21の3話  夫婦で、

 



 先ほど来た道を、倍くらいのスピードでスクーターが走り抜ける。


「捕まってっ!」


 車と車の間をすり抜け、どんどん追い越して加速する大胆な運転に、僕は思わず息をのむ!


「すごい! さゆさん! いつの間にこんな運転技術をッ!?」


「誰かさんのせいで! 溜まったストレス解消にねーッ!!」


「誰かさんッ、ってーッ?」


 スクーターが急加速して、加速による抵抗力の増大が僕を襲う。

 さゆさんは、前を向いたまま。


「ぜっったいに、おしえるもんかああーーーーーーッ!!!!」


 全力で、叫んで、さらに加速する。





「着いたよ!」


 市役所が見える。

 激しくドリフトしながら、市役所の駐輪場にスクーターが滑り込む。

 しかし。


「……ッ!?」


 バランスを崩して転倒しかかるスクーター。

 先に降りた僕が、車体を支えにかかるが、


「いいから行って!!いちるんッ!」

「でもッ! さゆさんが!」

「もういいじゃんそういうのッ!!」


 絶叫にも似たさゆさんの、一喝。



「行きなよいちるん! 誰を傷つけたって、望まれなくたって、記憶がどうとかだって関係ないよ!! いちるんが自分の意志で好きだと思った、その人だけを見て、いけぇーッ!!」


「……ッ! ありがとうッ!!」


 さゆさんの叱責に、僕はすぐさま走り出し、


「やっぱちょっと待った!」


 鮮やかすぎる手のひら返しに足を止める。


「……どっちだよッ!?」


 さすがに苛立った僕に、


「これッ!」


 さゆさんが、投げてよこす。


 赤い薔薇の花束を。



「持っていって! ……告白には、花が似合うからッ」



 僕は思わず顔がにやける。



「ありがとう、さゆ! カケルにも!」



 身体が、動き出す。

 背中を押されるとは、きっとこういうことを言うのだ。


 僕は駆け出し、


 治って間もない方の足がよろめき、倒れる。

 

 再び痛み出した腕を突いて立ち上がり、市役所の入り口を通る。

 役所は、たくさんの人でごった返していて。

 そんな中を、花束を持った若い男が走り回り、人目を集める。


 くそ。何でこんな時に限って混んでるんだッ。


 周囲を見回し、

 

 必死に彼女の姿を探す。


 違う、違う、どこだ! 


苺途いちずさんッ!!」


 声をかけて探しながら、僕は祈るような気持ちになる。


 神様!


 いい。


 もう、一生記憶が戻らなくたっていい。


 なんなら、戻ったと嘘をついて偽りの人格を演じたってかまわない。



 それでも僕は、彼女に。



「……苺途さんッ!!!!」




◇◇◇




「……あとは、あなたがハンコを押して、それで、終わりよ?」

「…………」


 市役所の記入台で、私はお母さんと共に、最近大嫌いになった紙と向き合う。

 

 まるで、処刑台に上るような気分だった。


 隣には、お父さん、米華まいか小豆あずきもいる。

 お義母かあさん、越名こしな先生もいる。

 みんな、私にとって大切な人だ。


 ……でも、一番大切な人は、ここにはいない。



 こんな紙、なくなってしまえばいいのに。

 そうしたら、私はずっと、一瑠いちるくんと夫婦でいられるのに。


 ……っ。


 でも。

 私は、もう決めたはずだ。


 これ以上、彼のことを絶対に傷つけないと。


「……やるわ」


 意を決して、


 私は朱肉に印鑑を押し付け、


 署名の隣にある空間に、


 二人の夫婦生活に幕を閉じさせる残酷な象徴を、


 そっと力を入れて……、






「―――――苺途さんッッ!!!!!!」




 

 思わず、手が震える。

 

 市役所中に聞こえるような、大きな声。

 何を騒いでいるのかと、周囲のお年寄りたちが眉をひそめている。


「――苺途さんッ!!」



 ……でもそれは、私の大好きな声。


 優しくて、イジワルで、情けなくて、でも世界一カッコいい、一番好きな声だ。


 ……幻聴かな?


 ただの、気のせい?


 ……それとも。



「――苺途さんッ!!」



 彼が、現れる。


 服はボロボロで、肩で息をして、足を引きずっている満身創痍の姿で。

 

「……いちる、くん?」


 気が付くと、足が動き出していた。


「――一瑠くんっ!」


「苺途さんッ!」


 私は、体当たりと見間違うくらい強く、引き寄せられるように。


 市役所のど真ん中で、彼の胸に飛び込む。


 強く強く、もう離れないように必死にしがみついて。


「……ばかっ!」


 ぐしゃぐしゃになる心の中を、そのまま言葉にする。


「……なんで一瑠くんがここにいるのよっ! 試験はっ? 大事な試験だったんじゃないのっ!? やっと進んで、踏み出せたんじゃないのっ!? 今の一瑠くんが、苦しまなくて、幸せになれる、そのために私はっ! ……なのに、」


 涙がとめどなく溢れ、


「どうして今さらっ、なんで戻ってきたのよっ! なんで最後まで、残酷でいてくれないのっ!? どうして、いつもいつも、一番いて欲しいと思う時にはかならず、いちいち側にいてくれるのよ!?」


 何を言えばいいのか、自分でもわけがわからなくなる。

 

 一瑠くんは、そんな私を、苦しくなるくらい強く抱き返し。


「……多分、同じだから」


 両肩を優しく押すようにして、顔と顔が向かい合い、

 

「ようやく、わかったんだ」


 彼のごつごつした指先が、私の目元から涙を拭う。


「記憶があるとかないとか、関係なかった。僕は、僕だから。覚えてようが覚えてまいが、結局僕は、別人なんかじゃない、同じ気持ちだったんだ。……だから」


 彼が、少し照れながら、微笑む。

 いつか、拗ねた私にしてくれたみたいに。



「……どうあがいても、……キミの側に、居たくなってしまうんだ」



 そして彼は、ずっと手に持っていた花束を取り出す。

 真っ赤な薔薇のひとつひとつが、たくさん私に笑いかけているようで。


「……これを、キミに」


 差し出される花束を、両手で大事に抱えた私へ。


「記憶を失くしても、これだけは変えられなかった。……僕の全てが、忘れることを許してくれなかった。そのことを、キミにも、知ってほしい」


 彼の瞳が揺れて、また笑う。



「愛してます、苺途さん」



 彼の頬が、ほんのりと赤く染まり、






「……もう一度、僕の、お嫁さんになってください」






 私は、一筋の涙が流れるままに。




「……はいっ」




 パチ、パチ、と。

 どこからともなく。


 親族の誰かが始めた拍手が、少しずつ広がって。


 昼前の市役所には似つかわないような拍手喝采と祝福で、

 その場が、埋め尽くされる。


 今さらながら、人前で堂々と愛の告白を繰り広げてしまったことに気付き、


「……っ」


 私は顔赤くするけれど。


「おまじない、する?」

「え、なんで今っ!?」

「なんでって、そりゃ……」


「嬉しすぎて、忘れちゃいそうだから」


「…………」


「……好きに、すれば」


 視線を逸らして答えると、軽い唇づけが返ってきた。

 

「……待って、もう一回、ちゃんと」



 私たちは再び見つめ合い、



「ずっと、忘れないように……」



 瞳を閉じて、そっと唇を重ねる。







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