第90話 帰還

「ジェネラル様……、本が逆になっていますよ」


 エクスの言葉に、はっとなるジェネラル。

 手元の本を見ると、彼が言ったとおり逆さまになっている。


 慌てて本を元に戻したが、その時に手が香茶の入ったコップに当り、床に落ちた。

 カップが砕け、茶が床に流れ出す。


「ああっ…、ごめん、エクス…」


 急いで復元の魔法を掛けるエクスを見ながら、ジェネラルが詫びた。

 とんでもないと、首を振るエクス。


“一体何やってるんだろ・・・・・”


 ジェネラルは本を閉じ、頬杖をついてため息をついた。

 その様子を少し心配そうな表情で、エクスが見つめていた。


 ジェネラルが魔界に帰ってきて、3月が経っていた。

 


*  *  *


 

 魔王の突然の帰還に、誰もが驚いた。

 ジェネラルは、ミディが城に戻り、自分も魔界に戻ってきた事を伝えると、それ以上は何も語らなかった。


 それからはきちんと国政をこなし、魔界を出る前と変わらない生活をしている。


 周りは、


『魔界を出る前よりも、逞しくなられた』


と、ミディに感謝している。


 確かに、プロトコルで色々と経験を積んできたジェネラルは、一回り以上大きく成長した……ように感じる。

 逞しくなったというか、繊細だった精神が、ず太くなったというか。


 まあ、周りが喜んでいるいるから、よしとしよう。

 

 しかし、いつもジェネラルの側に仕え、彼を見ているエクスは、時折見せる魔王の沈んだ表情を、心配して見守っていた。


「…あの……ジェネラル様」


「えっ? あっ? 何の話だっけ?」


「いえ、続いている会話は何もありませんが…」


「そっ、そうだっけ? ごめんごめん…」


 そう言って、ジェネラルは手元の書類に視線を戻す。その表情はどこか暗い。明らかに、旅以前と違う態度だ。


 エクスは意を決し、口を開いた。


「ジェネラル様、どうかされましたか? 魔界に戻られて3月、ずっとご気分が優れないように見えますが…」


「えっ…、そっそう!?」

 

「はい……」


 飛び上がる勢いで顔を上げたジェネラルに、エクスが頷いてみせる。

 魔王である彼が動揺しているのは、明らかだ。


 エクスは、ジェネラルの前に立つと、真剣な表情で問うた。


「こんな事を尋ねるなど、出すぎた真似かもしれません。しかし…、もしよろしければ、何があったか話して頂けないでしょうか?」


 補佐役の青年の言葉に、ジェネラルは黙って手元に視線を落とす。


 出来るだけ伏せた気持ちを表に出さないように、心がけているつもりだった。

 だが実はバレており、エクスに心配を掛けていた罪悪感がジェネラルを襲う。


 しばらく、顔を伏せていた魔王だったが、


「あのね、エクス……」


 顔を上げると、思い切ってミディと別れた時のことを話した。


 突然、ミディと別れなければならなかった事。

 そのことについて、1言もミディから説明がなかった事。

 ミディの父親が病に伏せ、その為にやむを得なかったと思っても、何故か胸にもやもやとしたものが残っている事。


「ずっと一緒に旅をしてきたけどさ、僕の存在ってミディにとって、一言もなく、あんな簡単に別れる事が出来る程度だったのかな…」


 最後に、小さくジェネラルが付け加え、口を閉ざした。

 そして胸につかえた物を吐き出すように、深いため息をついた。


 その時。


 ドンッ!!


「えっ、えくす…!?」


 いきなりテーブルに音を立てて手をついたエクスを、ジェネラルは驚きの表情で見上げた。


 少し伏せ、前髪がかかっているため、エクスの表情ははっきりと見えない。が、もし彼のオーラが見えるなら、真っ赤に燃えているのが見えただろう。


「ジェネラルさま……」


「あっ、はい………」


「城に突撃でもして、何故あの女に一言、言って来てやらなかったのですか!!」


「ええ……あ…えっと?」


 いきなり叫んだエクスを、どう反応していいのか分からず、ジェネラルはただ見返すだけだった。


 びびった表情を浮かべる主人に、少し冷静さを取り戻したのだろう。


 一つ咳払いをすると、エクスは1言侘び、姿勢を正した。


「ジェネラル様。ミディに言いたいことがあるなら、はっきり言うべきです!」


「あっ…、言いたい事って言っても…、たいした事ではないし…。ただ、ミディから1言もなく、別れたことが納得いかないというか……」


「大した事でなければ、3月も悩まないでしょう!」


 再び、エクスの活が炸裂する。

 びくっと首を竦めるジェネラル。


 エクスはもう一度、気持ちを落ち着かせる為、咳払いをした。


「もう1度、プロトコルに行って、ミディにお会いになって来て下さい。そして言いたい事を、思いっきりあの女にぶつけてきて下さい!」


「うっ…、でも、あのミディだよ…?」


「ミディが何ですか! あなたは魔王ですよ!! もし、あの女が何か言い返して来たら、魔王としての力を見せ付けてやればいいのです! それこそ、城の一つぐらい壊してやりなさい!」 


 ミディの望む魔王に近い発言をするエクス。

 魔王としての力を見せ付けるというのはどうかと思うが、エクスの言葉は、ジェネラルの胸の痞えに明らかに刺激を与えていた。


 気持ちが揺れるのが、感じられる。

 確かに、大した事でないなら、3ヶ月もずっと悩むことはないだろう。


 ミディに会いたいのは、自分の我儘。

 その真面目な気持ちが、ずっとジェネラルの足を止めていた。


 エクスは、そんな魔王の気持ちに気づいていたのだ。


「ジェネラル様。あなた様の優しさは、我々の誇りです。しかし優しい事と、気持ちを抑える事は違うと思うのです」


 先ほどとは違う、柔らかく優しい口調で語りかける。

 表情から、ジェネラルを思いやる気持ちが見える。


 彼の言葉が、ジェネラルの中へ何の障害もなく入ってくる。

 気持ちが軽くなっていくのが、感じられた。

 瞳を閉じ、大きく息を吐くと、顔を上げた。


 すっと瞳を開く。

 そこには、もう暗さも迷いもなかった。


「僕、もう1度ミディに会ってくる。言いたかった事、文句でも何でも、しっかり言って来るよ!」


 魔王の決意に、エクスは微笑んだ。

 ジェネラルも、微笑み返す。


「ごめん、エクス。また少し魔界を留守にするけど…、いいかな?」


「いいかなもなにも……」


 首を振り、言葉を続けようとした時、


「ジェネラル様のご決断に、誰が反対しますか!!」


「あなた様の留守中、我々一丸となって魔界をお守りいたします!!」


「ジェネラル様は、我々の事など構わず、すぐにプロトコルへ!!」


 どこから沸いて出てきたのか、他の魔族たちがわらわら部屋に入ってきたのだ。

 ジェネラルたちの会話を、盗み聞きしていたらしい。


 ミディが魔界にやって来たときのように、盗み聞きするわ、部屋に乱入するわ、何て魔界はリベラルな世界なのだろう。


 魔王を気遣う言葉を口にする魔族たちを見、ジェネラルは胸が熱くなった。同時に、嬉しく思う。 


 ジェネラルは立ち上がると、部屋に押しかけた魔族たちを見回し、口を開いた。


「僕の留守中、魔界を頼んだよ」


 魔族たちは先ほどとは違い、その場で片膝を付くと無言で頭を下げた。

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