその何倍も生きているジェネラルには何も響かないだろう。
スタイラスの前では偉そうなことを言ったが、いざ本人を目の前にすると、どうしたらいいのか分からない。
そう思った瞬間、ミディは思考があらぬ方向に向かっていたことに気づいた。
"って! 何を私は考えてるの!? スタイラス様に言った事はジェネの話じゃなく、仮に同じような人を好きになったらって言う話であって……"
誰も聞いていないのに、自分の心に言い訳をする。だが、隠せない気持ちが素直に頰の熱となって現れる。
ミディの変化には敏感なジェネラルは、もちろんその変化を見逃さなかった。
「ミディ? どうしたのさっきから。難しい顔したかと思うと、顔を赤くして……。また何か怒ってる? もしかして、スタイラス様に何か言われた?」
「あっ、あなたのせいよ!! あなたの!!」
「えー…、えぇぇぇー……」
とんだとばっちりである。身に覚えのない怒りを受け、理不尽だとジェネラルは言葉を漏らした。まあ、いつもの事なのだが。
自分の気持ちも知らず的外れな事を言われ、ミディの心に怒りが湧いたが、その気持ちを押し殺すように、隠し持っていた小さな箱を黙ってジェネラルに差し出した。
謎の箱の出現に、魔王の表情に困惑が浮かぶ。
「ミディ、これは?」
「……焼き菓子。スタイラス様に教えて頂いて、私が作ったの……」
うつむき、魔王から視線を逸らしながら、ミディは小さな声で説明した。
自作の菓子だと聞き、ジェネラルの瞳が見開かれる。そして恐れ半分、期待半分の気持ちで問う。
「僕に……、くれるの?」
「ええ…」
さらに消え入りそうな返答がジェネラルの耳に届いた。次の瞬間、彼の表情がぱっと明るくなった。
満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにそれを受け取る。
「ありがとう、ミディ!」
礼を言い、ジェネラルは早速箱を開けた。形がちょっと……、崩れたかのように見える焼き菓子が並んでいた。が、ミディが不器用なのではなく、そういう形なのだと、ジェネラルは脳内で前向きに考えを変換してそれを見る。
「わー、可愛い猫だね!」
「それ、花なのだけれど…」
「あー……、うん! ちょっと最近目が疲れててね! 今見ると花にしか見えないね! 花、一択だね!」
苦しい言い訳をしながら、ジェネラルは焼き菓子の造形を褒めた。しかしミディ自身、形がちょっとあれなのは分かっている為、形は気にするなと抗議した。
「でも味は大丈夫なの! ちなみに味の感想は、美味しいしか受け付けないからね!」
「えー…、ええーー……」
とんだ感想やくざである。
しかし、ミディが作ってくれたものだ。意を決して、ジェネラルはそれを口に入れた。
甘さを控えながらも上品な味が、口の中に広がった。乳製品独特の風味豊かな香りが鼻腔を抜けていく。見た目はあれだが確かに、
「うん、とっても美味しいよ、ミディ」
偽ることのない正直な感想が、王女の耳に届いた。前を向くと、美味しそうに焼き菓子を頬張るジェネラルの姿があった。
いつもと変わらない、優しい視線が向けられている。
人生初めて作った焼き菓子を褒められ、ミディの頬が自然と緩んだ。受け入れてもらえるか不安だった気持ちが、喜びに塗り替えられる。
もちろん、スタイラスに味見をして貰い、味の保証は貰っている。その時にも褒められたが今はその時よりも、
“うれ……しい……、とても……”
胸元をぎゅっと掴み、その気持ちを噛みしめた。
唇が、自然と彼の名を呼ぶ。
「ジェネ」
「ん?」
「私、今のその姿の方が好きよ」
「……………んん?」
口の中に響く咀嚼音に為に聞こえなかったのか、口に菓子を入れたままジェネラルがもう一度問う。
しかし、ミディは答えなかった。
小さく笑うと、もう一つ隠し持っていた小箱を取り出した。
「さて、私はスタイラス様が作られた方を食べようかしら?」
「えぇぇー……」
ミディ作より綺麗に形取られたそれを見て、ジェネラルは声を上げた。形の悪い自分のものはジェネラルに、出来が良いスタイラス作は自分用にした事に不満があるようだ。
ミディの分にも手を伸ばそうとしたジェネラルの手を、ぺちっと弾くと、
「あなたはそっちよ。私が初めて作ったお菓子なのだから、ありがたく食べなさい。後、お茶の用意をして貰えるかしら? お菓子にはお茶が必要でしょう?」
「あ、はい。ただいま」
客人として扱われているくせに横柄とも言える態度で、ミディはこの城の主に命令した。その命令に素直に従い、侍女にお茶の用意を依頼するジェネラル。
旅の時から変わらない、いつもの光景だ。
でもただ一つだけ、変わっているものがあった。
“いつか……、聞いてみたい。ジェネが抱える時間の孤独の事を。そして少しでも、彼の心が軽くなるのなら……”
——心優しき魔王の孤独を、少しでも癒すことが出来るなら。
そんな想いが、
気持ちの変化が、彼女の中で確かに起こっていた。
でもミディがそれに気づき、その想いの訳に気が付くのは、もう少し先の話である。
//花とお菓子と不審者と 終わり//
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