21の2話 キミと、
少しだけ見知ってきた街並みを、二人乗りのスクーターが疾走する。
通勤ラッシュを少しだけ過ぎた車道は、そこまで混んでいないので遅れることはないだろう。
肌をなめていく風の感触が、気持ちいい。
「……あのさーッ」
前方を見たまま、さゆさんが聞いてくる。
「いちるんはーッ、どうして試験を受けようと思ったのーッ?」
風の音にかき消されないように、僕も大声で答える。
「よく、わからないーッ!」
僕は、思うままに言ったつもりだったが、
「え、なにーッ??」
「よく、わからないんだーッ」
「試験を受けた理由―ッ!!」
「それを、言ってるんだけどーッ!!」
なかなか、上手く伝わらなかったようだ。
そのまましばしの間、さゆさんとの不毛な問答を繰り返すうち、僕らは大学に到着し。
「……くっ、これが昼の部のキャンパスなのッ? ま、眩しすぎて吐き気がッ」
「出た、夜間部あるある、昼の部コンプレックス。そんなに変わるものかなー?」
「変わるよー! さゆ、もうこのリア充オーラ満開の空間、耐えられないから駐輪場にいるねー」
「……ああ、そですか」
僕はさゆさんにヘルメットを渡し、
「じゃあ、いってらっしゃい、いちるん。……たとえダメでも、その時はさゆたちとの夜間部生活が待ってるから、安心してね」
「落ちる前提で話さないでよ。……あの、」
「本当に、ありがとう。……今の僕を、認めてくれて」
僕の言葉に、さゆさんは指でピースサインを作り、
「当然でしょ。記憶があろうがなかろうが、さゆには関係ないもん。さゆはずっと、これからも、いちるんの味方なんだから」
言葉は、必要なかった。
僕とさゆは、笑顔で見つめ合い、
「あ、それは、置いていった方がいいかもね」
そこで、僕らはようやく気付いた。
ずっと握りっぱなしだった、赤薔薇の花束の存在に。
◇◇◇
試験直前。
緊張感の蔓延した小さな教室に、机が横一列に並んでいる。
試験を受けるのは僕を入れて6人。
皆、それぞれ参考書などを必死で読み込んでいる。
僕も要点のまとめたノートを読み返しながら、
ふと、さっきのさゆさんからの質問について、考える。
僕は、どうして、この試験を受けるんだろう。
自問すると、迷うことなく、僕の中から答えが生まれ出る。
そんなの、決まってる。
全ては、彼女のため。
以前の僕を好きな彼女を、これ以上泣かせないため。
自分の記憶も、感情も心許ない僕が、たった一つ、わかっていることがある。
……僕は、彼女を泣かせなくない。
そのためなら、僕はきっと、何だってできるから。
「試験開始、5分前になりました。筆記用具を除いて、荷物をしまってください」
試験官の声が響き、僕ら受験生はノートなどをしまう。
そこで、僕は、鞄からペンケースを取り出した。
昨日探したけど、結局普段使っていた新しいものは見つからなかった。どこか荷物に紛れてしまったのだろう。こういう時は探すだけ無駄というものだ。
なので、今日は二軍らしきペンケースを適当に持ってきたのだが。
「試験開始、3分前です。答案用紙を配ります」
僕は慌ててペンケースを置き、姿勢を正して椅子に座り直す。
試験開始直前の、独特な緊張感が身体を支配する。
記憶はなくしているが、不思議と勉強のことは覚えている。
短期間で準備不足は否めないが、一応対策もやってきた。
あとは、問題と向き合うのみ。
刻々と時が刻まれ、
高鳴る受験者の鼓動の音すら聞こえてきそうな、静寂がその場に訪れる。
僕は、すぅ、と息を吸い、
……彼女の、ために。
「…………ッ!」
その瞬間、
まるで、もやが晴れるように、
僕の脳裏に、ある記憶が蘇る。
硬筆の香り。
高鳴る鼓動。
苦しいぐらいの緊張の中で。
――
今と全く同じことを、僕はッ。
「時間です。試験を開始してください」
「あ」
試験官の合図に、受験生たちが一斉に動き出し、僕だけが乗り遅れる。
慌てて遅れを取り戻そうとして、僕はシャープペンの芯を盛大に折り、
「うわ」
替え、替えの芯ッ!
焦る気持ちを全力で押さえつけながら、
出来るだけ冷静を装って、ペンケースを開けた、その時だった。
はらり。
全身汗だくになって焦る僕とは、正反対の緩慢さで。
小さなメモがペンケースから滑り落ちる。
「!?」
何が起きたのか理解できなかった。
しかし、次の瞬間には、それがカンニングまがいの行為であることに気付き。
慌てて隠そうとした僕の目に、それは飛び込んできた。
『 ごめんなさい 』
確かめなくても、誰の字か、わかった。
きっと、記憶を失くす前の僕へ、彼女が。
「………ッ」
何してるんだよ、これ。
二軍のペンケースに入れても、気付くわけないのに。
それに加え回収するのまで忘れて。
「うう…………ッ」
こんなわかりにくい方法でしか伝えられなかった彼女が。
「うううああ……ッ」
『……私はただ、あなたの側に居たいだけです」
一体どれほど勇気を振り絞って、
『……一口、あげたじゃない』
どれほどの恥を忍び、
『越名さんが心配なので、来てしまいました』
どれほどの涙を食いしばって、笑っていたのだろう。
『……お別れ、しましょう?』
どれほどの痛みに耐えて、その言葉を言ったのだろう。
「あ、あ……うう…………ッ」
どれほどキミは僕のことを愛し、
そんなキミのことを、どれほど、僕は……。
「くっ……ううッ……あッ」
――愛して、しまったんだろう。
「しっかりしてください、大丈夫ですか?」
試験官の声に顔を上げると、僕はやっと自分が涙まみれで固まっていたことに気が付く。
「……だいじょう、ぶ、ですッ」
「そうはみえません。どこか体調でも……」
急に言葉をきる。
彼の視線が、僕の手にしたメモに注がれて。
「……」
「あ、あの、……これはッ」
僕は反射的に弁明をしようと声を上げるが、
「いきなさい」
「え?」
「……今すぐいきなさいッ、この人のところへッ! 編入試験なんて、いつだってどうにもできますッ!」
「……ッ!」
僕ははじかれたように、立ち上がる。
他の受験者の視線があまねく注がれ、
「……はやくいきなさい。……試験の邪魔ですから」
「……ありがとうございますッ!!」
僕は、試験官へ深々と礼をする。
そのまま、荒く鞄を掴んで教室を飛び出す。
……思えば、わからないことだらけだった。
何をすればいいのかわからない。
自分が何をしていたのか、
何者なのかさえ、
記憶の無い僕には、わからないことばかりだ。
……でも。
「……くッ」
再び、涙が滲んでくる。
今、たった一つわかった、自分のこと。自分の気持ち。
自分の中の一番深いとこにある、一番大事な気持ち。
『傷つけたくない』とか、『彼女のために』とか、腐るほど立派な言い訳を並べても、かき消すことのできない、本当の気持ち。
記憶があるとかないとか、そんなくだらないことに惑わされて、一体僕は何を守ってきた? 誰を守ってきた? ……自分だろ!?
自分が傷つくことを恐れて、自分が誰かを傷つけてしまうことを恐れて、そのくせ一番大切なはずの自分の気持ちは一切伝えない臆病な自分が!!
彼女が誰よりも大事だってウソをついて、自分を守ることしか考えてなかったんだ! 否定されるのが怖くて、今の自分でいることだけをよりどころにして。
そうやって自分だけを大事にして、あんなに全力で気持ちを伝えてくれた彼女に、一番失礼なことをしてたんだ!
まだおぼつかない足を蹴りだし、
痛みの消えない腕を全力で振って、
僕は走り出す。
「ああああああああああッ!!」
感情が爆発する。
自分のあまりの愚かさに反吐が出そうだ。
思い切り誰かにぶたれたいと、心の底から初めて思った。
「い、いちるんッ!?」
トイレから出てきたらしいさゆさんが、驚きの声を上げる。
「ど、どしたの? 試験は……ッ?」
「さゆさんッ!!」
「はイッ!?」
僕は彼女の両肩を掴み、
「僕は、……僕は、苺途さんと別れたくないッ!!」
「……ッ!!」
さゆさんは驚き、それから真剣な顔で、
「どうして?」
怒ったような厳しい口調で問う。
「……どうして、答えてよッ!?」
彼女の剣幕を、僕は真正面から受け止め、
「好きだから」
やっとわかった、大切な気持ちを述べる。
「記憶がなくたって、僕は、……彼女のことが好きだから!」
「……」
さゆさんは少し下を見て黙り込んで、
「いっ、せー、のぉッ!!」
ぱああん!
小気味のいい音がしたと思ったら、まさかの平手打ち。
「へ?」
なんでぶたれたの、僕?
いや、確かにさっき誰かにぶたれたい気分とか思ったけども。
……何故に、このタイミング?
僕が困惑していると、さゆさんは。
「やってやった! ……ついにやってやったわ、ちょーきもちいい!」
「あの……なに?」
「これが約束の、倍返しだよ! どうだいちるん、思い知ったかー!」
「……さゆさんどうしたの、大丈夫……」
「いちるん!」
事情を飲み込めずガクガク震える僕の手に、彼女がヘルメットを投げてよこし。
「……なら、さゆが絶対間に合わせてあげるッ」
フリフリの姫服をカッコよく翻し、さゆさんが笑う。
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